第126話 憂鬱な魔王

4歳の幼女、栗森牡丹。


魔王デルフィニウムとして生きる彼女は、地底魔城に引っ越した後、非常に憂鬱な日々を過ごしていた。


それもそのはず。周囲には森がうっそうと続くだけで、何も面白そうなものが存在しないのである。


唯一、遊び相手になってくれた大狼ルプスを連れ、たまに外に出かけるのだが、虫を取ったり、木の実を採ったりするだけで終わってしまい、大してやることがなかった。


都会に住む男の子ならまだしも、一年中、似たような環境に住んできた幼女にとっては、飽き飽きする内容だった。


また、側近のピクテスから何度も要請を受け、様々な実験に付き合った。魔獣の生成にはマナを大量に消費するため、終わるといつも疲労困憊だった。


よって、遊ぶ際にはルプスの背中に乗って森を走らせたり、ニワトリ女のガッルスを呼び出して遊覧飛行させたりしていた。しかし、たとえ飛んでも、周囲には森と山しかないため、やはり大して面白くはなかった。


口では「にんげん、きらい」と言いつつも、街の賑わいを思い出すと、また遊びに行きたくなる。


ある日、牡丹はガッルスに乗り、人間の街に案内するよう命じた。


「えっ!いやいや、魔王様!ここからは相当な距離がありますよ。人間の町に行ったら日帰りでは帰って来れません!」


「いきたい」


「でも、行ったら、帰ってくるのが明日になっちゃいますよ!ピクテス様たちにバレちゃうんですよ!」


「いく!」


「ええぇぇぇぇぇぇ……」


これまで何度も栗森牡丹のワガママを聞いてきたガッルスだったが、さすがにこれには閉口した。


魔王を連れて人間の街に遊びに行かせていたことが知られた場合、どのような罰を与えられるか、わかったものではない。殺されてもおかしくない事案なのだ。


今までは長くても半日で終わらせたため、そこまで問題視されることはなかったが、一晩中帰らなければ、確実にどこに行っていたのかを尋問されるはずである。


「魔王様、本当にワタシ、これがバレたら、殺されちゃうかもしれないんです……勘弁していただけませんか?」


この時ばかりは、ガッルスも牡丹の命令を拒否することにした。

すると、牡丹は固く決意するように告げた。


「わたし、ガッルス、まもる。だいじょうぶ」


「……本当ですか?信じていいんですか?」


「うん!」


「わかりましたよ!じゃあ、行きますから、ワタシのことお願いしますね!」


「ガッルス、すき!」


「はいはい!行きますよ!」


こうして、無理やりガッルスを説得し、栗森牡丹は人間の住む場所へ連れて行ってもらった。午前中に出発し、到着したのは夕暮れ時だった。


そこは、ラージャグリハ王国の北東にある、国境近くの小さな集落であった。荒野の中で地下水が掘り当てられ、それを井戸にして100世帯当たりが住むようになった村である。商業都市ベナレスとは、比較にならない実に小さな村落だ。


それでも牡丹はウキウキした気持ちで、村の中に入った。ガッルスには遠くに待機してもらっている。


彼女の第一の関心は、遠くからでも見えた風車だ。巨大な羽根がグルグル回っている姿は、子どもの遊び心を刺激した。


ところで、小さな集落というものは、互いが顔見知りであり、住民同士の結束が強い代わりに、他所者には非常に敏感なものだ。


そこに突如として、見知らぬ子どもが一人で迷い込んできたのである。一大事件として、村中が大騒ぎになるのは必定だった。


「どしたんだい?この子?見かけない顔だね」


「知らねぇべさぁ。一人で村に入ってきたんだわ」


「あらやだ。親がモンスターにでも襲われたんかね?」


「この子、どうすんべ?」


「村長さんに聞いてみようや」


「そうさなぁ」


自分のことを一目見ただけで、住民が次々と集まってくることに牡丹は驚いた。


都会であるベナレスでは、誰一人、自分に関心を持つ者はいなかったというのに、ここでは誰一人、関心を持たない者がいなかった。


彼女が大人であった場合は警戒心を持たれたであろうが、幼い女の子が村に入ってきたのであるから、誰もが心配したのだ。


遊ぶことが目的でやって来た牡丹は、非常にガッカリした。人の視線に慣れていない彼女は、大勢の人間に囲まれることを不快に感じた。


しかも、自分に同情の目が向けられていることに無性に腹が立った。魔王として1年間、過ごしてきた彼女には、妙なプライドが生まれていたのだ。


そして、深刻な顔で何やら相談している大人たちを見ていると、どうやっても楽しい気分になれそうにない。彼女が求めていたのは、こんなことではなかった。


やがて、この集落の村長が騒ぎを聞きつけてやって来た。皆が一斉に村長のもとに集まり、牡丹のことを相談しはじめる。


「そうかそうか……で、その子はどこにおるんかの?」


村長の問いかけに答えようと振り向くと、村民たちは牡丹の姿が無いことに気づいた。


「「ありゃ……?どこいったんだべ?」」


急に現れ、急に消えた幼女のことは、しばらくの間、不思議な事件として村で語り継がれたが、そのうち、誰もが忘れ去ったという。



夜も更けた時分、ガッルスのもとに戻った栗森牡丹は、暗い表情で告げた。


「かえる」


「あれ?魔王様、楽しくなかったんですか?」


「……かえる」


訳もわからず、不機嫌な魔王を乗せるガッルス。しかし、自分の主君が気まぐれな性格をしていることを重々承知しているため、何も言わずにガッルスは栗森牡丹を魔城まで送り届けた。


帰ったのは、明け方近くだった。


「魔王様、着きましたよ」


魔王の自室にあるバルコニーに降り立ち、眠り込んでいる牡丹に話しかけるガッルスだったが、全く起きる気配がない。


「……もう、しょうがないなぁ」


仕方なく牡丹が起きるまで、軽く体を揺さぶりながら、待つことにした。ところが、そこに、しわがれた声が聞こえた。


「ガッルスよ、今まで魔王様を連れて、どこに行っておった」


魔王の側近、ピクテスである。


彼女が危惧していたとおり、夜になっても帰ってこない栗森牡丹を心配し、ピクテスはずっと帰りを待っていたのだ。その目は、憤怒に燃えている。


「ピ、ピクテス様!これは、魔王様にどうしてもと命じられ、仕方なくですね……」


「言い訳は無用だ!どこに行っておった!!」


「そ、その……魔王様にどうしてもと言われて、に、人間の……町に……」


「に!人間の町だとぉ!?」


この一言にピクテスは激怒した。人間を見下している彼には、魔王がそうした場所に行っていたという事実が許しがたいことだった。その怒りは、当然ながらガッルスに向けられる。


「貴様!よくもそのような場所に魔王様を連れて行ったな!まだ幼く、何もご存じない魔王様を!!」


「ひぃぃっ!!お、お許しください!魔王様の命令に背くことができなかっただけなんです!」


「たわけ!!どうりでおかしいと思ったわ!!貴様が魔王様を連れて飛び回っているのは知っていたが、よもや人間の町に行っていたとは!!あの人間のオスに魔王様がなついていたのも、貴様のせいだったのだな!!」


バシィッ!!!


ピクテスは自分が愛用しているドクロの付いた杖で、ガッルスの顔を横殴りにした。


衝撃でよろけるガッルス。


魔王を背負っているために手加減されたが、本気で打たれた場合、今の一撃で彼女の顔は、吹っ飛んでいるところだった。


「あぐぅぅっ!!!お、お、お、お許し!くだひゃい!!ピクテスひゃまぁっ!!」


口が傷ついてしまったので発音がうまくできないガッルスは、体をガクガクと震わせている。だが、そんな命乞いを聞くようなピクテスではなかった。


「黙れ!!黙れっ!!!」


さらに二度、三度と杖で叩かれる。

その度にガッルスは口から少量の血を吐き出した。


「お、おひゃめくだひゃ……」


「貴様のせいで、たかが人間ごときに魔王様が誑かされるところだったのだ!!その愚行、万死に値する!!!」


怒り狂ったピクテスは、杖をガッルスの正面から顔に突っ込んだ。

力を込めたこの一撃では、ガッルスの頭は粉微塵になってしまうだろう。



バシュッンン!!!



彼女の頭が消し飛んだかに思えた瞬間、吹き飛ばされたのは、杖の先に付いたドクロの方だった。


「ま、ま、ま……魔王ひゃまぁ……」


泣き声で主君を呼ぶガッルス。


これだけ怒鳴り声が続き、ガッルスが揺れ動けば、いかに疲れ、ふてくされていた牡丹といえども起きるのは必然だった。


ガッルスが攻撃されていることに気づいた牡丹は、いち早く重力制御を行い、自分の周囲に張り巡らせている反重力バリアをガッルスにまで及ぶようにしたのだ。


杖の先端からドクロが吹っ飛んだのは、それだけの力でピクテスが攻撃したからである。その本気の度合いを牡丹は、すぐに察知した。


「ピクテス、いま、ガッルスに、なにした」


これまでピクテスが一度も聞いたことがないような、真剣に怒った声で叱責する牡丹。その目と声には、老獪な魔族幹部をも震え上がらせる気迫があった。


「も、申し訳ありません!デルフィニウム様!このガッルスが、魔王様を勝手に町に連れて行ったと聞き、折檻していたのでございまっ……すっっ!っぐふぅっっ!!!」


弁明の言葉を最後まで聞くことなく、牡丹は超重力でピクテス地面に跪かせる。その力は、平時より何倍にも増している。ピクテスは骨が砕けてしまいそうなほどの重力で押さえつけられ、完全に呼吸ができなくなった。


「……かっ…………はっ……!まっ…………ま……お……さっ…………!」


ピクテスは言葉すら発することができない。

そこに本気の牡丹は忠告を与える。


「ガッルス、ともだち。きずつける、ぜったい、ゆるさない」


「はっ…………はひっ……はひぃっっ!!」


必死に返事をするのだが、ピクテスの言葉は喘ぎ声と大差なかった。怒りで冷静さを失った牡丹には、それが「YES」だと認識できない。


部下を叱責する時の彼女は、相手が自分の意見を受け入れた時のみ、重力を解除するようにしていた。ゆえに、ピクテスが返事をしない限り、攻撃をやめることはなかった。


既にどこかの内臓を痛めたようで、ピクテスは口から血を吐いている。このままでは、ピクテスは全身の骨を砕かれてしまうであろう。


「ま、魔王様!このままじゃ、ピクテス様が死んでしまいますよ!!」


慌てたガッルスが叫んだ。自分を殺そうとした上司であるが、あまりに不憫であり、ピクテスを失うことは魔王軍としても甚大な損失となる。彼女は、そう考え、聞き入れない牡丹に必死に訴えた。


「ほら!魔王様!ピクテス様も、”はい”って言われておりますよ!止めて差し上げないと!」


ガッルスからそう言われ、初めて牡丹はピクテスが話をしていることに気づいた。重力を弱め、もう一度聞く。


「ガッルスのこと、もう、いじめない?」


「はいっ!はいっ!!もう致しません!!」


「ぜったい、ね?」


「はい!絶対しません!お約束致します!!」


「わかった」


ようやく納得し、能力を解放する牡丹。ヨロヨロと立ち上がったピクテスは、先端の折れた杖をつき、力なく無言で戻っていった。


ガッルスと二人きりになった牡丹は、体を宙に浮かせてガッルスの頭を撫でた。


「ごめんね。ガッルス。いたかった?」


「だ、大丈夫です。魔王様。魔族は体力がありますから、これくらい、半日もあれば治っちゃいますよ」


「うん……」


気丈に振る舞うガッルスを前に、浮かない顔の牡丹は、しばらく考え事をしていた。そして、何かを思いつくと、大声でバルコニーから叫んだ。


「ルプスぅぅーー!!ルプスぅぅぅーー!!!」


主君から名を呼ばれた大狼ルプスは、狼の遠吠えとともに素早くバルコニーまで跳躍してきた。


「ガウガウッ!アウオッ!(なんでしょうか、魔王様!!)」


「ルプス、これから、ガッルス、まもって」


ガッルスの護衛を命じられたルプスは、その対象を見ながら首を傾げた。


「グルルル、ガウオ?(彼女を守れと?)」


「うん」


「アウオウ、ガウオ?(何から守れと?)」


「いろいろ。ガッルス、ころすヤツ、ころしていい。ピクテスも、ころしていい」


「ガウアッ!!(わかりました!!)」


それを聞いたガッルスもまた、戸惑いながら言った。


「あ、あの魔王様、ワタシなんかのためにそんな命令、よろしいんですか?」


「うん」


「で、でも、ルプスさんって大丈夫なんでしょうか?ワタシ、怖くて苦手なんですけど……」


「だいじょうぶ。ルプス、わたしの、いうこと、きく。ね?」


「ガウオォォッ!!(当然です!!)」


こうして、奇妙なことに魔王軍幹部最強のステータスを誇るルプスは、幹部でも何でもないガッルスを護衛することになった。これでは、いかにピクテスであろうとも、簡単にガッルスに手出しできない。


そして、このことは、これまで絶対的とも言えた牡丹からピクテスへの信頼が、少しずつ揺らぎはじめたことを意味していた。



一方、トボトボと自分の研究室に戻ったピクテスは、そこで休んでいた助手のスズメバチ男、ヴェスパに告げた。


「いよいよ、あの魔王様は危険になってきた。例の計画を実行する時は近いぞ。準備を怠るな」


「は、はい!」


魔王軍におけるそれぞれの思惑の違いが、次第に浮き彫りになろうとしていた。そして、この流れは変わらぬまま、魔族は作戦決行日を迎えたのだ。




――さて、もちろん栗森牡丹の状況がそのように変化してきていることなど、僕、白金蓮が知る由もない。ただ、魔王軍の作戦を当日になって傍受することに成功し、驚愕するのみだった。


「……蓮くん!……蓮くんってばぁ!!」


嫁さんから何度も呼びかけられ、考え込んでいた僕は我に返った。


「あっ!ごめん!」


「もう!悩むのはわかるけど、黙ってたら何も進まないよ!」


「でも、本当にヤバい……これから王都が襲われてしまうんだ。人口100万の都市が魔族の襲撃を受けたら、どれほどの惨事になるか……それにあの子が……ラクティが危ない」


「シャクヤちゃんのご家族だっているよ」


「くそっ!あいつらが転移魔法を使えることを知っていたのに、どうして、この可能性に気づかなかったんだ僕は!!」


「そんなの今さら言ったって、しょうがないでしょ?蓮くんがフェーリスちゃんの魔法をハッキングしてくれたから、このことがわかったんだよ!すごいことなんだよ!」


「王都と魔族の城……ラクティと牡丹……どっちを取るべきだ……」


独り言のように呟きながら、僕の視線はシャクヤを捉えた。彼女は、王都が襲われると聞いた時から、真っ青な顔になり、無言で体を震わせていた。


僕は、現時点の最優先事項を変更した。


「いや、今は王都だ。王都を守らなきゃいけない」


「王都に行くの?だったら私、先に一人で走っていこうか?」


「え、待ってよ。百合ちゃん、一人で行けるの?地図があっても迷うでしょ?」


「やってみないとわかんないよ。早く行かないと、みんな殺されちゃうでしょ」


「行けたとしても、どれくらいで着ける?」


「そんなの計算できないよぉっ」


「ここから王都までは、およそ600キロ。1時間で着こうとしたら、時速600キロを出さないといけない。音速の約半分だ」


「んんーー、それくらい出せると思うけど、人や物を避けながらだと難しいかも。地面を走るのってスピードを出すのに限界があるんだよね……」


「それじゃダメだ。百合ちゃん、少し待ってくれ。もっと確実な方法を考えないといけない」


「うん。お願い。私には何も思いつかないもん……」


焦燥感に駆られる僕の心を理解してくれているのか、嫁さんは決して僕を急かすことはなかった。自身も今すぐ飛んでいきたいほど焦っているにも関わらず、僕が可能な限り冷静に頭を回転できるよう、努めて平静を装って話しかけてくれた。


僕はそれに感謝しつつ、状況を整理するため、再び沈思黙考した。


僕たちの最大の目的は栗森牡丹を救うこと。

しかし、現時点では最優先事項を王都マガダの防衛にしなければならない。


魔族が転移魔法で王都に出現するのだとすれば、僕たちが先に王都に行けば、迎え撃つことができる上、栗森牡丹に会うことも可能だろう。


だが、ベナレスを出た直後の僕たちでは、クルマを使っても王都まで半日以上、掛かってしまう。とても間に合わない。嫁さんを一人で行かせることも一案だが、彼女の方向音痴を考慮すると、どうしても最善策とは言えなかった。


それに、転移先の魔法陣が王都のどこにあるのか、わからない以上、迎え撃つにも限度がある。狙いを誤れば、王都は大きな被害を受けるに違いない。


ということは、魔族が転移を始める前に、拠点を叩く方が確実なのではないか。


ここまで考えをまとめたところで、僕は宝珠システムを起動した。


「よし。これで行こう。今から連絡を取る」


「え?誰に?」


時間が無いため、僕は行動をもって嫁さんに説明することにした。

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