第43話 顔の良い男たちの距離が近いと"沸く"
「やぁ、リジー」
「……これは殿下。ご機嫌麗しゅう」
銀糸の美少年に呼び止められて、私は一瞬逡巡したのち、軽く礼をした。
王族相手とはいえ、学園内では生徒はみな平等ということになっている。畏まった礼は必要あるまい。
最近は城の執務室に呼びつけられるばかりか、こうして学内で呼び止められることが時折ある。
これ以上近寄りがたいやつと仲が良いと思われると困るので、控えめに言ってやめて欲しい。
彼と一緒にいた生徒も、物珍しそうな顔で私たちを交互に見つめている。
教室のすぐ横の廊下だ。授業中なので皆わかりやすくこちらを見たりはしないが、ちらちらと教室からも視線が飛んでくるのを感じた。
「どうしたの、こんなところで。もう授業が始まったはずだけれど」
「私は護身術の時間は免除されていまして。図書館かどこかで時間でも潰そうかと」
「そうなんだ。奇遇だね、僕たちも急を要する生徒会の仕事で授業を抜けたところなんだ。それじゃ……」
「おっと」
すれ違って歩き始めたところで、突然殿下の体が傾いだ。咄嗟に殿下の腕を引き、抱き留める。
私よりも背が低く華奢な殿下は、すっぽりと私の腕の中に収まった。
「あ、すまない、少し、立ちくらみが……」
眉間を抑えていた殿下が、手を下ろして瞼を開く。
アメジストの鏡に、私の顔が反射しているのが見えた。我ながら余裕ぶった、嫌味な微笑みだ。今日もなかなか盛れている。
長い睫毛を瞬かせて、殿下が私を見つめたまま硬直している。
上目遣いで見上げられるのは、ご令嬢を相手にしているようで気分が良い。
ざわざわと声が聞こえて、人目が集まっているのに気づいた。
まずい。このままではまた仲が良いと思われてしまう。
そっと周囲を窺ってみると、何故だか熱視線を感じる。
女生徒たちが、どこかうっとりとした表情で私たちに熱視線を送っているのだ。
……そうか。
女の子は顔の良い男たちの距離が近いと"沸く"のだ。キャーキャーするのだ。
歌舞伎に始まり、ヴィジュアル系バンド、男性アイドル。アイザックとダンスをしている時の熱視線も、きっと同じだ。
今世でも……どんな世の中でも、どうやら女の子というものは、あまり変わりがないようだ。
それならば。
可及的速やかにここを立ち去りつつ、女生徒たちにキャーキャー言ってもらうための最適解を見つけ、私は殿下に気遣わしげな視線を向ける。
「疲れから来るものかとは思いますが……念のため医務室に行かれた方が良いですね」
「い、いや、私は」
「ご無理をなさいますな」
殿下の細腰に手を回して、しどろもどろになっている殿下を尻目に、ひょいとその身体を抱き上げた。
「なっ、わっ、何をする!」
「医務室までお運びします」
「や、やめろ、降ろせ」
「降ろしたら医務室、行かないでしょう?」
「うっ……」
図星だったらしい。あんなに病人ぶっていたくせに、今度は自分から無理をして体調を崩しているようでは世話はない。
病人ぶるならせめて、よく食べて、よく運動して、よく寝てからにしてもらいたいものだ。
大人しくなった殿下を抱えて、私はさっさと廊下を通り過ぎ、階段を降り始める。
彼の周りにいた生徒会のメンバーたちは、さっと脇に避けて私に道を譲った。気分はモーセである。
颯爽と歩を進める私に、殿下が小声で呼びかけてきた。
「し、しかし、これは……あまりにも、その。距離が近いよ」
「今さら何をおっしゃるかと思えば」
殿下の言葉を、私はふんと鼻であしらう。
「慣れてらっしゃるでしょう? こうして私に拐われること」
悪戯めかしてウインクをしながら、普段お忍びで出かけるときのことについて指摘してやると、殿下はぼっと頬を赤く染めた。
城下街に行く時など、さあ行こう早く行こうと自ら望んで私に抱き上げられているというのに。
「あれは、君が……」
「はい、着きましたよ」
肘でドアを開けて、医務室に入る。殿下は慌てて口をつぐんだが、中には誰もいなかった。
「おや。先生は留守みたいだな」
私の言葉に、腕の中の殿下の肩がびくりと跳ねた。
「待て、勝手に入っては……」
「大丈夫ですよ。悪いことをするわけでなし」
殿下をそっとベッドに降ろして、布団を掛けてやる。
「さ。早く寝て下さい」
「いや、しかし。生徒会の仕事も、授業もある」
「殿下は大して労せずして何でもできてしまう方なんでしょう? なら1日くらい休んだところで変わりませんよ」
「だが」
「ほら、オーバーワークは身体に毒です。筋トレと同じ。何事も適量ですよ」
「……」
起き上がろうとする殿下の肩をやんわりと押さえる。
たとえやんわりであろうと、殿下のか弱い力ではびくともしない。
だいたい、生徒会の仕事とは何なのだ。
前世では乙女ゲームに限らず、二次元では当たり前のように「生徒会」なるものが存在し、学内の選ばれたカースト上位の人間が所属していたり、教師より権限を持って学校を牛耳ったりなどしていた。
だが、現実の生徒会について、私は何も覚えていない。
選挙はあったような気もする。入っておくと入試のとき推薦をもらえる、みたいな話もあった気がする。
しかし、それ以上でも以下でもない。
生徒会だからといって腕章をつけている生徒もいなかったし、「きゃー生徒会よ! かっこいい!」とかなっているのも聞いたことがない。
何をしているのかもまったく知らないし、興味もなかった。
思うにここで言う「生徒会」というものは、あくまで「妖精」とか「ネッシー」と同じ、空想上の存在なのではないか。
二次元の中にだけ存在し、実在しない概念なのではないか。
だとしたら、その仕事、やらなくても実のところ、支障はないのではないか。
誰か先生なりがやってくれるのではないか。それこそ、妖精さんが代わりにやってくれるかもしれない。
「きみ。もしかして、だが」
殿下のことをすっかり放置していたところ、彼は何やら胡散臭いものを見るような目つきで、私を見上げていた。
「私を心配しているのか?」
「ええ、当たり前でしょう。目の前で王太子が倒れかけて、心配しない臣下はいませんよ」
「だが、普段は私のことを、強かだなんだと言って全く病人扱いしないだろう!」
殿下の言葉を肯定すると、彼は信じられないといった様子で食って掛かってきた。何だ、元気じゃないか。
「え? 病人扱いがご所望でしたか?」
思わず呆れた声を出してしまう。まだそんなことを言っているのか。
「いや、されたいというか、その」
気まずそうに口ごもり始めた殿下に、私はわざとらしく肩を竦めて告げる。
「病人扱いというなら、城下に連れ出すなどもってのほかだなぁ」
「ぐ、」
悔しそうに俯く殿下。もはやライフワークになってしまった趣味の資材を買いに行けないのは、殿下にとって辛かろう。
その姿が完璧王子たるゲームでの彼とはあまりにも乖離していたものだから、私はつい笑いを漏らしてしまった。
「……何がおかしい」
「いえ……面白いお方だなと」
「面白い? 私が?」
私の言葉に、殿下は一瞬目を丸くすると、すぐに視線を鋭くして私を睨んだ。私は咳払いと共に姿勢を正す。
不敬とそうでないことの線引きが難しい。乙女心より難しい。
「普段の王太子らしい殿下と、ずいぶん違う顔をされるもので」
「……きみのせいだよ」
殿下が、私を睨みつけたままで呟く。その頬は妙に赤く、長い髪からちらりと覗く耳まで朱に染まっている。もしかすると、本当に熱があるとかで体調が優れないのかもしれない。
だとしたら私はお手柄なのではないか。報奨金とかもらえないものだろうか。
「きみがおかしなやつだから、つられているんだ」
「おや、心外だ」
「私だって、きみに面白いと言われるのは心外だよ」
ふむ。それは一理ある。この外見の令嬢という時点で、自分がイロモノ枠だという自覚は大いにあった。
「では、ゆっくり休んでおかしなところは治してください。いつもの完璧な王太子殿下に戻ったら、またいくらでも働けますよ」
「……そう、だな」
布団をぽんぽんと叩いて立ち上がれば、殿下は瞼を閉じたまま、布団の端を握って小さくそう答えた。
医務室の出口に近づくと、戻ってきた保健医とすれ違ったので殿下のことを伝えておいた。
すると彼女は、さっと顔を青くして私に詰め寄る。
「ば、バートンさん。あのね。体調の悪い人に付き添ってくれたのはありがたいのだけど……貴女は女の子なんだから、男の子と2人きりになるというのは……その……」
「心外だな。いくら殿下が可憐でも、病人を襲ったりしませんよ」
「違うの。バートンさん。違うのよ」
私の肩を掴んできた保健医は、がっくりと項垂れた。
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