第22話 真価(前編)

 そして、ついに2回戦が始まる。


 梅雨明けはまだだったが、どんよりとした曇り空の下、湿度が高い1日だった。


 場所は、1回戦と同じく所沢航空記念公園野球場。だが、相手が昨年ベスト8という影響はすでにあった。


「人、多いなあ。しかもほとんど向こう」

 エースの潮崎が三塁側の客席を仰いで、嘆息するように言っていた。


 その通りで、県内屈指の強豪校として知られる、浦山学院の応援席には、大勢の観客が入っていた。


 レギュラーに入れなかった補欠組、派手な演奏をする吹奏楽部、そして恐らくは父兄。さらに、他校の偵察と思われるマネージャーや野球部のユニフォーム姿の人間も何人かいた。


 しかも、そのほとんどが「浦山学院」目当てのようで、盛んに声援を送っていた。

「阿波野! がんばれ!」

「大島、頼んだぞ!」

「西村、今日も走ってくれ!」


 対する、我が校の一塁側観客席には。

 人はまばらだった。


 かろうじて、応援に駆けつけたと思われる、顧問の渡辺先生、女子野球部のクラスメートや友人たち、そして男子野球部員が数名いた。吹奏楽部のブラスバンドさえもない。


 完全にアウェーのような雰囲気だった。

(大丈夫かな)

 この雰囲気に飲まれ、彼女たちが委縮してはいないか、というのが不安だった。


 なお、今回、またも大幅に打順を入れ替えて臨んだ。


1番(一) 吉竹

2番(捕) 伊東

3番(右) 笘篠

4番(三) 清原

5番(中) 羽生田

6番(二) 辻

7番(遊) 石毛

8番(左) 平野

9番(投) 潮崎


 辻を2番から下げたのは、もちろん、

「辻ちゃんは、今日調子悪いよー」

 という、羽生田の意見を参考にしていた。そもそもそれが合っているかもわからないが。


 どうもその日で、調子がガラっと変わる辻は、使いづらかった。

 一方で、野球経験者としての意見や勘も大事と思い、羽生田と辻の後ろに石毛を持ってきた。

 2番には最近、調子を上げてきていた伊東を配する。


 潮崎と平野は、どちらもあまり変わらない打撃力だったが、入れ替えてみた。


 対する、浦山学院の布陣は、前回の練習試合の時とは、様変わりしていた。


 エースの阿波野は変わらず、4番の大島も変わっていなかったが。1番に西村という3年生が入り、それ以外も2、3年生中心の編成になっており、練習試合では見たこともない選手がスタメン入りしていた。


(強豪校の余裕だな)

 恐らくは、練習試合の時は、レギュラークラスを数人入れただけで、後は補欠組か、2軍のような連中だったのだろう。


 しかもその相手に1点も取れずに負けた我が校だ。

 さすがに今回は苦戦が予想された。


「また、お会いしましたね」

 相手ベンチに挨拶に行くと、例の村上聡美監督が、和やかな微笑みで迎えてくれたが、選手たちの目は真剣そのもので、この夏に賭ける意気込みすら感じられた。


「お手柔らかにお願いします」

 かろうじて握手をかわすが、俺はすでに球場の雰囲気に、気が気でなかった。


 先攻は浦山学院、後攻は我が校と決まる。


 ―プレイボール!ー


 審判の高らかな宣言と共に、試合が始まる。


 だが、この日の潮崎は俺の想像を超えていた。

 先頭バッターは3年の西村美来みく。事前情報だと、打率5割を誇るリードオフマンタイプで、スイッチヒッターの巧打者。身長155センチくらいのおかっぱ頭の少女で、どこにでもいる女の子に見えるが、俊足と強肩も自慢のショートストップだった。


 初球。

 いきなり放ったのが外角高めのストレート。だが、いつものノビがあまり感じられない球とは違い、手元で小さく変化する球だった。恐らくツーシームだろう。


 それを引っかけて、セカンドゴロ。


 以降は、完全に潮崎が試合を作っていた。

 キャッチャーの伊東の配球は、素晴らしく、低めに球を集めていたし、潮崎は俺が教えた通り、2種類のシンカーを操っていた。


 球速70キロほどの遅いシンカー、球速100キロほどの速いシンカー。さらに60キロくらいの超スローカーブを見せた後で、100キロほどのストレートを投げ込む。


 その球速差により、相手バッターには思った以上に球速を感じるらしく、次々に打者を翻弄し、1回表は三者凡退に抑えていた。


 1回裏。

 相手エースの阿波野もまた、「冴えて」いた。決め球の真っスラのキレが鋭く、カーブ、シュートを駆使する上に、ストレートの球速は、前回戦った時よりも明らかに速く、ノビもあった。


(力を温存してやがったな)

 明らかにその球速が120キロを超える速球だった。


 我が校もまた、阿波野の本来以上のピッチングに翻弄され、三者凡退。


 そして、両者が一歩も譲らない、「投手戦」が展開されるかに思われた。投手戦は観客としてはつまらないかもしれないが、監督や野球に詳しい者なら、むしろ面白い展開と言える。


 0行進が4回まで続き、両者ともに決定打を欠いていた。四球によるランナーや単打はあったが、試合は動こうとしない。


 均衡が破れたのは5回表。浦山学院の攻撃。

 8番バッターからの打順だった。


 相手が下位打線という油断もあったのか、それとも一巡して、目が慣れてきたのか。その8番にツーシームを弾き返された。


 打球は詰まっていたが、ライト前に抜けるヒットになる。


 ノーアウト一塁で9番を迎え、きっちりバントで送り、1アウト2塁。得点圏にランナーを置いて、1番の西村を迎える。


 初めてのチャンスに三塁側客席からは、大袈裟なほど大きなブラスバンド演奏が聞こえてきて、逆にピンチの一塁側スタンドは静まり返っていた。


 伊東は、外に変化球を散らせた上で、内角をえぐるような速球を見せる配球をしていた。


 カウント2ボール1ストライク。いわゆる、打者が有利とされる、バッティングカウントだった。


 鋭い打撃音が響いた。潮崎得意の高速シンカーを捉えた当たりが左中間を抜けて、ツーベースヒットになり、8番バッターが悠々とホームイン。


 先制点は、浦山学院に入り、三塁側が沸き立つ。


 キャッチャーの伊東がタイムを取り、マウンドの潮崎に声をかける。打たれた彼女はしかしながら、「笑って」いた。

 こういう時でも、余裕を感じさせる彼女は、やはりエースとしての素質があるのかもしれない。


 結局、後続をきっちり抑えて、その回は終わるも、その5回裏に、我が校は阿波野を捉えきれずに、続く6回表を迎える。


 その回は、4番の大島からだった。


 かつて、潮崎のシンカーを捕らえて、ホームランを放った強打の4番バッター。だが、この時はあの練習試合とは一味違うように見えた。


 何というか、まるでオーラすら感じるような、強烈なプレッシャーを感じる。4番の風格と言い換えればいいのか、凄まじいスピードでバットを振っており、その視線が睨むように潮崎を見据えていた。


 1球目。インハイのツーシームを空振り。

(なんてスイングだ)

 まるで風圧を感じるような、恐ろしいほどのスイングスピードだった。スピードだけならウチの清原にも劣らない。


 2球目は外角高めにまたもストレート。


 ―ガキン!―


 恐ろしいほどの快音を残し、打球はバックネットに当たってファール。かろうじてバットがボールの下を叩いていたが、少しズレていればホームランだろう。


 3球目。追い込んだ潮崎の得意の低速シンカー。ストレートから球速が30キロは遅い。普通なら打てないが。


 高い金属音を残して、打球はレフト線のポール際へ。

 一瞬、ホームランを打たれたかと思うほどの強烈な打球。カットというレベルではないくらいの大きなファールだった。体勢を崩しながらも外野まで持っていくパワーはさすがで、練習試合の時とは比べ物にならないレベルだった。


 4球目はボールに逃げるスローカーブ。見逃してボール。


 追い込まれながらも、全く表情が変わらない大島が不気味に思えた。


 5球目は内角のボールに逃げる高速シンカー。ほとんど相手に当たるくらいのボールで、大島がのけぞる。2ボール2ストライクになる。


(マズい)

 俺の中で、嫌な予感が走る。


 6球目。初球と同じくインハイにツーシーム。この打席で唯一空振りを取っている球で、潮崎にとっても伊東にとっても、「自信のある」球だと思われた。


 ―ガン!―


 衝撃音のような、強い打撃音が響く。


 引っ張った打球はレフトへ、大きな弧を描く。


 長打シフトを敷いていたレフトの平野が動くも、打球は勢いを失わないまま、ゆっくりと落下。平野の足が途中で止まって見送っていた。


 そのままスタンドに放り込まれた。

 ソロホームラン。


 ランナーがいないことが幸いしたが、警戒していた4番による、まさに完璧なホームランだった。


 0-2。

 中盤にして、早くも試合の主導権、流れは相手チームに傾いていた。

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