第186話 商会のエンブレム

王女ラクティフローラの屋敷を夜遅くに訪ねてきたのは、”紋章官”と呼ばれる役人だった。王国の高官である。すぐに王女が応対した。


「まぁ、もうお越しいただけるなんて。ご苦労様ね」


「夜分の突然の来訪となりましたこと、平にご容赦ください。お早目にお見せした方が喜ばれると思い、失礼ながら、参上致しました」


「ありがとう。シロガネ殿も喜ばれると思います」


そうして、客室にて、僕と嫁さんは紋章官に引き合わされ、挨拶を済ませた。


「レン・シロガネ殿、いただいた下絵を元にして、早速、職人にサンプルを作らせました。こちらが、『プラチナ商会』の『エンブレム』でございます」


「あら、さすが。仕事がお早いこと!」


ラクティフローラが感嘆している横で、僕は話についていけず、疑問の言葉を漏らした。


「え……”下絵”って、どういうこと?」


「ああ、ごめん。私が描いておいたんだ」


なんと嫁さんが既に下絵の準備をしていたという。


「えっ!いつの間に?」


「ラクティちゃんから説明を受けたから、昨日の夜、描いて送信しておいたんだよ。蓮くんは疲れて寝ちゃってたでしょ」


「あぁ、そうだったね」


「で、報告するのを忘れてた」


「おいおい……」


僕に何の断りもなく勝手に事を進めていたことには呆れるものがある。しかし、絵に関しては嫁さんに頼るのが一番なので、それほど気に留めなかった。ところが、一家の主が不承知だったことを知り、紋章官の方が焦りはじめた。


「申し訳ありません。レン殿。王女殿下からのご依頼でしたので、先に進めてしまいました。ご不快になられましたでしょうか」


「ああ、いえ、そういうことではないんです。ウチの問題ですので。とりあえず、その出来た『エンブレム』を見せていただけますか」


「はい。こちらになります」


彼はテーブルの上に『エンブレム』のサンプルを出した。荘厳な装飾で縁取られた厚紙の真ん中に、紋章が描かれている。花柄の大きな盾が一つ。その背後に頭が2つある鳥が翼を広げている。そういう紋章だった。


「おお、カッコいいね!」


「でしょうぉ!」


本当に立派な紋章だったので僕が感嘆すると、横では嫁さんが鼻を高くした。紋章官もホッとした様子を見せる。そして、嫁さんは経緯を説明してくれた。


「最初はドラゴンとか剣を描こうと思ったんだけど、そういうのは騎士や貴族の家系が持つんだって。あとライオンは、ここの王家の紋章だから使っちゃいけないんだ」


「うん。そうだろうね」


「で、次に考えたのが、タカとトラとバッタ」


「タカ!トラ!バッタ!?」


「タ!ト!バ!タトバ、タ・ト・バ!!」


「カッコいいけど、タトバコンボはダメだよね!」


「うん。最強コンボだけど、やめといた」


嫁さんが急に特撮ヒーローのネタをぶっこんできたので、ついノってしまった。ラクティフローラと紋章官が唖然としている。僕は嫁さんに真面目な解説を依頼した。


「……百合ちゃん、ちゃんと説明して」


「うん。それでね、ラクティちゃんといろいろ相談した結果、最終的にコレにしたんだ。こういう感じのヤツ、ゲームで見たことがあったから」


「いいね。すごくいいよ」


「盾を花柄にしたのは、蓮くんも私も、それに牡丹も名前が花だから、我が家の象徴かなと思って」


「なるほどねぇ。この頭が2つある鳥は、”双頭の鷲”ってヤツかな?鷲だとやっぱり為政者が好んで使いそうなイメージがあるけど」


「ううん。そうじゃなくて、前に聞いたことがあるナントカって鳥」


「え、何?ナントカじゃ、わからないよ」


「ほら。私たちの結婚式で、蓮くんの叔父さんが話してくれた鳥さん。中国のナントカってヤツ」


「……ああ!『比翼ひよくとり』か!」


「そう。それ!」


嫁さんが名前を覚えていなかった『比翼の鳥』という生き物。それは、古代中国の伝説上の鳥である。


目と翼が片方ずつしか無いという鳥で、2羽がツガイとなって互いに支え合わないと飛ぶことができないという、あまりにも不便で不憫な想像上の動物だ。


そして、この制約から、仲睦まじい夫婦の象徴として扱われている鳥である。同じ意味を持つ”比翼連理”という四字熟語もそこから生まれたとされている。


この話を、僕の叔父が結婚式のスピーチでしてくれたのだ。なかなか博学な内容だったので、興味深く聞いたことを覚えている。式が終わった後、嫁さんが詳しい説明を求めてきたので、僕も調べ直してあげたものだ。


嫁さんは、その名前を忘れていたが、内容はよく覚えていたのである。そして、それを我が家の象徴となる紋章に使用した。本当にこういう時の彼女のセンスには頭が下がる。


「なるほど。アレをここで使うとはね……さすがだ」


「気に入ってくれた?」


「うん。ただ、これを人に説明するのは、ちょっと照れるね……」


「いいじゃん。二人で一人なんだよ。私たちは」


「わかったわかった。これで行こう。どうせ僕にはアイデアなんて無いんだし」


「やった!」


こうして、我が家を象徴する紋章の絵柄は、『花の盾』と『比翼の鳥』で決定した。僕たちの様子を見ていたラクティフローラは、微笑しながら付け加えた。


「うふふ。夫婦の象徴を一家の紋章にされてしまうなんて、さすがはお姉様ですわ。そして、わたくしからの注文として、盾の色合いをプラチナにしてもらいました。『プラチナ商会』ですものね」


そう言われて、よく見ると、確かに盾が銀色っぽい輝きを放っている。あまり区別はつかないが、これはプラチナの輝きなのだ。


「そうだったのか。ラクティ、ありがとう!」


「素晴らしい『エンブレム』が出来上がりましたわね」


僕たちが満足したのを見て、紋章官も嬉しそうに告げた。


「それでは、こちらの『エンブレム』を国家の紋章名簿に登録致します。これにて、『プラチナ商会』および、それを統括されるシロガネ家は、由緒正しいお家柄として後世まで残ることとなります。この紋章の絵柄が人々に周知されれば、『エンブレム』を見ただけで盗賊が逃げ出すようにもなりましょう」


「うわぁーー、すごい。印籠みたい。この紋所が目に入らぬかぁーー、ってヤツだね」


「あははは……ストリクスが喜びそうだな」


嫁さんが感激しながら、俗っぽい感想を言うので僕は苦笑いした。


そうして”紋章官”は帰って行った。これにより、僕たちは家や店舗の装飾、公式文書など、様々な場所に『エンブレム』を用いることが可能になったのだ。


あとで聞いたところによると、本来なら職人に依頼して紋章の絵柄を決めるのは、僕たちがやるべきことであった。わざわざ国の高官が手配から手続きまで全て担ってくれたのは、第一王女であるラクティフローラからの依頼だったゆえなのだ。


「本当にラクティには、世話になりっぱなしだね。ありがとう」


僕が心から礼を言うと、彼女は顔を赤くして照れた。


「いえ……当然のことでございます。わたくしのことは、実の妹であるとお思いください。お兄様のために何でもするのが、妹の務めですわ」


待て待て待て。そんな言葉を上目遣いで言うんじゃない。それに妹の定義が間違っている。それは男が理想とする妹像だ。実際は違う。だいたい僕にはリアル妹がいるが、こんな殊勝なことを言われたら、かえって気持ち悪いと思ってしまうぞ。


「あはは……その定義だと、僕も妹のために何でもしてあげなきゃだね……」


「はい。そうでございますよ!お兄様!」


僕の返しにラクティフローラは大喜びになり、テンション高く腕を組んできた。その自然さは、まるで本当に仲の良い妹のようだ。


予想外の攻撃に僕は一瞬、息を呑んだ。ラクティフローラのような超絶美少女から、”妹にして”と言われると、なぜか全く違う意味でドキドキしてしまう。これが、”妹”に憧れる男子の気持ちなのか、と今さらながらに緊張した。


「おほん。ラクティちゃん、そこまでなら許してあげるけど……」


嫁さんが少しだけ怖い顔をした。ハッとしたラクティフローラは僕から離れて、今度は嫁さんに腕組みする。


「申し訳ありません。お姉様!わたくしは、お姉様のモノですので!」


「えと……うん。それも困るんだけどなぁ……」


どうやら嫁さんとしても、王女の過剰な愛情には手を焼くようだ。



こうして、この日も忙しく働いた一日になってしまった。だが、本当に忙しいのは明日なのだ。この王都で店舗を開く。既に大人気となっている『マガダ支店』には大勢の顧客が大挙することだろう。


僕たちは早めに就寝することにした。



そして翌日、早朝。


僕は家族を伴って、ある場所を訪れた。そこは、王都に着いたら真っ先に行きたいと念願していた所だ。忙しい日々が続いたため、ようやく来ることができたのだ。


「レンさん、お連れしましたよ」


待ち合わせ場所にベイローレルがやって来た。そして、連れてきたもう一人の人物を紹介する。


「こちらが、今は亡きホーソーン前部隊長の弟君、ポトス殿です」


彼は、僕たち一家を守って命を落としたホーソーンの弟を連れてきたのだ。そして、その場所は墓地の手前だった。


「はじめまして。ポトスと申します。レン殿、お忙しいあなたが、わざわざ兄を弔っていただけるとのこと。感謝に堪えません」


ポトスさんは、ホーソーンとは違い、腰の低い紳士だった。丁重に挨拶してくれる彼に恐縮しつつ、僕と嫁さんは返礼した。


「とんでもない。僕たち一家は、あなたのお兄さんに命を助けていただきました。そのご恩にどうやって報いるか、まだ答えも出ていませんが、せめてお墓詣りだけはさせていただこうと念願していたのです」


「私からもお礼を言わせてください。ありがとうございました」


僕は嫁さんと共におじぎをした。

手を繋いでいる牡丹も一緒にペコリと頭を下げた。


挨拶が済むと、ホーソーンが埋葬されている墓に向かった。ポトスさんが語ってくれる。


「当家はもともと騎士の家系ではありませんが、兄は、嫡男でありながら、勇者様に憧れ、剣の道を志し、騎士に専念するために家督を私に譲った変わり者です。その兄が、ついには部隊長にまで登りつめ、勇者様と共に魔王との戦いに挑み、見事に殉職したのですから、きっと本望だったことでしょう」


その話を聞いて少し納得した。


勇者に固執し、偏屈な性格をしていたホーソーンという男の内面が、わずかだが見えた気がしたのだ。かつては決闘まがいのことまでした宿敵だったが、彼には彼の誇りがあり、その誇りに従って嫁さんと牡丹を守ってくれたのだろう。


「彼は、間違いなく魔王の攻撃から僕たち家族を守ってくれました。このことは、一生忘れることはありません」


ポトスさんにそう告げて、僕と嫁さんはホーソーンの墓に向かい、手を合わせた。横で牡丹もその仕草をマネている。


あの時の場景が脳裏に蘇る。大魔王の力を手に入れたヴェスパが僕たち3人目掛けて巨大な針を飛ばし、彼が全身でそれを受け止めてくれた場面だ。


しかし、実は僕には、あえて口に出さない疑問があった。当時、マナを全て吸収されて枯渇していた嫁さんだったが、それでも針の攻撃で肉体が傷つくことはあったのか、と。もしかしたら、ホーソーンが助けに来なくても、嫁さんだけで僕たち一家を守ることは可能だったのかもしれない、と。


しばらく黙祷した後、ふと僕は呟いた。


「百合ちゃん、あの時、君は……」


「蓮くん、彼は私たちを守ってくれたんだよ。それは事実だよ」


嫁さんが遮るように発言した。

その言葉を聞いて、僕は思い留まり、納得した。


そうだ。ホーソーンが僕たちを身を挺して守ってくれた事実には、嘘偽りはないのだ。それ以上のことを詮索する必要は全くないのだ。


ポトスさんには、せめてもの御礼として『プラチナ商会』の宝珠をいくつかプレゼントした。初めは断られたが、どうしてもと言い、受け取ってもらった。なんやかんやで、とても喜んでいた。


彼に別れを告げ、僕たちは開店前の『マガダ支店』に向かった。



既に店舗の前には行列が出来ていた。店長のイベリスが従業員に整理券を配らせており、皆、それを手に、今か今かと待ち構えている。


僕たち一家が到着すると、従業員一同が整列した。この日はシャクヤだけでなく、ローズとダチュラも手伝ってくれるという。こっそりラクティフローラまでが付いて来ていたが、さすがに王女に働かせるわけにはいかないので、牡丹の面倒を見てもらうことにした。


午前9時。出来たばかりの『エンブレム』を店頭に掲げ、僕は店を開けさせた。


並んでいた客たちが整理券を見せながら順番に入店する。万全の準備を整えたとはいえ、本当に忙しいオープンとなった。全従業員がそれぞれに役割を担い、顧客が混乱しないように誘導した。


こういう時、客というものは、様々に予想外の質問をしてきたり、行動を起こしたりするものだ。


全員に携帯端末宝珠を持たせ、通信機能をインカムのように使い、何かあれば、中央に控えた僕が指示を出した。そうすることで、予想外の事態にも、なんとか臨機応変に対応することができた。


それを見学していたラクティフローラが感嘆した。


「普通なら暴動が起きてもおかしくない人数だったと思いますが、それを一度の混乱もなく、さばいてしまわれるなんて……見事すぎます。まるで戦争の指揮を執られているようでしたわ。これがお兄様の世界の商売なのでしょうか」


「あぁ……うん。僕も初めてのことだったけどね。無事に済んで良かったよ」


こうして、夕方5時には閉店し、嵐のような初日を乗り切ることができた。


「今日の売り上げは、全て会計ソフトに入力してあるな。あとは、本店のオリーブがチェックしてくれるぞ」


「了解です」


宝珠システムによって会計ソフトも作り上げているので、経理作業の能率も、他の商会とは段違いである。いや、次元が違うと言ってよいであろう。


だが、この多忙を極める店舗運営に店長のイベリスと従業員が慣れるまでの間は、しばらく僕が店舗を見てあげなければならない。人気が出過ぎるというのは本当に考えものだ。



初日が終わり、店舗で従業員と軽く祝杯をあげた後、僕たちは王女の屋敷に馬車で戻った。共に夕食を取ったが、皆、疲労とともに労働の余韻で、妙なテンションになっていた。


「いやぁ、こんなくっそ忙しい一日は、あたしも経験がないよ。これならモンスターと戦ってる方が気楽だったな!」


「ほんとですよねぇ!戦ってもいないのに汗びっしょりですよ!」


「わたくしも、本日は疲弊致しました」


「みんな、本当にありがとね!ラクティちゃんも牡丹のこと見てくれて助かったわ!」


「いえ、わたくしは、ただボタンちゃんと遊んでいただけですので」


「みんな、今日は本当にありがとう。一日の売り上げだけで、金貨18000枚以上になったよ」


「「えぇぇっ!!!」」


僕の売上計算に全員が絶叫を上げるように驚愕した。給仕をしてくれている侍女たちまでもが、驚いて皿を落としそうになるくらいだった。


「……い、一日で小さな商会の年収を遥かに上回っておりますわ」


「貴族もビックリだな……」


ラクティフローラとローズがため息をついている。本当にとんでもない商売を始めてしまったものだ、と我ながら恐ろしく思う。


「この分だと在庫の手配も考え直さないとだな……」


天井を見上げながら一人呟く僕を見て、女性陣全員が呆れたような顔をしていた。


その後、気分の盛り上がった嫁さんは、ラクティフローラに頼んで、女性陣全員で一緒に風呂に入ると言い出した。


「おっ!お、お、お……お姉様と一緒にお風呂!……でございますか?」


王女は顔を真っ赤にしてドギマギした。


「うん。みんなで一緒に汗流そ!いいでしょ?」


「よ……よろしいのでしょうか……よろしいのでしょうか……」


「いいに決まってるじゃない!」


普通、遠慮するのは客人である嫁さんだと思うのだが、屋敷の当主を彼女が強引に誘うという、おかしな構図が生まれた。そして、ラクティフローラは照れながら全員と大浴場に向かった。


僕はあとで入浴させてもらった。

そして、風呂から上がると嫁さんが僕に告げた。


「蓮くん、今日は一人で寝なよ。私たち、今夜はみんなでパジャマパーティーするから。ラクティちゃんの部屋で」


「パジャマ!パーティー!」


嫁さんだけでなく、意味がわかっているのかは知らないが、牡丹までもがはしゃいでいる。


「あはは……仲いいね。わかったよ」


そう言いつつ、内心では喜んだ。今日は疲労困憊だ。たまには一人でゆっくり休みたい。そう感じていたからだ。お陰で僕は、この夜、誰にも邪魔されず熟睡することができた。


だが、僕は知らなかった。


この翌日こそが、僕たち一家にとって本当に忙しい一日となることを。

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