第11話 携帯電話

 驚いた美咲が顔を上げ、携帯電話を握り締めて見下ろす尚哉の目と目が合うと、尚哉の心中の焦りを見透かしたように口の端を持ち上げ冷笑を浮かべた。その表情に尚哉の中で嫌な考えが確信へと変わり、逸る気持ちに後押しされて携帯電話を操作して電話の送信履歴、受信履歴、メールの送信トレイ、受信トレイと次々に表示させていった。


しかし、そこにあるはずの梨奈と遣り取りをした記録が一件もなかった。尚哉は歯噛みしながら急いでアドレス帳を呼び出し登録してあった梨奈の情報を探したが、そこからも梨奈の情報は消え失せていた。


「尚哉さん。あなたにとって本当に必要なのは、この私よ。何の役にも立たない女をいつまでも抱え込んでいては、あなたの為にならないわ」


美咲の言い分を聞いてハッとした尚哉は画像を呼び出し梨奈の写真を探したが、ただの一枚も残されていなかった。


『くそっ』


尚哉の目の前で、美咲が堂々と梨奈に関する情報を次々と消去し続けていたのだと悟った尚哉の感情の箍が弾け飛びそうになった。


『尚哉』

『……梨奈……』


その時、聞こえるはずのない梨奈が尚哉を呼ぶ声が聞こえ尚哉は我に返った。


「大企業の専務のお嬢様が、その辺の三流以下の女がやることの真似事をするとは恐れ入る」


我に返った尚哉は、美咲を見下すように皮肉を口にした。プライドの高い美咲は眉を吊り上げ怒りを顕にしたが、直ぐに余裕の表情を取り繕い語り掛けてきた。


「あなたがどう言おうと、あなたの役に立って必要なのは私だと認めたのでしょう。ここに居るのが、何よりの証拠よ。そうでしょう」

「俺にとって誰が必要なのかは、俺自身が判断すべきことだ。他人に決め付けられたり、押し付けられたりした相手では、俺が本当に望む相手とは言えない」


美咲の主張を真っ向から否定したものの、何が何でも尚哉に自分との結婚を承諾させたい美咲には、尚哉の言葉は響かなかった。


「ここにいる間は、梨奈とかいう女と会うことはもちろん、連絡を取り合うことも許さないわ。陰に隠れてしようとしても無駄よ。明日にでも携帯会社に連絡をして、あなたの通話と通信の記録を提供してくれるように言うわ。たとえ記録を消去しても隠し通せないわよ」


言うだけ言うと、美咲は椅子から立ち上がりリビングから廊下へ続く尚哉の背後にあるドアへ向かって歩き出した。尚哉は一歩でも動き出すと押さえ込んでいた怒りが噴出しそうで、その場から動くことができなかった。


「言うのを忘れていたけれど、彼女からの電話もメールもラインも着信拒否の設定にしておいたわ。だから、いくら待っても連絡は来ないわ」


優しい口調で美咲に告げられた内容に尚哉が反射的に振り返った時には、美咲の姿はドアの向こうに消えていた。持って行き場のない燃え立つ怒りに、握り潰しそうなほどきつく握っていた携帯電話が目に入り、美咲が座っていた場所へ向かって投げ付けた。


 秋光と美咲には、常識は通用しない。そのことは、この数ヶ月の間の出来事で身に染みてよく分かっていた。だからこそ、期間限定とはいえ、梨奈に危害が及ばないように嫌々ながらも美咲との同居だけには同意した。


 しかし、美咲が許さないと断言した以上、梨奈と連絡を取り合っていることを秋光や美咲に知られたら、写真を消去するどころの騒ぎではなくなることが目に見えていた。


尚哉は酷い疲れを感じ、近くにあった一人掛けの椅子へのろのろと腰掛けた。このまま秋光や美咲の思惑通りに事を運ばれないようにするためには、これからどうするべきか考えないといけないと思いながらも、同居一日目にして早くも尚哉の心は折れそうだった。

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