十四 踏む
「そうだな。お前の容貌なら、そこらの川宿の主が高く買うと言ってくれるだろうさ」
川宿?よくわからないけれど、ひどいことを口にされている気がする。
咄嗟にヒメコは佐殿の草履の先、出ていた爪先を思いっきり踏みつけてやった。そしてザリザリと踏みにじる。
「あつっ!」
悲鳴があがる。
ざまを見なさい、とほくそ笑んだ瞬間、ヒメコの視界に茶色い棒きれが入った。
ガツッ!
痛そうな音が響き渡り、佐殿が小さく呻いてその場にしゃがみ込む。
「五郎!」
厳しい声と共に五郎が宙釣りにされる。
「佐殿に何てことするの!」
観音さまが立っていた。観音さまは左手に五郎を吊り下げ、右手でバシバシと五郎のお尻を叩いている。
「放せ!佐殿が悪いんだ。姫姉ちゃんをいじめたから俺がやっつけたんだ!もっとこらしめてやる!邪魔すんな!大姉上なんか大っ嫌いだ!あっち行け」
同時にわっと泣き出す五郎。観音さまがもう一声上げようとした時、佐殿がそっと観音さまの脇に寄り添った。観音さまの肩に手をかけ、五郎を取り上げると両腕で抱えあげる。
「五郎、悪かった。お前の言う通りだ。アサ、悪いのは私だ。許してやってくれ。ヒメコもすまなかったな。本気を出させようとして、つい口が滑った」
「本気?」
「相手を倒すのは無理でも、打撃を与えて隙を見つける稽古さ」
「稽古?」
「ああ、逃げる為の稽古。ん?聞いてないのか?」
稽古?修行とは確かに最初に五郎が言っていたけど、逃げる為の稽古だったの?
観音さま、いえ、佐殿がアサと呼んでいたからアサ姫というのだろう、が継いだ。
「ヒメコ様、驚かしてしまってごめんなさいね。近頃この辺りも物騒で、人攫いや盗っ人が増えているの。父は大番で京にいるし、兄はその代理として留守にすることが多いから不用心で。少し前までは中原の山伏さまが居てくれたから良かったんだけど、その山伏さまも弟君に呼ばれて京に行ってしまったので、うちの家人だけでは心許ないの。それで毎朝こうやってそれぞれが自身の身を最低限守れるように稽古をしているのよ」
はぁ、と曖昧に頷いて、佐殿の胸でむせび泣く五郎を眺める。
と、ぱちっと目が合った。途端、五郎はにニコッと口の端をもたげ、片目を瞑ってきた。泣いた目は確かに赤くなっているけど、全く懲りてないようだ。
この子、どういう子なのかしら。
末恐ろしいというか、頼もしいというか。
ふと、あの盗人は?と首を廻らしたけど、既に逃げおおせたようで気配もなかった。
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