第31話 柔軟な体幹の捻りを使い、刀の刃筋を正しく立てる



 だが、ふと口調を変えた岳遼師の訝しげな言辞には、一瞬、慌てさせられた。


「先刻の立ち合いで、そなたは並みの武士と何処か異なると違和感を覚えたが、いまわかった。筋肉の薄さじゃ。拙者の弟子で、かように女子の如き筋肉の者はおらぬ」


 涼馬は瞬時に身体を堅くする。


「じゃがな、安心せよ。たいていの者は誤解しておるのじゃが、こと剣術において、必要以上に分厚い筋肉は、立ちまわりの際、無駄な負荷にしかならぬ。それよりも、柔軟な体幹の捻りを使い刀の刃筋を正しく立てれば、思いもかけぬ強さが発揮できるものよ。雲を突く巨漢よりそなたの如き柔軟な肢体のほうが、めっぽう強いのじゃ」


 一時は観念した涼馬は、剣の達人ならではの説明に、ほっと肩の力を抜いた。


「ふむ。やかまし屋で通る縫殿助殿が堂々と推薦して来るからには、よほどのたまと思っておったが、やはりな。そなたさえその気ならば、とことん指南してやるぞ」


 興奮気味の岳遼師に、涼馬はあらためて膝を折って、折り目正しく口上を述べた。


「何卒よろしくお願い申し上げます。葉山ご師範に学ばせていただくからには、僭越ながら、拙者、当領一の剣術遣いになりとう存じます。厳しくお導きくださいませ」


 片膝立てした板の間が、氷のごとく冷たいことに、涼馬は初めて気がついた。

 轟々と音を立てて雑木林を吹き抜ける浅春の風に、涼馬は徹之助の声を聞く。


 ――涼馬、よくやったな。


 岳遼師は拙者が畏敬してやまぬ師なるぞ。

 剣術の心技体において、岳遼師ほどの達人はおられぬ。

 邪念を払い心を無にし、しかと導いていただくがよい。


 先刻、こっぴどく叱られた「無」を、兄もまた口にした。


 ――有を証するは易けれど、無の証明は難い。


 兄の助言に首肯しながら、剣術という心魂の世界への導きを重々しく感じていた。

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