3-8

 電話の開通手続きに来た日本橋の電話局は混んでいるようで、銀行の窓口よろしく整理券を持って待つことになった。


「スマホ、もう少しゆっくり選んでも良かったんじゃない?」

 横では一緒に長椅子にかけている高千穂先輩が、どかっと座りながらスマホをいじっている。

「まあ、そうですよね。 ――ただ、さっきの店員さんみたいな、あういう、セールストークって苦手なんですよね。向こうも親切に説明してくださっているのに、僕は買う気がないのが忍びなくって」


 僕が苦笑いをしながらそう話すと、先輩はスマホをいじる手をやめて、鞄に携帯をしまうと、腕組みを始めた。


「うーん、最近君ってすごく『気にしすぎる』気がするんだよねえ」

「『気にしすぎる?』」

「そう、今日の花音がおとなしかった時もすごくおどおどしていたし、店員さんのお話も、入るつもりもないのにすごく真剣に聞いていたし。他人の出方をすごくうかがっている感じだよ」


 やっぱり高千穂先輩、良く見てらっしゃる。


 この際だから僕ははっきり言おう、と思って、先輩の方を向く。


「『あっち』と何が違って、何が一緒なのかよくわからないんです。だから、すべての一挙一動をちゃんと読み取らないと、『おかしな人』になってしまう気がして」


 すると高千穂先輩はクスクス、と笑い始めた。


「真面目だよねえ。疲れない?」

「正直、相当疲れますね」


 今日で退院してから一週間になるのだが、本当にSF小説の世界に迷い込んでしまったようで、日々慣れない言葉を聞いたり、『やっぱりカツといえばビフカツだよな―』みたいな謎の習慣――この世界ではとんかつよりビフカツの方が一般的らしい――などが洪水のように押し寄せてきて、完全に消化不良を起こしているのは否めない。


「でしょ、前に比べてもいつも緊張の糸が抜けていなくて、毎秒採用面接でも受けているんか、ってくらいガチガチだもん」

「みんなが知っているはずのことを知らなかったり、常識に反した行動のしちゃったりして周りに変な心配を掛けたくないんですよね ――そう、ホイホイと事情も説明できないですし」


 困った顔で話す僕を他所に、高千穂先輩はあっけからんとした顔で言う。


「うーん、もともと君って、そんなにハキハキした子じゃないんだから、そこをうまく使おうよ」


 高千穂先輩も率直だなあ、とは思うけど、たしかに僕はちょっと抜けていることがあって、千代田にも「お前は『豆乳と抹茶オレ、色が一緒だから間違えて買ってきた』とか、たまにびっくりするくらい抜けている時あるよな」なんて言われるくらいには、天然というか、間抜けなところがあるのはよく分かっている。


 僕は困り顔を正し、笑いながら先輩に聞く。

「僕ってそんなに普段からぼけーっとしていますか?」


「割と、かな。まっ、君の場合は愛嬌があって私は――」


 先輩がそう言いかけると、窓口の機械がポーンと鳴って、ちょうど、僕の番号が呼び出される番になっていた。


    ○


「本証明は、次の電話番号の故障復旧に使用しました。日本電信電話公社 大阪日本橋電話局第三加入係」


 電話局での開通手続きは30分ほどで終わった。「加入負担金納入証明」は窓口の人が回収して、ポン、と使用済みのスタンプを捺した。


「不勉強ですまないんですけど、これってなんのために必要なんですか?」


 窓口の人に聞くと、めんどくさそうな顔をされたが、お役所的に答えてくれた。


「電電公社ではお客様の携帯電話を新しく開通させる時、設備負担金として48000円をお支払いただいております。で、今回のように故障復旧の場合は、負担金のお支払いの証明を頂く必要がありますので、必ず加入証明のご提出をお願いしております」

「ということは、これを無くすと48000円払わないといけないんですか?」

「いえ、電話局でご購入の履歴をお調べして再発行はできますよ。ただ、携帯電話ですとお日にちが一週間ほどかかりますね」

「『携帯電話』ですと?」

「はい、ご自宅の固定電話・データ回線でしたら、そもそも紙の証明書はございませんから住所とお電話番号、ご契約者名さえ所管の電話局にご連絡いただければ加入権の有無を当日中にお調べできます」


 そういえば、遠い昔、例えば下宿先のアパートに電話を新しく取り付けるときには『新規加入者には一万円キャッシュバック!』どころか、電電公社から工事代とは別に『電話加入権』なるものをすごい金額で買わないといけなかった、という話を父から聞いたことがあったような気がする。おそらく、そのたぐいのものなのだろう。


 ふむふむ、と納得していると、「それでは、開通の手続きは終わりましたのでまたご不明点などあればこちらにお電話を……」と急かされるように窓口を追い出された。


    ○


 電話局を出たときには、すっかり日が傾いてしまって、堺筋にはビルの長い影が落ちていた。


「遅くなってしまって申し訳ないです」

「いや、年末の土曜日にに電話局に来た時は三時間待ちだったから、今日なんてほとんど待たされなかった方だね」

「やっぱりお役所仕事って感じなんですね」

「まあ、否定はしないかな。ただ、最近は国鉄も電電公社も随分フレンドリーになった、なんていうね。――あ、あとデータ通信は他の会社と競合しているから、割とサービスがいいって言うね」

「データ通信?」

「ほら、パソコンでインターネットを見たりとかあういうの」

「あー、光回線とかのことですね」

「そういう言い方もできるのかな? そうそう、国鉄もデータ通信には参入していて、『アイロンネット』っていうサービスがあるんだよ―― 瑞穂の家がそこだったかな」

「国鉄が電話会社をやっているんですか?」

「私も初めて聞いた時意外だったけど、言われてみれば国鉄って全国に鉄道電話を敷設しているんだよね。で、それを民間に開放しているんだって」


 国鉄に限らず、各鉄道会社は独自に内線電話のようなものを持っている会社がほとんどで、駅同士のやりとりなどはNTTの電話ではなくて、その電話を介して行う、ということは割と鉄道趣味界隈ではよく知られていることだ。なるほど、その電話網を使って、新しい商売をやっているのか。


「割と、国鉄と行っても僕が知っている国鉄みたいに鉄道だけやっているわけじゃないですね」

「えっと、君の言う『国鉄』は一九八〇年代に民営化されたんだっけ。なら、『ギョーセーカイカク』だっけ、こっちでも三〇年前くらいにそういうのがあって、赤字を少しでも減らすために鉄道やバス以外の事業も手掛けているんだよ」


 どうも、民営化して赤字を解消するのではなく、国鉄のままいろんな事業を行って、赤字を解消したのか。もっとも、自動車所有率も低いみたいだから、国鉄が未だに陸の王者、僕の知っている国鉄よりかは赤字も少なかったのかもしれない。

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