第80話 国境の変事

”聖騎士”ベイローレルは、その日、自分の身に何が起こったのかを理解できないまま、目を覚ました。


そこは宮殿内にある近衛騎士の宿舎の一室だった。既に深夜になっていた。


「え!?なぜ寝ていたんだ?確か僕は…………」


彼が思い出せた最後の記憶は、白金百合華が自分に向けてニッコリと微笑んだ顔だった。


「その後、僕はどうなった……?」


全く思い出すことができない。いったいどうして自分が倒れることになったのか。


「レン・シロガネ……彼が何かをやったのか?だが、ボクは、あらゆる魔法を断ち斬る準備をしていた。あの一瞬でボクが気づくことのできない魔法を発動できるものだろうか……」


自信に満ちた彼の思考回路からは、自分が白金蓮に敗北したという推測は、到底出てこなかった。次に考えるのは、白金百合華だ。


「ユリカ……ユリカ……あの人が、ボクに何かをしたというのか?いや、まさか。女性の剣士が、このボクを一瞬でどうにかできるとは思えない。やはりレンか……」


再び白金蓮のことを考えようとするが、なぜか百合華の顔ばかりが頭の中をチラついた。


「なぜだ?なぜユリカの顔ばかり思い出す?あの時の笑顔……あれに何かあるというのか?」


そして、ハッとした。


「ま、まさか……あの人の美しさにボクが卒倒した……?」


しばらく茫然とした後、彼は一人で苦笑した。


「いやいや……何を考えているんだ。いくらあの人が美しいからって……このボクが……」


そこに一人の騎士がやって来た。


「聖騎士殿、目を覚まされましたか」


それは、ベイローレルの先輩だった。彼よりも年上であるが、ベイローレルが”聖騎士”の称号を得てからは、彼に対して敬意を払うようになっていた。他の騎士も皆そうだった。


「これは、大変に失礼を致しました。ボクはどこに倒れていましたか?」


「噴水の前です」


「やはりあの時、ボクはやられたのか……」


「第三部隊の部隊長殿だけでなく、聖騎士殿まで倒されたことで、騎士団全体として気を引き締めるようになりました。”ニセ勇者”レンには、謎の魔法を使う能力があるとのこと。おそらくは、独自の魔法を開発するという禁忌を犯しているものと思われます」


「あの二人は、その後、どうなりました?」


「残念ながら、宮殿から逃げられてしまいまして、現在、王都中に騎士を配置し、全力を挙げて捜索しているところです。指揮は、騎士団長自らが執られております」


「では、ボクも騎士団長殿のところに参りましょう」


そうして、ベイローレルもまた白金夫妻の捜索に参加した。

これが、白金蓮と百合華が王国から追われることになった当日の深夜のことである。



一方、王女ラクティフローラは、この時どうしていたか。

彼女は、大会議室で白金蓮を糾弾した後、そのまま走って王宮を飛び出した。


目に涙を浮かべながら、突然、出てきた王女を、侍女長フリージアは慌てて馬車に迎え入れ、屋敷に連れ帰った。厳粛な場である王宮を王女が走って出てくる、ということ自体が大事件だった。


「姫様。いかがされましたか?レン様とはお話しされなかったのですか?」


「………………」


「誤解もあったのかもしれないので、せめてあと一度、キチンとお話をしたい、とおっしゃっていたではありませんか……」


「………………」


馬車の中でいくら尋ねても、王女は無言のままだった。

屋敷に到着すると、そのままラクティフローラは自室にこもってしまった。


フリージアは困り果てた。王女から最も信頼されている者として自負していたが、そんな彼女ですら、何を聞いても王女は答えてくれなかった。気難しい部分のある性格だということは重々承知していたが、ここまで、ふさぎ込んでしまう王女を見たことはない。


その後、王女は食事も自室で取るようになり、最低限の生活以外、部屋から出ることがなくなってしまった。用事が無い限りは侍女も部屋に入れなかった。聞こえてくるのは、自室で愛猫とおしゃべりしている王女の声だけだったという。


もちろん、そんなラクティフローラは、魔族フェーリスから人質扱いされ、白金夫妻の交渉で命を助けられていたことなど知る由もない。



その白金夫妻を必死に追いかけたのは、王国騎士団である。


王都を出る門は全て封鎖され、通行する者には厳重なチェックが実施された。王都全域に騎士が配置され、全ての門戸は叩かれた。


しかし、全力を挙げた捜索にも関わらず、二人の消息を掴むことはできなかった。部隊長コリウスの屋敷に置かれていたという彼らの荷物も綺麗サッパリ持ち去られていた。


事件発生から翌日になり、翌々日になっても、手がかり無しとなった。方法はわからないが、既に王都を脱出している可能性が高いと判断された。


業を煮やした騎士団は、国王に進言した後、ついに全国に指名手配することを決定したのである。事件から3日後のことであった。


手配書を持った早馬が各地に飛ばされた。特に白金夫妻が迎えられた地、商業都市ベナレスへと向かう方面は、最も可能性の高い地域として、夜を徹して伝令された。



この慌ただしい一報を受けて、複雑な思いを抱いたのは、国境の町に滞在していた第五部隊の部隊長『ライラック』である。


彼はただ一人、白金夫妻を迎える場面に集わなかった部隊長だった。


そして、物語の舞台は、この国境の町に移る。

事件から6日後の午後。

部隊長ライラックは非常に苛立っていた。


「なぁ、今日の部隊長さん、やたらと機嫌が悪いんだが、何かあったのか?」


「どうも、早朝に急な伝令がやって来て、叩き起こされたらしいぞ。その内容がまた、かなり気に障るものだったとか……」


と、囁きあっているのは、見張りの兵士2名だ。

彼らは、国境の関所近くに建てられた物見櫓の上にいた。


「諸君、異常はないか!」


下から急に厳しい声が飛んできた。ライラック部隊長である。


「「は、はい!異常ありません!」」


「休憩までは気を引き締めておけよ!」


「「了解しました!」」


部隊長が去った後、兵士は小声でしゃべり出した。


「……怖えなぁ。やっぱピリピリしてるわ」


「まぁ、こんな状況じゃ無理もないけどな」


さて、そのライラックは見回りを終えると、騎士団の宿舎に戻った。

そこに副部隊長が心配そうに声を掛ける。


「部隊長、少し休まれた方がよろしいのでは?」


「うむ。しかし、油断はできん。ここ数日、毎日のようにモンスターの襲撃があったのだ。少しずつ規模も大きくなっている。悔しいが、先日、訪れたコリウスのヤツが言ったとおりになった」


「魔族が狙っている可能性がある、というお話でしたね」


「いったい、どこからそんな情報を掴んだのかは知らんが、お陰で不意打ちは受けずに済んだ。しかし、魔族が自ら攻め込んできたら、防ぎきれるか、わからん。場合によっては、町に被害が出るかもしれんのだ」


「騎士も、町の兵士も、連日の戦闘と見張りで少しずつ疲弊の色が見えています。王都に要請した応援の部隊は、まだ来ないのでしょうか?」


「それについては、まったくだ!今朝、日が昇る前に伝令が来て、叩き起こされたが、喜び勇んで聞いてみれば、”偽りの勇者”とやらの捕縛命令だった。国外へは一歩も出してはいかん、というのだ。ふざけるな!と言ってやった!この大変な時に、なぜ罪人ごときのために騎士が時間を割かねばならんのだ!王都は、いったい何を考えている!!」


「”偽りの勇者”とは、また変わった罪人ですね……」


「おそらく先日行われたはずの”勇者会談”で何かあったのだろう。こちらには、国境警備を優先しろと言っておいて、結局、自分たちは詐欺師に引っかかったのだ。マヌケもいいところだ!国のメンツを気にしている暇があったら、本物の”勇者”を探すべきだろうが!だいたい、あの時のコリウスの得意気な顔といったら――」


鼻息を荒くするライラックだったが、不満の思いをまだまだ言い切らぬうちに中断した。一人の騎士が走って来たのだ。


「部隊長!」


「――なんだ?」


「敵襲です!」


「数は?」


「昨日の3倍はいます」


「3倍だと!?」


報告内容に驚いたライラックは、数秒考え込んでから命令を告げた。固い決意のこもった声だった。


「……休憩中の者も全員叩き起こせ。今回は総力戦だ。明日のことを考えている余裕はない」


「了解しました!」


伝令の騎士は再び走っていった。


「俺たちもすぐに出るぞ!」


「はい!」


ライラックは副部隊長を連れて、国境の関所に向かった。

この国境の町は、交易の要衝として発展したため、関所の外側、つまり国外にも店や家が並んでいる。


第五部隊の部隊長ライラックは、こうした場合に柔軟な対応ができる人物だった。


「向こうの住民も、いつものように国内に避難させてやれ!」


そして、彼は国境の防壁に登った。


「なるほど。すごい数だ……」


国境の町は、『環聖峰中立地帯』と『ラージャグリハ』王国との境にある山岳の谷間を利用して築かれていた。地理的にも防衛に適した地形だ。その谷の向こう側から500体はいようかと思われるモンスターの群れが迫ってきていた。


そして、この町は、中立地帯の強力なモンスターの襲撃に備え、強固な防壁によって守られているが、今はその関所の門を全開にし、住民を避難させている。モンスターを食い止めなければ、避難が間に合わないであろう。


「今回は、家が焼けても構わん!魔法部隊!一斉射撃だ!!」


防壁の上に陣取った騎士と兵士が、宝珠による攻撃魔法をいっきに発動させた。

それが、押し寄せるモンスターの群れに浴びせられ、先頭の一団が倒れた。

しかし、勢いは全く衰えない。


「魔法部隊!怯むな!マナが尽きるまで撃て!」


さらにライラックは命令を下す。


「あの統率された動きは、どう考えても魔族がいる。現在、駐屯中の騎士が1000名。町の兵士が500名。モンスターだけなら問題ないが、魔族が介入したら、どうなるか……」


心配する部隊長。

そこに突然、大きな人影のようなモノが飛んできた。そして、防壁の上に着地するや、すぐさま近くにいた兵士を蹴り飛ばしてしまった。それは、兎の顔をしたムキムキのモンスターだった。


「マッスル・ラビットか!森のヌシになるようなヤツだ!こんなレベルのモンスターが群れの中にいるだと!?」


応戦しようとするライラックだったが、それより前に副部隊長が動いた。


「部隊長は指揮を執ってください!」


騎士団の副部隊長ともなれば、戦闘力も高い。彼のレベルは37だ。

推定レベル30のマッスル・ラビットを一人で倒すことは可能だった。


ライラックは、魔法部隊への指揮を続けた。


下を見ると、避難の間に合わなかった住人たちが殺されはじめた。

ボヤボヤしていると、モンスターの群れが門を抜けてしまう。

直ちに門を閉めるよう指示を出そうとした。


だが、そこで思い留まった。門のすぐ近くまで来ている一組の親子を見つけたのだ。小さな女の子を抱きかかえた母親だった。


逃げる親子を背後から熊のモンスターが追いかけている。ファイティング・グリズリーだ。猛スピードで親子に追いついた熊が、前足を振り上げた。


だが、その直前にライラックは防壁を飛び降りていた。重い鎧を身に纏った彼は、熊の頭上に落下して押し潰した。熊は絶命した。


「もう少しだ!走りなさい!」


親子を励まし、その場でモンスターの襲撃を食い止めるライラック。彼は、ハンターで言うところのディフェンダータイプの騎士だった。大きな盾でモンスターの攻撃を受け止め、素早い剣さばきで敵の急所をつく。そうした戦い方を得意としていた。


やがて、親子が門を通過した。

すぐにライラックも後退し、防壁内に入ったところで、門を閉めさせた。


「よし、壁に群がったモンスターを魔法で一網打尽にしろ!騎兵部隊と歩兵部隊は、門の前に待機!敵の数が減ったところをいっきに畳み掛けるぞ!!」


「「おう!!」」


既に配置済みとなっていた騎士と兵士が雄叫びを上げた。

皆、部隊長の活躍を目の当たりにして士気は上がっていた。


だが、その直後、一団に衝撃が走った。

防壁の上から、一人の人物が仰向けでドスンと落下してきたのだ。


副部隊長だった。

全身血だらけで意識を失っている。


その無残な姿に全員が驚愕していると、上から大きな叫び声した。


「おいおいおい!こんなもんなのか、騎士団ってのは!!」


見上げれば、防壁の上にトラのような顔をした、体長2メートルを超える巨漢が立っていた。


「この『ティグリス』様を相手にできるような強えヤツはいねえのか?いなけりゃ、この町はオレがいただくぜ!!」


それは、『八部衆』の一人、『ティグリス』だった。

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