29 婚約者

「あれ、セナ、来てたの?」

「おう! 俺のタッパー破れかけてただろ? 補修しに来た」

「いい加減買いなよ、ゴムのりくらい……」

「二ヶ月後、たまきのものは俺のものになるし」

「何言ってんの。お金取るからね」


 逢子ほうことお茶したあと、家に戻ると婚約者がいた。

 手元には、彼の破れかけのタッパー(ジャケット型のウェットスーツ。糸ではなく特殊なゴムでつながっているため、接着部分のゴムが剥がれたり、穴が空いたりする)に、黒いゴムのり。ちょうど補修作業が終わったところのようだった。

 社会人になり、海が好きなうちは実家から徒歩十分程度のアパートで一人暮らしをしている。手狭な部屋は、大学時代に始めたスキューバダイビングの機材で更に手狭になっていた。


「どうだった、朝岡あさおか

「元気だったよ。こっちまで来るならついでに会って行けばよかったのに。集合場所、『ツナ缶』だよ」

「いやー多分そうだと思ったけど、なんか照れくさいじゃん」

「そんなもんかね」


 セナこと七戸しちのへ青南せなと逢子は顔見知り。というか、高校二年次の同級生だ。逢子と、スミレと、それからドアコンビと称していた門原かどはらと、五人でよくボードゲームをしていた、あの七戸しちのへである。

 うちの婚約者がセナだと知ったら、スミレはどんな顔をするだろう。怒る? 悲しむ? それとも、にっこりと祝福してくれるのだろうか。

 目の前に愛しの婚約者がいるはずなのに、頭の中はスミレ一色だ。


「セナさあ、知り合いに探偵とかいない?」

「いねーわ。なんで?」

「スミレ、どうしてるのかなぁって気になって」

「SNSで連絡すればいいじゃん」

「それが、いつの間にかFaceBookから居なくなってたんだよね。他のSNSは知らないし」


 当時流行していたメッセージ交換アプリも廃れ、今は違うものが主流となっている。

 スミレとの連絡手段は事実上ない。


「家に突撃?」

「スミレ、高校の頃は学生マンションに住んでたんだよ。年賀状文化とかもなかったし、実家の住所は知らない」

「うーん、八方塞がりだな!」


 結論から言うと、セナは全く役に立たなかった。

 逢子の情報網は優秀だが、人探しにも通用するかと言うと微妙なところだ。

 うちは、このままスミレと会うことなくセナと結婚してしまうのだろうか。


 スミレは、友達の一人だ。

 だったら別に構わないはずなのに、どうしてこんなにもヤキモキするのだろう。

 うちのカンはよく当たる。スミレに会わないままセナと入籍したら、きっと後悔すると思う。理由はわからない。マリッジブルーが謎の焦燥感を与えているだけかもしれない。


 スミレは消極的で、友達はうちと逢子くらいだし、うちらが知らないスミレの行方を他の同窓の誰かが知っているとは到底思えなかった。


(そういえば、スミレは何か困ったことがあると、よくノートに書き出していたな)


 スミレの部屋で、「逢子をいつメンから外す」という目的を書いたミッションノートを見た時は笑った。最終的に階段から意図的に落ちることを選んだようだけど、ピアノ線でトラップを張るとか、念を送るとか、呪うとか、奇想天外なことも書かれていた。大真面目な顔をしてアレを書いたと思うと笑えてくる。


 今のうちに足りないのは、スミレの情報だ。

 スミレは何が好きだった?

 スミレにたどり着く何か糸口が見つかれば良いなと思い、スミレのことをノートに書き出した。



 ■榛 純恋 <ハシバミ スミレ>

 □容姿

 ・黒髪ストレート

 ・伏せ目がち、瞳が大きい気がする

 □好きなもの

 ・読書

 ・クラッカーを鳴らすこと

 ・線香花火

 □嫌いなもの

 ・海

 ・気の強い人

 □特記

 ・女の子が好き?

 ・決断するのが苦手。だけど大胆

 ・親が転勤族

 ・学生マンションに住んでいた

 →鎌倉。三〇八号室



 ここまで書いて思い出す。

 そうだ。スミレは三〇八号室で、その下に住んでいる男と仲が良いと言っていなかっただろうか。うちのことを相談してたって。タイが好きで、よくタイティーを飲みながら人生相談をするって言っていた気がする。

 名前はなんだっただろうか、思い出せない。けれど、バイセクシュアルの大学生って言ってた。当時うちらは高校二年生だったのだから、年はうちらは二つから、多く見積もっても八つくらい上だろう。


 当時鎌倉の学生マンションに住んでいた、二つから八つ歳上のバイセクシュアルの優しい男性。


「これだ」


 一筋の光明が見えた気がした。


 →

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