第18話 汚職、発覚
「さて。事件は現場で起こっている、わけなんだけど――」
テーブルを指で叩きながら、とつぐが呟いた。
とんとんと規則正しい音を立て、ガラス板が軽く揺れる。あまり建て付けがよろしくないのだろうか、と咲良は首を傾げた。
「……手口は分かっている、んですよね?」
「そうね。事実、何人かそれで殺られた人間を見ているもの」
異能水銀という、特殊な金属を用いた遠隔殺人。
異能を発現させ、異能水銀へと力を加えれば、化学反応を起こして針状の金属と化す。
もちろんそれも一時的なもので、今やその凶器は存在しない。血に混じって、どろどろと溶け出している。
「誰でもできる手法。だから、トリックどうこうっていうのは問題じゃない」
――そして。
他者に干渉するような異能など、それこそ星の数ほどある。
極端なことを言ってしまえば、獅子原の自殺ということも、とつぐか咲良が殺したということも、ありうることだ。
そもそも、皆殺しにかかっている時点でトリックもクソもない――そう、とつぐは説明する。
「……確かに!」
「この場合、自白した奴が犯人ってことにすればいいわ」
「それは雑すぎませんか!?」
あまりにも雑極まりない放言に、咲良は驚愕した。
居合わせただけとは言え、自発的に手を挙げた以上は責任を持つべき――という、自ら背負い込んでいた自負とは正反対の発言である。
「内部のいざこざなら、まぁ
「逮捕されちゃうのに喜ぶ人なんていませんよ!?」
そして、圧倒的な世界の違いに戸惑う他なかった。
事実、ヤクザは多少の刑期を背負ってこそ一人前という風潮がある。
本家本元である華狼会こそ数少ない例外だが、当然下の組織までそうというわけではない。むしろその逆で、悪ければ悪いほど凄い、本家がなんぼのもんじゃい……という価値観にどっぷり浸かっている。
「まぁ、ちょっと人生無駄にするくらいよ。たかだか五年でぴーぴー泣かないの」
そして、ポンポンと飛び出てくる悪辣な発言にまたしても度肝を抜かれた。
「人殺しですよね!?」
「警察がまともに仕事するわけないじゃない」
当然、余罪があれば別だが……しかし警察とて、ヤクザを一人殺した程度で刑務所に入れる人間が増えてはたまらないのである。
ただでさえチンピラや半グレといった部類に手を焼いているのだ。正義の殺人ということで、ヤクザに関しては何をしてもいいという法律になった事さえあった。
当然、様々な方面から反論が出たので、今では刑期が露骨に短くなる程度で済んでいるのだが。
「何もかも腐ってる……」
「だから探偵なんてやってられんのよ」
「それはまぁ、そうですけど」
咲良の考える『ふつうの探偵』は、そもそも警察がまともに機能しているという前提を元にしなければ成立しないのだ。
そして、ここ数十年において、警察がその前提を満たした事は一度もない。
発展する科学。異能という、人間の可能性。無限に働く悪知恵。そういったものに、常に遅れを取っているというのが現実であった。
「現実が分かったら頭を動かしなさい。今日中に帰らないと、流石に色々まずいから」
「はぁい」
咲良は、不条理極まりない現実に口をとがらせた。
一方のとつぐはと言えば、じっと額縁を見つめていた。
なるほど豪華な絵画だ。新進気鋭の画家によるものらしいが、随分うまく描けている方だろう。若干二十五歳にしてこの技術。素晴らしいものだ、と素直に感嘆した。
贋作ということを除けば、の話ではあるが。
「……とつぐさん、何見てるんですか?」
「あぁ……あれよ、あれ」
軽く指をさしてやると、あぁ、と得心したようなため息をついた。
なるほど、素人目にはケチ一つない本物に見えている事だろう。そもそも絵画についての関心が薄い可能性もあるが。
「組長さんって、絵が好きだったんですか?」
「そんなわけないでしょ。見栄よ、見栄」
「ふぅーん……隠し金庫とかあったりして」
つくづくこの新人は夢見がちなところがある。どんなドラマを見ていたのだろうか。
小さな頃から、真面目な本以外は読んだことも見たこともない――そういう家庭で生まれ育ったとつぐとしては、想像できない世界だ。
こういう手合いには、多少現実を見せてやった方がいいだろう。ちょっとした意地悪心がもたげた。
「まさか。フィクションじゃあるまいし――」
そう言って、とつぐは額縁を軽く横に寄せた。
確かに、獅子原組には隠し資金があるという話は出ている。本家からの融資を未だに返していないにもかかわらず、その倍以上私腹を肥やしているという……それも、風の噂に過ぎない話だ。
何しろ、先々代からの仲だ。背信にしたって、遡る代が多すぎる。そんな滅茶苦茶な事をできるのであれば、さっさと華狼会直参という看板を外して、獅子原組として独立してしまった方が自由になれる。
――そういう話で、上層部は纏まっている。
だから。
「……うそ」
それが顕わになった瞬間、驚嘆の声が上がったのも、無理はないことだった。
鉄製の、無機質な扉。そして、よく見慣れたダイヤル。
どこをどう考えても、隠し金庫としか言えないものが――そこに、あった。
「どうしたんですか?」
「あぁ、これ見て」
ちょいちょい、と手招きをする。
首がもげるんじゃないか、というほどの角度でかじりついた咲良もまた、それが見えたらしい。
「……ホントにあるんだぁ」
どこか興奮したような声で、そう漏らした。
「普通はないわよ。
絵を投げ捨て、金庫と改めて相対する。
毎日のように確認しているのだろう、やや曇っている。ほんの少し、表面だけではあるが、ひっかき傷のようなものもあった。
もちろん、これだけで暗証番号など分かるはずもない。
だが、問題はなかった。
「はッ!」
全身全霊を懸けて、その扉に渾身の一撃をお見舞いする。
バキャ、と景気良く破壊音を立てた扉は、見事にただの鉄へとなりさがる。そうしてできたこぶし大の穴から、ギチギチと勢いよく引き、こじ開けた。
最早、こうなればただの金属製の箱である。
人並み外れた異能の持ち主達をも上回る、怪物じみた膂力の前には、堅牢の守りは無駄であった。
「……えっ、壊しちゃうんですか?」
「壊すわよ、こっちも色々事情があるの」
ぽかんとしたような顔で首を傾げた咲良をよそに、中身を精査する。
確かに金銭の類は入っていた。軽く見積もって、数十万程度だろう。それは問題ない。
むしろ、最悪なのは――そこに同封されていた書類束である。
「これは……」
シャブの密売に手を染め、裏で相当の額を売りさばいた。それだけなら、まだいい。
本家の人間であればさておき、組の人間が多少の悪事に荷担してもそこまで厳しくは当たらない。ましてや繁華街だ、シャブの一つや二つは売っているだろう。
だが――本格的に本家の人間が、それも幹部格が加担しているとなれば、話は別だ。
恐らくは、先代から変わらず在籍する人間だろう。今代はそういう悪を特に許さない。
地の果てまで追い詰め、この世に生きている事を心の底から後悔させる――そういう陰湿極まりない制裁を行う人間が、今代会長、華狼剣という男である。
ましてやその首謀者は組長、ともなれば。
「……まずいわね、この組終わるかも」
最悪の結末を、ぼそりと呟く。
殺したのは、これが理由か。それともまた別の理由か……そこまでは分からない。
どちらにせよ、汚職があったというのは真だ。多少流通元に
「何かあったんですか?」
「なんでもないわ」
ひとまずは平静を装い、軽く微笑んでみせる。
これがカタギに知れたとなれば、それこそ一大事だ。どういうわけか知っているような手合いも、秘密にしたい乙女心までも読み解いてくる手合いもいないことはないが――幸いにして、両者ともに留守。
そうと決まれば、やるべき事は一つであった。
「……とにかく、いらっしゃるお客様の顔色を伺いましょうか」
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