第39話 何だそいつは。最低じゃないか。

 その日の夜。

 侍女長を部屋に呼んで、殿下に持たされた紙袋をそのまま渡した。


「エリザベス様。これは?」

「ああ、頂きものなんだけど……侍女の中で適当に分けて持って行ってくれないかな? 私は使わないものばかりだから」


 侍女長がじとっとした目で私を睨む。

 一瞬何故睨まれるのか分からなかったが、すぐに思い至る。また侍女をたらしこもうとしていると思われたようだ。

 まったく、誰も彼も人聞きが悪い。


「違う違う、別にちょっかいを掛けるつもりはないよ。私からだとか言わなくて良いから」

「あら、そうなんですか」


 明らかにほっとした表情の侍女長。

 接近禁止といい、必要以上に警戒されているような気もするが、まぁ概ね私の日頃の行いのせいである。甘んじて受けよう。


 侍女長が紙袋を開け、中から編みぐるみを取り出す。色と形からして、熊だろうか。

 少しの間それを眺めていた侍女長だが、徐々に表情が険しくなっていく。


「……エリザベス様」

「何だい?」

「こちらの品々、手作りですね?」


 ギク。

 何とか表情には出さなかったと思うが、言い当てられて急に汗が噴き出す。背中をじとりと冷たいものが伝った。


「どうして、そう思うのかな?」


 ここで一つ豆知識だ。

 質問に対して、肯定も否定もせずに質問で返すやつは、何か後ろ暗いところがある。私のように。

 「浮気してないよね?」に対する「何で?」と同じである。


「時折非効率的な編み方をしている箇所がありますから。例えば、量産品ならここで一度網目を閉じて、糸を継いだ方が効率がいいのに、そうしていません。手作りと考える方が自然です」


 きちんと根拠を述べられてしまった。私には正直一ミリも分からないが、侍女長が言うならそうなのだろう。

 こうなると、もう降参するしかない。


「すごいなぁ。私には売り物みたいに見えるのに」

「どこで、これを?」

「頂きものだと言っただろう?」

「質問を変えます」


 ぴんと、空気が変わった気がした。


「どなたに、これを?」

「…………」


 私は沈黙で返した。

 だが、これは侍女長を思いやってのことである。王太子殿下のお手製だなどと知ったら、ショックで心臓発作を起こすかもしれない。

 侍女長もそう若くない。体への負担は少ない方がいいだろう。


 私が返事をしないのを見て、侍女長はさらに言葉を重ねる。


「どれも使っている糸が一級品です。庶民がこれだけ大量に揃えられるような代物ではありません」


 知らなかった。殿下が選ぶくらいだから良いものだろうとは思っていたが、あの王子様、いつもそんなに高い物を買わせていたのか。


 ちなみに、王太子殿下ともなると現金などお持ちではないので、糸やら編み棒やらの資材はすべて私の奢りである。

 殿下が出世した暁には、倍返しにしてもらう予定だ。


「そしてどれも、非常に丁寧に、心を込めて作られています」


 じり、と侍女長が距離を詰めて来る。精神的にも、詰め寄られている気分になる。

 というか、詰まされている気分、というべきか。


「エリザベス様」


 侍女長の声は非常によく通る。昔からよく怒られているからだろうか、名前を呼ばれるだけで自然と背筋が伸びる。


「私は貴女様が生まれるより前から、バートン公爵家にお仕えしております。貴女様がお育ちになる様子を、ずっとお傍で見守ってきました」


 それは知っている。私どころか、お兄様の生まれる前からこの家にいるはずで、もう実質、第二の母のようなものだ。


「貴女様のためになればと、時には厳しい言葉を掛けることもありました。けれど、本当は、女性らしさも、マナーも礼儀作法も、些末なことです」


 その言葉に、私は思わず目を瞠る。

 女性らしさと礼儀作法――と厳しさ――の擬人化のような侍女長の台詞とは、とてもじゃないが思えなかった。


「貴女様が幸せに、日々を楽しく過ごして、笑っていてくだされば。私はそれでようございます」


 侍女長、そんな風に思ってくれていたのか。厳しさは愛情の裏返しだったことに気づき、不覚にも少し感動する。


「ですが、このように他所のお嬢様のお気持を弄ぶような真似を続けていては、いずれ身を滅ぼしますよ」

「待て待て待て」


 誤解だ。

 ものすごい誤解だ。

 感動が瞬でどこかに行ってしまった。


 どうやら侍女長の中の私、ご令嬢からもらった愛情たっぷりの手編みのプレゼントを他の女に横流ししようとする奴になっているらしい。

 何だそいつは。最低じゃないか。


 この乙女チックアイテムたちの作者は美少女と見まごう容姿とはいえ立派な男だし、愛情をこめて作ったわけでもない。

 趣味が楽しくてついつい作りすぎてしまったので、物置にしまっておこうかなという程度の気持ちで渡されたものだ。


 だいたい、私ほど己の身を滅ぼすことに敏感な人間はそういない。

 むしろ身を滅ぼさないために、日々様々な対策を講じながらここまでやってきたのである。私の我が身可愛さをなめてもらっては困る。


 結局散々説明をして、最初から他の女性に渡すことを了承したうえで譲り受けたのだということを理解してもらうことが出来た。

 侍女長がうまく理由を付けて、侍女たちに配ってくれるらしい。


 それでも一つくらいは手元に残した方がよいと強く言われ、私はしぶしぶ熊の編みぐるみを部屋に飾ることを了承した。

 顔のある置物は何となく目が合う気がして得意ではないのだが、仕方あるまい。

 紙袋をいくつも溜めこむことになるよりはマシだと、自分を納得させることにした。

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