第150話 君、時々やけに強情なんだから

「ああ、姉上。おはようございます」

「おはよう、クリストファー」


 支度をして朝食の席に行くと、クリストファーがすでにほとんど食事を終えているところだった。

 今日はお兄様もすでに出かけたらしく、ダイニングには私と彼しかいない。

 席について、私も食事を開始する。


「ちゃんと教科書持ちました? 今日は歴史の小テストのはずですよ」

「はいはい、持った持った」


 適当に返事をしながら、壁際の柱時計を確認する。もう時間がないのでさっさと食べてしまわなければ。


「寝坊ですか?」

「いや、何だか寝てるはずなのに寝た気がしなくて。ランニングの後うとうとしていたら、いつの間にやらこんな時間でさ」


 話している間にも欠伸が出る。

 いけない。このまま学園に行ったらまた気の抜けた顔についてとやかく言われてしまう。


「特に、今日は妙に早く目が覚めたんだ。おかげでもう眠たくなってきた。サボって寝たいくらいだ」

「姉上」

「はい」

「いけません」

「はい」


 冗談だったのだが、普通に怒られた。

 我が義弟、最近どんどん侍女長みたいになってきている気がする。


 生来の性格に、侍女長の口うるさいところ、バートン公爵家らしさ――と、私の悪いところ――の諸々がハイブリッドされてしまった。

 もうちょっとお兄様に似て、のんびりした性格になってくれても良かったのだが。


 最後のパンを牛乳で流し込んで食事を終える。クリストファーが呆れた顔でこちらを見ていた。


「今日は馬車で行こうかな。少しでもいいから、寝たい」

「じゃあ、ぼく先に馬車に行っていますね」

「うん」


 急いで歯を磨き、髪型とメイクの最終確認を行う。コートを羽織ってマフラーを巻いた。

 今日もまぁまぁ、盛れている。やはり盛れている方が良い。何が良いかと言うと、私の気分が。


 正面玄関に行くと、馬車で待っているはずのクリストファーが馬の手綱を引いて立っていた。


「クリストファー?」

「……姉上、今日は馬で行きましょう」

「は?」


 クリストファーが私の手を引いて、にこりと笑いかけた。

 そのままぐいぐいと私の背中を押して、馬の――お嬢さんの前に立たせる。

 わざわざ私を乗せてくれる彼女を連れてきているあたり、どうも本気らしい。


「ぼくが手綱を取りますから、姉上は後ろで寝ていてください」

「いや、それはどうなんだ、絵面的に」

「いーいーかーらー」

「ああもう、はいはい、分かったよ。君、時々やけに強情なんだから」


 言い出したら聞かない義弟に負けて、私は馬に跨った。

 まぁ、今さらモテるための見栄えを気にする必要もない。朝っぱらからクリストファーの機嫌を損ねるのも面倒だ。


「しっかり掴まっていてくださいね」


 クリストファーが私の前に座り、手綱を取る。

 妙に機嫌のいい義弟に、私はやれやれとため息をついた。お兄様同様、私もなかなか弟に甘い。


 彼が腹を蹴ると、お嬢さんがゆっくりと進み出した。



 ◇ ◇ ◇



 寝られるものかと思っていたのだが、結論から言うと普通に寝た。


 クリストファーのお腹に手を回してもたれかかると、子ども体温というのか、非常にぽかぽかしていた。

 いい匂いがするし、適度な柔らかさで抱き枕に最適だ。近頃体幹を重点的に鍛えているので、落馬の心配もない。

 快眠だった。クリストファーに起こされるまでマジで寝てしまった。


「あねう……先輩、着きましたよ」

「あと5分」

「遅刻しちゃいますよ」

「んー……んむ。すまない、起きる。起きるよ」


 頬をつつかれて、何とか瞼を開ける。

 クリストファーが困ったような笑顔で、もたれかかる私を見上げていた。

 幸い、彼の制服に涎を垂らすようなことはしていなかったらしい。


 割と起きる時間は早い方なのだが、それほど朝は強くない。というか寝起きが悪いのだ。

 気合いを入れて、ナンパ系騎士様モードのスイッチを入れる。


「ありがとう、クリストファー。悪かったね」


 お礼を言って彼の頭を軽く撫でた。鐙に足を掛け、馬からひらりと飛び降りる。

 馬を降りようとするクリストファーに向かって手を差し伸べる。


「おいで」

「……ずるいです」

「うん?」

「先輩、そういうところほんとにずるいです」


 クリストファーに言われて、首を傾げる。そしてすぐに思い至った。

 確かに散々後ろで寝こけておいて、学園に着くなりまるで自分がクリストファーを乗せてきてやったかのような振る舞いをするというのは、ずるいというか美味しいとこ取りと言えるかもしれない。


 クリストファーも思春期。女の子にモテたくたって不思議はないのだ。

 姉に美味しいところを持って行かれたら、それは拗ねるかもしれない。


 差し伸べた手を引っ込めようかと思ったところで、クリストファーが馬から飛び降り、私の腕の中に飛び込んできた。咄嗟に抱き留める。


「クリストファー?」

「……姉上」


 地面に降ろしながら呼びかけると、彼は私の制服をぎゅっと握りしめ、小さな声で呟いた。


「どこにも、行かないでくださいね」

「?」


 言葉の意味を計りかねて、首を傾げる。

 往来で姉に抱きつくのは、思春期男子的にはOKなのだろうか。

 モテたいのならやめておいた方がいいぞと指南してやるべきだろうか。


 いや、クリストファーだって攻略対象。顔面の良さは私など比べるのも烏滸がましいほどの出来なのだから、釈迦に説法と言うやつだな。


「よく分からないけど。行かないと思うよ」

「ずっと一緒ですからね!」

「どうした、クリストファー。怖い夢でも見た?」

「もう、子ども扱いしないでください!」


 様子のおかしい彼を心配してみたら、ぷいとそっぽを向かれてしまった。

 そんなことを言われても、実際年下なのだから仕方ない。いつまでたっても、私とお兄様にとっては可愛い弟だ。


「ちゃんと教室に行ってくださいね! サボっちゃダメですよ!」

「はいはい、分かった分かった」


 ぷりぷり怒ったまま馬を厩舎に預けに行くクリストファーの背中を見送り、私はやれやれと苦笑いした。

 思春期の弟、取り扱いが難しすぎる。

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