第208話 亡命

こんな肩透かしがあるだろうか。


苦労に苦労を重ねて国王を説得し、ようやく話を聞けると思った”大賢者”は、会いに来てみれば全くの別人だったのだ。


「ど、どうされましたか、王女殿下!」


騒ぎ声を聞きつけて、宰相ゴードが階段を登ってきた。そして、事情を説明するため、部屋の中に入ってもらった。


「なっ!何だ!貴様は!!」


彼もまた、部屋に住んでいた老人の顔を見て愕然とし、素っ頓狂な声を上げた。


酔っぱらいの老人は、顔面蒼白で椅子から立ち上がり、委縮しながら後退りした。そして、怯えた目つきで震えながら叫ぶ。


「な、なんだチミはってか!!」


いやいや、待ってくれ。何だそのフリは。それでは、まるでアレみたいじゃないか。やめてくれ。こんな異世界で。


と、思っていると、隣の嫁さんがボソッと呟いた。


「変なおじさん……」


「百合ちゃん!それ言ったら、昭和の伝説のコントになっちゃう!!」


などと僕たち二人が夫婦漫才をしている間、身を震わせるほど激怒している宰相ゴードは、管理人に向かって叫ぶように指示を出した。


「使用人のハンターを呼べ!!この不届き者を成敗するのだ!!!」


それを聞いた僕はハッとして彼を制止した。


「お待ちください、ゴード閣下!まずはこの老人から事情を聞きましょう!”大賢者”がいないなら、彼から情報を聞き出さなくては!」


すぐに納得したゴードは、管理人への指示を撤回した。代わりに誰も部屋に近づけさせないよう言い付け、階段の前で待機させた。


「はぁ……まぁ、でもそうだよねぇ。このおじさん、何の強さも感じないもん」


ため息をついた嫁さんが異臭の漂う部屋の窓を全て開けた。清々しい空気が流れ込み、心を落ち着けてくれる。


勝手に居座っていたことがバレてしまったので、老人は先程から観念したように部屋の隅で縮こまっている。宰相ゴードは、彼を睨みつけながら詰問した。


「ここには、貴様とは似ても似つかぬ高貴な賢人がいらっしゃったのだ!どこにやった!素直に白状しなければ、タダでは済まさぬぞ!!」


怯えた老人は、必死に弁明した。


「し、知らねぇ!!俺はぁ、ずっと家もねぇ生活を送ってたんだけど、1年くれぇ前に真っ黒いローブを着た男に声を掛けられて、ここに連れて来られたんだ!誰にもバレないようにして、ここにいれば、毎日、うまい飯と酒がもらえるって言われてよぉ!」


「連れて来られただと!誰にだ!」


「誰かは本当に知らねぇんだよぉ!フードで顔も見えなかったしよぉ!」


「どうやってここに入った!」


「入ったのは窓からだよぉ!あいつ、すっげぇジャンプ力で、ここまでひとっ飛びで来れたんだ!」


「窓……だと……」


ゴードは悔しそうに窓を見つめ、考え込んでしまった。確かに高レベルの実力者がいれば、5階という高さも意味をなさないかもしれない。老人一人抱えて飛び移ることは可能だろう。文官であるゴードは、この場所のそうした脆弱性を専門的に見抜ける人間ではなかったのだ。


黙ってしまった宰相の代わりに僕が質問することにした。


一歩前に出た僕は、まずは老人から正確な情報を引き出すため、泥酔しているのを何とかしようと考えた。『宝珠システム』で肉体情報を解析し、【世界樹の葉ユグドラシル・リーフ】を応用して、ある操作を行う。


「なっ……!あ、あれ!?なんか俺、酒が抜けちまったみてぇに……」


すると、老人は酔いが完全に醒め、途端に目をパッチリ開いて驚きの声を出した。僕は厳しい目つきで彼に告げ、質問を開始する。


「あなたの血液に含まれるアルコールを強制的に分解させてもらった。頭がスッキリしただろ。これから尋ねることをしっかり思い出しながら、正確に答えてほしい」


「へ、へい……」


「ここにもともと住んでいたご老人のことは、何も知らないのか?」


「知らねぇ!ほんとに知らねぇんだ!!信じてくれ!俺はここがどこかも知らねぇで、勝手に住まわせてもらってたんだ!」


「あなたをここに連れて来た人物は一人か?」


「ひ、一人だ!真っ黒いローブを着てて、顔は見てねぇが、声は間違いなく男だった!」


「他に特徴は?思い出せることがあれば何でもいい」


「ほ……他には…………あぁーー、あっ!そうだ!黒い十字架をぶら下げていた!気味が悪かったのを覚えてる!」


彼の証言どおりなら、ここにも『魔王教団』が関わっていることになる。僕は後ろで見ている嫁さんに確認を取った。


「……百合ちゃん、どう思う?」


「うーーん、嘘はついてなさそうだよ。さっきから全部、本気で言ってる」


立ち上がった僕は、現状の分析結果をまとめた。


「つまり、”大賢者”は約1年前、ここを脱出し、どこかに亡命している。おそらく漆黒のローブを着た男がそれを手引きし、このおじさんを身代わりとして置いて行った。普段から顔を見ず、会話をすることもほとんどなかったため、ここの使用人たちは、まんまと騙されてしまったんだ。1年間も」


これを聞いたラクティフローラは、力が抜けてフラフラと椅子に座り込んだ。


「そんな……お爺様は……いったいどこへ…………」


さらにゴードもガッカリした様子で、うな垂れる。


「なんということだ……ヤグルマギ殿との会話は陛下より禁じられていたため、私も今まで確認をしてこなかった……こんな男のために私は使用人に1年間も給仕させていたというのか……」


茫然自失の彼に僕は一つの提案をした。


「宰相閣下、この場に僕の愛犬を呼んでもよろしいでしょうか。非常に優秀な能力を持っているのです。”大賢者”殿を探すための助力となることでしょう」


ベッドに腰を下ろしたゴードは、青ざめた顔で、絶望したように下を向いている。


「……私は、国王陛下よりお預かりした最重要の囚人をみすみす逃がしてしまったのだ。しかも1年間も発見が遅れてしまった。これほどの大失態、どのように報告すればよいものか……」


そして、悲壮感に苛まれながら、僕に懇願するように顔を上げた。


「シロガネ殿、こちらこそお頼みする!もはや、そなたに頼る以外に道は無い。なんとか手がかりだけでも見つけ出してもらいたい!」


「わかりました。ルプス、すぐにこっちに来い。お前ならジャンプで来れるな」


『ガウア!!(了解です!!)』


既に通話を開始していたルプスに呼び掛けると、返事をした彼はすぐさま5階の高さを飛び越え、僕たちのいる部屋に窓から侵入した。


「ルプス、この部屋の中から、そこにいる老人以外の人物のニオイを探し出せ」


唖然とするゴードと老人をよそに、僕はルプスに部屋中のニオイを探索させた。しばらくの間、部屋中をあちこち嗅ぎまわったルプスは、残念そうに報告する。


「ガル!グルルルアウオ、ガウアウバウア、グゴルルガウオ(ダメです!部屋中、全て、そこの男のニオイが染みついていて、他の人間のニオイを嗅ぎ分けられません)」


「そうか……百合ちゃん、部屋の中から、”大賢者”が置いていった物を探そう」


「りょ!」


僕と嫁さんは、”大賢者”の私物が置かれていないか捜索した。


まず、本棚にある書物は、ルプスに嗅がせてもニオイがわからないという。これらは全て”大賢者”のために取り寄せられた書物だが、今まで何人もの人が触れてきた物であり、特定の人物のニオイを区別できる代物ではなかった。


ところで、よく見ると本棚は埃だらけだが、意外と整理整頓されている。部屋の中も全体的に小綺麗だった。


「そういえば、意外と部屋が綺麗だな」


老人に向けて言うと、彼は頭を掻きながら語った。


「へ、へい。一応、部屋の中が荒れないようにしねぇと怪しまれると思いやしたので。それに綺麗にしておかないと、掃除をしようと使用人の方々が言ってくるので、気を使いました」


「なるほどな……」


僕は苦笑しながら探索を続けた。しかし、嫁さんと一緒に様々な物をルプスに見せるのだが、老人がこまめに掃除をしていた結果、どの小物も既に何度も触れられており、ニオイが上書きされていた。とても1年前からのニオイが残っている物は無さそうに思えた。


ところが、僕たちが苦戦しているのを眺めていた老人が、急に声を張り上げた。


「あっ!そ、そうでした!旦那、一つだけ気味が悪くて、放りっぱなしだったモンがあるんですよ!これなら、どうですか?」


そう言って、老人はベッドの下に潜り込んだ。しばらくゴソゴソした後、奥に転がっていた小さな物体を取り出した。なんと、それは黒い十字架だった。


「え、これって!」


「現物を見るのは初めてだな!」


嫁さんが驚き、僕は期待に胸を膨らませる。

早速、ルプスに嗅がせてみると、彼は嬉しそうに吠えた。


「アウオオアオオガウオン!(他の人間のニオイがします!)」


「よし、ビンゴだ!」


歓喜しながらも、僕は老人に事情を尋ねた。


「これは、俺がここに来た時、机の上に置いてあったモンです。気味が悪かったんで、適当に吹っ飛ばしたまま、今の今まで忘れていやした」


「そうか。結果的には、いい仕事をしたな」


「へ、へい!」


ところで、なぜ黒い十字架なのだろうか。”大賢者”の脱走を手助けした人物の持ち物なのか、あるいは、そうでないとしたら、これは”大賢者”の持ち物ということか。いずれにしても、1年近く経過してニオイが残っているということは、常日頃、肌身離さず所持していた物ではないだろうか。


謎に思いつつもルプスに聞く。


「このニオイの持ち主は、今現在、どこにいるのか追跡できるか?」


「ガウグルガウオ!グルルガゴルル、アウアウアオン!(あっちの方角です!遠すぎるので、正確な距離はわかりませんが!)」


彼の指し示した方角。それは北北東である。その先にある地域を大陸地図で確認すると、一目瞭然であった。


「北の帝国『イマーラヤ』だな……」


呟きながら僕は考えた。


帝国と魔王教団。これらが再びセットとなって結びついたのだ。いったい北の地で何が起こっているというのか。


考察しながらも、僕は『宝珠システム』で部屋の様子を詳細に解析する。窓や外壁を含め、全てを調査しても、争った形跡が全く見つからない。


つまり、”大賢者”は連れ去られたのではなく、自らの意思でここを抜け出して行った可能性が極めて高い。


しかも、置き去りにされていたのは黒い十字架。その持ち主は現在、誘拐されたシャクヤが向かっているのと同じ北の帝国にいるのだ。


さらに僕は考えをまとめる。


そもそも”大賢者”は、『勇者召喚の儀』を実行できる『バラモン』の一族の末裔である。また、『魔王召喚の儀』を行使できる者がいるとすれば、それは同じ一族であるとラクティフローラはほぼ断定している。


その”大賢者”は、『勇者召喚の儀』を禁術とするよう国王に進言し、不興を買って、この場所に幽閉された。そして、ここに来る許可を出す時、国王は、”大賢者”の間違いを正せと僕に命じた。


ところが、当の”大賢者”は、自らの意思で『魔王教団』の協力を受け入れ、北の帝国に亡命していると推測されるのである。


「これでは、まるで”大賢者”が――」


真顔で推理を述べようとしたが、横で不安そうな顔をしているラクティフローラに気づき、僕は慌てて口を閉じた。


僕は今、”大賢者”が黒幕であるかのような印象を受け、口走りそうになったのだ。しかし、まだ確証もないのに、そんなことを孫娘の前で言うべきではないだろう。


祖父が行方不明であることに意気消沈している王女と目が合いつつ、そんなことを考えて黙り込んだ僕。すると、彼女の方から声を掛けてきた。


「お兄様……どうされましたか?」


「え、いやっ、何でもないよ。とにかく”大賢者”さんの件に関しても、帝国が怪しいことが判明した。手がかりは掴んだよ」


「はい!ありがとうございます!わたくしが絶望する時、いつもいつも、お姉様とお兄様が助けてくださいますのね!大好きでございます!!」


笑顔になった王女から、このように言われると、ものすごく照れてしまう。


とりあえず、この部屋で調べられることは調べ尽くしたので、宰相に報告し、落胆した彼をフォローするため、最後にこう告げた。


「今回の件は、全てを秘密裏にしていたからこそ、その盲点を突かれたと言ってもいいでしょう。それを正確に報告すれば、賢明な陛下であれば、悪い評価は下さないと思います」


「そ、そうか!シロガネ殿、何卒、お頼み申す!これまでの数々の無礼は本当に申し訳なかった!」


僕に陳謝する宰相ゴード。あまりにも予想外すぎるトラブルであったが、図らずも彼の信用を得られる結果に繋がった。


また、この部屋に住み着いていた老人に関しては、こう言っておいた。


「彼のことは許せないでしょうが……まぁ、大目に見てやってください。自堕落で贅沢な生活を続けていたために、体の中は、かなりボロボロになってます。余命はあまり長くありません」


そう。『宝珠システム』で肉体解析した際、老人の健康状態が最悪であることを僕は発見してしまったのだ。特に肝臓の機能が著しく低下しており、絶望的であった。


「あなたも……これ以上、お酒を飲むと死んでしまうよ。気をつけなさい」


「へ、へい……」


親切心で医者のように僕が告げると、老人はキョトンとしていた。




その後、それぞれの馬車で僕たちと宰相は王宮へと向かった。”大賢者”が既に亡命している旨を詳細に報告しに行ったのだ。


国王ソルガムの驚きようは半端なかった。


そして、直ちに帝国へ騎士団を派遣する命を下そうとしたが、相手は長年、不可侵条約を結んでいる大国である。正式な手続きを踏まなければ、騎士団を送り込むことができない。どのような手段を講じるべきか、彼も悩んでしまった。


この件は、宰相と騎士団長、さらに外務大臣を含めて相談することになった。僕たちは辞去し、次の命が下るまで待機することになった。



いったん職場に戻り、仕事を片付けた後、王女の屋敷に戻って、今後の打ち合わせをした。僕の意見としては次のとおりだ。


「王国として動くのが難しいなら、僕たちが独自に向かう方がいいだろうな。シャクヤのこともある。すぐに帝国に行こう」


しかし、それを王女が止めた。


「お待ちくださいませ。お兄様は既に『エンブレム』を有するご高名な商人となられました。帝国にまでその名が知れ渡るのは時間が掛かるでしょうが、何かあった時、国際問題になりかねません」


「あ、そうか……厄介な身分になってしまったな」


「わたくしに考えがございます。お父様とも相談してみますので、少々お時間をいただけますか」


彼女の言葉はもっともなので、この件は任せることにし、僕はもう一つの課題を済ませることにした。


「わかった。では、その間に僕は『幻影の魔王』の件に決着をつけておこう」

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