第106話 海への道のり――雨と思い出の料理
村人には貴族令嬢という肩書きで自己紹介をした上で、クロエは村の中を見て回った。
村は4つの区画に分けられており、それぞれの区画は塀で完全に分割されている。
「これは……なんで分けてるんだ? 犬も猫も一緒の場所にいたみたいだけど」
「先ほど村人に教えて貰いましたわ。馬車を停めた区画は外部との直接のやりとりが行われ、躾の行き届いた犬猫のみを入れることができますの。残りのうち2つは、勝手に繁殖しないように、雄用、雌用と完全に分けているそうですわ。で、残りのひとつは、同じ種類を番わせるための場所だとか」
「なるほど……柴犬やレトリバー、ハスキーなんて犬種がこの時代まで残ってたんじゃなく、残したのか」
何が気に入ったのか、柴犬――村人により、タロッティという名であることが判明――は、クロエの顔を見上げながら、クロエと並んで歩いている。
なお、猫――タマロ、は既にクロエに撫でられるのに嫌気が差して逃げている。
ちなみにタロッティもタマロも、かつて英雄が使っていた由緒ある名前であるとのこと。
そのタロッティが怖いのか、エミリアの腰はやや引けていて、それが面白いタロッティは殊更にエミリアに体を寄せたりしていた。
そんな様子を見て、ラウロは感心したように呟いた。
「ふむ。犬も猫も、絵や彫刻でしか見たことがなかったが、思いの外、賢い生き物なのだな。馬と同じくらいだろうか?」
「犬は馬よりも賢いと聞いたことがあります。まあ狼の遠い親戚ですから、群れで獲物を追い掛けるような知恵はありますね」
「馬よりも? いくら何でもそれはないだろう。いいか、馬は飼い主とはぐれたら、自分で家まで戻ってくるんだぞ?」
騎士にとって馬は半身にも等しい。
人の思うように動く馬は、騎士達に取っては、最も親しみを持って接する賢い動物なのだ。
だから、これ以上は地雷になりそうだと判断したレンは
「まあ、ひとつの説ですから」
と意見を引っ込めた。
結界の様子を見るだけのつもりだったが、村人から少し前に結界杭が修理されたのだ、という話を聞いたレン達は、振られた話題に対応してのことなら近付いても問題はないだろうと結界杭まで足を運ぶ。
その帰り道、タロッティは何かに気付いたように空を見上げた。
「……雨かな?」
タロッティの様子が、実家で飼っていた柴犬に似ていたことから、レンはそう呟く。
ほどなくして、ぽつりぽつりと土の地面に水滴が模様を描く。
「エミリアさん。これ、そっち持って」
レンは未加工の防水の布を取り出し、エミリアと協力してクロエの頭の上で広げた。
やや隙間があるのを見て、エミリアはこの場でクロエに次いで身分が高いラウロに声を掛ける。
「……ラウロ様も入りますか?」
「護衛の身でそういう訳にはいかぬ。だが、少し急ごう」
空は暗く、雨の降り始めのためか、蒸し暑い風と冷たい風が交互に吹く。
温度変化の影響か、つむじを巻く風に傘代わりの布が煽られる。
と、ライカが右手の小指の先を小さく噛み、血を流させ、その手を高く掲げた。
「汝、
風が巻く。
が、巻く風の中、一切の雨粒はなかった。
そこは風と魔力の領域。単なる雨粒が入り込める余地などない。
「風なる盾もて、我と我が仲間を守らんことを。
そして、風が止った。
「
初級ポーションを指先の傷口に掛けつつ、ライカはそう言って微笑んだ。
レンが空を見上げると、レンたちを覆うように水滴が弾かれる見えないドームが出来ていた。
ただ、白く弾けて吹き飛ばされる水滴が、そこに障壁があると教えている。
「
「英雄の皆さんは悪天候でも気にせずに戦ってましたが、普通の人間なら、まず悪天候から身を守ることを考えますもの」
「このような便利な魔法があったのか。レン殿も使えるのか?」
「ええ。一応は。今のは精霊魔法、これは精霊闘術ってのは、精霊魔法を習熟したエルフのみが覚えられる魔法ですけど、流血と呪文詠唱が必要なんです。エルフによって使える精霊が違ったりしますけど、俺も風は使えます」
「これがあれば、雨の中でも進めるのではないか?」
レンは、どうなんだ、という視線をライカに向けた。
「無理ですわね。魔力消費と体力消費が大きい魔法ですから、長時間は使えませんわ。ポーションを使うにしても途中でお腹がいっぱいになってしまいますもの」
「そうすると今日のところは、この村に宿を求めるとするか……ファビオ、どうなっている?」
「宿はないそうですが、空き家を借りることはできます。行商人が立ち寄った際に使って貰っているそうで、それなりに掃除はされているようです。レベッカに整えるように命じていますが、宿泊するのならジェラルディーナも行かせましょう」
レンとライカを護衛対象と考えるなら護衛が不足することになるが、そのふたりに護衛は不要だろう、とファビオは二名を宿泊の準備に回すこととした。
「それでさぁ、お師匠様は貰ったポーションひとり占め。あーしたちには分けてくれないなんてひどくない?」
空き家の掃除をしながら、レベッカは愚痴をこぼしていた。
主に、彼女たちの師匠のトリスターノがライカから貰った訓練用ポーションについての愚痴である。
拭き掃除を続けつつ、ジェラルディーナは苦笑を漏らす。
「でも、そこで強くなる機会を他に譲る師匠なら、私たちだって弟子入りはしてないわけだし」
トリスターノはとにかく強くなることに関しては真摯でひたむきな性格だった。
だからこそ、ふたりはそんなトリスターノに弟子入りを願ったのだ。
「そうだけどさぁ。もう先があんまり長くない師匠が強くなるより、あーしたちが強くなった方がよくなくない?」
「先が短いからこそ、短い時間でより高みに、と考えているのだと思うけど」
なるほど。とレベッカは頷くが、それでもひとり占めはひどいとこぼす。
掃除が終わると遅めの昼食である。
食事の支度は、基本、護衛たちの誰かか、レン、ライカの仕事となる。
毎回、誰が料理をするのかはクジで決めるというのがラウロの方針だ。
今回は暗殺の心配はあまりないが、暗殺への対処だ。
例えば、常に特定の誰かが料理をする場合、その者に癖があるなら、それを利用して毒を仕込むこともできる。
直接攻撃に対しては護衛が盾になることもできるが、毒は難しい。
毒味をしたとしても。遅効性の毒は判断できない。
もっとも、クロエは状態異常耐性のついたペンダントをレンから貰っているため、大抵の毒であれば、少量なら害はない。
が、それを聞いたラウロは、それは安心材料だが、警戒は必要だろうと、こうしたシフトを続けていた。
そして、本日の
「レン、またサンドイッチが食べたい」
「あー、あれは今、ハムを切らしてるんだよね。素材の質が揃ってないとあの味は出せないから今日は無理。まあ、料理のついでに今日、仕込みはやっておくよ」
レンは手持ちの素材で作れそうな物を考える。
錬金術では、醤油、ミリン、ソース、カレー粉など、地球の調味料風のポーションを作り出せる。
『碧の迷宮』の頃は、プレイヤーの味覚は、他の感覚の再現度をあげるため低い物に抑えられていたが、それでもNPCに売れる品、ということで、それらは運営の手により、日本で普通に買える程度の味に設定されていた。
そして、和製ゲーム故、日本人になじみ深い米や小豆といった作物もこの世界には存在する。
だから、料理人のレシピに存在しなくても、レンの知っている料理なら大抵の物は作ることは可能だ。実際、レンはレシピにない料理を何回か作ったこともある。
「卵はある……パンも……手間は掛かるけど、あれで良いか……ええと、9人分? まあ、みんな沢山食べるからおかわり一回まで対応するとして」
レンとライカたちにとってはある意味、思い出の料理であるそれを思い出しながら、レンは材料を取り出して並べ始めるのだった。
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