第4章 再起

第32話 敗戦

 ついに彼女たちの「夏」が終わった。


 ベンチでは、一際泣いている選手がいた。平野だった。

 元・マネージャーで、元々女子硬式野球部の選手ですらなかった彼女。最初はエラーばかりで、全然打たないし、一番非力だった彼女。


 それでも、下位打線ながらも打つべき時には打っていたし、確かな成長を遂げていた彼女が、一番悔しかったのかもしれない。


 他にも、吉竹や石毛が、涙ぐむように必死に涙を堪えていた。


「お疲れ様でした。とてもいい試合でした」

 試合終了後。球場の外に出てから、挨拶に来た、例の美人監督、初芝彩奈。


「こちらこそ。手強かったです」

 などという話をして、雑談している脇で、


「いやあ、ホンマにええ試合やったわ」

 大きな声を上げて、ウチのエースに声をかけている中村がいた。


「こっちも。2本もホームラン打たれたのは悔しかったけど、楽しい試合だった」

 潮崎は、負けたにも関わらず、泣いてはいなかった。見たところは、いつもと同じように見える。


「小さいなんて言うて、悪かったな」

「いやいや。いいよ。そんなこと」

 なんだかんだで、二人は笑顔で、意気投合していた。


 野球が大好きなはずなのに、身近には自分と同じようなレベルの、いわば「ライバル」がいなかった彼女。


 おまけに、この夏の甲子園大会の予選で戦ってきたチームの選手は、上級生が多かった。


 思わぬ形で、同じ1年生と投打で真っ向勝負が出来たことで、彼女自身、満足して、完全燃焼が出来たのかもしれない。そう思っていたが。


「ごめん。みんな先にバスに行ってて」

 そう言った潮崎が俯いているように見えた。


 トイレにでも行くのか、と思ったらそうではなかった。

 部員全員が立ち去ったのを見届けた後、静かに人混みを避けるようにして、彼女は球場の外に歩いて行った。


 気になったので密かに、距離を取って後をついて行ってみると。


 球場の外、芝川という川に面した河川敷まで到達していた彼女。そこは広い土手になっており、視界が広がるが、辺りには人気ひとけがなかった。

 そこの土手際の道沿いに彼女は座り込んだのだ。


 そして顔を歪め、その瞳から大粒の涙を流していた。涙は溢れて、留まることを知らず、どんどん頬を伝って、地面に落ちていく。


「悔しい……。悔しいよう。甲子園、行きたかったなあ」


 顔をくしゃくしゃにしながら、ひたすら落涙し、膝を抱えるように蹲る潮崎。


 この試合を1人で投げきった彼女。失点はわずかに中村のホームランの2本のみ。打たれることもあったが、それでも中村以外に得点すら許していなかった。

 本当は、負けて一番悔しかったのは、きっと潮崎だっただろう。


 俺は、声をかけるタイミングを失い、というよりも声をかけづらくなり、そのままきびすを返した。


 きっと、その悔しい気持ちがあれば、来年に繋げられるだろう。

 もっとも、廃校予定の我が校が、来年も「あれば」だが。



 とにかく、試合は終わった。そして、夏の終わりだ。

 3年生は、これで引退となるのだが、ウチには1、2年生しかいないので、引退選手はいない。


 だが、夏の甲子園を目指す戦いは、完全に終了し、同時に「甲子園」に行けなかったことで、いよいよ廃校が現実味を帯びてくるのであった。


 学校に戻った俺は、早速、校長室に行ってみることにした。



 校長室では、秋山校長が俺を待っていたかのように、神妙な面持ちで迎えてくれた。

「試合、見てたよ。惜しかったね」


 とは言われたものの、俺は自分の無力さと、高校野球のレベルの高さ、そして初心者ばかりの彼女たちの「限界」を痛感していた。


「惜しくはなかったです。相手が一枚上手うわてでした」

 そう発してから、春に渡辺先生に言われたことを思い出していた。


―もし、野球部が甲子園にでも行ったら、もしかしたら、『廃校撤回』なんてことになるかもしれませんね―


 確か彼女はそう言っていた。


 それを校長に話したところ、

「渡辺先生がそう言ったのかな。でも、それは何の根拠もないことだ。どの道、来年の春にはこの高校は合併されるだろう」

 やはり所詮は彼女の勝手な希望だったようで、彼の答えは変わらなかった。


「合併先はどこですか?」

「秩父第一高校だよ」


 秩父第一高校。この秩父市の中心部にある学校で、確か野球をはじめ、スポーツ全般、文化部の活動も盛んな学校で、全校生徒は1000人を越える。


 やはり廃校はすでに「規定事項」で避けられないのか。

 そう思うと、これまでがんばってきた彼女たちがかわいそうにすら思えてきた。


 来年の春には、別の学校に行って、そこで新たに女子硬式野球部に入ることになるのだろうが、これまでの4か月あまり、同じメンバーで戦ってきたのだ。


 逆境を共に乗り越えてきた仲間たちの絆もあるだろう。


 俺は、校長室から立ち去って、部室に行くまでに考えていた。

 これで最後になるなら、せめて秋の大会で活躍して、来年の春の選抜高校野球で、甲子園に出場することを目指そう、と。


 だが、放課後に、いざ部室に着いてみると。

「かったりー」

「なんかやる気出ないわー」

「私もー」

 清原や羽生田をはじめ、笘篠まで部員のほとんどが、弛緩したように、ダラけていた。


 完全に夏が終わってしまい、やる気も目標も失っていた。

 やはり、初心者中心のチームというのは、こんなもので、モチベーションが上がらないのかもしれない。

 おまけに、来春の廃校が決まっていれば、なおさらだろう。


 そんな中、ただ一人、潮崎だけは、

「そんなこと言ってないで、みんな秋の大会、がんばろうよ!」

 あの時の悔し涙が象徴しているように、暑苦しいほどに、発破をかけるように吠えていたが、全体的には弛緩していた。


 そんな彼女たちを見て、俺は決意する。

「お前ら、夏合宿をやるぞ」

 だが、その一言にも、


「えーっ」

「マジで? 夏は遊びたい!」

「もう甲子園なんて、どうでもいいですわ」

「どうせ、廃校になるんでしょ。やる意味ないって」

 たちまち部員たちの怨嗟えんさと弛緩しきった声が、次々に耳に飛び込んできた。


 だが、そんな中、一人だけいつもにも増して、目を輝かせていた生徒がいた。

「夏合宿! 行きたいです!」

 やはり、エースの潮崎だった。


 彼女は、あの試合で相手の1年生のスラッガーの中村に2打席連続ホームランを浴びていた。ひどい言い方をすればいわば、チームの「負け」の責任は彼女にある、とも言える。


 だが、その瞳は輝きを失わず、むしろ「まだまだ投げたりない」と言わんばかりに燃えているように見えた。その原動力は一体どこから来るのか。


 それが俺には興味深かった。



 8月。

 学校が夏休みに入り、彼女たちは思い思いに過ごしながらも、テレビやネットに映る夏の甲子園大会を羨ましそうに眺め、部活動に励んでいた。


 その年の夏に、埼玉県代表として甲子園に出場したのは、あの春日部共心高校だった。残念ながら、1回戦で敗れてはいたが。


 やはり俺の見たところ、この部活には以前のような活気がないように見える。


 8月中旬。お盆を前にして、俺は彼女たちを合宿に導く。

 場所は、長野県の白馬はくば村。

 都会の喧騒を離れた、山に近い高原の土地で、夏でも涼しく、練習にはいいところだと思った。


 県予選で準々決勝まで行ったことで、部費が増えており、それを使って、全員で参加したのだ。


 その合宿所では、朝から晩まで野球漬けの練習をすることになったが。

 俺は、秋の大会が始まる前に彼女たちに聞いておきたいことがあった。


 それは、彼女たちの「原動力」についてだ。

 つまり、「何故、野球をやるのか?」、言い換えれば「野球が好きな理由」だ。


 初日の夜。時間があったので、一人一人と面談をやる、と告げて、彼女たちにその理由を聞いてみることにした。


 それは、彼女たちの「内面」に迫る問題であり、より一層、彼女たちの心を知るきっかけにもなる。

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