『LHR(ロングホームルーム)』

 教室の扉を開ける。

 翔太が教室に入る前から、生徒たちは自席に着いている。

 静かだ。

 ホームルーム前に座れ静かにしろ、と声を張り上げなくていいなんて、この二年、ちょっと記憶にない。

 翔太は教卓から教室内を見渡す。二一名の見知った顔が並んでいる。どことなく、緊張感が漂っていると思うのは、翔太自身が緊張しているからだろうか。

「LHRを始めます。委員長、号令」

 織田洋介が、

「起立、礼、着席」

 合わせて生徒たちが立ち、頭を下げ、座る。

 翔太はその様子をぼんやりと見つめる。空席が三つ。赤井亮。青山優作。そして、神林リン。

 胸が、きゅ、と締め付けられる。翔太は目を伏せ、口を開く。

「昨日、あの後、臨時の職員会議が開かれた。議題は、みんなも想像つくと思う。神林リンについて、だ」

 いったん言葉を切り、翔太はぐるりと教室中を見回した。全員が厳しい目をしていた。特にラーメン班の連中からは話によってはひと暴れしてやる、とでもいうような血気を感じた。

「みんなも見た通り、彼女は、来者だ。彼女を、今後どう扱うべきか、ということについて、職員会議で話し合った。いつ『暴走事故(TRA)』を起こすとも知れない来者を、学校で預かることは難しい、という意見が当然、出た」

 焦れたように裕樹が立ち上がる。

「なんで、来者だってだけで、学校に行けない、なんてことがあるんだよ! リンは、何も壊してないし、誰も傷つけてないのに……!」

 野田芽衣が噛みつくように、

「誰かを殺してからじゃ、遅いでしょ! あんたそんなこともわかんないの? あんただって見たでしょ、アレがあの子の正体なのよ。あんな化け物だってことがわかって、これからどんな顔で一緒にいればいいっていうのよ」

 これには一樹が黙っていない。

「なんだよ芽衣、お前冷てぇこと言うな! 昨日、翔太が命がけで言ってたこと、なんにも聞いてなかったのかよ。リンは、ただ文化祭が楽しくて嬉しくて、感動しただけなんだよ!」

「はっ、感動するたんびに大暴れされたんじゃ、たまんないわよ。なんなのよあんたたちリンリンリンリンうっさいわね! みんなあの女に惚れてんの?」

「はあ? 前からバカだとは思ってたけど、まさかここまでだったとはな。恐れ入るわ」

 教室中にざわめきが広がる。

 翔太は努めて静かに、言う。

「一樹、裕樹、座れ。お前らの気持ちはわかる。でも、とりあえず俺の話を聞いてくれ」

 翔太は芽衣にも視線を合わせる。きつい視線を返す。どうせ私一人が悪者よ、という目。

「野田も、座れ。俺は、お前の気持ちも、よく、わかる」

 ふ、と芽衣の視線が緩む。

「俺は、昨日、誰よりも来者の近くまで行った。見てただろう? 正直、本当に死んだ、と思った。下品な表現で悪いけど、冗談じゃなく、小便ちびりそうだった。だから、『暴走事故(TRA)』を恐れる気持ちは、誰よりもよく、わかる」

 芽衣の目に安心と信頼の色が浮かぶのを見て、翔太は視線を外す。

「いいか、昨日の職員会議の話も同じだ。俺は、学校では面倒を見られない、と言った先生の気持ちは誰よりもよくわかった。だが、俺はもちろん異議を唱えた。来者だって、普通に学校に通う権利があるはずだ、って。俺は俺のクラスの生徒を、受け入れる、って。そしたら、それに賛同してくれた先生がいたんだ。誰だと思う?」

 洋介が、

「桜井だろ」

 翔太は頷き、

「そうだよな。俺も、味方になってくれるとすればまず、桜井先生だと思ってた」

 洋介が意外そうな顔をする。

「……違うのか」

「鬼谷先生と、鷲尾先生だ」

 教室がざわつく。

「お二人は……来者だそうだ」

 教室のざわめきが、一気に悲鳴のようなテンションにまで上がる。

「……聞いてくれ! 静かにしてくれ! ……いいか、よく聞けよ。鬼谷先生と鷲尾先生は、来者だ。そして、それをこれまで隠して生活してこられたそうだ」

「じゃあ、いつ暴走するかわからないじゃない!」

 芽衣が言う。ほとんど絶叫だ。

 翔太は静かに首を振る。

「いいか、成熟した大人の来者は、暴走なんてしないんだ。鬼谷先生は高校生の時に二度暴走したきり。鷲尾先生は一度も暴走したことはないそうだ。だから、安心していい」

 洋介が腕を組み、

「おかしくないか? じゃあ、二人はなんのためにカミングアウトしたんだ? 普通に翔太に賛同するだけでいいじゃんか」

 翔太は頷いてみせる。

「確かにその通りだ。二人がリスクを負ってカミングアウトしてくれたのには、理由がある。鬼谷先生も鷲尾先生も、いざとなったら、昨日の来者のように、暴走を止めてみせる、って言ってくれたんだ」

 全員の脳裏に、昨晩見た松田の動きが思い出される。

「あの来者は、俺の知り合いの元教員の方なんだ。仮に『暴走事故(TRA)』が起こっても、あんな風にきちんと止めてくれる大人の来者がいれば……。来者も人間もみんな、安心して学校に通えると、思わないか?」

 翔太はゆっくりと教室を見回す。

「つまりそれが、俺たち教師の、学校の出した答えなんだよ」

 翔太は手を広げる。そして、言う。

「俺は俺のクラスの生徒を、受け入れる。お前たちが何者だろうと、お前たちを、認める。いいか、間違えたらちゃんと叱ってやる。暴走したら、鬼谷先生と鷲尾先生が止めてくれる。だから、お前たちも、鬼谷先生を、鷲尾先生を、神林リンを、そして他の来者たちを、受け入れてやってはくれないか」

 最初は洋介だった。ゆっくりしたテンポの大きな拍手。それはやがて、教室中に広がっていく。気がつけば、全員が、万雷の拍手を送っていた。もちろん、芽衣も拍手をしている。その表情に影はない。

 翔太はゆっくりと扉へ向かい、開けた。

 そこに、目を伏せたリンが立っていた。

「なんだよリン、来てたのかよ!」

 裕樹が声を弾ませる。

 翔太がリンに入室を促し、自席に座らせる。

「みんなに受け入れてもらえるか、不安だったんだそうだ。そりゃあ、そうだ。わかるよな。でも、見ての通り、みんながちゃんと、受け入れてくれた。心から、感謝するよ」

 翔太が教卓で頭を深々と下げる。

「みんな、ありがとう」

 再び、教室に大きな拍手が沸いた。

 そのとき、藤堂仁が突然、立ち上がった。みんな、何事かと拍手をやめる。

「ありがとう、翔太。俺はあんたを、学校を、信用するよ」

 そして、言う。

「俺は、来者だ」

 しん、と教室が静まり返る。

 寺西裕樹が、関亜香梨が、相次いで立ち上がる。

「俺も、来者だ」

「……私も」

 びっくりしすぎて椅子からずり落ちそうになっている芽衣に向かって、亜香梨が片目をつぶってみせる。

「芽衣、黙っててごめんね」

 次から次に生徒が立ち上がり、気がつけばクラスの半数近くが起立している。

 翔太は、胸から熱くこみ上げる者を感じながら、

「みんな、本当にありがとう。ありがとう、座ってくれ」

 潤んだ瞳から涙がこぼれる前に服の裾で軽く押さえ、翔太は鼻をすん、とすすり上げる。

「来者だろうが人間だろうが、やることは変わらねぇ。感情をある程度コントロールするテクニックってのは、大人になるためには絶対に身につけなきゃなんない、大切なもんだ。俺にできるサポートは、なんでもするつもりだ。ただ俺自身、まだまだ未熟で感情をコントロールしきれないこともあるし――」

「今も泣いてるもんな!」

 裕樹の茶々に、わっと教室が沸く。

「やかましい。いいこと言ってんだから、ちゃんと聞いとけよ! とにかく俺が言いたいことはだな……」

 洋介が面倒くさそうに、ぶっきらぼうな口調で言う。

「ごちゃごちゃうるせぇな、結局、みんなこれからもよろしく、ってことじゃねぇのかよ」

 翔太は思わず吹き出し、そしてそのまま笑顔になる。

「ああ、その通りだ。みんな、これからも、よろしくな!」

 翔太は生徒一人一人の顔を見回す。

 リンも含め、その顔は例外なく笑顔だった。

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先生、このクラスの中に宇宙人がいます! ~魚島高校定時制の日常~ 木南良平 @junnpei178

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