第83話 廃坑の苔

 サンテールの街からオラクルの村に向かい、更にそこから細い道を進むと、そこには昔、錫鉱石と石炭を掘り出していた廃坑がある。


 露頭している石炭が発見され、そこを露天掘りにしたのが始まりだった。

 大きなすり鉢状の穴を掘り広げる過程で錫の鉱脈が発見され、今度はそちらを掘り始めると、たまに聖銀ミスリルが掘り出されるようになったが、加工ができる者がいないならゴミでしかない。

 暫くすると錫が掘れなくなり廃坑となったが、聖銀ミスリルの鉱脈が悪さをしたのか坑道が迷宮化し、数年前にサンテール領が総力を挙げて迷宮の主を倒し、核を破壊して迷宮の拡大を阻止した。

 核を破壊する前は強固だった坑道の壁は、時間の経過と共に、普通のピッケルで掘れる程度の硬さに変化し、現在では普通の廃鉱と変わらない状態であるため、落盤の危険があるとして立ち入りを禁じられている。


 その周囲に残っていた砂利の山は、既に学生達の手によって素材としてすべて回収されている。

 使い道がないからと放置されていた聖銀ミスリル鉱石も綺麗により分けられ、回収されており、その際に周辺の安全確保のために木々が切り倒され、以前レンが見た時と比べて周囲の様子が一変していた。


「へぇ、結構綺麗にしたんだな……これ、このまま放置して森に飲ませるのは勿体なくないか?」


 周囲を見回し、レンはそう呟く。

 レンの隣で周囲をぽぅっと眺めていたクロエが、何かに興味を惹かれたように、回収しきれなかった砂利に近付いていく。

 その斜め後ろにエミリアが付き、数歩離れた位置でフランチェスカが周囲の警戒を続ける。

 クロエはその場でしゃがみ込み、落ちていた小さな石で地面をひっかく。

 イモムシでもいたんだろう、とレンが目を背けていると、


「レン、これ見付けた」


 クロエが金色の結晶の塊を拾ってやってきた。


「ちょっと貸して……うん、黄鉄鉱だね。金じゃないけど、これは綺麗な結晶になってるね。飾っておくなら湿気と火気を避けて保存してね」

「金じゃない?」

「金色だけど、金とは違うんだよ。ああ、錫の鉱山だったなら、水晶とかトパーズなんかもあるかも知れないね」

「宝石?」

「まあ、宝石レベルのが出てくるかは分からないけど、俺の知ってる錫の鉱山と同じなら、そういうのも取れたはず。後でアレッタさんに何が産出していたのかを聞いてみるといいよ」


 クロエは頷きつつも地面に残った砂利をより分け始める。

 その様子を見て、しばらくはそっちに興味を惹かれているだろうと判断したレンは、フランチェスカに


「ちょっと下の様子を見てくる」


 と言い置いて、ポーチからロープを取り出し、地面に残った切株にしっかりと結びつけ、それを使って露天掘りのすり鉢状の穴を降りて行った。

 すり鉢の内側をぐるぐると渦巻き状に降りるのではなく、ロープに沿ってただまっすぐ、ある程度の深さまで降りたレンは、すり鉢の底を覗き込む。


「……底は泥になってるな……まあ、ここまで来れば横穴は覗けるから良いけど、落ちないようにしないと……ええと、足元を平坦にして硬化……壁も崩れないように硬化……ああ、ロープ垂らした所、階段にしとけば良かったかな。帰り道でやっとこう……坂の下側の地面を硬化しつつ岩の棒を生み出して……ロープを結んで……と、まあ落下防止はこんなものかな」


 レンが通った後に、比較的安全そうな道が生み出されているのが目に入ったフランチェスカは


「今更驚きませんが、まあ、英雄というのがどれだけ無茶な存在か、改めて再認識しました」


 等と呟いていた。

 そんなフランチェスカを見て、小さな木箱に綺麗な石を拾い集めながらクロエは不思議そうに首を傾げ


「どうかした?」


 と尋ねる。


「いえ、レン殿が偵察に降りているんです。綺麗な石はありましたか?」

「……これが一番綺麗」

「石を水に沈めると、また色合いが変わったりしますので、試してみると良いと思いますよ」

「水? エミリア、入れ物とかある?」


 そばにいるエミリアを振り仰ぎ、クロエは器を要求する。


「はい、少々お待ちを」


 エミリアは、神託の巫女様の護衛用にと提供されたポーチから、木製のボウルのような器を取り出す。

 なぜそのような物が入っているかと言えば、どんな要望にもそれなりに答えられるように、中に雑多な品がこれでもかと詰め込まれているからである。


「そのまま持ってて……純水生成」


 ボウルを純水で満たしたクロエは、そこに白っぽい石を浸けてみた。

 と、白っぽい表面が半透明になり、中の薄緑の模様が透けて見えるようになった。

 クロエは劇的な変化に驚きつつも、そっと水の中で石を洗い清める。


「……不思議」

「表面は石英かなにかで、内側にあるのは……この模様だとクジャク石ですね……石英の表面が傷付いていて、さっきまで中が見えなかったんです……石英部分の透明度は今ひとつですので、宝石としての価値は微妙ですが、この模様は面白いので、そこに値打ちがありますね。後でレン殿に磨いて貰っては?」

「……うん……他のも試す」


 そうやって一通りを水に浸けるクロエだったが、大当たりは最初の一個だけで、残りは色味の変化に留まった。しかし、それでもその変化が楽しいらしく、クロエの表情は普段のそれよりも柔らかく、楽しげだった。

 洗った石を並べて水気を切ると、石の色はすぐに元に戻ってしまうが、それらの石は、クロエにとっては宝石と同じ物に見えていた。

 そんなクロエに、周囲の警戒をしつつ、クロエとレンの様子を等分に観察していたフランチェスカが声を掛ける。


「レン殿の準備が整ったようです。そろそろ降りてみましょうか」

「ん」


 ボウルの水を捨て、錬金魔法の洗浄と乾燥を掛け、それをエミリアに返したクロエは、丁寧に石を木箱に入れてポーチにしまう。

 その視線がすり鉢状の穴に向かうのと、そこからレンが出てきたのはほぼ同じタイミングだった。


「クロエさん、降りても大丈夫そうだよ」

「分かった」

「レン殿、ライカ殿はまだ戻られてないようですが」

「ああ、この辺は魔物忌避剤散布済みだから、多分、外側に向けて魔物の駆除をしているんだと思うけど」


 空気に混ざる柑橘類に似た香りを嗅ぎ取り、フランチェスカは頷いた。


「確かにオレンジオランジュに似た香りが……しかしライカ殿がこれでは足りないと判断したから森に入っているのだとすれば、何か危険があるのでは?」

「それならもっと分かりやすく賑やかに戦って、ここは危ないって知らせる筈だから、静かにしてるなら安全だよ。魔物忌避剤の匂いって風下に流れるから、全周囲の少し奥まで行く必要があるから、目に付いたの全部狩ってるんじゃないかな」

「なるほど……エミリア、下に降りてしまうと周囲に目が届かなくなる。私は念のため上で待機しようと思う」

「承知した。ではクロエ様、こちらへ」


 穴の底から戻ってくる際にレンが作った幅40センチほどの小さな階段を、エミリアはクロエの手を取り、もう片方の手でロープを掴んで先導する。

 すり鉢の傾斜は20度ほどと緩めだが、足を滑らせればレンが作ったロープの手摺りまで転がり落ちる。

 前にいるエミリアの手を、やや前屈みになって掴むクロエを見て、レンはストップをかけた。


「エミリアさん、クロエさんの手を離して。その態勢だとクロエさんがやや前傾姿勢になるからかえって危ない」


 傾斜緩めの坂道で一番安全な転び方は、その場に尻餅をつくことだ。

 下を向いた状態で前に転ぶと、地面に手を突けた場合でも、坂の下の地面に向かって勢いよく手を突くことになるため、手に掛かる負荷が最大になる。

 横に向かって転んだ場合、倒れる際に五体投地のようにしない限り、坂道に棒を置いて転がすのと同じ状態になる。

 それらに対し、尻餅はほぼ真下への体重移動で、膝のクッションも仕事をする。

 接地面積こそ五体投地に劣るが、面積当りの加重が大きいため、すぐに安定状態になる。


 そんなわけで、下から手を引いて、保護対象クロエが前傾姿勢になると、転ぶ方向は前になりがちで危険だ、とレンは説明した。

 その上で、


「手を差し伸べるなら横からですが、階段が狭いからそれは無理。エミリアさんが前を歩いて、その肩にクロエさんが手を置いて杖にするとかがお勧めです。クロエさんが転んで突き飛ばすみたいになっても、エミリアさんなら耐えられるでしょうし」


 と補足する。


「なるほど……手を取れば安全という事でもないのですね」

「一番安全なのは、全員の腰にロープを結んで、俺、クロエさん、エミリアさんの順番で歩くとかですね。まあ、この程度の坂ならそこまでは必要ないでしょうけど」

「確かにそれは安全そうですね。ふたりが耐えられれば滑落は防止できそうです」

「でも、そこまでするまでもなく、手摺りの所まで行けば、安全に進めますから……と言ってる間に手摺りに到着。クロエさん、あそこにある穴がそうです」


 レンが太い角材で補強された横穴を指差すと、クロエの目が輝き出す。

 少し早足になるクロエをなだめつつ、レン達は廃坑の入り口の少し手前までやってきた。


「それでは反射界を……レン殿、これは他の結界と違い、移動できるのですね?」

「結界棒とかと違って、別に地面に刺す必要はないからね。全員が輪の中に入っていれば、紐を持って移動しても構わない……なるほど、反射界を使ってギリギリまで近付こうってことですか?」

「ええ、こんな機会は滅多にないでしょうから。クロエ様に見聞を広めていただくのは神殿の意に沿う行いでもありますし」


 エミリアはレンとの間にクロエを挟み込み、レンと二人で反射界を保持したまま、洞窟に近付いていく。

 廃坑であり、人が入らない穴である。

 照明などあるはずもなく、奥の方は真っ暗だった。


 廃坑がどのような構造なのかを知らないレンだったが、奥から笛のような音を立てながら冷たく弱い風が吹いてくることから、どこかで外に繋がっているのだろうと判断し、警戒レベルをややあげ、細剣レイピアの柄に片手を掛ける。


「……暗い?」

「まあね。ほら、そのナイフの出番だ」

「!!」


 そうだった。と、クロエは腰からナイフを鞘ごと外し、その先端を廃坑の奥に向けて点灯する。


「見える……けど、何もない? それにくねくね?」


 地面には、多少の砂利が見える程度で、ツルハシもスコップも何も残されてはいない。

 また、洞窟はまっすぐではなく、緩やかに蛇行していた。

 辛うじて奥の方まで見通せる程度の緩やかな蛇行だが、クロエにはそれが不思議だったようで首を傾げている。


「まあ廃坑だからね。使えるものは全部引き上げてるんだと思うよ。あと蛇行しているのは、鉱脈がそういう形だったんだろうね」

「なるほど……あ、奥の天井に何かある?」

「うん? 照らしてるあたりだよね? 苔かな? 素材になる種類じゃなさそうだから、名前までは分からないけど……苔から水滴が結構落ちてるね」

「あと、何か坑道に焦げてる部分がある?」

「あー、前に中を照らそうとしてファイヤーボールを撃ち込んじゃったからね」

照明魔法ライトを使えばいいのに」

照明魔法ライトは、頭の上に光の珠を生み出す魔法だから、奥の方まで光を届けたいという時には使い勝手が悪いんだよ……だから、魔石ランタンとかその鞘みたいに自由に扱える魔道具は、魔法使いにとっても便利なんだ」


 なるほどと頷きつつ、あちこち照らして満足したクロエは、灯りを消して鞘をベルトに戻す。

 すると、それまで静かに様子を窺っていたエミリアが、レンに声を掛けた。


「レン殿、あまり詳しくはないのですが、鉱山で水が出るのは悪い兆候では?」

「場所と量次第かな。地下なんだから、出るのが普通ではあるけど……でも、こんな入り口近くでというのはあまり聞かないし、あの苔の部分は少し気になるね……ライカ、後でコンラードさんに伝えておいて」

「承知しましたわ。僅かとは言え廃坑入り口付近で出水、量が増えるなら水没の可能性あり、とお伝えしておきます」

「……ライカ殿、いつからそこに?」


 唐突なライカの返事に驚いたエミリアが振り向くと、真後ろにライカがいた。


「少し前からですが……ああ、これは大変失礼をしました。森の中で魔物を少し狩っていたので、気配を殺したままでしたわ」

「ライカは弓の使い手だからね」


 近接戦闘能力もそこそこあるが、遠くから射貫くスタイルなのだ、とレンが答えると、エミリアは気付かれずにここまで接近できるなら、ナイフでも十分に戦えそうですね、と引きつった笑みを浮かべるのであった。

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