第44話 選択の時はかく来れり

 辿り着いた部屋は、惨状そのものであった。

 空き巣を超えて、嵐でも突っ込んできたのかと言わんばかりに荒れ果てた部屋。

 悲鳴を上げた少女は、今度は奇声を上げていた。本人にとっては当然なのだが、咲良にはその理由がわからない。

 そして、何故か他人の部屋のベッドでぐずぐずに泣きべそをかくとつぐ。

「まりえちゃあぁ……」

「何をしたんだ姉さんは……」

 とつぐは、最早割とだめな幼女と化していた。

 これが年相応に小学生くらいなら微笑ましいのだが、残念ながら咲良とは十も離れた立派な社会人である。そして今しがたとぼとぼ抱きついたまりえは、双子とはいえ妹である。

 完全に、すごい人としての威厳が溶け落ちてしまった。元からはったりと暴力で保っていたものだったので、二週間バレなかっただけでもすごいものである。

「え、えぇっと。一体、何が?」

「わかんないぃ……ぐすっ」

 よしよし、と胸に埋められ慰められるとつぐは、妙に可愛らしく見えた。

 その後チョークスリーパーを決められ、本日二度目の気絶を晒していたのだが……それはまた別の話である。


「姉さんはな、物理で勝てない相手には途端に態度が弱くなるんだ……」

「はぁ……」

 そして、意外とかわいらしい理由に納得した。


「さて。私の身内が申し訳なかった。さしあたっての問題は、依頼者の貴女だ」

「うひぇっ!?」

 何やらノートの前でうなだれていた少女を、まりえは呼びつけた。

「……あ、あのぉ、ですね。日記、読んだんですかぁ……?」

「別段読まずとも分かるが、姉が読んだので問題はない」

「ああぁ……お父さんにも秘密にしてたのにぃ……」

 少女は、自嘲のような、絶望にも似た笑顔を漏らす。理屈は分からないが、しかしなんとなく理解できるものだった。

 ――たぶん僕も、同じことやられたらこうなるなぁ。

 そういう、小さな共感として。

「……はあぁ。もういいや……探偵さん、なんですよね?」

「あぁ、守秘義務は守るが」

「じゃあいいかぁ……相談したい事もあったんですけど、なんか元通りになってるし」

 やっちゃった、と言わんばかりの瞬間を、どうにか笑顔に取り繕ったような表情。

 どうにも卑屈っぽい少女の顔だが、顔色は戻っていた。ひとまず、元気になったのかもしれない。

「現実問題として、貴女の両親はその……非常に申し上げづらいが、どう事態が動いても死んだことになる」

 しかし、そんなひとまずの安心を吹き飛ばすかのように。まりえは、とんでもない話をぶっ込んできた。

 まさかの、である。

「えっ」

「えっ」

 二人して理解が追いつかず、非常に間抜けな返事しかできなかった。


「……なれはて化してから四年。そこまで巧妙に隠されると、何かやましいことがあったんじゃないか、という事になるな」

「……そ、そういうものなんですか? お父さん、何も悪いことしてないのに……」

「非常に申し訳ないが、そうなる」

 ――神の存在さえ不明瞭だが、確かに存在した古代文明への崇拝。

 卓越した術式構築の腕。

 なおかつ、人類に対する軽蔑心。及び、生け贄を捧げるという習性。

 ましてや、まりえさえ詳細を知らぬ、名前しか知らない存在――巫女。

 古代、白銀の巫女として謳われた本人を指しているのか。はたまた、襲名制の別人かは分からない。

 だが、今までにそれを知るなれはては存在しなかった。

「こちらとしても未知の情報を持ちうる存在だ。丁重には扱うよ」

「……もう会えないんですか」

「そういうわけじゃないが、戸籍上は行方不明として扱われる」

 いくら軍とはいえ、ここは民主主義国家である。

 あくまでも罪を犯した者や、偶然着任していた者、そして合意を引き出せた者のみしか連れ去れない。

 自我崩壊や異能浸食とは違うのだ。体裁上は普通の人間である以上、人権は尊重されるべきである。

 ……最も当の研究者が研究者なので、そんなものは建前でしかない。異能で強制的に洗脳して合意を引き出している、というのが実情である。

 脅迫よりはよっぽど足が付かないのだが、あまり褒められた手段でないことは確かだ。

「えっ、会えるんですか!?」

「流石に軍の施設だから、日時と場所はある程度指定するが……経験則上、無理のない条件ならばいくらでも飲める」

「良かったぁ……」

 ――ひとまず心を読んだ限り、前科はなかった。

 ちなみに、親への洗脳は特に解いてはいない。

 が、恐らく物理的に違う場所に転移した影響もあり、かなりの確率で弱まってはいるだろう……と、まりえは推測していた。

 それでもセックスしていたら、その時は元に戻して誰にでも股を開くようにするだけである。

「……ほ、本当に大丈夫なんですか?」

 ぼそり、と咲良がささやきかけてくる。

 じっと見つめるその顔は、恐らく不安を表しているのだろう――としか、分からない。無自覚の内に、異能の干渉を抑えられている。普段ならば視覚や聴覚から取得できる、心の声やら思考やらが、いやに静かなのだ。

 百が分からないうちから、言葉を交わすのは気が引けた。裸の仲になってきた今でさえなお、ぼんやりとしか理解できない。

 見たところ善良で、他人のために怒れる、ちゃんとした覚悟を持った少年。そして恐らく姉に恋をしていて、それとは別に他人を真剣に想える。

 それくらいの、実に浅いものだ。

 それらが全て、偽りだという可能性すらあるのだから――この少年からは、目を離せない。

「矯正が必要な相手でもないだろうよ。一般人だぞ」

「いや、そっちじゃなくて……本当に会えるんですよね?」

「そこは保障するよ」

 どこまでも理論的な根拠はないそれを、しかしまりえは力強く肯定した。

 今は、理屈を言って聞かせる時じゃない。それくらいは、空気を読めた。

「……そっかぁ。なら……まだ、大丈夫かも、ですね」

「そうだといいな」

 良くは、ないのだ。

 最早心も痛まないだけ。より酷い合意を取らせた事も、多々あるというだけで。


 確かに『なれはて』の人権は尊重されるが、遅かれ早かれ家族のことを理解できなくなる日が来る。それが明日か来週か、はたまた彼ら夫妻の寿命まで持ちこたえてしまうのかは定かではない。

 だが、それらが周知されることはない。

 運次第では誰にでも発症しうる奇病が知られたところで、また良からぬ世論が生まれるだけだ。無責任にも差別を生み、放置すれば、責任を取るのは国家である。

 ならば、そんなものは国民の目から覆い隠してしまえばいい。

 そんなものたちは、いなかったことにしてしまえばいい。

 まるで根本的な解決になっていないが、しかし多くの余裕ある国家はそうした。それ以外の国家では、単なる野生の狂人として扱われているだけだが……しかし、いずれはそうなるだろう。

 故に、なれはて。

 かつて肉体を怪物に蝕まれた人間へ向けられたその言葉は、現在は精神を神に蝕まれた人間に向けられている。

 そしてまた、次の何かに向けられる時代がやってくるのだろう。


 さてひとまずの告知事項は終わったところで、とまりえが一息入れた。

「これから貴女は、どうする?」

「どう……ですか?」

「あぁ」

 どう、生きるつもりなのか。

 そう聞いているのは、咲良にもなんとなく分かる。

 親はいなくなる。身寄りが他にあればいいが、それをずけずけと聞くのはなんとなくはばかられた。

「どうするにせよ、ある程度の援助はするさ。これで詫びになるとは思わないがね」

「どう……か」

 少女は、じっと外を見つめた。

「……急に言われると、全然考えられませんね」

「そうだろうな。だが、我々からは何も言わない」

「厳しいのか優しいのか、分かりませんよ」

 少女は軽く、笑ってみせた。目元の涙が、頬を伝ってこぼれ落ちる。

「……ちょっと、考えさせてください」

「そうか」

 とん、と背中を優しく叩かれる。

「私は一服してくるよ。それまで、ゆっくり考えていてくれ」

「あはは。気を遣わせちゃって、なんかごめんなさい」

 その合図で、立ち上がる。

 そうして、さっさと外に出たまりえの後を、ぽてぽて追っていった。


 まりえの言葉の、どこまでが本心かは分からない。

 だけど、きっと見た目よりはよっぽど優しくて。

 たぶん、ちょっぴり愛情深い人なんだろう、と。

 咲良はそう、なんとなく理解を深めていた。

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