5-31 朝起きて

 世暦せいれき1914年6月29日


 朝、部屋の窓からカーテンの隙間をうい、アンナの綺麗な顔に一筋の光が差し込んだ。

 その光は丁度彼女の瞼を照らし出し、急に現れた光に、アンナはふと目を覚ます。


 彼女はゆっくりと起き上ると、何故が少し痛い頭を抑え、まだぼんやりした思考を働かせた。



「えっと……私は何、してたんだっけ……? そう言えば、いつ私は部屋に来たのだろう……?」



 昨日の途中から記憶が曖昧なアンナ。しかし、頭を動かす内、ある光景が脳裏に映し出される。



『えへへ……わらひもエルくんが、だあ〜い、ひゅきぃ…………!』



 甘々の、いつもの自分とはかけ離れた姿。更に、想い人エルヴィンにベッタリな姿。


 それに、アンナは上を向き、軽く黄昏れ、



「これは、夢だな…………」



 理解し難い記憶を夢で片付けた。




 何事もなかったようにベットから降りたアンナは、背筋を伸ばすと、ズボンを脱ぎ始める。

 次に、シャツのボタンに手を掛け、上から1つ1つ外していき、少しずつ白く綺麗な肌を露わにする。

 最後には、下着を脱いで、芸術的な細身の身体を、乳房から太腿まで空気に晒し、部屋内に完備されたシャワー室へと入った。


 そして、昨日に消せなかった汗を流し、ホテルの付属品であるバスタオルで身体を拭くと、未だ残った水分を滴らせ、タオルを身体に巻く事なく、滑らかな肢体をまた空気に晒しながら、カバンから替えのシャツと下着を取り出す。


 下着で控えめな胸部達を隠すと、シャツできめ細やかな肌を隠す。

 ズボンで美しい脚部を隠し、机に置いてあったガンベルトを腰に巻き、同じく置いてあった上着を着る。

 最後は、服に入った少し長めの髪をたくし上げ、それをゴムで縛る。



「よしっ!」



 化粧はしなかったが、素の彼女で既に綺麗と呼べるので、逆に美の邪魔になるだろう。


 脱いだ服を畳み、鞄に片付けた彼女は、鞄を置いたまま部屋を出て、上の階にある友人達の部屋へと向かう。

 そして、部屋の前まで来ると、ドアをノックし、友人達の名を呼ぶのだが、勿論返事はない。


 まぁ、いつもの事なので、彼女は溜め息だけで終わらせると、スペアキーを取り出し、鍵を開け、部屋へと入る。


 案の定、中では、2つあるベット内の1つで、カーテンで光を寸断し、部屋も暗くし、エルヴィンがベットに包まって眠っていた。



「エルヴィン、朝です、起きて下さい!」



 エルヴィンは唸りながら寝返りを打つ。



「まだ朝じゃないよ……」



 部屋が暗いままだったからの台詞だろうが、アンナはそれを封殺するように、カーテンを開け、照明を点け、まだ朝じゃないと言えなくする。



「さっ、朝です‼︎」



 ホテルなので流石に空砲などは撃てないが、その他、枚挙がない主人を起こす策(力技)を、彼女は持っている。


 なので、これで起きなかったらそれ等を使おうかと考えていたのだが、珍しく、呆気なくエルヴィンは起きた。



「おはよう……アンナ…………もう朝か……早いねぇ……」



 寝癖で更にボサボサの頭で、眠気残りの半開きの目で、エルヴィンは起き上り、大きな欠伸をして、ベットから降りた。

 服装はやはり、上着とベルトを外しただけの、シャツと軍服ズボンの姿である。



「エルヴィン、今日は珍しく素直に起きますね…………」


「ああ〜……まぁ、流石に、今日も遅くなるのは、テレジアに申し訳、なくて……ふぁあっ……」



 欠伸に手を当てるエルヴィン。少しずつ目も冴えてきたが、まだ眠気が残っているので、顔を洗いに向かう。



「テレジア様が関わると、真面目ですね……」



 エルヴィンの場合によるやる気に呆れつつ、アンナはもう1つのベットに向き直る。

 こっちもやはりと言うべきか、ルートヴィッヒの姿はない。どうやら、外で女と寝たらしい。



「はぁ……彼にも困ったものです……」



 ルートヴィッヒに嘆息をこぼしつつ、洗面所から、粗方目が覚めたエルヴィンが出てくると、そちらに視線を向ける。



「エルヴィン、どうしますか? ルートヴィッヒ置いて先帰りますか?」


「まぁ、そうしたいのは分かるけど……そろそろ戻ってくると思うよ? 彼も早く帰りたいようだしね」


「そうなんですか……? クズを捨てる良い機会だと思うのですが……?」


「まぁまぁ……」



 とことんルートヴィッヒに辛辣なアンナを、エルヴィンがたしなめつつ、当のアンナは、そろそろ追放してやろうかと思わせるルートヴィッヒに、また嘆息をこぼすのだった。




 取り敢えず、先に朝食を食べる事にした2人は、ついでにチェックアウトも済ませる為、自分の荷物を持ってロビーへと降りた。

 そして、1階レストランにて朝食を摂るが、やはりテレジアのご飯が恋しくなり、虚しくて手早く済ませる。


 その後、荷物を持ってロビーに戻ったエルヴィン達だったが、丁度、ルートヴィッヒが外から戻って来た所だった。



「よっ! お二方……朝のデートはどうだった?」


「デートって……朝食を一緒に食べただけだよ」


「十分デートと言えんじゃねぇか?」


「それだと、軍務中や仕事中もデートになってしまうよ? ムード崩壊だよ?」


「今回は仕事じゃねぇだろ? だったらデートだ」


「はいはい……そうだね、デートだね……」



 ルートヴィッヒの茶化しに疲れたエルヴィンは、反論する気も失せ、軽く流して終わる。


 それにルートヴィッヒは肩をすくめて、次に、デートという言葉で恥ずかしさに悶えているだろう森人エルフの少女に視線を向けると、案の定、彼女は顔を赤くし、耳をヒクヒクさせ、恥ずかしそうに口をパクパクさせていた。


 しかし、どうやらルートヴィッヒからして、予想よりも軽く、面白味に欠ける反応だったらしく、彼は怪訝な顔を見せる。



「さて……全員、揃った事だし、チェックアウトを済ませよう」



 エルヴィンはそうこぼすと、2人に荷物を預け、ホテルの鍵を預かり、受付へと向かう。


 その背後姿を確認しながら、ルートヴィッヒは眉をひそめてアンナへと向き直った。



「お前……どうした? 熱でもあんのか?」


「何ですか……いきなり……?」


「いや、あんな事があった後だぞ? 恥ずかしくねぇのか?」


「あんな事……?」



 何を言ってるのか理解出来ていないアンナ。どうもそれ自体の記憶がない感じである。



「コイツ……覚えていないタイプか…………?」



 予想を立てたルートヴィッヒだったが、その予想が面白味に欠けるものらしく、幻滅気味に溜め息をこぼした。



「いや? これはこれで面白くなるか……」



 ルートヴィッヒに不敵な悪餓鬼の笑みが浮かぶ。



「アンナ……昨日の夜の事は覚えてっか?」


「いえ……何故か覚えていません。チェックインの受付をしていた辺りから記憶が曖昧で…………」



 やっぱ! と、ルートヴィッヒの笑みは更に楽しそうに歪められる。



「本当に、昨日の夜の事は覚えてねぇんだな?」


「はい……」


「そうかそうか…………」



 悪巧みを企むルートヴィッヒに、流石に気付いたアンナは、警戒心を強めて、少し身構える。



「なぁアンナ、その抜けた記憶、知りたくねぇか?」


「何ですか? また……」


「俺はお前の欠けた記憶を知っている。だから教えてやるんだよ」



 ニタリと笑うルートヴィッヒ。そして、彼は人差し指をアンナへ向ける。



「つばり! 昨日! お前は! エルヴィンに! まるで! 子供の様に! 甘えていた‼︎」


「…………は?」



 馬鹿じゃないの? と言わんばかりに、アンナは目を細める。



「何を言っているんですか? 貴方は……私がそんな事する訳ないでしょう?」


「いんや、してたぜ? まるで親に甘える幼児の様だったぜ?」


「嘘を言わないで下さい! どうせ言うならマシな嘘をついて下さい!」


「だから本当なんだよ。いい加減認めろよ!」


「だから! 私がそんな事……」



 この時、ふとアンナの脳裏を朝に見た夢の内容が過ぎる。


『エルくぅ〜ん、むかりぃみらぁいに、いっひょに、ねよ?』


 これは夢だった。



「そんな事する訳…………」



 また脳裏を夢の内容が過ぎる。


『え……? もひかひて……エルくん、わたひのころ、きりゃい……?』


 これは夢の筈……。



「訳が………………」



 またまた脳裏を夢の内容が過ぎる。


『らったら……しゅき?』


 夢、だよね…………?


 アンナの頬を冷や汗か伝い、恐る恐る、もう1度ルートヴィッヒの表情を伺う。


 そして、そんなアンナに、ルートヴィッヒはニヤリと楽しそうな笑みを向けた。


 こんな笑いを向けた時、彼は決まって嘘は言わない。本当に愉快な現実を楽しんでいるのだ。


 つまり、ルートヴィッヒの発言は嘘ではない。


 昨夜エルヴィンに自分が甘えたのは嘘ではない。


 夢だと思っていたものは夢ではない。


『えへへ……わらひもエルくんが、だあ〜い、ひゅきぃ…………!』


 これ等甘えた様子は全て昨夜エルヴィンにやった行動だ。想い人へと向けた行動だ。


 夢が記憶と結合し、自分がしでかした事を自覚した瞬間、アンナは鞄を地面へと落とす。


 そして、



「うわあああああああああああああああっ‼︎」



 悲鳴を上げ、頭を抱え、うずくまり、顔を沸騰させた。



「何て事してるんだ私はっ! 死にたい! 今すぐ死にたいっ‼︎」



 今までに感じた事のない恥ずかしさが爆発したアンナ。それに、ルートヴィッヒは実に面白い光景が観れた事へのガッツポーズを我慢すると、片膝をつき、彼女の肩を片手でポンっと叩き、嘲笑を浮かべる。



「ドンマイ!」



 列車では告げられなかった、精一杯馬鹿にする一言を、面白半分に彼女へ贈るのだった。

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