(4)
お正月、そして冬休みはまたたく間に過ぎ、今日から三学期が始まるという日の朝。
この夏樹神社の本来の次女である“勇美”と儀式によって立場を交換した“
とりたてて普段と変わらない時間に目を覚まし、これまで通りに「巫女としての朝のお勤め」──と言っても、境内と本殿の掃除と簡単な礼拝程度だが──に励んでいた。
吐く息が白いこの季節、真紀とて布団が恋しいという気分もないではないのだが、そこは立場交換&神様の介入によって植え付けられた“習慣”の悲しさ、きちんと「お勤め」を済まさないと、どうにも居心地が悪く感じてしまうのだ。
ともあれ、一通りお勤めを済ませたのち、自室に戻って巫女装束を脱ぎ、今度こそ通っている(正確には「今日から通う」と言うべきか)隣町の龍刻高校の制服へと着替える。
タンスから出したAカップのブラジャーにパッドと脇の肉を無理矢理詰め込んで、膨らみらしきものを何とか形作り、さらにハイウェストタイプのショートガードルを履いて腰回りを引き締めてから、白いスリップを着る。
続いて丸い襟のついたオーソドックスな白いブラウスに袖を通す。男物とは逆についたボタンも、今の“彼女”はなんら戸惑うことなくとめることができた。
その上に濃緑色をベースにしたタータンチェックのジャンパースカートを履き、胸元に学年色の真紅のリボンタイを結ぶ。脚にはダークブラウンのパンティストッキングを履いてから、さらに白のソックスを履いて、くるぶしまでの三つ折りにする。
最後に、丈がやや短めの紺色のボレロを羽織り、学生カバンを手にすれば、通学準備は完了だ。
「あっ、と……」
そこで何か思い出したのか真紀は三面鏡の前に座り、青に白いラインの入ったリボンで、その長い髪をやや位置が高めのポニーテイルの形に結わえる。
「うちの学校の校則って、腰まで伸びた髪はくくらないといけないんでしたよね」
「古風で控えめな少女」という“設定”上、校則違反にならないよう、気を使っているらしい。そう言えばスカート丈も膝がギリギリ隠れるくらいで、今時の女子高生としては幾分長めのようだ。
今度こそ準備が終わったと見てとった真紀は、カバンとスクールコートを持って、朝食をとるため階下へ降りていくのだった。
* * *
さて、朝食の場に関しては、これまでの一週間と同様、つつがなく終了したのだが……。
「ちょっとマキちゃん、いいかしら?」
いざ、家を出ようとコートを着ているところで、真紀は“姉”の希美に呼びとめられた。
「何ですか、姉さん?」
「その……今更こんなコト言うのもどうかと思うけど、“外”に出るんだから、いろいろ気を付けてね」
「? これまでも何度か外出はしてると思うのですが?」
昨日までの冬休み期間中も、基本的には
同級生に関しては、実にご都合主義というか不思議な話なのだが、真紀自身はもちろん、相手の方も顔を合わせると、自動的に互いを「知人・友人」と認識して普通に世間話ができてしまうものらしい。
同様のことは近所の人々にも言えて、おかげで買い物の際に困ったこともない。
「そうじゃなくて、貴女の高校は村の外にあるでしょう? 河比奈媛様の御力がキチンと及ぶものなのか……ちょっと、ね」
どうやら“姉”は心配してくれているらしい。
第一印象の“理想の大和撫子像”とは多少異なり、身内に対しては、いささかお茶目で悪ノリもする部分もあるものの、やはり希美は基本的に“優しいお姉さん”であるようだ。
『その心配は無用ぞ!』
「──あ、比奈様」
脳裏に響く“声”に、ポツリと呟く真紀。しかし、希美の方は、キョトンとした顔で真紀を見つめている。
「あら、もしかして、河比奈媛様のお告げが下ったの?」
どうやら、このテレパシー(?)、希美には聞こえていないらしい。
『むぅ、相変わらずの霊感音痴じゃな、希美は。──どれ、これで聞きとれるじゃろう?』
真紀に聞こえる比奈の声が、普通の会話から、いきなり街宣車の演説並に大きくなる。
「あ、はい。何か電波状況の悪いケータイみたいですけど、なんとか」
『ここまで霊波を強めてもそれか──まぁ、良い』
やや呆れた感を醸し出しつつも説明してくれた河比奈媛命によると、真紀と勇美には“暗示”や“幻術”の類いが掛かっているわけではなく、彼女が因果律にちょっと細工をしたことで立場の交換が成立しているのだと言う。
『故に、仮に氏神としての我の支配領域から外に出ようとも、そなたが「夏樹神社の娘で我が巫女たる夏樹真紀」であるという“事実”は、そう簡単に揺らぐまい』
「もっとも、このように念話で連絡することなどは、流石に難しいだろうがな」と締めくくる比奈。なにげに息を切らしているように感じられるのは、霊波を強めるというのは人間で言うと大声を出すことに相当するのかもしれない。
ともあれ、「そういうことなら安心ね♪」と納得した希美は、真紀の首に赤い毛糸のマフラーを巻いて、学校に送り出してくれた(ちなみに、希美自身は短大の2回生だが、新学期が始まるのは来週かららしい)。
「姉さん、意外に心配性ですね」
夏樹神社の鳥居から100メートルほどの場所にあるバス停でバスを待ちながら、そんなことを考える真紀。もっとも、本来の“マサノリ”はひとりっ子だったため、こういう“姉の気遣い”を受けるのは新鮮で嬉しいことでもあったが。
やがて、龍刻町行きのバスが来たので、真紀もそれに乗り込む。
朝の7時台のみ1時間に3本出ているこのバスだが、一番早い7時15分の便だったせいか、他に龍刻高校の制服は男女問わず見当たらない。
その代わりに、どこか見覚えのある背広姿の“青年”が、後部座席に座っていた。
「あ……」
無論、その“青年”とは、真紀と立場を交換して、現在、「龍刻高校の男性国語教諭の
「お、夏樹か。おはよう、今日も早いな」
その勇美は、アップバンクショートに切り揃えた髪(今にして思えば、あの付け毛は勇美から切ったものだったのだろう)を軽く整え、マロンブラウンのジャケットとコーデュロイのツータックパンツを着用した、高校教師にしてはややカジュアルな装いだ。
さすがに“補整”のかかってない真紀の目から見ると、成人男性としては少々若過ぎるように思えるが、反面、街ですれ違っても普通に若い男性と見なしていただろう。
それくらい、イケメンぶりが板についていた。
「──おはようございます、遠坂先生」
一呼吸あいたものの、真紀もごく自然な風を装って挨拶を返す。
可能なら互いの近況報告などもしたいところだが、乗客が少なめとは言え他人の目もあるバスの中では、立場に合わせて「顔見知りの教師と生徒」として振る舞うしかない。
「先生こそお早いんですね」
龍刻高校の1時限目は8時40分開始だが、“姉”──希美に聞いた限りでは、ユミはいつも遅刻ぎりぎりの8時のバスに乗っていたようなのだが。
「わはは、まぁ、これでも教師だからな。遅刻するような恥ずかしい真似はさらせんだろう」
どうやら、少なくとも“彼”の方も現在の立場を全うしようという意思はあるらしい。
「先生方は大変ですね」
その事が確認できただけでもひとまず良しとして、真紀は意識を切り替え、「龍刻高校の一年生に在籍する女生徒」として、遠坂勇美との会話を続けるのだった。
* * *
やがて、いくつかの停留所を過ぎ、途中でクラスは違うものの、「中学時代からの顔見知りである同級生」が乗り込んで来た時点で、真紀は勇美から離れてそちらに合流した。
「あ、マキちゃん、おはよう! ……って言うか、明けましておめでとうございます」
早速こちらを見つけて挨拶してきたのは、多岐川茉莉(たきがわ・まつり)。ふわふわの猫っ毛をミディアムボブにした、ニコニコといつも笑っている印象のある少女で、見かけどおりおっとりぽややんとした性格の子だ。
年相応よりややポッチャリ体型だが、男の視点で見れば「デブ」というほどでもなく、むしろその豊かな胸やお尻に視線を惹きつけられる男性も多いらしい──といった彼女に関する知識が、瞬時に真紀の脳裏に浮かんでくる。
(便利と言えば便利なんですけど、ちょっと戸惑いますね)
そんな感想を胸の内で呟きながら、真紀もにこやかに挨拶する。
「おはようございます、茉莉さん。でも、2日にウチにお参りに来られた時、お年始の挨拶は済ませた気がしますけど」
「あ! そう言えばそうだっけ」
「えへへ~」と頭をかく仕草が微笑ましい。少々抜けているトコロはあるものの、茉莉が男女問わず親しまれているのは、真紀としても納得がいく話だった。
そのまま、しばらくふたりで他愛もない雑談を交わす。
「♪」
「どうかしたんですか? 何だか随分ご機嫌に見えますけど」
元々、笑顔の絶えない娘だという“記憶”があるが、今朝はとくに上機嫌に見える。
「うん、あのね、マキちゃんとは小学生時代からのお友達だけど、中学に入った頃から、いつの間にか、あんまりお話しなくなったでしょう? それが、今日は色々お話できたから、なんだか嬉しくって」
「!!」
なるほど、これも立場交換によって発生した細かい齟齬のひとつなのだろう。
“姉”の希美の話から聞いた断片的な印象を繋ぎ合わせて考える限り、“本物”である「夏樹勇美」は深刻なGID──性同一性障害と言うほどではなくとも、「自分が男の子だったらよかったのになぁ」としばしば願うタイプであったようだ。
あるいは、神社の娘という家庭環境からくる「女の子らしくお淑やかに」という教育に対する反発心もあったのかもしれない。この辺りは卵が先か鶏が先かだとも言える。
そういう男勝りでアクティブな性格の子だから、「お砂糖とスパイスと素敵なもの全部」でできてる茉莉のような典型的女の子とは、幼い頃はともかく成長するにつれソリが合わなくなっていったに違いない。
因果律に干渉され、真紀と勇美の立場が入れ替わった今も、“彼女”と疎遠になった記憶の残滓が茉莉の中に残っているのだろう。
「その……よかったら、これからもマキちゃんと、仲良くしたいんだけど……迷惑かな?」
もじもじと控えめにそう申し出る茉莉に、真紀は微笑み返す。
「ええ、もちろん。こちらこそ、今後ともよろしくお願いしますね」
その言葉に嘘はなく、この日から多岐川茉莉は、夏樹真紀にとって一番の親友となっていくのだった。
「あれ、後ろの方の座席に座ってるのって……もしかして、遠坂先生?」
あと5分ほどで龍刻高校前の停留所に着くという段になって、茉莉は「遠坂勇美」の存在に気づいたようだ。
「──ええ、そのようです。私より先にこのバスに乗ってらっしゃいました」
個人的には「彼」に色々思う点がないでもないが、それらはいったん棚に上げて、ごく無難に応える真紀。
「え~、遠坂先生って、あんな感じだったかなぁ。なんて言うか、もうちょっと地味で控えめな印象があるんだけど……」
どうやら生徒からも「遠坂先生」はそう見られていたらしい。
学期途中からの新任ということで、意識的に目立たぬようにしていた部分もあるとは言え、やはりこうもハッキリ言われると、真紀としても内心苦笑が零れる。
「奥さんに言われてイメチェンでもしたんじゃないですか?」
とりあえず、ヒネりのない応えで誤魔化しておく。
「あぁ、そうかも。新婚さんだもんね。先生の奥さんって、どんな人なんだろ」
「元旦に、ウチの神社にお参りに来られましたが、綺麗で上品そうな方でしたよ」
──などと話しているウチに、バスは高校の校門近くの停留所に止まった。
真紀と茉莉は、連れ立ってバスを降りる。
「わたしは、今日の日直なんだけど、マキちゃんは?」
「私は、弓道場に立ち寄ってから教室に行くつもりです」
紺のスクールコートに身を包み、オーソドックスな学生鞄を両手で体の前に下げ、スカートの裾を寒風に揺らしながら、昇降口へと向かう真紀と茉莉。
「彼女」たちのあとから、バスを降りた「遠坂勇美」は、ニヤニヤしながらふたりの姿を見ているのだった。
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