第218話 帝都サガルマータ

シャクヤが誘拐犯たちの拠点である農村に辿り着いた件は、僕、白金蓮のもとにも逐一報告されている。少し想像と違っていたのは、そこが『魔王教団』のアジトというわけではなかった点だ。


帝国の勇者、柳太郎たちにも偶然遭遇してしまい、正体がバレた可能性があることも聞いていた。


だが、それ以上に僕が気になっているのは、彼らが名乗った”レジスタンス”という単語だ。もしもその意味するところが僕たちの世界と同じものだった場合、シャクヤを連れ去った者たちの目的は、国家転覆である可能性が高い。


そう考えると、この国に来てから感じている物々しい雰囲気も納得できる気がした。


何やら途方もない事件に巻き込まれようとしている。そんな気配を感じ、僕の心中は穏やかではなかった。



しかしながら、この時の僕たちはと言えば、帝都『サガルマータ』に滞在し、宮殿への正式訪問をするため、ひたすら待機する日々を過ごすのみだった。


既に帝都に到着してから3日が経過している。宮殿からは何の音沙汰もない。


観光がてらに街を散策しても、初日と同じで、なんとなく空気が重苦しい。大国の首都だというのに活気を感じられない、空虚な街だった。


僕たちが宿泊しているのは広くて豪華なスイートルームである。内部はいくつかの部屋に仕切られ、寝室も二ヶ所あるため男女で別れて寝ることができる。さながら、ちょっと贅沢なルームシェアという感覚で過ごすことができた。


宿ではラクティフローラと互いに勉強を教えあったりしていたのだが、息抜きも欲しくなってくる。ここは貴族が使用人を連れて泊まる宿であり、ウィークリーマンションのように家具も揃っていて、その中には、いくつかの遊具も置かれている。僕は、チェスに似たボードゲームを見つけた。


こういう類のゲームを得意としない嫁さんは、牡丹とカエノフィディアを連れて出かけて行き、それをベイローレルが追いかけて行ったが、僕とラクティフローラは夢中になって対戦した。


ところが、何度やっても勝てない。


この世界のチェスのルールに慣れていないこともあるが、それ以上にラクティフローラが強すぎた。


この王女は理数系だが、僕と違って論理的思考よりも計算能力に優れている。暗算や思考の速度が、僕を遥かに凌駕しているのだ。システムを作ることによって、人知を超えた演算を可能とした僕であるが、純粋な頭の回転では彼女の足元にも及ばない。これには舌を巻いた。


「……参りました。……ふぅーー、ここまで強いとは思わなかったよ。圧倒的だ」


「うふふ。お兄様ったら、そこまで手加減されなくてもよろしいですのに」


「いやいや。そんな余裕ないって。本気で勝てないんだ」


「まぁ!本当ですか?わたくしにもお兄様に勝てるものがあるなんて、この上なく嬉しいですわ!」


「とんでもない。レベルでも敵わないし、さすがは”聖王女”様だよ。システムも使わずに数キロ先まで遠隔魔法狙撃ができるんだ。いかに超人的なのかが、よくわかった」


僕は苦笑いしながら彼女を褒め称えた。


ラクティフローラのレベルは、以前は37であったが、今は魔獣との戦闘を通じて成長し、38に上昇している。レベルが43に成長している天才少女シャクヤと比較すると、純粋な能力値では劣っているが、上位魔法の宝珠を駆使した実戦では、むしろラクティフローラの方に軍配が上がるだろう。


この王女は、能力値を補って余りある類まれな頭脳の持ち主であった。



ところで、全く勝てないにも関わらず、王女とのチェスは不思議と楽しかった。予想もつかない戦術の数々に閉口しつつも、それが新鮮で、一局一局が勉強になった。


気がつけば、嫁さん達が帰ってくるまで熱中していた。部屋に入った嫁さんは呆れた声でボヤいた。


「えっ……まだやってたの?よく飽きないね……」


「ラクティはすごいんだよ。日本だったら女流棋士になれるんじゃないかな」


「へぇーー、それはすごいね」


「百合ちゃんもやってみれば?」


「やだよ。絶対にイヤ。昔、蓮くんとオセロやった時、真っ白にされて、二度とやらないって誓ったもん」


「あぁ……ごめん」


ご機嫌な僕の誘いに、嫁さんは、ふてくされてしまった。


そういえば、結婚したばかりの頃、将棋のルールを知らない彼女とオセロをやったことがあったが、嫁さんが弱すぎたため、僕が盤面を真っ白にしてしまい、途中で完勝してしまったのだ。その時、負けず嫌いな嫁さんは半泣きしていた。あれは本当に可哀想なことをしたと今でも思っている。


「何の話ですか?」


僕たち夫婦の会話を理解できないベイローレルが質問した。口を尖らせた嫁さんが妙な言い方でそれを説明する。


「昔ね、私が何もできないのをいいことに、蓮くんに好き放題されちゃって、私の全てを真っ白にされたの。ひどいでしょ」


「……ああ……そういうプレイが好きなんですか」


「いや、何の話だコラ!」


侮蔑の表情でこちらを見るベイローレルにツッコみ返す僕であった。



その後、カエノフィディアやベイローレルとも対戦してみたが、二人ともそれなりに強かった。カエノフィディアには勝ち越すことができたが、ベイローレルにはギリギリで負け越してしまった。


盤上遊戯でも、この男に僕は勝てないらしい。結構、悔しかった。


「やったぁーー!レンさんに勝てました!!くっくっくっ!やりましたよ!ユリカさん!!」


ところが意外なことに、常に余裕の笑みを浮かべているベイローレルがガッツポーズをした。そこまで僕に勝てたことが嬉しかったのだろうか。しかも、それをウチの嫁さんに誇らしそうに報告している。


「よくやったわ!ベイくん!」


なんと嫁さんまでも彼の勝利を喜んでいた。昔、コテンパンにしてしまったことを、そこまで根に持っていたのか。


ちなみに牡丹にも見せてみたが、彼女の手にかかると、チェスは全く別の遊びとなり、駒を使ってママゴトみたいなことを始めたり、重力操作で浮かせてルプスにぶつけて遊んだりしていた。




さて、僕たちの暇つぶしについては、ここまでにしておこう。


実は、この地に到着してから、僕には一つだけ大きな問題があった。


ベナレスの我が家にある時計台から大規模マナ通信を実現し、スーパーコンピューターと繋げてクラウド化した『宝珠システム・バージョン5』。その効果が低下しているのだ。


時計台から数千キロ離れた遠隔地であることも一つの要因であるが、実を言うと、それとは異なる原因によるものだ。


マナを媒介とした通信は地球の常識では考えられないほど優秀であり、これだけ離れていてもマナによる通信波は届く。通常の電波であれば、惑星が球体であることから、角度の違いにより、大地そのものが障害となる。しかし、マナ電波は地中ですら簡単に素通りし、届かせることができるので、緯度や経度の違いは問題にならないのだ。


しかし、僕は全く想定外の障害にぶつかった。大陸南西部から北部へ移動してきたため、大陸の中央にある聖峰『グリドラクータ』付近を横切ってマナ通信が届くのである。その際、マナ濃度が異常に高い聖峰の影響で、マナ電波が減衰してしまうのだ。


マナが濃すぎる地域を通過する場合、マナ電波が拡散してしまう。という、わかってみれば極めて単純な弱点が存在していたのである。


この地では、スーパーコンピューターの恩恵を受けた『バージョン5』は、通常の4分の1以下の性能となる。


そのため、僕の仲間たちに渡してある携帯端末宝珠は、通常の魔法なら問題ないが、高度な演算を伴うチート級の魔法、特に【世界樹の葉ユグドラシル・リーフ】は使用できないことになるのだ。何かあった場合は、個々の強さで対応してもらう以外にない。


ただし、僕自身について言えば、常に左腕のブレスレットに装着しているオリジナルの宝珠システムがある。これは長い月日の中で改良が進んでおり、クラウド化する前の『バージョン4』の状態から、何度もマイナーチェンジを繰り返していた。


あえて言うなら『バージョン4.5』だ。


ゆえに単独で【世界樹の葉ユグドラシル・リーフ】を発動できるほどには拡張されているのである。


「この国にいる間は、僕がいないところで大怪我しないようにね」


仲間たちにこれだけ伝えると、皆、一様に笑っていた。




そうしている間にようやく宮殿からの使いがやって来た。宿の使用人の女性が取り次ぎをしてくれる。


「シロガネ御一行様に面会を求められる方がいらっしゃいました」


「ありがとう」


僕とベイローレルが1階のロビーに向かう。そこには軍服を着た兵士が待っていた。彼はベイローレルの顔を見て、一礼した。


「我らが皇帝、『ハルジオン13世』陛下よりラクティフローラ殿下にご伝言です。明日、正午過ぎにお越しいただきたい、とのことでございます」


「承りました」


ベイローレルも丁重な姿勢で応対する。兵士は用件を済ませるとすぐに帰った。



その翌日、僕たちは馬車を雇い、ラージャグリハ王国の王家のエンブレムを掲げて宮殿に向かった。


ラクティフローラはドレスを着用し、僕たちは正装に着替えている。ベイローレルは騎士の制服だ。


中東風だった王都の宮殿と違い、帝都の宮殿は西洋風の厳かな城であり、5階建ての堅固な建築物であった。城郭の敷地内には4つの尖塔もあり、ゲームで見たことのある雰囲気の城だ。


この宮殿は、僕が個人的に目的としている『火の精霊神殿』も共存する構造になっている。皇帝の居城であるため、警備は厳重だ。僕の目的を果たすためには、王女の力を借りて帝国に協力を求める必要がありそうだ。


「うっはぁぁっ!”ザ・お城”って感じのトコだねぇ!!!」


予想どおり嫁さんのテンションが大いに高まった。だが、城壁の正門を通過し、広大な敷地に入ると、真面目な顔つきに変わった。


「蓮くん、間違いなく、いるよ」


「うん。僕のレーダーでも捉えている。気配は隠しているけど、肉体的な強さは健在だ」


「どれくらい……いるんですか?」


眉をひそめたベイローレルが尋ねるので、僕と嫁さんは同時に答えた。


「「城の中に勇者が3人いる」」


「さっ!3人!?そんなにいるのですか?」


驚きの声を発したのはラクティフローラだ。彼女に僕が分析結果を教える。


「うん。レベル50以上の存在が、それだけいる。しかも柳太郎ではない。帰国途中だからね。彼を含めると、少なくとも4人の勇者を帝国は抱えていることになる」


「とんでもないことですわ!勇者様を1人でも召喚すれば、国家の一大事と言えますのに、それが4人もだなんて!!」


これにベイローレルは難しい顔をして呟いた。


「……ということは、帝国には4体以上の魔王がいて、人々が苦しめられているということに……あ、いや、そのうちの1人はここにいるボタンちゃんか……」


彼は複雑な思いを抱いて黙り込んだ。ここで僕は、ある疑問に気づき、王女に尋ねる。


「同一の魔王を討伐対象として召喚される勇者っているのかな?」


「理論的には可能だと思いますが、あまり聞いたことがありませんわね。勇者様は魔王の天敵となる存在ですので、お一人召喚するだけで基本的には十分だと考えるはずです。それに日食の時にしかできない大規模術式ですので、そう頻繁に行えるものでもありませんし」


彼女の回答にベイローレルが推測を付け加える。


「それこそ『破滅の魔神王』を相手にした場合以外、考えられないんじゃないですかね?」


「そのとおりよ。ベイローレル」


「てことは、やはり魔王が4人いる説は真実味があるな……」


彼らとの会話で僕はそう結論した。だが、それでも異世界転移してきた勇者が同時に3人もいるという事実こそ、現状では最も警戒すべき事柄だ。


「牡丹、ここは危ない人たちが多くいるんだ。いい子で馬車の中で待っててくれるか?」


「うん!」


「カエノちゃん、よろしくね」


「はい。おまかせください、奥様」


「ルプス、ガッルスも留守番を頼む。万が一、危険な目にあったら全員で逃げるんだ」


「ガウア!(了解です!)」


「承知しました!」


僕と嫁さんは仲間たちに牡丹のことを託し、皇帝との謁見へ向かうことにした。


馬車が城の正面に到着する。

すると、ここで真っ先に窓から飛び出した者がいた。


なんとラクティフローラの愛猫アイビーである。しかも、その口からはフェーリスの声がした。


「じゃ、ちょっとアイビーちゃんで散歩してくるギャオ」


「え、フェーリスか!どうする気だ?」


「ここにも猫ちゃんがいるかもしれないギャオ。会って友達になってくるギャオ。そうすれば、ウチの魔法が伝染するギャオよ」


「おいおい。ここには魔族にとって天敵がいるかもしれないんだぞ?」


「ウチが操作してるんだから、大丈夫ギャオ。それにウチの魔法の気配を感知できるなんて、ユリカくらいしかいないギャオ」


「ていうか……お前のその語尾は戦闘モードじゃないか」


「それくらい警戒してるってことギャオ。勇者が3人と聞いたら、ウチも黙っていられないギャオ」


「はぁ……わかった。くれぐれも気をつけるんだぞ」


ため息交じりで僕は、フェーリスが操作するアイビーを見送った。


馬車の前には既に城の兵士たちが槍を構え、整列している。国賓を迎える時の帝国の作法のようだ。


扉を開け、まずはベイローレルが厳粛な所作で馬車を降りる。


「ラージャグリハ王国、第一王女、ラクティフローラが参上しました。皇帝陛下への謁見を希望します」


彼の言葉と共にラクティフローラが無言で降り立った。出迎えてくれた帝国の重臣がこれに返事をする。


「お待ち申し上げておりました。王女殿下のご到着、誠に喜ばしく存じます。どうぞこちらへ」


彼の案内で、ベイローレルと王女は城内に入った。僕と嫁さんは後から馬車を降りて、護衛のハンターとして静かに王女の後方を歩く。


縦にも横にも広い宮殿のロビーは、息を呑むほど荘厳であり、煌びやかだった。正面に吹き抜けの階段があり、そこから謁見の間に向かうようである。



いよいよこの国の皇帝、”ハルジオン13世”との会見が始まる。メインとなるのはラクティフローラだが、僕の胸の内にも緊張が走った。


これまで端々で見聞きしてきた情報だけを取っても、帝国の内政は不安定であり、いつ何が起こっても不思議ではない危うさがある。ラージャグリハ王国では全く感じなかった不穏な空気がこの国にはあるのだ。


果たして、どのような人物がこの国の政治を担っているのだろうか。まともな話ができる相手なのだろうか。


様々に悲観的な想像が僕の脳裏をよぎる。以前に王国から指名手配されてしまったような過ちは二度と起こすまいと固く決意して臨む会見であった。



ところが、階段を登る手前で予想外のことが起こった。


階段の横に隠れていた子どもが、ひょっこり顔を出して、ラクティフローラに近づいてきたのだ。育ちの良さそうな顔立ち。上品な衣装と装飾品、そして髪飾り。おそらく相当に身分の高い貴族の令嬢に違いない。


「そちが王国の王女かえ?」


「…………あら?どちらのご令嬢かしら」


かわいらしい仕草でチョコチョコと近寄ってきた9歳くらいの女の子に王女も笑顔になる。これから大国の為政者に会おうとしている時に、妙にホッコリする空気となった。


「ほんに美しいのう!”聖王女”などと聞いたが、きっと名前だけじゃろうと思っとったのに!噂以上ではないか!」


「うふふ。ありがとう。かわいいお嬢さん」


「朕も大きくなったら、かくありたいものじゃ!」


「え…………朕?」


ちん”という一人称にラクティフローラをはじめ、ベイローレルと僕は敏感に反応し、硬直した。何も知らない嫁さんだけはボケっとしたままだ。


背後で立ち止まっている王女に気づき、帝国の重臣が振り返った。その瞬間、彼は慌てて声を張り上げた。


「へ、陛下!何をなさっておられるのですか!謁見の間でお待ちくださいと、あれほど申し上げたではありませんか!」


やはりそういうことか。”朕”とは皇帝が使う一人称。つまり、この女の子がイマーラヤ帝国を治める為政者、”ハルジオン13世”なのだ。

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