第223話 術式解析の中間報告

帝国の有する勇者3人と出会うことができ、そのうち2人から重要な情報をいくつも入手できた。今回の王女の護衛は、僕たちにとって非常に有意義なものになった。


心残りがあるとすれば、短時間であったため、もっと話をしたかったことだ。携帯端末宝珠をプレゼントできなかったことも痛い。ただ、これについては、帝国と王国が友好的である限り、また訪問できるので問題ないだろう。


「ラクティ、アイリス皇帝とは、どんな話をしたんだ?」


帰りの馬車で王女に尋ねた。彼女は、困ったような顔つきで答える。


「なんだか非常に気に入られてしまいまして、わたくしを姉のように慕ってくださいましたわ。ほとんどがファッションとお化粧の話で、あとはプライベートの相談が少々ありました」


「政治的な話は?」


「あるはずもございませんわ。文字も読めない子どもに」


「それもそうか」


笑う僕の横から嫁さんが尋ねる。


「プライベートの相談って?」


王女は笑顔で答えた。


「アイリス陛下はリュウタローという勇者様のことがお好きのようで、殿方を喜ばせる方法を伝授してほしいと言われました。僭越ながら、わたくしの経験談をいろいろとお教えして差し上げましたわ」


「「へ、へぇーー」」


これには僕と嫁さんが苦笑した。王女の恋愛経験とは、すなわち僕たちとの関わりを意味するはずだ。フった僕が言うのもなんだが、そもそも自分だって男と付き合ったこともないのに、いったいどんなアドバイスをしたのだろうか。想像するのも怖い。


ちなみにベイローレルは、それとは全く別の常識的な部分でツッコミを入れた。


「ラクティ、そういう相談は他人に漏らさない方がいいんじゃないか?」


「あっ!いけない!確かにそうね!お兄様、お姉様、申し訳ありません。今のはお忘れください」


「「ああ、うん」」


どちらの顔も知ってる段階でそれは無理な話だが、とりあえず夫婦そろって頷いた。そして、王女は手に持っていた2枚の紙を広げて見せてくれた。


「ということで、”ハルジオン13世”の署名入りの令状をいただきました。文面はヒペリカム閣下で、アイリス陛下は自分のお名前だけは書けるようですの。これで帝国内を自由に行き来することができますわ」


その令状には、ラージャグリハ王国の第一王女であるラクティフローラは、帝国の国賓であり、いかなる身分の者でも丁重に応対し、その行動にできうる限りの協力をするよう命ずる旨がしたためられている。


また、もう一つの令状には、ラクティフローラが、”大賢者”ヤグルマギ・クシャトリヤとピアニー・クシャトリヤを本国に連れ帰ることを許可する旨が記されていた。


「なるほど。逆に言えば、”大賢者”とシャクヤ以外の人間を連れ帰ることは許可しないってことだ」


「不可侵条約がありますので、これくらいは当然ですわね」


僕の意見に王女は微笑んだ。これで、王国の使者としての彼女の役目は終えられたということだ。さらに僕は次の計画の話をした。


「では、明日から”大賢者”の捜索を開始できるね」


「申し訳ありません。わたくしもそう思っていたのですが、アイリス陛下より、わたくしの”歓迎宴”を催したいとのことで、招待を受けましたの。帝都に滞在中の帝国貴族を集めてパーティーを開いてくださるそうですので、明日はそちらに向かいたいと思いますわ」


「へぇ、そんなのがあるんだ……さすが王族が訪問しただけはあるね」


「一応は、友好国ですので」


国際的な駆け引きはともかくとして、それなりに帝国は王国を気遣っているということか。王女がもう一日、足止めされる以上、僕たちの出発は明後日になる。これは仕方がないだろう。


ここで僕はもう一人、用事を済ませた仲間に進捗を尋ねた。


「フェーリスはどうだった?」


それに回答するため、王女の愛猫アイビーからフェーリスの声が響く。


「お城の猫ちゃんと友達になったギャオ。他に城の外の猫ちゃんとも出会えたから、ウチの魔法がどんどん伝染していくギャオよ」


「それは上々だな。帝国は実態がよくわからない部分が多い。お前の諜報能力が使えないと困るんだ」


「なら、アイビーちゃんには積極的に外に出てもらうギャオ。この街は暖かいから良かったギャオ」


「うん。しばらくそうしてくれ」


「ところで……先程から何か香ばしい匂いがするんですが、何でしょうか?」


急にベイローレルが疑問の声を発した。

これに嫁さんがニコニコして答えた。


「あ、じゃあ、ここで見せちゃおっか。牡丹、これ何か、わかる?」


「……え?」


彼女は、黄河南天からお土産でもらったタコ焼きを牡丹に見せる。一瞬、固まった我が娘は、それが何であるかを思い出しながら叫んだ。


「これ!たこ!タコタコ!」


「そう。タコ焼きだよ!」


「わぁぁぁっ!!!」


小躍りしそうなほど喜ぶ牡丹に、嫁さんはタコ焼きを食べさせた。既に僕が『宝珠システム』の電子レンジ機能で温めなおしてあげている。ホカホカのタコ焼きを頬張った娘は、目を輝かせておいしそうに食べた。


それを不思議そうな目で見ているラクティフローラとベイローレルとカエノフィディアにも、嫁さんは食べさせてあげた。


「な!なんですの!この食べ物は!」


「こんな料理!初めてですよ!」


「不思議なお味でございます!ですが、とてもおいしいです!」


驚きながらも感心する3人に嫁さんはご満悦であり、調子に乗って中身の食材まで教えた。


「でしょう!ちなみに中に入ってるコリコリしたのは、タコだからね!」


「「!!!」」


その瞬間、全員の顔が凍りついた。咀嚼していた口が止まり、とてつもなく困惑している。その顔は、とんでもないゲテモノ料理を食わされた被害者のものであった。嫁さんから出された食事を吐き出すわけにもいかず、3人とも涙をこらえてタコ焼きを呑み込んだ。


「あ……あれ?みんなどうしたの?」


理解不能で唖然とする嫁さんにベイローレルが涙目で叫んだ。


「ユリカさん!!!さすがにイタズラが過ぎますよ!”海の悪魔”を食べさせるなんて!」


「えぇっ!?」


「うぅっ……いくらお姉様でも、これはあんまりですわ……」


「ア……アタクシは魔族の肉体ですので……これくらい……だ、大丈夫です!……きっと……たぶん……」


さらに王女もカエノフィディアも嘆きの言葉を吐くので、嫁さんは血相を変えて弁明した。


「そ、そんなことないよ!こんなにおいしいんだよ!ほら、牡丹もパクパク食べてるでしょ!」


僕は、その様子を苦笑しながら見守っていた。どうやらこちらの世界でも地球上の西洋と似ていて、タコを食材とは認識していないらしい。おそらく僕たちがカエル料理や虫料理を食べたような感覚でいるに違いない。


そうした食文化の違いや、日本では当然のようにタコを食べる習慣があることを、僕は皆に懇切丁寧に説明してあげるのであった。


ちなみに肉食のルプスは食べなかったが、ガッルスはかなり気に入ってくれたようで、牡丹と分け合って夢中で食べていた。




さて、宿に戻ると、いったん情報を整理することにした。


特に勇者に出会えたことで、『勇者召喚の儀』についても新たに判明した事実が多数ある。僕は嫁さんを自分の寝室に招き、二人で相談した。


嫁さんは真っ先に僕のベッドに座り、今日の感想を述べた。


「とりあえず勇者と会話できて、ひと安心だね。この国の雰囲気は苦手だけど、松矢くんも南天さんも、いい人たちで良かったよ」


「だね。……ただ、勇者の人数が異常だ」


「それだけ魔王がいるってことなんでしょ?それもすごいよね」


「これほど多くの魔王を召喚している輩がいるってのは、信じがたいことだ。もしもそれが『魔王教団』の仕業なら、とんでもない集団だと思う」


「だよねぇーー。5人も……あ、牡丹を除いて4人か。そんなに魔王がいるなんてねぇーー」


「まず、この国で召喚されている勇者と魔王を整理しようか」


そう言って、僕は情報をまとめた。


『幻影の魔王』を倒すための『天眼てんげんの勇者』黒岩くろいわ椿つばき(約20年前に召喚)

『吹雪の魔王』を倒すための『灼熱の勇者』赤城あかぎ松矢まつや(7年前に召喚)

『飢餓の魔王』を倒すための『覇気の勇者』黄河こうが南天なんてん(5年前に召喚)

『凶作の魔王』を倒すための『砂塵の勇者』灰谷はいたに幹斗みきと(3年前に召喚)


これに加えて、『重圧の魔王』デルフィニウムである牡丹を倒すため、1年前に召喚された勇者、柳太郎りゅうたろうがいる。彼は『斬空の勇者』と呼ばれているらしい。


また、『幻影の魔王』については、ラージャグリハ王国で僕たちも関わった可能性が高く、それを追う、もう一人の勇者として、桜澤さくらざわ撫子なでしこさんが存在する。


「うっわぁーー。頭こんがらがるぅーー」


頭を抱えた嫁さんに僕は一言、微笑して告げた。


「百合ちゃん、そこまで悩むこともないよ。魔王の多さは、この国にとっては災難だけど、考えようによっては、僕たちには好都合なんだ。それだけ魔王を召喚した者に近づける可能性が高まるんだから」


「蓮くんって、そういうとこ、頭いいけど冷たいよね」


「合理的と言ってくれ」


嫁さんから冷めた視線を送られたところで、ひとまず魔王の多さについての話は終了した。そして、いよいよ僕たち一家が地球に帰るための情報を総括することにした。僕は彼女の隣に座った。


「さて、その『魔王』が討伐された後、どうなっているのか。これが僕たちには大きな問題だ」


「うん。牡丹のこともあるし、今まで魔王として殺された地球人の子たちのことを考えると、可哀想だよ」


嫁さんが胸を痛めている懸案事項に、僕は自信を持って推論を述べた。


「おそらく『魔王』は、討伐された後に地球に帰っているんだと思う」


「え、ほんと?それなら良かったなって思うけど、どこからそんな答えが出てきたの?」


「今、『勇者召喚の儀』の分析が2割を超えたところなんだけど、どうもその全体像は、転移術式というより、組成術式に近いんだ。そこから導き出された結論」


「ん?どゆこと?」


「実は、前々から考察していたことでもある。僕たちの本当の肉体は、地球に置き去りにされているはずなんだ。今の肉体は、術式によって構築された仮のモノだと考えられる」


「えっ!?そうだったの?」


嫁さんは飛び上がりそうな勢いで驚いた。この研究結果は、僕たちの今後を左右する重大な事実でもあるため、順を追って詳しく解説した。


「考えてごらん。召喚された時点で17歳に若返っているとか、それ以上、歳を取らないとか、超人的な能力を身につけているとか、都合が良すぎるでしょ。これが僕たちの本物の肉体だったら、とんでもないことだよ」


「それはそうだけど……でも、自分の体じゃないなんて、それこそ実感できないよ。お腹が空いたり痛みがあったり、悲しいと涙が出てきたり、いろいろとリアルすぎるもん」


そう言いながら嫁さんは、不満そうな顔で僕の胸に手を伸ばし、イヤらしい手つきでペタペタと触ってきた。それと同時に彼女の胸のふくらみが僕の腕に押し付けられる。


「蓮くんはぁーー、自分のカラダと私のカラダがぁ、嘘だって思うのぉーー?」


急に甘えた声になって顔を近づけてきた彼女に僕は微笑した。


「嘘ってことじゃない。この世界では実在する肉体だ。生きた細胞で構成されているし、代謝もある。この世界における人間の肉体と何ら変わらないリアルな生命体として、僕たちの身体は生成されているんだ」


「そうなの?じゃあ、こっちの世界で蓮くんとハグしたりチューしたりしたのは、嘘じゃないんだね?」


「大丈夫。嘘じゃない」


「そっか!なら良かった!」


安心して元の姿勢に戻った嫁さんに僕はさらなる詳細を話す。


「そもそも全く異なる世界――いや、宇宙と言ってもいいね――そこに肉体ごと物理的に転移してくるってこと自体が、相当に無理のある話なんだよ。ゆえに僕たちは、この世界で構築された新しい肉体に意識だけが乗り移っているんだと考えられる」


「うっわぁぁーー、いきなり難しい話になってきたよぉーー」


「これをゲームに例えるなら、17歳の姿で作られた、この世界の肉体というアバターに、僕たちは地球からログインしていることになる」


「あっ、なんか急にわかった!」


「こんなふうに考えると、まるでゲームと変わらない。だけど、確実に言えるのは、この世界の生命は、現実に生きているということだ」


「そだね。それはそのとおりだよ」


「おそらく『勇者召喚の儀』は、こことは別の世界に存在する生命体の中から、条件にマッチする存在を探し出し、その情報を元に、この世界に複製する術式なんだ」


「なんとなくだけど、わかってきた」


「その際、この世界と酷似した世界として、モデルに選ばれた世界があった。それが、僕たちがプレイしていたゲーム『ワイルド・ヘヴン』だ」


「ん?どうして地球じゃないの?」


「地球人をそのままのチカラで構築したって、こっちの人からしたら、むしろ弱すぎて意味ないでしょ?」


「確かに」


「だけど、『ワイルド・ヘヴン』の世界には強力な冒険者が大勢いた。しかも世界観が、この世界と非常に似ていたんだ」


「あ、だから、実際の私たちじゃなくて、『ワイルド・ヘヴン』の私たちを召喚したんだ」


「そういうこと」


「でもさ、生きてる私たちじゃなくて、ゲームのキャラをモデルにするって無理なくない?実際のヒトじゃないんだよ?」


「いい質問だね。さっきも言ったけど、この世界に複製するために必要なのは、肉体そのものじゃなくて、”情報”なんだ。それがどの程度かは不明だけど、『ワイルド・ヘヴン』くらいリアルに作られたゲームなら、情報量として十分だったと考えられる」


「情報……情報……そっか。うん。わかったような……わかんないような……」


「もちろんゲームのキャラクターは生きていないし、精神も存在しない。普通はそんな術式、失敗するか、成功しても中身の無い、もぬけの殻の肉体が構築されたと思う。ところが、『ワイルド・ヘヴン』には、他のゲームには無い大きな特徴があった」


「もしかして、1人1アカウントって決まりがあったこと?」


「ご名答」


「てことは、ゲームのキャラと私自身が、1対1の関係で繋がったんだ!」


「そう。だから、ゲームをモデルにして作られた肉体と僕たち自身の精神を接続することができた。僕たちの本物の肉体は地球に存在するままで、意識という”情報”のみが、こちらに転送され、今の肉体を動かしている。こうして、本来であれば荒唐無稽な”異世界召喚”という術式は完成してしまったんだ」


「ログアウト不可のゲームみたいな!」


「そんな感じだね。そして、ログアウト条件は魔王の討伐。あるいは自分の死。そういう縛りでこの肉体に意識を定着させられてしまった」


「しかも強制的にね!そう聞くとひどい話だねぇーー」


ここまでの話に嫁さんは苦心しながらも納得できた様子だ。僕のこの見解は、『勇者召喚の儀』の術式解析から導き出された結論であり、ほぼ断定できる内容である。


しばらくニッコリした顔で黙考していた嫁さんだったが、ふと何かを思いついて叫んだ。


「……あれ!!ってことは、ヤバくない?何ヶ月も放置されてる私たちの本当の体って、今頃どうなってんの?」


この疑問に僕は若干、苦笑しながら答える。


「百合ちゃん、それを問題視するなら、何ヶ月も僕たちが失踪している可能性も今まで悩めたよね?」


「うっ……それはそうだけど……あんまり考えないことにしてた。現実問題が重たすぎて、頭ん中、グチャグチャになるから……」


「まぁね、でも、おそらくは大丈夫だと思う。この世界と地球とでは、時間の流れが全く異なるから」


「えぇっ!そうなの?よくわかんないけど安心していいの?」


「以前に牡丹の保育園の連絡帳を発見した時、あの子が召喚されたのが、僕たちが召喚された日の1週間前だったことがわかったでしょ」


「う、うん」


「つまり、こちらでの1年間が、僕たちの世界では1週間だったことになる」


「え、あれ?じゃ、じゃあ、地球の方がゆっくりってこと?」


「そう。こっちで僕たちが1年間過ごしても、向こうでは1週間しか経っていないことになる」


「それなら少しは希望が持てるね」


「さらにもっと希望はある。他の勇者たちが召喚された日付を聞ければ、わかると思うんだけど、おそらく松矢も南天も牡丹と数日しか違わないはずだ」


「……うん?あれ?……ちょっと計算が合わなくない?1年で1週間なら、5年前や7年前に召喚された二人は、5週間前とか7週間前になるんじゃない?」


「単純計算ではね。でも、おそらくそうはならない。というのは、僕の仮説が正しかった場合、2000年前の最初の勇者も『ワイルド・ヘヴン』を通じて召喚されたことになる。その場合、百合ちゃんの計算だと?」


「えーーと……2000週間前に召喚された?」


「2000週間前では、約38年前になってしまう」


「『ワイルド・ヘヴン』って、この前、5周年を迎えたばっかだよ!全然、合わないじゃん!」


「そう。つまり、時間軸のズレは、一定じゃないんだ。例えば、お互いに円運動している二人がいた場合、急速に接近する時もあれば、緩やかに離れていく時もある。そんなイメージだ。しかもそれが、三次元や四次元を超えた計算になる」


「くっあぁぁぁーー!頭痛くなってきた!」


「結論としては、総合的に計算した場合、こちらの世界での2000年が僕たちの世界での5年になる、というくらいの時間軸のズレがある。その間のズレ幅は細かいブレが生じてる、ってことだ」


「うぅーー、グルグルするよぉーー」


「ともかく、早く帰るのに越したことはないけど、僕たちの世界の時間は、こっちよりずっとゆっくりだから、そこまで心配する必要はないと考えてるよ」


「そ、そっか!それだけ聞けたら満足だよ!」


一時は床に伏せてしまいそうなほど頭を抱えた嫁さんであったが、安心できる結論を僕が述べたことで、元気を取り戻した。


ちなみに実を言うと、さらにもう一つ、僕が推理している希望的観測がある。だが、まだ憶測に過ぎない上に、既にお腹いっぱいの嫁さんにこれ以上の説明は不要であろう。


「ああ、良かったぁ!今までずっとモヤモヤしてたのがスッキリしたよぉーー!そういうことなら、安心して地球に帰れるね!」


話がまとまると、嫁さんは脱力したようにベッドに上半身を倒した。仰向けになりながら、今まで悩んでいたことを振り返っているようだ。


そして、しばらくすると、微妙な表情で呟いた。


「……それにしても、だとしたら私たち、最初に真剣にサバイバルしてたのが、ちょっとバカみたいだね。死んでも地球に戻るだけなら、あそこまで必死にならなくても良かったかも」


「そうかもしれないけど、死の苦しみは体験することになる。やっぱり”死ねば戻れる”って結論は、実行に移したくないよ。万が一、僕の仮説が間違いだった場合、本当に死ぬかもしれないし」


「うん。それに私、この体が仮のモノだったとしても、言い切れることがあるよ。私たちがこの世界で生きて、やってきたことは全部、本物なんだって」


しみじみと語る嫁さんの声は、穏やかでありつつも力強く、不思議な確信に満ち溢れている。僕も同じ想いだ。


たとえ、この肉体が借り物であっても、この世界で苦しんだり、それを乗り越えて喜んだりした数々の思い出は、全て真実であると思う。それはきっと、この世界に生きている人々の胸にも残り続けることだろう。


天井を見上げる嫁さんは、拳をグッと握りしめて決意を述べた。


「だとしたら、やっぱり納得できる形で帰りたいね。シャクヤちゃんのこと、ラクティちゃんのこと、お世話になったみんなのこと、ちゃんと解決してあげて、それで地球に帰りたいな」


「……偉いね。まさしく『勇者』の言葉だ」


「もちろん私は家族が大事。蓮くんと牡丹が大事だよ。だから、地球に帰るのが一番だってのは変わらない」


「うん」


「若返っちゃって歳も取らない。みんなより強くてチート能力はある。……そんな都合のいい世界だけど、やっぱり私は地球がいい。特に何も知らない牡丹は、日本でちゃんと生活させてあげたい」


「そうだね。僕はあの子を死なせずに済む方法を必ず探し出すよ」


「でもさ、最悪、”死ねば戻れる”ってことがわかったんだから、希望はあるよね。絶対に帰れないって結論じゃなくて、すごく良かった」


「まぁね」


話しながら僕もベッドに寝転んだ。様々な希望が見えてきたこともあり、嫁さんと隣り合って天井を見上げていると、ホッとした気持ちになる。


もちろん課題が無くなったわけではない。考えるべきことは、まだまだたくさんある。


とはいえ、最悪な展開でも家族3人が無事に帰れる可能性が出てきた。この保険があるだけで、非常に大きな心の支えになる。


たちこめた暗雲に希望の陽光が差した。そんな思いだ。


安心したせいか、なんだか隣の嫁さんを力いっぱい抱きしめたくなってきた。


ところが、そんな考えに僕が浸っていると、実は意外とそうでもないという現実を嫁さんが口にした。


「あれ……ところで蓮くん、めちゃくちゃ根本的な疑問があるんだけど……」


「ん、何?」


「私って…………死ねるのかな?」


「………………あ」


夫婦そろって固まってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る