第11話 妄執

 ミーナを追い出してから二日が経った。

 コリンを取り巻く状況は改善されておらず、悪くなる一方だ。


「伯爵殿。聖女殿は……やはり戻らぬのか」


 ミーナを追い出してからというもの、同じような問いが続きコリンはうんざりしていた。

 中肉中背といった商人が、眉間に皺を寄せコリンに迫る。


「はい……しかし、新しい聖女がおります故……」

「話にならん。聖女殿を失ったあなたに興味はない。以降取引は停止させて頂く。本当に、無駄足だったな……」

「そ……そんな……」


 不満を溜めた者達が次々とコリン伯爵の元を去っていた。

 聖堂の前に並ぶ馬車が次第に数を減らしていく。


 散財に拍車をかけた両親の生活費すら用意できず、説明に四苦八苦するのも、聖堂の維持が厳しい状況に陥っていくのも……目に見えていた。


 たった二日でここまで状況が変わるとは、コリンは予想していなかった。

 確かに聖女としての力はミーナの方が上だったのかもしれない。

 しかし、なぜここまで客が不満に思うのか、コリンにはまったく理解できずにいた。


 これ以上、客を減らすわけにはいかない。

 そう考えたコリンは、額に汗を浮かべカミラに詰め寄った。


「カミラ……君は聖女の力が……小さいのか?」

「そんなこと! 私だって聖女なのに」


 カミラの顔にも焦りと疲れの意識が表れていた。

 顔色も悪い。

 数が減ったとは言え、ミーナがこなしていた仕事量をまったくさばけていなかった。


 どうしてこうなった? 打てる手は無いのか?

 コリンは、苦渋の色をにじませ、頭を抱えた。




 ——その夜。カミラの自室。


 カミラは突っ立ったまま物思いにふけっていた。


 状況は悪化の一途を辿っている。

 いざとなれば、自らの持つ魅了の力で誤魔化そうと考えていた。

 治癒の魔法より人を操る力の方が強いのだ。


 しかし、客は誰も彼もそれなりの地位だ。それ故、精神操作をしにくい護衛を連れている事が多い。

 しかも以前から、近くに監視者がいるのを感じていた。それもあって用心のため抑制していたのだ。


「そろそろ潮時か」


 急にしわがれた声になって誰ともなくカミラがつぶやく。

 するりと服を脱ぎ、肌着姿になって、いつものようにコリンがいる部屋を訪ねた。


「カミラ……今日も……素敵だ……」


 瞳の半分までもが金色に変化し、うっとりとした表情をするコリン。

 完全なる現実逃避だ。


 隣でまだ息づかいの荒いコリンの耳元でカミラが囁く。それは呪いの言葉。


「ここに種を置いていくわ。私の可愛い……可愛い種を」

「種?」

「これを飲み込めば……あなたに大きな力が宿る。悪魔共も自由自在」

「な……何と……」


 コリンの半分まで金色に犯された瞳が大きく広がる。


「あの女……ミーナは、近くの街の聖堂にいるわ。この力があれば、貴方は何だってできる」

「ミーナ……ああ……私は……」

「彼女を連れ戻し婚姻を行い、初夜を迎えなさい。貴方の体内に蠢く黒い種で、聖女を穢すのよ。何度も、何度もね」


 さらに低くなった声で、カミラは囁いた。


「あ……ああ……そうだな。ミーナが……欲しい」

「ふふっ。さっきまで私を抱いておきながら酷い人ね。でもいいわ……嫌いじゃない」


 そう言って、カミラはスッと立ちあがり、部屋を後にした。

 残されたのは、数粒の真珠程度の大きさの黒く丸い種だけだった。

 残された人間としての理性が最大限の警報を上げている。

 しかし……コリンは一瞬の逡巡の後、その種を飲み込んだ。


「な……この力は……いったい……!」


 コリンの身体中に力がみなぎり、悪魔たちを支配できる「言葉」が頭に浮かんでくる。

 次第に強くなっていく欲望という感情が、心の内で暴れ回る。


 この時点で既に、彼は人ではなくなっていた。

 見た目に大きな変化はなく、気付く者はいない。

 しかしその内側は既に黒い炎に包まれているのだった。



 翌日。王家からの伝令がやってきて、コリンに更なるプレッシャーを与えることになる。


「お伝えしたいことがあります。魔王が復活を始めているとの予兆がありました。討伐隊を編成していますので、聖女様を王都へとお連れして下さい」

「な……どういうことだ?」


 寝耳に水である。聖女の招集など初耳だ。

 そうコリンは思ったのだが、実は王都から派遣された侍女——ヴァネッサは最初にその事実を伝えていた。

 魔王復活の兆しがあれば、ミーナは王家に招集されるだろうと。


 コリンは忘れてしまっていたのだ。いつ忘れたのか、それすら分からない。

 もっとも、忘れたというより、「消去された」という表現の方が正しいのだが。


「こちらに聖女様……ミーナ様がいらっしゃるのを把握しています。王家から侍女も派遣したはずですし……彼女らは今どちらへ?」

「い、今、街に出かけていて……」

「ふむ? では、私はここでお待ちしております。直接、伝達いたします」


 コリンは、ミーナの所在は分かっているし、今日にでも行動を起こすつもりだった。

 しかし、彼女をいつ連れ戻せるのかは不透明だ。

 夕暮れまでに戻らなければ、伝令は不審に思うだろう。


 ——そうだ……こいつを殺してしまえば時間を稼げる。後から別の伝令がやってくるだろうが、それまでにミーナを連れ戻せばいい。

 そうしたら王家からの招集にも対応できるだろう。

 私には命令を出せる悪魔が複数いる。

 ミーナを穢し、操れば、何だって出来る。

 うまくやれば、王家にだって干渉できるかもしれない。


 コリンの頭の中に、そんな闇の考えが広がっていた。


 どうしてそんな思考に落ち行くのかコリンは考えもしないし、誰が悪魔や、聖女を穢し操る力を自分に与えたのか疑問に思わない。


 ただただ、ミーナへの未練のみが彼の行動原理になっていた。

 それも、彼女の人間性に惹かれたのでは無く、上っ面だけの支配欲に、清楚で美しい存在を抱きたいという欲望。


 コリンは今まで、楽な選択をし、楽な方に流れてきた。

 どんな状況でも、それを変えようと思わない。


 カミラの魅了は記憶や認識は改編するが、性格までは影響しない。

 結果は、あくまでコリン自らが招いた結果なのだ。


 コリンは欲望のために、自らを黒く染めてしまった。


「悪魔共、まずあの伝令を殺せ!」


 それが自らの破滅へとつながっているとは、夢にも思わずに。


「次に、ミーナを連れてこい。くれぐれも騒ぎを起こさぬよう、人間を装って近づけ。侍女のヴァネッサもいるのなら一緒にさらってこい」


 コリンは次々と命令を悪魔達に言い渡す。

 それは、自制を失ったコリンの本質的な、真の姿だった。


「それと……聖堂の客に案内を出せ。明日、聖女の帰還と婚姻を祝う式を挙げる。その後は……ふふふ……はははははは!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る