第202話 王都捜索
『八部衆』を招集した会議を終えると、その日は早めに就寝した。
ストリクスは夜行性のため、そのままフクロウの姿で王都の見回りを開始し、ガッルスは鳥の姿で僕たち一家の部屋に泊まった。
カエノフィディアとフェーリスも専用の部屋を用意してもらい、同室で寝泊まりすることになった。
ところで、自室に戻った時、この夜の嫁さんはいつもと違っていた。疲れた牡丹をベッドに乗せ、すぐに彼女が寝入ると、僕に決意を述べる。
「蓮くん、私も最近、ちょっと油断してたと思う。これからしばらくは、牡丹と蓮くんから離れないようにするね。いつまた襲われるか、わからないし」
真面目な顔つきでそう言ってくれるのは非常に心強い。しかし、その後は妙にソワソワしていた。
「そうだね。よろしく頼むよ。……てか、さっきからどうした?」
「え、うん……せっかく新技ができたから……ちょっと試そうかなって…………えいっ!」
立ち上がった嫁さんは僕に向かって両手を広げ、前に突き出した。ハグを求める仕草だ。
ところが、それを目にした途端、僕の身体は彼女の方向に引っ張られた。どうやら彼女は手のひらで空間を押したらしい。僕の前方から後方に向かって空間の加速度を生じさせ、彼女へと向かう引力を発生させたのだ。
「えっ、おあっ!」
なんと僕は強制的に嫁さんに飛びかかり、ハグをすることになった。ここまでされなくても今日はしてあげるつもりだったのだが。
「えへへへぇ、蓮くんてば、そんなに私を抱きたかったんだぁーー」
「はいはい……」
「今日は久しぶりに大喧嘩しちゃった上に、いろいろあったけど、みんな無事で本当によかった……」
「………………」
当初は苦笑した僕だったが、心底ホッとしている様子の彼女を愛おしく思い、しばらくの間、無言で力強く抱きしめていた。
そして、翌日。
僕は転移魔法を使い、在庫不足になりそうな宝珠を我が家の時計台の倉庫から補填した。向こうの在庫と矛盾することになるが、そこはカエノフィディアとフェーリスにお使いを頼んだことにし、その旨を執事のドッグウッドさんや営業部長のエルムに連絡しておいた。
これで彼女たちがいなくなった事実についても、つじつまが合う。
そして、僕は王女に一言、詫びを入れた。
「ごめんね、ラクティ。君の屋敷を商売に利用させてもらって」
「いえ。お好きなようにお使いくださいませ。それにしましても、転移魔法で物資の移動を行うと、物流の概念も変わってしまいますね」
「……本当だね。ただ、これは一時的な処置であって、流通についてはすぐに体制を作るよ。できうる限り、『プラチナ商会』の発展が雇用の拡大に向かうように心がけたい。ただでさえ、便利すぎて労働者が職を失う危険性を秘めているからね」
「なるほど。そこまで考えられるご見識。お兄様は、大臣にもおなりになれるのではありませんか?」
「やめてよ。政治の世界なんて、絶対に足を踏み入れたくない」
「うふふ。そうでございますか」
お互いに笑った後、ラクティフローラは真面目な顔で告げた。
「ところでお兄様、本日は申し訳ありません。精霊神殿で公務がありますので、商会の方には行けません」
「謝ることはないよ。むしろラクティが手伝ってくれたことの方が奇跡なんだから」
「それと、午後はお父様とお会いできる約束ですので、お爺様の件、もう一度尋ねてみます」
「そうだね。”大賢者”さんに会えれば、今の僕たちの問題にも光が見えるかもしれない。よろしく頼むよ」
「はい!お任せください!」
この日、僕と嫁さんは牡丹を連れて『プラチナ商会マガダ支店』の仕事に向かった。シャクヤとルプスも一緒だ。また、カエノフィディアとガッルスには、牡丹のおもり役として来てもらった。
夜間の見回りと偵察を終えたストリクスは、フクロウの姿のままサロンで休んでいる。夜行性の彼は明るい場所や騒がしい空間でも平気で眠れるらしい。なかなか羨ましい特技だ。
『魔王教団』の調査を任せたフェーリスは、人間に変装した姿で街を歩き、猫たちと連携を取ってくれている。
そして、ローズとダチュラには、桜澤撫子さんと一緒に『幻影の魔王』の手がかりを探すための見回りをしてもらった。
宮殿から少し離れた一角に人通りの少ない路地があった。そこで待っているローズとダチュラのもとに桜澤さんがやって来た。
「こんにちは。あなたたちがローズさんとダチュラさん?」
一見、ただの女学生にしか見えない彼女を目にして、ローズは微笑しながら答えた。
「ああ。あなたがナデシコか。ユリカと同じで、見た目にはわからない力を秘めているようだな。女性勇者に2人も会えるとは光栄だよ。あたしがローズで、こっちがダチュラだ。よろしく頼む」
「あ、あの、よろしくお願いします!」
ローズは相変わらず堂々としたものだが、ダチュラは相手を勇者と認めて対面したため、いささか緊張している。
「こちらこそ、よろしく。撫子です」
笑顔でそう言って、桜澤さんは二人と握手を交わした。挨拶が終わり、この日の見回りルートを確認する。
「ベイ坊が魔王を見たという路地裏の通り魔事件現場。そこを中心に見回りと聞き込みをしてみようと思う。何かあったら勇者の力を頼りたい」
「お安い御用よ。私こそ、あまり目立つことはできないから、ありがたいわ」
「時間は大丈夫なのか?」
「ヘンビットくんと友達には、街を見物してくるって言っておいたから、夕方に戻れば問題ないわよ」
話がまとまり、見回りを開始する。しばらくすると、桜澤さんはローズを見ながら、おかしそうに笑ったという。
「それにしても、白金くんの周りって、どうしてこんなに美人さんが多いのかしら。なんだかんだ異世界生活、楽しんでんじゃないの」
「……本当に知り合いなんだな、レンと」
「レンって、どんな男でした?」
興味本位でダチュラが尋ねると、桜澤さんは空を見上げながら答えた。
「白金くんはねぇ……とにかくおとなしい人だったよ。しゃべってるとこ、あんまり見たことないかも」
「え、レンが……おとなしい?」
「物静かで落ち着いてる、ってことじゃないのか?」
ダチュラもローズも目を丸くした。今の僕に対する彼女たちの評価とは、かなり違うようだ。
「へぇ、そっかぁ、今はそんな印象なんだぁ」
桜澤さんは一人でクスクス笑っていた。
さて、一方で僕の仕事は、この日も大盛況であった。開店直後から慌ただしく店内を駆けずり回ったが、店長のイベリスをはじめ、従業員もかなり慣れてきたらしく、僕の手を借りずとも仕事が回る場面が多くなっていた。
ちょうどお昼に近くなった頃である。
僕の宝珠システムのレーダーに引っ掛かる顧客が来店した。
オスマンサスとホーリーだ。
「よぉ!シロガネ代表!」
「こんにちはぁ、シロガネ様ぁ」
昨日の今日で、笑顔で挨拶してくる二人を見ると、どうにも敵とは思えない。僕は仕事を店長に任せ、店外で話をすることにした。
彼らを連れて裏口から出ると、心配した嫁さんも牡丹を連れて付いて来た。
「いや、シロガネ代表、昨日のことは本当にすまねぇ。俺たちは一度、帝国に帰ることにしたから、一言、詫びと挨拶だけはしておきたくてな」
大剣のハンターの態度が潔いので、こちらも警戒心を緩めて応対した。
「そうですか。彼はどうしてますか?」
「リュウタローは、ふてくされてるよ。魔王に挨拶なんてできないってよ」
「まぁ、そうでしょうね」
「俺が言うのもなんだが、昨日はアンタの一言で、ちっとばかし胸がスッとしたよ。この世界はゲームじゃないとか何とか……言葉の意味はイマイチ理解できねぇんだが、あいつ、俺たち人間の命を軽く見てるとこがあってな。それをアンタが一喝してくれた」
意外なことで感謝されてしまった。ベイローレルを挑発して決闘に持ち込んだ危険な男だと聞いていたが、どうやら彼にも彼なりのポリシーがあるようだ。そして、さらにオスマンサスは続けた。
「一応は”勇者様”だから尊重はしてるんだが、どうもリュウタは、頭は回るくせに中身が子どもっぽくていけねぇ。ま、あんな小さな勇者に全てを押し付けてる俺たちもどうなんだって話だがな」
ここまで聞いて、彼はそれなりに話のできる人物であると感じた。これなら、関係を修復することも可能かもしれない。
ところが、そう思った矢先、彼は真顔で告げた。
「……とはいえ、アンタらが魔王を匿い、守っているのも事実だ。俺が請け負った仕事は、『重圧の魔王』デルフィニウムの討伐を手伝うこと。今のままでは勝ち目がないんで、いったん帰国するが、次に会ったら容赦はしない。互いに真剣に命を懸けようじゃねぇか」
これには僕も一瞬だけ唖然とした。やはり相手は血気盛んなハンターということか。僕は苦笑した後、一歩前に進み出て、彼に不敵な笑みを向けた。
「いいでしょう。ただし、言っときますが、あなたは僕にすら勝てませんよ?」
「すげぇな……。その弱さで俺にここまで啖呵を切ったヤツは、アンタが初めてだよ」
本当に心から感嘆した様子で、彼はため息をついた。
それを見届けたホーリーが僕に尋ねた。
「シロガネ様ぁ、昨日ぅ、ベイローレル様の心臓をぉ、治してぇ、しまわれたのはあなたでぇ、ございますかぁ?」
「……今さら隠してもしょうがないですね。そうですよ。僕が治しました」
「いっ!いったいどのようなぁ!」
食い入るように聞いてくる彼女がグイグイと僕に迫る。それをオスマンサスが制止した。
「ホーリー殿、その辺にしておきなさい。敵に情報を漏らすような御仁ではないだろう」
「で、ですがぁ、あのような奇跡の魔法があればぁ、どれほど多くの人をぉ、救えるかぁ……」
必死な彼女の言い分はよくわかる。しかし、簡単に伝授できるものではないので、そこは正直に教えてあげた。
「ホーリーさん、出し惜しみしているわけではないんです。これは簡単な魔法ではなく、僕があみ出した総合技術なんですよ。一朝一夕で身につけられるものではありませんし、宝珠に登録してワンタッチで運用できるほど、完成されてはいないんです。いつか、誰でも使える形が実現できたら、お教えしましょう」
「ほ、本当ですかぁ。よろしくぅ、お願い致しますぅ」
ホーリーは深々とおじぎをした。この女性神官は、純粋に人のことを思う優しい人物のようだ。今は立場上、敵対関係になっているに過ぎないと言えそうである。
全ての話を終え、帰ろうとする二人だったが、最後にオスマンサスが呟くように言った。
「ところで、最後に一つだけ聞きたいんだが……」
彼は、僕の隣で牡丹と手を繋いだまま立っている嫁さんに視線を向けた。
「おたくの奥さんは……何者だ?」
彼女の尋常でない強さを前日に目の当たりにしている二人である。今も僕と彼らの一挙手一投足に注意し、警戒を怠らない嫁さんは、微笑しながらも鋭い目つきで二人を見つめている。
「彼女は特別な勇者です。それだけですよ」
と、僕は簡潔に答えた。ウチの嫁さんがレベル150である事実に触れる必要はない。それこそが、こちらの最大の切り札であり、最高のカードなのだから。
「………………」
しかし、納得いかないような顔つきのオスマンサスは、黙ったまま嫁さんを睨みつけている。すると、何かを察したホーリーが僕に顔を近づけてきた。
「シロガネ様ぁ、本当のことをぉ、お聞かせくださいまし。あなたの奥様のぉ、秘密はぁ、何でございましょうかぁ?」
「え…………」
突如、耳元で囁かれた彼女の声は、僕の耳の中で優しく反響し、異様な心地良さをもたらす。そして、何もかもを素直に答えたくなってしまった。
「ウ……ウチの嫁さんの……秘密は…………」
「あれ?蓮くん?どうしたの?」
不思議に思った嫁さんが僕の顔を覗き見る。既にホーリーは僕から離れていた。
「ウチの……百合ちゃんには……」
「はい。奥様のぉ、ユリカさんにはぁ、どのような秘密がぁ、おありですかぁ?」
僕が術中にハマったことを確認できたホーリーは、嬉しそうに問い直す。僕は嫁さんの顔を見ながら、何も考えずにしゃべっていた。
「百合ちゃんには、お尻の穴の近くにホクロがあって……」
「「は、はぁ!?」」
予想外の発言に嫁さんとホーリーが同時に素っ頓狂な声を上げた。二人とも顔を赤くしている。
「それを僕が発見するまで本人も知らなくて……」
「な、な、なっ……何言ってんの!蓮くん!!」
「一度、写真に撮って見せてあげたら、笑いながら怒っちゃって……」
「やめて!!それ言わないで!」
「あと僕がおっぱいばかり触るのを口では嫌がるくせに――」
「バカぁっ!!!!」
パチンッ!!
嫁さんが両の手のひらで僕の頬を勢いよく挟んだ。その衝撃で僕も我に返る。自分の発言に顔が熱くなる思いだが、実際に頬が焼けるように熱くなった。
「バカじゃないの!!バカじゃないの!!!バッカじゃないの!!!!」
先程から顔を真っ赤にしている嫁さんが、必死の形相でまくしたてる。その後ろでは、聞き出した張本人であるホーリーも耳まで真っ赤になり、髪を覆った頭巾から湯気が出そうな勢いで目を回している。
ハッとした僕は思わず叫んだ。
「ちっ!違う!今のは彼女に言わされて!!」
「わ、わたくしぃ!そんなハレンチなぁ!ことをお聞きしたわけではぁ!ありませんわ!!」
顔が沸騰しそうなホーリーが絶叫するように弁明した。おしとやかな彼女が声を荒げるとは意外である。しかも半分、涙目だ。もしかしたら男性経験がないのかもしれない。
呆気に取られていたオスマンサスは、気まずそうに頭を掻いて謝罪した。
「えーーと……シロガネ代表、なんと言うか……いろいろとすまなかった。彼女も悪気はないんだ。じゃあな」
彼はホーリーの背中を押し、二人で立ち去って行った。
後に残されたのは、恥ずかしさで赤面したままの嫁さんと僕と娘である。ちなみに牡丹は、道端にいたアリを夢中で観察していたため、何も聞いていない。
「もう!なんてこと言ってくれんの!蓮くん!」
「いや……まぁ、あれくらいの下ネタ、酔った勢いで話すこともあるでしょ」
「真っ昼間から、街中で、娘のいる前で、言うことじゃないでしょぉっ!!!」
「はい……そのとおりです」
正論で嫁さんから激怒されてしまった。
それにしても、ホーリーの使う『言霊』については、ベイローレルからも情報を得ていたというのに、彼女の人柄から、つい油断してしまった。たまたま質問内容から卑猥な妄想をしてしまったために助かったが、次に出会った時のため、この対策もしっかり立てておかねばなるまい。
「助かってないでしょう!!私が大ダメージ受けてんですけど!!!」
「僕も被害者なんだけどな……」
まるで心を読まれたかのように嫁さんに怒鳴られる僕であった。
この一日は、これ以外に大した収穫も無く終了した。
ベイローレルからは前日の通り魔事件について追加報告があり、加害者の家宅捜索と被害者の実家の調査が行われた件を聞いた。僕たちの見解を裏付けるだけの証拠が出てきたらしいが、それ以上の手がかりは何も見出せないそうだ。
王女の屋敷に戻り、皆の進捗を確認した。
猫の通信網で街中を監視しているフェーリスからは有意義な報告を受けた。
「今日は黒い十字架を持ってる人間を5人見つけたミャオ。みんな普通の住民ミャオ」
「さすがだな。大収穫じゃないか」
「もっと褒めてくれミャオ」
「では、その人物たちの動向をこれからも観察してくれ。また、他にも隠れ信徒がいないか、引き続き探索を頼む」
「了解ミャオ!」
また、『幻影の魔王』の捜索については、桜澤さんに対する評価をローズとダチュラから聞くだけとなった。
「勇者ナデシコは、いい感じだったぞ。凄まじい力を隠し持っているのに、全く偉そうな素振りも見せなくて、あたしは気に入ったよ」
「私も、一緒にいて、すごく楽しかったわ」
さすがクラスでも人気者だった女子だ。こちらの世界の屈強な女剣士と一緒にいても、すぐに打ち解けることができたらしい。
それ以外では特に成果は得られていない様子である。そして、国王と話をしてきたラクティフローラに至っては、幾分、表情が暗かった。
「お父様とお話ができたのですが、今もお爺様の話題を持ち出すと、途端に不機嫌になられます。お兄様と『プラチナ商会』への信頼は揺るぎないように感じられますが、お爺様との面会までこぎつけるのは、あと一歩、深く信頼を得る必要がありそうですわ」
「そうか……いろいろとありがとう。あともう一歩ってなると、僕も何をすればいいのか見当もつかないな……」
僕は改めて課題の難しさを認識し、腕を組んで考え込んだ。”大賢者”に近づくためには、ここが最大の難所と言える。王国の大罪人である”大賢者”に僕たちを会わせることが、有益であると国王に理解させなければならないのだ。
もしも、それが無理だと判断した場合、ルプスやフェーリスの能力を使って、情報を暴き出すことも視野に入れている。しかし、シャクヤとクシャトリヤ家のために”大賢者”の復権を目標とする以上、それはなるべく使いたくない手であった。
「今後も、何としてもお爺様と面会できるよう、お父様に掛け合ってみます」
「うん。大変だと思うけど、よろしく頼むよ」
王女が決意を述べてくれるので、僕は心から感謝した。
こうして本格的な調査を開始した第一日は無事に終了した。僕たち一家のもとにこれだけの仲間が揃った以上、時間さえ掛ければ、どんな敵でも探し出せる気がした。
ところが、この次の日には、さらに思いがけない方向に事態が急変するのである。
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