第16話

 明けて翌朝、僕は寝起きの布団の中から手を伸ばしスマホを確認する。


 ――まだ動きはないみたいだ。


 グループチャットに何か動きがあったら連絡をしてもらえるように高井に監視をお願いしている。

 高井からのメッセージが届いていないので、今のところグループチャットには動きは無いのだろう。


「お兄ちゃん無理しないでね」


 朝食をとり、顔を洗い、支度を済ませ玄関でローファーを履いていると妹の菜希なつきが話し掛けてきた。


「大丈夫だよ。菜希も知ってるだろ? 僕は面倒くさいことからは逃げるってことを。何かあったら真っ先に逃げるから」


 僕は菜希に心配を掛けまいと冗談っぽく振る舞った。


「うん、知ってる。でも何かあったらすぐ私に言ってね」


「ああ……分かってるって。それじゃあ、行ってきます」


 僕は菜希に見送られ学校へと向かった。

 ちなみに菜希の通う中等部は通学路や校門付近の混雑を緩和させるために、高等部より十分ほど始業時間が遅い。

 だから僕が出掛けてから家を出ても十分間に合う。


 僕は通学路を歩きながら、誹謗中傷の解決策を模索していた。だが良い案が全く浮かばない。このまま鎮静化して記憶から薄れて自然と解決してくれれば良いのだが、なにか嫌な予感がしてどうにも落ち着かなかった。



 校門を抜け下駄箱を開けて覗き込むが何も入っていない。上履きを取り出し念入りに確認をしていると聞き覚えのある女子生徒が後ろから声を掛けてきた。


「遠山、おはよう」


 振り向くとそこにはいつもギリギリに登校してくる上原さんが立っていた。


「上原さん、おはよう。今日は少し早いね」


 下駄箱のところで上原さんに会うのは珍しい。


「なんとなく遠山がいるかもしれないって思って早く来たんだ」


 悪意のある人間がクラス内の近いところにいるのだから不安なんだろう。頼りないとはいえ僕も男だ。なにかあった時の壁役くらいにはなるだろう。


「遠山、さっきから靴を念入りに見てるけどどうしたの?」


 中に画鋲とか針が入っていないか確認しているのを上原さんに変に思われてしまったようだ。


「あ、いや別になんでもないよ」


 直接嫌がらせがあったのはあの時だけでそれ以降はない。余計な心配を掛けないよう上原さんには下駄箱と机のゴミの件は話していはいない。


「ふーん……何か隠してるでし――アレ? なんだろ……なんか入ってる」


 上原さんが自分の下駄箱を開けたと同時に言い掛けた言葉を途中で止めた。


 ――なにか入ってるだって⁉︎


 先日の下駄箱に入っていた紙を思い出し僕の心臓の鼓動がドクンと跳ね上がった。


「紙……えっ?」


 横を振り向くと悲痛な面持ちの上原さんが呆然と立ち尽くしていた。そしてその手には一枚の紙。


 ――まさか!


 僕は上原さんの手元の紙を覗き込んだ。


『いくら払えばヤラせてくれるの?』


 そこに書かれていたのは悪意を込めた誹謗中傷の文字。


 僕は恐る恐る上原さんの様子を伺う。

 彼女は心ここにあらずといった様子で静かに立ち尽くしていた。


 ――どうすればいい? なんて声を掛ける?


 頭の中で考えがまとまらず僕も動くことができなかった。ほんの数秒間だろうか、僕と上原さんは微動だにせず白い紙を見つめていた。


「なんだ遠山と麻里花じゃないか? 二人して援交の相談か?」


 不快な声が耳元に届き僕は我に返った。

 その耳障りな声の方に振り向くと倉島ともう一人、同じクラスで倉島の金魚のフンの様に付いて回っている谷口幸雄たにぐちゆきおがニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて立っていた。


「モテない遠山も麻里花に相手をしてもらえてよかったな。俺たちもあやかりたいもんだな。なあ谷口?」


「いや、ホント。倉島くんでもヤラせてもらえなかったのに、ホント遠山が羨ましいわ」


 ギャハハと下品に笑う谷口。


 お前らか――


「谷口、下品だぞ。いくら麻里花がヤリマンでも言い方には気を付けないとなぁ」


 僕の視界に青ざめ、目に涙を浮かべた上原さんの姿が映し出された。その悲しみに暮れた彼女の姿を見た僕の中で何かがキレた。


「お前かぁぁぁっ!!」


 僕は倉島の胸ぐらを掴み身体ごとロッカーに叩き付けた。


 倉島は背中からロッカーに衝突しガシャンと激しい音をたて、僕に胸ぐらを掴まれたまま倉島はロッカーにはりつけになった。


「倉島ァァッ!! 僕のことはいくら悪口を言っても構わない……だがな……上原さんを侮辱するようなことを言ったら――ブッ殺すぞッ!!」


 ブチ切れた僕は掴んでいるシャツの襟を倉島の首元でギリギリと締め上げていく。


「と、遠山……や、やめろ……く、くるし……」


「お、おい、遠山! 倉島くんを離せ! 死んじまう!」


 谷口が何か言っているようだが――倉島の次はお前だ。


「遠山! やめて!」


 怒りに染まった僕の心に上原さんの悲痛な叫びが届いた。僕は締め上げていた手を止める。


「遠山、やめて……お願い……私は大丈夫だから……」


 上原さんの声が倉島を掴んでいる僕の手の力を奪っていった。


 僕が手を離すと倉島はズルりと地面にへたり込んだ。

 むせて咳をしている倉島を上から見下ろし僕は立ち尽くしていた。


 その場は騒然となり慌ててやってきた先生に僕は連れて行かれた。



「遠山くん、君みたいな大人しい生徒がいったいどうしたの? 倉島くんと何があったか聞かせて」


 僕は生徒指導室で担任の宮本先生と生活指導の桑島くわじま先生に事情聴取を受けていた。


「遠山、他の生徒に聞いた話だと随分とキレていたそうだが、お前がそんなに怒るなんて何があったんだ?」


 僕は普段の素行は悪くない。だから突然の暴力行為に二人とも驚いているようだった。


「話したくありません」


 上原さんが関わっている以上下手なことは言えない。グループチャットのことを話さなければならないからだ。

 このまま全てを話せば表面上は解決するかもしれないが、上原さんの汚名は晴らせない。


「遠山くん、このままだと停学になるかもしれないわよ」


 停学になるのは構わない。

 でも、停学で学校に来られなくなると上原さんを守ることができなくなってしまう。そう考えると短絡的だったと思うが倉島に暴力行為をはたらいたことを後悔はしていない。


「……」


 どのみち僕は停学か退学になるだろう。だから無言を貫き後で考えることにした。


「ふぅ……話したくないなら仕方がない。倉島にも事情を聞かなければならないし、その話を聞いてから遠山の処分は決める。それまでは自宅待機だ」


 倉島は何て話すのだろうか? それが気がかりだ。


「分かりました。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」


 僕はその日から自宅待機となり学校を休むこととなった。

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