第170話 家出娘の小さな冒険②

牡丹が連れて来られたのは、ベナレスの裏通りにある古びた一軒家だった。外観は、なかなか良い佇まいであり、裏通りと言えども、それなりの人物が住んでいるように思われる。


しかし、その屋敷の内部には、多くの身寄りのない少年少女が集められていた。


年の頃は、10代前半の子どもが多く、幼少の子は2割ほどである。皆、粗末な部屋に押し込められ、最低限の食事だけを与えられていた。


そこに一人の下流貴族が訪れ、支配人から案内されている。


「これはこれは。朝早くからお越しいただき、ありがとうございます。本日は、どのような商品をご所望で?」


「ちょうど時間が空いたものでな。よい子はおるかの?いつもどおり小さいのがええの」


「女がよろしいですか?それとも?」


「今日はどちらでもいい気分じゃ。顔がめんこいのを見せてくれ」


でっぷりした体形に、余裕に満ちて下卑た笑みを浮かべる気色の悪い下流貴族。


この男は、ラージャグリハ王国の一角を統治する地方領主である。裕福なため、ベナレスの街に別荘を構え、時折、商談を兼ねて旅行に来ていた。そして、自身の偏った性癖を満足させるため、この街に来ると決まってここを訪れるのだ。


ちなみに労働力を目的とせず、趣味を目的として奴隷を買うことは、名誉を重んじる貴族にとっては外聞が悪い。そのため、こういう時だけは使用人を連れて来ていない。


「かしこまりました。それでは、お部屋にご案内します」


「うむ。楽しみにしておるぞ。この街では、表立った奴隷商売が禁じられているからのう」


商業都市ベナレスでは、奴隷を雇うことは認められているが、事業としての人身売買は商業組合から禁じられていた。ハンターギルドの発展とともに栄えたこの街は、独立都市として、他国の身分制度に縛られない自由都市国家としての自負を持っていたのだ。


だが、その崇高な理念と、住民が自分の欲望を叶えようとするのとは、別の話でもある。ゲスな趣味を持つ金持ちと、そこに群がるハイエナのような連中が、裏では様々に暗躍しているのだ。


「ほほう……小粒だが、磨けば光りそうな子が、たくさんおるではないか」


子ども部屋に案内された下流貴族は、目をランランとさせ、歪んだ微笑を見せた。そして、一人の幼少の男の子に目をつけ、その顔を覗き込んだ。


「ふむ。この子など、特に良いのう。将来が楽しみだ」


「お褒めにあずかり光栄です。体も健康ですので、お買い得ですよ」


「緊張しておるのかのう。ふーーむ。そこがまた良いのう。よし。では、この子に決め……」


と、下流貴族が結論を出そうとした時だった。牡丹が男二人に連れられて、屋敷の中に入ってきたのは。


「もしもーーし!支配人、いるかぁーー!」


「なんだなんだ。こんな朝っぱらから。今、大事な顧客がいらっしゃるとこで……ん?どうしたんだ、その子は?」


兄貴分に呼ばれた支配人は、苛立ちながら応対したが、そばにいる牡丹の顔を見て、考えを改めた。その様子を見て、兄貴分は誇らしげに言った。


「どうだい、この子!上物だろ!!」


「どこのお貴族様の子だ?」


「プラチナ商会の一人娘だ」


「えっ!あそこの代表はハンターだと聞いているぞ!目をつけられたら、どうするんだ!」


「大丈夫だよ!とっとと売っちまえば足はつかねぇ!」


「し、しかし……」


ハンターの娘を商品にすることに逡巡する支配人。

ところが、その背後から、目をギラつかせて牡丹に近づいたのは、先程の下流貴族だ。


「こ、これは……なんと、めんこい子だ……お嬢ちゃん、名前は何と言うんだね?」


「………………」


名前を聞かれた牡丹だったが、連れて来られたのが楽しいこととは全く無縁な場所だったため、不信感を抱いていた。彼女は口を尖らせ、しかめっ面で下流貴族を睨みつけた。


「うむ。そうかそうか。こんなところに連れて来られて、脅えているのか。だが、いいぞ。育ちの良いお嬢ちゃんなのか、気品と威厳がある。こういう子を思いどおりにするのが、わしゃ、なんともたまらんのだ」


ニタニタと満足そうに笑う下流貴族。彼は、牡丹の周囲を回りながら、彼女の出で立ちや立ち姿を下卑た目で観察する。そして、満足そうに言い放った。


「支配人よ!この子は逸材だ。いくらでもよい!言い値で買おうではないか!!」


「え!本当ですか!では、金貨50枚でいかがでしょうか!!」


「ええぞええぞ!これは最高の逸品じゃよ!!」


売られる者の意見など関係なく勝手に話が進み、商談が成立した。

兄貴分と弟分もテンションが上がる。


「うおぉぉっ!!マジかよ!」


「アニキ、すげぇ値がつきましたね!!」


「支配人、俺たちの取り分は金貨40枚でいいぜ!それで手を打とう!」


「8割も取る気か……まぁ、仕方がない。今回だけは特別だ。てことでダンナ、この子に金貨50枚。確かに承りました」


支配人は渋々だったが、思いがけず大口の取引が成立したので、兄貴分の提案を受け入れた。これにて、口頭での売買が成立したのだ。


「さぁーー、お嬢ちゃん、これから君はワタシのものだ。たっぷりとかわいがってあげるから、よろしくなぁぁぁーーー」


ゲスな笑みをこぼし、涎を垂らしそうな口を醜く歪め、牡丹に顔を近づける下流貴族。薄気味悪い笑顔をした年配の男が顔を近づけてきたため、牡丹は激しい嫌悪感に包まれた。その結果、反射的に超重力を発現してしまった。


「ぐぎゃっ!」


下流貴族は顔面から床に落ちた。

その光景に支配人が驚く。


「えっ!どうなされましたか!?」


牡丹は、彼らのことなどお構いなく、自分を連れてきた二人の男に質問をした。


「ね、たのしいとこ、どこ?」


事態の深刻さに気付いていない兄貴分は、牡丹をただの子どもだと思って、適当な言葉を返した。


「ああ、悪かったね。ここだよ。ここが楽しいところなんだ」


そうして、子ども達が押し込められた部屋に連れて行った。


「ここで、みんなと遊んで待っててくれるか。で、これから、あの優しいおじちゃんが嬢ちゃんのことを買い取って、もっといいところに連れてってくれるからな」


言われて入ってみた部屋の中には、表情が曇り切った子ども達が30人ほどいる。

牡丹は、ビックリして声を掛けた。


「みんな、なに、してるの?」


「「………………」」


自分たちの運命を呪うことしかできない彼らには、そんな問いを投げかけられても答える気力は全く無かった。ただ、無気力な目で牡丹の顔を一斉に見つめる。


この瞬間、牡丹は今まで感じたことのない、異次元の恐怖を感じた。


恐怖の象徴である魔王が、今、見ている光景を心底恐ろしいと思ったのだ。


さすがの4歳児も、ここで初めて自分が騙されていたことに気づいた。しかも、子ども達の暗い顔つきには、かつて何の希望も感じていなかった頃の自分と重なるものがある。


牡丹は、激しい憤りを感じた。



ズッウゥゥゥンン!!



子ども達に危害を加えないように、大人4人にだけ超重力を浴びせる牡丹。その顔は、幼女ながらに厳しい表情をしている。


「「ぐっあぁぁぁっ!!!」」


床に平伏した下流貴族と支配人、兄貴分と弟分は、何が起こっているのかも理解できず、体をもがいた。特に下流貴族は、顔が床にめり込んでしまったため、鼻血を噴き出しながら、息もできずに悶え苦しんでいる。


「何だ!何が起こってるんだ!?」


「ア!アニキ!やっぱハンターの子どもに手を出しちゃ、マズかったんじゃねぇッスか!?」


「んな、バカな!相手は子どもなんだぞ!!……ぅぅがあぁぁぁっ!!!」


相談しながらも、徐々に重力が強くなっていくため、呻き声が絶叫に変わり出す。

そこに牡丹が真顔で近づいてきた。


「みんな、かなしそう。どうして?」


「……え?」


「ど・う・し・て?」


その目には、狂気が満ちていた。

4歳の幼女を前に、男二人は震え慄いた。


「ひぃぃやぁぁぁぁっ!!!」


「ぎゃああぁぁぁぁぁっ!!!!」


ドゴン!ドゴゴン!!

 ドガドガゴゴゴゴォォン!!!


4人の男の阿鼻叫喚が響き渡るとともに、屋敷全体が大きく揺れた。牡丹が重力方向を四方八方に切り換え、彼らを壁に天井に、そして床に、激しく打ちつけたのだ。




――そして、僕と嫁さんが、携帯端末宝珠の反応を追って牡丹の居場所に辿りついたのも、この時だった。既にこの時点では、牡丹が能力を解放しているため、嫁さんの気配感知にも捉えられている。


「牡丹の気配だ!私、行ってくる!!」


まるで家全体が踊っているかのように見える屋敷に、嫁さんが高速移動して突入した。


彼女が窓から侵入すると、奥の部屋から、衣服がボロボロで頭から血を流し、無様に鼻血を噴き出した、肥満体の老年貴族が這いつくばるように出てきた。


「だっ、だずげで!!だずげでぐだざい!お、おでがいいじばず!!」


泣きながら叫ぶので、何を言っているのかよく理解できない。しかし、助けを求めていることは彼女にもわかった。


だが、次の瞬間には、まるでホラー映画かパニック映画の犠牲者のように、下流貴族は見えない力に引っ張られ、奥の部屋に引き摺り込まれてしまった。そして、再び地獄のような絶叫がコダマした。


「ひぎぃえぇぇぁぁぁぁっ!!!やめで!やめで!!ゆるじでぇぇっっ!!!」


あまりの光景に嫁さんは顔面蒼白になった。


「ぼっ、牡丹!!!ダメよ!!やりすぎ!!いい子だから、やめなさいっ!!!」


僕が嫁さんに追いつき、屋敷の中に入った時には、既に嫁さんが牡丹を止め、抱っこして、あやしているところだった。


屋敷の内装はズタズタに崩れ落ち、木片の散乱した床には、男4人がうずくまっている。宝珠システムで解析してみると、全員、重傷だが、命に別状は無さそうだ。


「よかった……最悪の事態は免れたみたいだな……」


僕は嫁さんのもとに駆け寄った。牡丹は不満そうに頬を膨らませている。まだ怒りは収まりきっていないらしい。


「パパ……ママ……あのね……」


僕の姿を確認した牡丹は、少しずつ気持ちを落ち着かせ、自分が何に怒っているのかを彼女なりの言葉で説明してくれた。


彼女の言語力では要を得ない説明になったが、暗い表情で固まっている子ども達の姿を見れば、言いたいことはすぐにわかった。そして、彼女の怒りは僕の怒りとなった。


僕は、とりあえず男4人の打撲と骨折を治療してあげた。みるみる重傷が治っていく現象に、彼らはホッとしつつも驚愕した。


そして、僕という人間が彼らの命運を握っていることを理解させた上で、盗人の兄貴分の胸ぐらを掴んだ。


「おい、ウチの娘が世話になったようだな」


「えっ!」


「あの子がもしも普通の女の子で、ここで泣いているような子だったとしたら、今頃、お前たちは僕の手で、むごたらしく殺されていたことだろう。牡丹の強さに感謝するがいい。失せろ!二度と僕の前に顔を見せるな!」


「はいぃぃぃ。はいぃぃぃぃぃぃぃーー」


兄貴分は、泣きながら返事をした。

よく見ると、彼は失禁していた。

ちょっとやり過ぎただろうか。

彼は、弟分と共に床を這うようにして屋敷を出て行った。


人を脅して失禁させたのは生まれて初めてであるが、もはや僕の怒りも頂点に来ている。


次は支配人である。僕はドスの利いた声で告げた。


「この子たちは、全て僕が買い取ろう。ただし、お代は、今お前を治してあげた治療費だ」


「へ?で、でもそれでは大赤字……」


「いやなら、もう一度、さっきの傷を負わせるまでだ」


「す!すみません!言うとおりにします!」


「では、商談成立だ。そして、ここからはハンターとしての、おしおきの時間だ。お前の仲間を紹介しろ」


「えっ!?」


「商売仲間がいるんだろ?全員、教えろ。ウチの家族に手を出した以上、無事でいられると思うな」


「は、はわわわわわ…………」


僕は、彼を無事でいさせる代わり、全ての情報を吐かせることにした。


最後に下流貴族である。

僕の娘を買い、何をしようとしたのかを考えると、身の毛もよだつ。ハラワタの煮えくり返った僕は、こっぴどく懲らしめてやろうと決めていた。


ところが、彼の方に目を向けると、部屋の隅で縮こまり、虚ろな表情で震え、うわ言のように呟いていた。


「子ども……怖い…………怖いよぉーー……」


どうやら牡丹のお灸が相当、身に沁みたようである。ちょっと可哀想に思えるほど、彼は精神的にダメージを負っている。僕は放っておくことにした。


この後、この下流貴族は、子どもに対して恐怖症のごとく脅えるようになり、気力も衰え、領地を息子に引き継がせて引退し、誰とも関わらないお年寄りになっていったそうだ。



「この子たち、ウチに連れて帰ろっか」


嫁さんが提案した内容を僕も受け入れた。今し方、力ずくで買い取ったばかりの子たちだ。僕は、彼らに優しく言葉を掛けた。


「君たち、ウチで仕事を教わってみないか?」


「「え?」」


これまで押し黙っていた少年少女たちは、この言葉を聞いて、初めて目を丸くした。


それぞれに事情があって、このような場所で商品にされていたのであろう。行き場のない彼らを引き取り、一人前の使用人に育てることができれば、最近、人手不足になってきた我が商会も、また助かるというものだ。そして、今後の事業拡大に向けて、新たな一手にすることもできる。


子ども達は喜んで我が家に入り、屋敷の使用人や商会の従業員として、働いてくれることになった。


ほとんどの子たちは、新しい環境に希望を持ち、精力的に働いてくれた。なかには心に傷を負っている子もおり、即戦力にならない子もいたが、ゆっくりと静養してもらい、次第に元気を取り戻していった。



そして、今回の一件で頭に来た僕と嫁さんは、この後、入手した情報とフェーリスの能力を駆使し、ベナレスにある人身売買の現場を全て押さえ、ぶち壊して回った。


この街では、表立った人身売買は禁止されているものの、それを問題視して対処しようとする人間がいなかったため、ハンターに依頼されることもなかったのだ。それを僕たち夫婦は、自主的に行動し、跡形も無く壊滅させた。


これにより、商業都市ベナレスに巣食う悪人たちの間で、ある言葉が、まことしやかに囁かれるようになったという。


――プラチナ商会には手を出すな――


それが、この街における暗黙の了解となった。



それにしても、その発端となったのは、恐ろしくも我が娘である。僕と嫁さんは、最初の騒動の直後、牡丹に親として注意するのだった。


「いいか、牡丹。これからは絶対に、知らない人について行っちゃダメだぞ」


「そうだよ、牡丹。世の中には、悪い人たちがいっぱい、いるんだからね」


僕たちは、どんな親でも子どもに教えるであろう、この言葉を娘に告げた。ただし、その理由は、世間一般とは全く逆であり、人々に危害が及ぶ可能性があるためなのだが。


「うん」


それを牡丹は素直に聞いてくれた。彼女も彼女なりに今回の件は苦い思い出となったのだ。


急にしおらしくなった牡丹を見ていると、つい、かわいく感じて僕は彼女を抱き上げた。そして、ふと思いついたことを嫁さんに言った。


「そういえば、この子の能力って名前無かったよね。今考えたんだけど、どうかな?」


「へぇーー、どんな?」


嫁さんに提案したところ、笑いながら快諾された。


わがまま重力セルフィッシュ・グラビティ


魔王たる牡丹の最強の能力。

彼女の固有魔法の名称は、これに決まった。

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