第164話 森のお宅訪問①

「きゃっ!!」


カエノフィディアが小さな悲鳴を上げて僕の背後から抱きついた。彼女の豊かな胸が僕の背中に押し付けられる。僕は内心ドキドキしながら、自分も恐怖に苛まれている事実に冷や汗をかく。


そこは上空だった。


空を羽ばたくガッルスの背中に牡丹を抱えた僕とカエノフィディアが一緒に乗っているのだ。


なぜこのような事態になったのか。

それを説明するためには、少し時を遡らなければならない。



我が白金家の『八部衆』として、魔族を屋敷に迎え入れてから2日が過ぎた朝のことである。


環聖峰中立地帯を偵察してきたフクロウ男・ストリクスは、僕たちの自室に小さな姿で降り立つと同時に、ある報告をした。その様子は、まさしく僕の”使い魔”といった印象だ。


「ご尊父、実はお越しいただきたい場所があるのですが、お聞きいただけますでしょうか」


「ん?何があった?」


彼の報告によれば、魔王軍壊滅後、散り散りになった魔族の一部が、集団で暮らしているというのだ。それを発見したストリクスは、僕たちと牡丹の存在を語った。すると、魔族の一人が、可能であれば牡丹に挨拶したいと申し出たらしい。


「その者は、ボタン様の側仕えとして、身の周りのお世話をしていた魔族でございます。人間の軍を恐れ、何も告げずに逃げ延びてしまったことを悔いておりました」


「そういうことか。実は僕たちも気になっていたんだ。魔王として振る舞っていた1年近くの間、牡丹の生活を助けてくれた魔族がいるはずだから、一言、礼を言いたいと思ってね」


「なんとご寛大なお言葉。魔王様……いえ、ボタン様とご尊父、ご母堂から御礼を賜れましたなら、かの者も望外の喜びでございましょう」


「場所は遠いのか?」


「空を飛んで行けば、1時間も掛かりません」


「わかった。ガッルス、ひとっ飛び、頼めるか?」


部屋で牡丹と遊んでいたガッルスに呼びかけると、彼女は小さなニワトリの姿のまま元気に答えた。


「もちろんです!ワタシのことは、いかようにもお使いくださいませ!」


「よし。ということで、百合ちゃん、牡丹、会いに行ってみようか」


「りょ!」


「やったぁ!」


嫁さんと牡丹も嬉しそうに返事をする。

さらに嫁さんは、何かを思いついて一つの提案をした。


「カエノちゃんも連れてってあげようよ。せっかく他の魔族に会うんだから、何かを思い出すきっかけになるかもよ」


賛同した僕は、すぐにカエノフィディアを呼び出し、彼女にも外出の準備をさせた。


屋敷の敷地内にある時計台の塔に登り、その屋上から出発する手筈である。ここなら誰にも見られずに済むため、ヘリポートのように飛び立つことができるのだ。


「さて、ところで、そのアクセサリーと宝珠。使い心地はどうだ?」


ガッルスに僕が質問すると、彼女はニワトリ姿のまま明るく感想を述べた。


「はい。すっごく助かります!体の大きさを変えても着替える必要が無いんですから!」


彼女の喉元には、大きめのペンダントがあり、伸縮性のある素材で作られたチョーカーで首に取り付けられていた。


ペットとして見た場合、首輪である。

使用人たちにはそう説明している。

白金家のペットともなれば、首輪すら豪華になるのだと勝手に解釈された。


そのペンダントには携帯端末宝珠が一つ付けられており、さらにもう一つ、何かの塊のような球体が付いていた。美しく光る宝珠と比べると似ても似つかない、鈍い色の球体である。


ニワトリ姿のガッルスが、変身を解いて元の大きさに戻る。体長50センチほどだった身体が約3メートルの巨体へと変貌する。


すると、それに合わせて宝珠から魔法が発動し、鈍い色の球体が、パァッと光って拡散した。拡散した破片は、小さな立体の粒子から変形して平面状に広がり、細かい布切れのようになる。その一つ一つが舞い飛びながらガッルスの周囲に纏わりついた。次第にそれらは合わさって繋がり、ガッルスの肉体を覆う一式の布になった。


それはガッルスが普段、着ている服だ。

ガッルスは、魔法により、自動的に着替えを済ませたのだ。


「うっはぁ!!変身魔法だっ!!!」


瞳をキラキラ輝かせ、誰よりも興奮しているのは嫁さんである。


そう。僕は、人獣タイプの魔族が身体の大きさを変える際、衣服の片付けと着替えに困らないよう、新しい魔法を開発してあげたのだ。


彼らが小さくなって動物に成り済ます時には、不要になった服は小さな断片に切り分け、圧縮して固めることで小さな球体にする。逆に大きくなって元の姿に戻る際には、服の断片の塊を広げて元の位置に戻し、修復魔法で復元するのである。


「ご覧のとおり、これなら、いつでもどこでも安心して、体の大きさを変えることができます!」


巨大化したガッルスが嬉しそうに報告した。

すると、興奮した嫁さんが僕に腕組みしてきた。


「蓮くん!この魔法、私も欲しい!」


僕は苦笑しながら答える。


「いや、百合ちゃんには必要ないでしょ。何に使うんだよ」


「私だって変身したいよ!女の子が一度は憧れる夢だよ!」


「夢って……いや、まぁわかるけど……」


「どうせなら宝珠をステッキに付けて!あ、ベルトでもいいよ!変身ベルト!」


「ベルトは男の子の方だな……」


「ね、いいでしょ!今度作って!」


「いやいや……気持ちはよくわかるんだけど、この魔法はものすごく燃費が悪いんだよ。わざわざ着替えの手間を省くだけのために上位魔法である修復魔法を惜しげも無く多用してるんだ。実際に作ってみて理解したけど、テレビでよく観る変身シーンは、実は技術とエネルギーの途方もない無駄使いなんだ」


「そんな理屈どうでもいいよ……私を特撮好きにしたのは蓮くんのくせに……」


僕が論理的に説明すると、嫁さんは口を尖らせた。


いやほんと、気持ちはわからなくもない。僕だって特注生産されている大人用の変身ベルトをネットで見掛けるたび、つい大人買いしたくなる衝動に駆られるが、必死に抑えてきた経験がある。そこで僕は実用面での弱点を告げた。


「あと、この魔法は今のところ、服を着るのと脱ぐのしかできない。着ている服を丸ごと変えるような使い方はできないよ」


「そこは、もうひと工夫すればいいでしょーー。蓮くんなら、チョチョイのチョイで出来ちゃうよーー」


「やだよ。めんどいよ。それにもう一つ重大な問題があるし」


「どんな?」


「変身途中は全裸になる」


「そこはほら、光の魔法でいい感じのエフェクト付けてくれれば大丈夫だよ!昔からそうじゃない!」


「それもう完全に女の子の変身シーンじゃないか……だいたいなんで男子の変身は一瞬で完了するのに、女子の場合は一箇所一箇所ゆっくり装着するんだよ。変身完了までに1分くらい掛かるじゃないか。その間に敵に襲われたらどうするんだ」


「あれは演出上の時間であって、実際は一瞬で変身してるんだよ。大昔の特撮にも似たような設定あったでしょ?」


「そうそう。宇宙刑事がコンバットスーツを蒸着するタイムは、わずか0.05秒に過ぎないんだよ」


「じゃあ決まりだね!作って!」


「いやだから変身するたびに、いちいち光ってたら目立ってしょうがないでしょ。使いどころがないよ」


「牡丹も欲しいよねーー。本物の変身ステッキだよ?」


「ほしい!」


バカみたいな夫婦の会話に、あろうことか嫁さんは娘を巻き込んできた。嫁さんに抱き上げられた牡丹は、理解しているのかどうか不明だが、楽しそうに僕の顔を見ながら同意した。


「ほらね、牡丹も欲しいって。ついに牡丹も変身ヒロインになっちゃうね。新番組。魔法少女ぼたん!!」


ニコニコしながら嫁さんは牡丹に妙なポーズをさせた。僕と結婚した影響とはいえ、本当に素晴らしいオタクに育ってくれたものだ。ウチの嫁さんは。


「……牡丹の場合、”魔法少女”どころか”魔王幼女”だけどね。きっとラスボスもビックリの最強ヒロインになるよ」


「よかったね。牡丹!パパが新しいオモチャ作ってくれるって!」


「わーーい」


なぜが牡丹のために変身魔法を本当に開発することになってしまった。だが、よく考えると、魔王であるウチの娘のためには、本気で心配してあげなければいけない点がある。そのことに気づいた僕は、考えを改めた。


「いや待てよ……そうか。牡丹のためには必要か……うん。ちょっと真剣に考えるよ」


ところで、ここまでの夫婦の会話は、他のメンバーには謎のワードだらけに感じられたことだろう。僕が話をまとめたところで、ガッルスが恐る恐る声を掛けた。


「あ、あのーー、出発はしないんですか?」


「「あっ!そうだった!ごめん!」」


夫婦そろって謝罪する。

嫁さんのお陰で長い無駄話になってしまった。




さて、ガッルスの背中には牡丹が真っ先に乗り、ストリクスも元の大きさに戻った。僕の魔法で学者風の服装が瞬時に装着される。それを見て、嫁さんは彼に興味を持った。


「ストリクス、あなたも人を乗せられるの?」


「ええ。ワタクシは、ガッルスのように大きくはありませんので、せいぜいお一人を乗せて飛ぶのが限度ですが」


「じゃ、今日は私、ストリクスに乗せてもらおうかな。フクロウの乗り心地って試してみたい」


「は。ご母堂にお乗りいただけるとは、身に余る光栄でございます」


「前は一緒にマッハで飛んだ仲だもんね」


「え、ええ……あの時は死ぬかと思いましたが……」


さすがのストリクスも苦笑いしている。実のところ、本気を出せば嫁さんが最も速く空を駆け抜けることができるのだ。ちなみに牡丹も重力を操作して飛行することができる。なんという、めちゃくちゃな妻子を僕は持ってしまったのだろう。


「カエノフィディア、僕と一緒にガッルスに乗ろう」


「は、はい……」


後ろで控えめに立っているカエノフィディアに僕は声を掛けた。彼女は、僕のあとから恐る恐るガッルスに乗った。


ガッルスの上で僕が牡丹を抱きかかえ、その後ろにカエノフィディアが座った。心細いようで、僕の肩を必死に掴んでいる。


「あれ?レンさん、前より軽くなりましたか?」


急にガッルスが疑問の声を出した。


そう言われれば、前回、僕がガッルスの背中に乗ったのは、魔族の拠点を突き止めようとしてフェーリスに案内された時だった。その時、気配を絶ちきって透明人間状態だった嫁さんを連れていたため、ガッルスからは重いと言われたのだ。


「ああ、今だから言うけど、実はあの時、百合ちゃんが一緒に乗ってたんだよ。気配を完全に消してたから、わからなかっただろ」


「そ!そんなことまでできるんですか!背中に乗られたのに存在に気づかないなんて!さすがはユリカさん!」


「なぁーーにぃ?何か言った?」


風の音で遮られたのか、嫁さんはよく聞き取れずに僕たちに尋ねてきた。


「いや、なんでもないよ」


僕はそう答えつつ、ガッルスにも一言だけ忠告しておいた。


「百合ちゃんには、重いとか言っちゃダメだぞ。意外と気にしてるから」


「わかりました。では、飛びますね」


返事をしながらガッルスは出発した。

大きく羽を伸ばし、力強く羽ばたく。


「街の人たちに見つからないように、いっきに空に上がりますよ!」


彼女の巨体が宙に浮いたかと思うと、次の瞬間には急上昇した。ギュンッという音が聞こえそうな勢いで僕たちの体は上空に舞い上がった。ジェットコースターと言うよりも逆バンジージャンプと例えた方が適切と思える加速度だ。


「ぐぉっ!!」


僕は思わず醜い呻き声を上げた。そして、僕の背後からは、今回の話の冒頭で示したようにカエノフィディアが小さくかわいい悲鳴を上げたのだ。


「きゃっ!!」


必死にしがみついてくるため、彼女の柔らかい肉体がギュッと押し当てられる。人の背中は意外と敏感に出来ているもので、後ろから抱きつかれると、いろんな感触がひしひしと伝わってきた。


すぐ近くに嫁さんがいるというのに僕はドギマギしてしまう。


ガッルスは、あっという間に空高く上昇しており、初めに驚くほどの急加速を味わった後は、安定して悠々と大空を飛行していた。


僕は、前回飛行した時の反省を踏まえ、いくつかの対策を練っておいた。高いところが苦手な僕は、以前に乗った時はガクガクと震えてしまったものだが、今回は圧縮空気のクッションを自分たちの周囲に作り上げ、ガッルスの背中にしっかりと体が固定されるようにした。すると、驚くほどの安定感で、悠然と乗ることができた。


空を駆ける向かい風を気持ちよく感じられるほどである。

怖かったのは、最初の一瞬だけだ。


「カエノフィディア、もう大丈夫だ。落ち着けば、風が気持ちいいくらいだよ」


優しく声を掛けるのだが、カエノフィディアはいつまでも脅えていた。


「も、も、申し訳ありません。旦那様……アタクシ、空を飛ぶのは初めてなので、こんなに怖いとは思いもよらず……」


「そうか……なるべく下を見ないで、前を見るようにするといいよ」


「はい……」


震えながら僕にガッツリしがみつくカエノフィディアは、本当に普通のかよわい女の子だ。


初めて彼女に会った時、人獣タイプの蛇女魔族に操られていた時の姿は、自信満々で色気を振りまく魔性の女のようだった。正直言って、清純派が好みの僕としては、「ケバい」という印象を持ったものである。顔は綺麗だけど絶対に好きになれないタイプ。そんな感想を抱いていた。


ところが、魔族の支配から逃れた彼女は、こちらが守ってあげなければ折れてしまいそうなほど、気弱な女性に変貌してしまった。清楚でオドオドしている姿を見ると、とてもかわいらしい。


実を言うと、出会ったばかりの嫁さんも、心臓の病でずっと悩み続けてきたために、非常にかよわい印象を受けた。そして、この人を守ってあげたいな、と男心をくすぐられたのである。何を隠そう。僕は、こういう”守ってあげたくなるタイプ”が、どストライクなのだ。


「あ、あの、旦那様……」


「どうした?」


「旦那様のお背中、とても大きいのですね」


「えっ……!!」


僕はそこまで体格が良くないし、筋肉ムキムキでもない。なのに、こんなことを抱きつきながら言われたら、意識していなくても、してしまうではないか。


この世界に来て以来、今まで頼りになる女性ばかり出会ってきたため、こんな気持ちになることはなかった。


僕は今、嫁さん以外の女性を相手にして、心臓の鼓動が高鳴ってしまった。


「パパ、どうしたの?」


「え?な、なんでもないよ」


「ふーーん?」


牡丹が不思議そうに僕の顔を見ている。

気づけば自分の頬に熱さを感じた。

どうやら顔が赤くなっているようだ。


僕は別の懸念を感じ、ストリクスの方を見た。案の定、彼に乗っている嫁さんが、僕の顔をジトーッとした目つきで睨みつけている。明らかにカエノフィディアが抱きついているのを気にしているのだ。


くそっ!出会ったばかりの頃は、そんな目で僕を見なかっただろうが!


と、つい心の中で愚痴を叫ぶ。


せっかく空の旅の恐怖を克服できたというのに、僕は全く別の問題で冷や汗をかくことになった。


早く目的地に着いてくれ。

前回もそう強く願った気がするが、今回も僕は神に祈るような気持ちで必死に懇願した。


その願いはあっさり叶った。というか、もともと近いと聞いていたので予定どおりなのだが、すぐに目的地に到着し、ストリクスに案内されてガッルスも降り立った。



そこは環聖峰中立地帯の奥地で、聖峰にほど近い森の中。

周辺が沼で囲まれた野原である。


この地形では、空を飛ばない限り、他の者から発見されることはあるまい。どれほど優秀なハンターであろうとも、人間の足では辿り着くことはできないと思われる。そういう場所だった。


地面に足をついた嫁さんは、直ちに僕とカエノフィディアに近づいてきた。


「カエノちゃん、帰りは私と乗ろうか」


「はい。よろしくお願いします」


「蓮くんはストリクスに乗ってね。ひ・と・り・で」


カエノフィディアには笑顔で、僕に対してだけは瞳に暗黒を宿したような真顔で告げてくる。


「う、うん……」


僕は恐ろしくなって目を逸らしながら返事をした。



さて、この野原には2つの木造の小屋があった。窓ガラスなど無く、全てが木で建造された、とても簡素な小屋である。というより、正直言うとボロボロな造りだ。


小屋の周辺には焚き火で何かを焼いている魔族が2名いた。僕たちの声に気づいた彼らは、慌てて小屋の中に声を掛ける。休んでいた魔族も続々と出てきた。


亜人タイプのウサギ魔族、キツネの魔族、カラスの魔族、人獣タイプのカエル魔族、クマの魔族、シマウマの魔族だ。


全部で6名の魔族が住んでいるようだ。

僕たちが近づき、顔を見せると、彼らは固まった。


僕と嫁さんが明らかに人間なので、心底驚いているのだ。

互いに顔を見合って動揺している。

そこにストリクスが威厳を持って叫んだ。


「皆の者!!魔王様の御前である!また、ここにおわすは畏れ多くも、その偉大なるご尊父とご母堂であらせられるぞ!頭が高い!!控えぃ!!控えおろうっ!!!」


「「ははーーーーっ!!!」」


彼の圧倒的な迫力に押され、並み居る魔族が一斉に跪いた。

いきなり見せつけられた予想外の光景に、僕と嫁さんはドン引きした。


「れ……蓮くん……なんか私たち、黄門様みたいになってるんだけど……」


「まったくストリクスのヤツめ……」


二人とも呆れるしかなかった。

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