第169話 海への道のり――街と声
妖精の郷の村――施設や規模的には街に匹敵する――の制作は、レンの基礎設計で、卒業生を集めての制作となった。
小川から引いた水を地下に流す下水を有する基礎。
農業を主体としないため必要な水は井戸で十分に賄えるが、伏越という手法――本来は川を混ぜることなく交差させるための手法。逆サイフォンとも――で一部の水を濾過して上水道として流す構造をもつ。
その外設備を魔物と獣から守るため、その部分だけは壁が5メートル幅に膨らみ、折角だからとそれを基礎とする塔のような物体が乗っかることになっている。
「何がどう折角なのかは不明ですが、
とは、これらの総指揮を引き受けたレイラの言葉である。
街の区画は「田の字」を縦横3つの計9つ並べた碁盤目状。
街の中央の通りは無意味に広く、中心に位置する「田の字」は丸ごと花畑でその周囲には果樹を移植する。
果樹の外には広場が作られ、そこにも木々が植えられ、短期間であれば薪を取るために外に出ずに済むようになっている。
井戸は幾つか掘られることになっており、下水はそれを避けるルートに作られる。
だから日常生活に於いて、水に不自由することはない。
また、上水道の上流には泉の壺が設置され、濾過水が使えない場合は生み出された水が上水道に注ぎ込まれる。
街の四方の壁に門こそあるが、オラクルの村に続く道があるのは東側なので、今のところそれ以外の門の先には森しかない。
その東門入ってすぐが、主にヒト種のためのエリアで、商人のための宿、小規模な商店、冒険者ギルド、商業ギルドが作られる予定である。
その西側に兵士の駐屯所。
建物の規模はルシウスが頼んだ通りだが、土地はかなり広く取られており、必要があれば拡張も出来るようになっている。
その更に西に神殿用の土地。
神殿があるなら街、祠しかないなら村(例外あり)、というのがゲームの設定なので、これで神殿ができてしまったら完全に街である。
ちなみに行政区分上の扱いは、実のところ大差がない。
街を囲む壁はストーンブロック製で、高さが4m、厚みが50センチ。壁の上部に幅2mの通路を設けると共に、その床面が壁面を登ってくる小型の獣に対して鼠返しの構造になっている。また、人が落ちないように外側に1mほどの高さの壁――胸壁を配置する構造である。
その胸壁の上には、隠れて外を監視したり矢を放ったりするための隙間が設けられており、鋸状の壁――鋸壁となる。
ただし魔物の攻撃は結界を通らず、人間同士の戦いもないこの世界では、それは威圧的な飾りの意味しか持たないのだが。
なお、通路の下には柱が並ぶが、その間の空間は建築資材の残りなどを格納する簡易倉庫として機能する予定である。
塀の四隅には監視塔を設置するが、これもここではあまり意味はない。
街道沿いなどなら意味があるが、周囲一面が森である以上、高い所から眺めたところで見えるのは空と樹冠部分だけだからである。
冒険者ギルドに関しては、学生が集めた素材のうち、幾らかをこちらに卸すと約束することで、ギルドにも旨味を持たせる。
商業ギルドについても、学生が作ったポーション類の一部を提供することを条件に、協力を取り付けている。
神殿に関してはクロエから根回しをしてもらうが、これはやり過ぎないようにと釘を刺してある。
地上部分はやや特徴的な構造となるが、基本設計は既存の街のモノを流用するため、レンの要求を取り入れた概要設計の見直しに掛かった時間は4日ほどだった。
生徒達は、それを元に詳細を詰め、レンのOKが出た部分から資材を集め、基礎を整えていく。
土地の四方に結界杭を仮置きし、魔物が入ってこないようにした上で、数本の井戸を掘り、その間に基礎となる下水を作り込んでメンテナンスを考慮した蓋をする。
四囲に監視塔を作り、その外側に結界杭を設置するための台を作り、結界杭をそちらに移動し、結界や魔力の通りをレンが確認したところで壁の作成となる。
ある程度の壁ができあがり、獣が入って来られなくなると、東門のそばに幾棟かの建物が作られ、資材置き場、人員の休憩場所が出来たことで工事は加速する。
道を整え、北の最奥にオラクルの村で妖精達が遊んでいた拠点に数室を加えた物を建て、隣接する位置に妖精の郷への入り口を作るかも知れない祠を作る。
その周囲に敷地の境界を示すための柵を建てて、土を入れた庭には上水道から少しずつ水を流して小さな池を作り、様々な植物が雑に植えられた。
壁の外に広がる森を模したそれは、妖精達の好奇心を満たすためのものなので、適時植え替える予定である。
街の中心部の花畑には消石灰が漉き込まれ、落ち着いた所で肥料ポーションが散布される予定となっている。
ちなみに消石灰は栄養分の追加ではなく土壌改良材が目的である。
この世界は亜熱帯に近く雨が多いため、土のカルシウムやマグネシウムが流れ出しやすく、酸性に傾きやすい。そのため、植え付ける予定の植物が酸性を嫌う場合、消石灰による土壌改良が必要となるのだ。
肥料ポーションは栄養素の追加という点で効果が高いが、こうした土壌改良の効果は低いため、植える植物によっては手間が掛けてやる必要が生じるのである。
◆◇◆◇◆
「で、完成したのがこちらです」
完成まで一ヶ月。
あり得ない速度で街一つが仕上がったある日、レンは一行を引き連れて街に移動し、東門の前で皆にそう告げた。
「何が、『で』、なのか分からぬが、随分とでかくてゴツい壁じゃの?」
「街サイズですから」
「コラユータやサンテールはもう少し慎ましやかじゃったと思ったが?」
基本的に、壁が防ぐのは獣である。
具体的にはクマ、鹿、猪、鼠など。これらが街に入り込まないようにするためのもので、ついでに住民の視界に魔物が入らないようにすることも目的としている。
だから、高さはそれほど必要ない。
「森の中の街なので、防備には力を入れてますね」
「まあよい。塀が低くて困るよりは良かろう……で、中はどうなった?」
レンが巨大な門扉に設置されたノッカーを使ってノックをすると、国から派遣された兵士が門を開く。
錘こそ使っているが、基本的に手動操作である。
「開門を要求する際にノッカーを使うなど、どんな状況を想定しとるんじゃ?」
「あー、不明ですね。でもこれはこれで面白いでしょ?」
「しかし、隣の通用門はまだ使えぬのか?」
大きな門――馬車などが通るための――の横にある人間サイズのドアを指差し、アイリーンが尋ねる。
「そっちも使えますけど、馬車を中に入れときたいですし……それにそっちはちょっと開閉が面倒なんですよね」
人間サイズのドアだけに、下手なものでは獣に破壊され、侵入される。
だからドアは魔法金属製だし、内部には更に2枚の扉があり、それらを抜けないと街に入れないようになっている。
その上、ドアが並ぶ通路の天井には大量の砂利があり、万が一の場合は2本のレバー操作でそれが通路を埋め尽くすという無駄に凝った構造である。
門扉が動く風圧で、アイリーンの体がやや流されかけ、アイリーンはレンの髪の毛を掴む。
門扉が開くと、壁の中の空気が流れ出る。
その匂いをかいだアイリーンは目を輝かせる。
「花の香りじゃな」
「ええ。種から育てたのはまだですけど、他から移植したのは根付いてますよ」
「果樹もあるようじゃな?」
「そちらも実がなるものを移植していますね。ただ、環境が変わったのでしばらくは落ち着かないかもしれませんけど」
レンは門が開いて見えてきた街の中心部を指差す。
「あの緑の部分が花畑を囲む果樹です」
「ふむ、良い感じじゃ」
レンの髪を離したアイリーンは壁の中に向ってゆっくりと飛んでいく。
一応危険がないようにラウロ達が周囲に視線を向けるが、現時点では王国の兵士数名程度の姿しかない。
のんびり見て歩くレンたちの先頭で、クロエが辺りを見回している。
「レン、神殿は?」
「もう少し奥、あの建物の向こう側が敷地だね……さてと、アイリーンさんには簡単に説明しとこう。門から入ってすぐのここは小さな広場になってる。これは早朝、開門を待つ商隊のための場所だね。で、広場に面して、商人向けの宿。各種ギルド、生徒からの希望で作った学園の出張販売所と訓練施設、その向こうが王国の兵士用の土地」
奥に進みながらレンはそれぞれの建物を指差し、説明をする。
「それぞれの建物は手前が店舗や事務所。その奥には倉庫や従業員の居住区、馬小屋なんか。ここに来る人達は、たまに妖精が入り込むかも知れないとは言ってあるけど、人間の家に勝手に入ったりはできるだけ控えてね?」
「まあ、一応皆には伝えるが、妖精の好奇心を抑えられる者などおらぬから約束は出来ぬぞ?」
「昔の妖精と妖精以外との約束事を守ってくれれば良いから」
「それならば約束しよう」
道路をふらふらと、左右に興味の赴くまま、時折上下にも移動しつつアイリーンは街並みを眺めつつそう答えた。
「あの黒いのは神殿かや?」
「そうですね。普通の神殿です」
サンテールの街の神殿の設計図をもらって作成された神殿は、設計にあたって特にレンの手は入っておらず、ゲーム内の平均的な神殿となっていた。
強いて言えば、やや装飾が多めであるが、その辺りは学生の趣味の範疇である。
「さて。これなら皆を出しても良さそうじゃの」
「どうぞ。壁の中なら安全です。外を見たい場合、壁の上から覗く程度にしておいてくださいね」
レンの返事と共に、門のそばに停車していた馬車から妖精達が飛び出してくる。
掌握されていた際にアイリーンから命令があったのか、妖精達は勢いこそあるが、比較的秩序だって街の中を飛び回る。
200人しかいないため、街の中に散らばると、さほど目立たないが、それでも人の目線より上を飛んでいるのは多少目に付く。
だが、それでも壁の中は随分と閑散としていた。
「ヒト種なら、200人がうろついてたらそこそこ目立つもんだけど、さすがにこの街に妖精が200人だと隠れちゃうなぁ」
「元々、妖精は無意識に身を隠すところもあるからのぉ」
「それで、郷の入り口はどこになります?」
「祠を使うかは未定じゃが、この街は全員が気に入ったようじゃ。好意的な感情が流れておる。レンよ、妖精達のための尽力、心より感謝する。妾達はヌシにこの恩を返したい。今ではなくても構わぬが、何かあれば遠慮なく言うが良い」
「何か思いついたらお願いします」
レンがそう答えた直後、レンの視界の隅に最小化されたメインパネルのメッセージ欄が表示され、レンの脳裏に言葉が響いた。
『カプア村への魔物の襲撃を退けろ! Ⅵ 派生シナリオ 妖精の救出を達成しました』
(どういう事だ? アイリーンさんはゲームのシナリオの一部だった?)
突然のメッセージにレンは首を傾げた。
ゲーム時代には、様々な場所で多くのシステムメッセージが流れていた。
が、レンがこの世界で暮し始めてから、こうしたメッセージを聞いたことは数えるほどしかなかった。
ゲームの頃にあったメッセージが残っているようにも見えるが、そもそも残っているのか別物なのかの区別もつかない。
元々それほど意識していなかったメッセージについての詳細を覚えている筈もなく、レンは考えるのを諦めるのだった。
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