第64話 会話よりすごい、コミュニケーション?

「はぁっ、はぁ……」

「ッ……ふぅッ、あはは。面白いねぇ」

 髪を振り乱し、刀と足技とで戦い合っていた二人が――その時、同時に動きを止めた。

 刀からは血が滴り落ち、ぬらりと鈍く輝く。

 足は綺麗なものだったが、しかし服はその限りではない。美しく編まれた衣装は、ものの数秒で刀を受け……ところどころ裂かれている。

 こと、左の太股は顕著であった。刀傷は癒えたらしいものの、

 傷口から流れ出るばかりの血と、刀に着いた血とで、元の色をすっかり失ってしまっていた。

「……よくもまぁ、ぺらぺらとくっちゃべる口をお持ちですねぇ」

「そちらこそ。玲奈くんは強いねぇ――」

 早まる息と鼓動を整え、体勢を変える。

 互いに、最期の全力を、技にぶつけてやろうという気迫。

 否。相互賛辞というやつだろうか。殴り合えば最後には友だちさ、という青春なのだろうか。

 ぴんと張り詰めていた空気が、のったりと動き始める。冷え切ったそれらが、妙に熱を持っている。

「……これにてフィナーレ。アンコールは受け付けませんよ」

「ふふ。せめて痛くないようにしてあげるね」

 最早、これは命としのぎを削り合う戦いにあらず。

 互いを魂まで理解し合ったが故の、戯れだ。

 最悪、二人同時に相打ちで死んでも構わない。

 何故か。

 問うまでもない。それが、互いへの最大級の賛辞だから。


 それくらいは、僕だって分かる。

 正確には、そういう答えを叩き付けられている、と言う方が近い。玲奈さん風に言えば、理解わからせられている。

 理屈も論理も語らいも、何もかもをすっ飛ばして、戦いの内にそういう答えに辿り着いた。無駄というものを徹底的に排除しきった、相互理解。

 事実として疲労が重なっているにも関わらず、攻撃の軌跡は洗練されていた。まるで迷いなく振るわれる太刀筋と蹴りとに、見惚れさえした。

 それらは何も、戦いのさなかに成長したわけではない。互いに、互いを理解したのだろう。

 要は、愛。

 この世界で最も深い相互理解と尊敬とを、一言で簡潔に表せという問題があったとして――僕ならば、そう答える。

 恋でも、友情でも、憎悪でもなく。

 あまりにも純粋な形をした、愛だと。


 だけど。

 それで死んでは身もふたもない。

 既に、互いに限界近くまで息を荒げている。べちゃべちゃに血が飛び散り、アザや出血のせいで真っ青になっている場所さえあるのだ。

 安定感の権化と言ってもいいような鋼鉄の体幹を誇る男女二人が、軽くふらついているのも異様であった。

 玲奈さんこそ分かりやすく傷を貰っているが、所長も所長でかなり内臓にダメージが来ているだろう。人体ってここまで膝が入るのか、と驚かざるを得ないような、それはそれは華麗な膝蹴りを二発ほど腹に貰っている。

 そして、間違いなく異様としか言いようのない雰囲気。

 ――死ぬ。

 間違いなくどちらも死ぬ。最悪とか最善ではなく、このままではどう足掻いたって死ぬ。

 それは、駄目だ。

 本末転倒とかそれ以前の問題で――死ぬというのは、とても怖くて悲しいから。


 足が、動く。

 刀の刃先が見えた瞬間に、身体が急に重くなって――己がしたことを、ようやく理解した。

 でも、後悔なんてない。

 会話抜きにわかり合ってしまった二人を止めるのに、言葉なんて甘いことは言っていられない。

 さりとて、命を賭して止められる力なんてない。僕は、恐ろしく弱いのだから。

 いや、あるにはある……かもしれない。

 でも、あるかもしれない、を土壇場で賭けられる僕じゃない。そんなの自分で分かっているのだ。

 だったら。

 もっと確実で、もっとわかりやすい方を取るに決まっている。


 ――突風のように死が迫る。

 雷撃の如く、ドン、と大きな音が聞こえて。

 切っ先が、まっすぐに僕へと伸びてくる。真後ろからも、何か、来る。

 でも。

 それを見ることなんて、僕には到底できなくて――目を閉じた。

 一秒、二秒、三秒。

 どくんどくん、心臓が鳴る度に死が近づいてくる。

 壊れたように早鐘を打って、そのまま止めてしまうであろうそれが。


「……成功、っと」

「危なかったぁ……」


 まぁ、どういうわけか止まらなかったので。

 無事に目を開けてしまっていたり、だとか。

「何を考えているんですかキメ技の前に飛び出るとか! マッハは出てますよ! 我々が超最強だから無傷で済んだものの――」

「刃物の前に飛び出さないようにね。例え相手が死ぬとしても、まず自分の命を守らなきゃ駄目なんだよ。咲良くん聞こえてるかな?」

 何故か僕が雑巾の如くこってり絞られていたり、だとか。

「――あ、このおにぎり美味いですね。美味すぎて馬っ気出ちゃう」

「本当にねぇ。ところでね咲良くん、私すっごく――」

 あと目の前でおにぎりを食べられていたり、だとか……梅のすっぱい匂いが漂ってきたりだとか。なんで二人だけ食べてるんだ。僕も梅干し好きなんだぞ。

 僕もおにぎりが欲しいんだけど……手を伸ばしたら何かすごい顔をされたから、正座で待っている。


「……あのぉ、すいません。一ついいでしょうか」

 ……正直言って、異議しかないぞ。

 食い意地が張っているとか、けしてそういうやつじゃないけど。

「なんですか」

「どうしたの?」

 まるで自分たちは何も悪いことをしていないかのような、恐ろしい程にこやかな笑みを前にすると、少し気まずいものがある。さっきまで殺し合いに明け暮れていたのはどこ吹く風、大体いつも通りに打ち解けてしまっているのだし。

 まぁでもいい。この際言ってしまえ。

「そもそも、殺す気で戦わなければ僕も止めませんけど……」

「……」

「……」

 というか、殺さなくてもどうとでもできる相手だったら、そうしているだろうし。

 一応、双方共に殺したらまずいという分別はギリギリあるみたいだし。

「……まぁほら? ご飯が美味しければ? 細けぇこたぁいいんじゃないですかね」

「そうそう。適度な運動は健康にも優しいからね」

 すごい苦しい言い訳じゃないか……。

 というか、それでいいのかこの事務所? とつぐさんが何かしら破壊するのは最早日常茶飯事として……いや、コミュニケーションの一環ならいいのかな……?

「ホラ難しいこと考えないでおにぎりですよ!」

「むぐ」

 ぽけっと開いていたらしい口に、剛速球でおにぎりを詰め込まれる。

 ……美味しい。

「私の地元で作ったお米なんだよねぇ。ようやく水田がまともに作れるようになったみたいで」

 なるほど、納得の美味しさである。地味にしっとりしている海苔も美味い。

 いやいやいや、そういう事を言っている場合じゃなくて。

「……むぐむぐ。殺し合っていたら健康以前の問題じゃないですか!」

「まぁまぁ」

「たまには羽目外さなくちゃ」

 くそう、梅干しが無駄に美味しい。地味にしそが効いているし、ちょっとだけ甘酸っぱさがある。僕の知らない味だけど……どこで買ってきたんだろうか。

 違う、今はそうじゃない。

 そりゃ、確かに普段から羽目を外していないというか……悪ノリそのもので生きている他の人に比べれば、所長は大人しい。大人だからって羽目を外すな、というのもちょっと酷だし……でも外し方としては盛大に間違ってないだろうか? 外れているのは命とかに対する外しちゃいけない節度じゃないかこれ?

「美味しい?」

「……とても美味しいですけど!」

「よかったぁ。それねぇ、私が漬けたんだよ」

 ……しまった、これじゃ何も言えない!

 露骨に話題を逸らされている……けど、これ以上どうこう言うのもなんか違う気がしてきたのが困る。

 これが大人のやり口か……!

「……そ、そうなんですね」

「ふふ。年寄りっぽいかなぁ」

「非常に正論を吐くようで申し訳ないんですが、一般的に四十代はおっさんですよ」

 ……まぁ。

 そんなこんなで、すっかり丸め込まれてしまったわけである。


 もっとここで、ふてくされていなければと。

 いや。

 もっと早く止めていれば、と後悔する羽目になるのだけど――それはまた、別の話だ。

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