第76話 聖騎士ベイローレル

聖騎士と対峙した場所は、宮殿の敷地の入り口付近にある広場で、その中央には巨大な噴水が設置されていた。


噴水を横にして、僕と嫁さん、そしてベイローレルが向かい合った。


「蓮くん、彼はヤバいよ。たぶん蓮くんがどんなに強くてなっても、彼には勝てない」


”聖騎士”ベイローレルを目の前にし、嫁さんが僕に小さな声で告げた。

僕がどんなに強くなっても勝てない?どういう意味だ?


「レン様、本当に残念です。あなたのお力が弱いのは存じておりましたが、それでも何とか話がまとまるものと思っておりましたのに、まさか、王国から指名手配されてしまうだなんて。これでは、ボクとしても、あなたにお力添えするわけには参りません」


ベイローレルが得意気な笑顔を変えずに話しかけてくる。


「ベイローレル、どうも君の意図が僕には、わからないな。君は最初から僕をどうするつもりだったんだ?」


「ボクとしては、勇者様が存在するのであれば、それが誰であろうと構わなかったのです。なぜなら、魔王はボクが倒せばいいことですから」


「なるほどね。自信満々というわけだ」


すると、横から嫁さんが心配そうに忠告してきた。


「彼のすごいところは、それがハッタリじゃないってとこだよ」


「へぇ……百合ちゃんがそこまで評価するって、すごいね」


「この世界に来て、今まで出会ってきた人たちの中で、彼が一番強い。魔族も人間も含めて」


「マジか……」


現に嫁さんが僕のそばから離れず、いつになく聖騎士を警戒している。

そのベイローレルは、こちらに剣を向けた。


「いかがでしょうか。レン様。ボクとしては、まだあなたには利用価値があると思っています。どうも、あなたには、ボクたちの常識とは違う力があるようです。先程、コリウス部隊長を退けた技も、初めて見るものでした。なんらかの魔法のようですが、いったいあれは何でしょうか?ボクと一緒に来ていただければ、それらも含めて、いいように話を進めて差し上げますが」


どうやら、さっきのコリウスとの戦いも見ていたらしい。そして、僕は既にあの時と同じように空気の壁を目の前に作り出している。もしも超スピードに任せて突っ込んで来れば、いかに聖騎士といえども、コリウスの二の舞になるだろう。


「君に会議室の声が聞こえていたとしたら、もう僕の答えはわかっているだろう」


「そうですね。本当に頭の固い人たちで申し訳ありませんでした。この国の貴族たちは、何かにつけて、伝統だとか秩序だとかを持ち出してくるので、僕も辟易しているんですよ。だいたい、『勇者』という存在は、異世界から来た者でなければならない、とか誰が決めたことなんでしょうね。今、国にいる有能な人材の中から、勇者を探せばいいものを、”勇者様は異世界から来るのだ”の一点張りですよ。脳ミソにカビが生えているんです。あの人たちは」


なんなんだ、この男は。彼の言い分は、僕にはとても共感できてしまった。だが、彼の場合、要するに「自分こそ最も勇者にふさわしい」と言いたいのだろう。それについては、どうぞ君の国で勝手にやってくれ、と言いたい。


「ベイローレル、君とは話が合いそうだな」


「ええ。レン様。あなたのことは、ボクも大変興味があります」


「だが断る。もうこちらには、この国と仲良くやろうという意思はない。すまないが、そこを通してくれ」


「そうですか。非常に残念です。では、ボクとしても、命令を遂行しなければなりません。失礼致します」


彼がその言葉を言い終わった瞬間には、もう立っていた姿を確認できなかった。

次の瞬間には、僕の目の前にいたのだ。

そして、剣の切っ先が僕の鼻先へと迫っていた。


あまりの速度に僕はそれを認識すらできない。

二人の間には、空気の壁を作っていたというのに、全くそれが働かないまま、攻撃を許してしまった。いったい何が起こったのだ。


だが、僕が反応できなくとも、そんなベイローレルを遥かに凌駕する存在が僕のすぐ横にいる。


嫁さんの素早い裏拳が、彼の剣を弾き飛ばした。


これら一連の全てが一瞬の出来事で、僕は横に飛んだベイローレルの姿を確認して、事態を認識した。圧縮されていた空気の壁は、勝手に解除されており、解放された空気の塊が風圧となって僕たちのもとにやって来た。つまり、ベイローレルは風よりも早く攻撃してきたのだ。


「ど……どういうことだ……空気の壁が破られた……」


狼狽える僕だが、ベイローレルもまた動揺している。


「な……なんだ……今のは……」


その聖騎士の視線は嫁さんに注がれている。

強風に煽られた嫁さんは、フードが頭から外れ、マントが翻り、太ももを露わにした戦闘スタイルになっていた。その凛とした美しさに目を奪われたのか、ゴクリと唾を飲み込むベイローレル。


「ベイくん、今、君、本気で蓮くんを殺りにきたわね!」


「ベ、ベイくん!?」


嫁さんからの呼ばれ方に、さらに動揺するベイローレルだったが、それもほんの一時のことで、すぐに笑顔に戻って、ゆっくりと立ち上がった。


「ユリカ様、ボクにそのような呼び方をされるのは、ご遠慮いただきたい。仮にも我が国王より”聖騎士”の称号を賜った身です」


「知らないわよ、そんなの。私からしたら、ただのクソガキじゃない」


「ク、クソ!?」


「人の旦那に刃を向けてくる子は、どんなにイケメンだって、ただのクソガキよ!私が怒る前に、とっとと、おうちに帰りなさい!」


「なっ……!!」


あんまりな言われように再び表情を崩したベイローレル。一瞬だが、ちょっと面白い顔になった。もしかしたら、女性からここまで言われたのは、初めてなのではないだろうか。


しかし、それでも彼は心を落ち着けて、少しずつその顔を笑顔に戻していった。

この男、偏屈な性格をしているが、こういうところは結構、偉いヤツだな、と思う。


「い……いやですねぇ。ユリカ様、あなたのようなお美しい方から、そんな口汚い言葉が出るだなんて。ボクだって、あなたのような女性とは戦いたくない。正直に言いますと、ボクが今まで会ってきたどの貴婦人よりもあなたは美しい。あのラクティフローラ殿下すら、あなたの美しさには敵わないでしょう」


こいつ。女性の好みまで僕と同じなのか?王女よりウチの嫁さんの方が好みとか、話が合うじゃないか。夫としては、ちょっと焦る気持ちも出てくるが。


「あらやだ。そこまで言ってくれるの?ほんとにお上手ね。蓮くんにも見習ってほしいくらいだわ」


「ということで、どうか、ご主人のことは諦めて、手を引いていただけませんか」


「お生憎さま。手を引くのは、ベイくんの方よ」


「しかし、ボクとしては、剣も抜いていないあなたとは、さすがに戦えません」


僕は、嫁さんが会話を引っ張ってくれている間に『宝珠システム』の遠隔【解析サーチ】で、ベイローレルのステータスを計測していた。ところが、どういうわけか、【解析サーチ】もできなかった。


「どういうことだ……こいつには魔法が一切、効かないのか?」


僕が呟くと、嫁さんが横目に答えてくれた。


「蓮くん、彼はたぶん魔法を斬ってる」


「え……?魔法を……?」


僕は愕然とした。

そして、それを聞いたベイローレルも反応した。


「……驚きました。まさか、そこまで洞察されているとは……」


「だから、蓮くんみたいに魔法を使って戦う人には、天敵なんだよ。あと、魔族にとってもね。彼なら、本当に魔王を倒せるかもしれない」


「ご名答です。ユリカ様、あなたは本当に何者なのでしょうか?まさか本当に女性の身でありながら、勇者だとでも?」


「さあね。私のことを”勇者”と呼んでくれるのは、蓮くんだけよ。私はそれだけで十分なの」


二人が会話をしていても、僕は上の空だった。

魔法を斬るだなんて、冗談じゃない。

僕は、『宝珠システム』の複数処理同時実行で、ベイローレルを囲むように10個の魔法陣を出現させた。


「君の周りを【風弾エア・ショット】で囲んだ。一歩でも動けば、魔法を発動させる。ベイローレル、これでも君は僕たちと戦うのか?」


ベイローレルは、驚いた様子だが笑顔のままだった。それは面白いものを見た時の喜びの顔だ。


「さすがです。レン様。こんな芸当までできるとは。まるで、クシャトリヤ家のあの子みたいだ。いいですよ。どうぞ発動させてください」


どこの誰だって?と思うが、それは今はどうでもいい。


「本当にいいんだな?大怪我しても知らないぞ!」


僕は【風弾エア・ショット】を発動した。

ベイローレルの周囲から10発の風の弾丸が一斉に発射される。

しかし、それらは発射されたと同時に消え去ってしまった。


「なっ……!」


「ご覧のとおり、いかなる魔法であろうとも、それを魔法だと認識さえできれば、ボクは剣で直接触れることなく斬り裂き、掻き消すことができるのです。これが、かつて伝説の勇者様が使ったとされる、幻の究極剣技の一つ。『絶魔斬ぜつまざん』です。おそらく今のボクなら、魔王のみが使う『最上位魔法』すらも消去することができるでしょう」


「おいおいおい……チートすぎんだろうが……」


「先程のレン様が行った空気を固める魔法も大変面白いものでした。まさか、オリジナルの魔法を作り出したのでしょうか。非常に興味深いです。ですが、こうして、噴水のような水しぶきの舞うところでは、せっかくの透明の壁も丸見えになってしまいますね」


それを言われて気づいた。

僕は既に空気の壁を再度、自分の目の前に作り出していたのだが、よく見れば、水滴が付いてしまってモロバレだったのだ。


「君は……これを狙って、ここでの戦闘を選んだのか?」


「はい」


僕は驚愕した。

この男は、僕とコリウスとの戦いから、そこに透明の何かが存在していたことを推察し、あえて、噴水のある場所で戦うように追いついてきたのだ。


ただ強いだけでなく、戦いの機転まで利くのだ。

今、僕の目の前には、全てにおいて僕を凌駕する、完璧すぎる男が立っていた。


本当になんたることだろう。

僕は今し方、レベル40であるコリウスを撃退した。かなり卑怯な手段だったが、僕は国家の英雄クラスである人物に勝利することができたのだ。まるで異世界に来てチート能力で無双する主人公になったような気分になった。


だが、実際はどうだ。

僕の完全上位互換と言えるイケメン聖騎士が、さらに魔法を無効化するスキルを身につけていたのだ。彼を相手にした場合、僕の研究と努力は全て水泡に帰すのだ。こんなひどい仕打ちがあるだろうか。だいたい魔法を無効化する能力なんて、イマドキでは完全に主人公が持つ能力だろうが!


「ということは、やっぱ私がやるっきゃないね」


嫁さんが僕の前に立った。

そして、剣を抜いた。


「ベイくん、あなたに対して剣を抜かないのは、さすがに失礼だと思うから抜いたわ。でも、使わない」


「……はい?」


今度は嫁さんから予想外のことを言われたベイローレルが目を丸くする番だった。


「さっきは脂ぎったおじさん達に囲まれてイヤな思いしちゃったから、ちょっとヘコんでたんだけど、君みたいなイケメン相手だと、なんか嬉しくなっちゃうのよね。今日は特別に、このお姉さんが手ほどきしてあげる」


誰がお姉さんだ?誰が?

と、言いたいが今は黙っておこう。


「すみません。どこからツッコんでいいのか、ボクもわからないのですが……」


ベイローレルも戸惑っている。しかし、彼がそれを言い終わる前に嫁さんは目の前に接近しており、そのイケメンの額にデコピンを食らわせた。


バチンッ


「えっ!!」


ビックリして後ずさりするベイローレル。


「……な……今のは……?」


「てことで、これから君を物理でガツンとやるから、覚悟してね?」


嫁さんは、ただ剣を左手に持っているだけでぶら下げたままだ。そして、右手で拳を構えた。


本当にガツンとやる気だ。

そこで僕はハッとして、彼女を呼び止めた。


「百合ちゃん、ちょっと待って」


「え?」


「ベイローレル。君の要求はわかった。ちょっと最後に夫婦の相談をしたいんだが、いいだろうか?」


と、聖騎士に提案すると、彼は笑って答えた。


「レン様、あなたも本当に面白い方ですね。わかりました。1分だけお待ちしましょう。それを過ぎたら、容赦なく斬ります」


「じゅうぶんだ」


そして、嫁さんと僕は小声で話を始めた。

もちろん僕はともかくとして、嫁さんは警戒を解いてはいない。


「百合ちゃん、あの手のタイプは、プライドを傷つけないように上手に倒した方がいい」


「え?そうなの?」


「うん。ああいう自信満々の男ってのは、自尊心を傷つけられる行為に対して、異常に憎しみを持ってくるんだ。僕も男だからよくわかる。現にあれほど強いにも関わらず、百合ちゃんの一撃を受けても君の強さを認識していない。自分が女性に負けるとは、露ほども思っていないんだよ。だから、彼には負けたと思わせないくらいの一瞬で、やっつけるんだ」


「そっか。私、彼にわかりやすいようにコテンパンにしてやろうと思ってた」


「その逆をやるんだ」


「りょ!」


いつもの了解のポーズをした後、嫁さんはベイローレルの方を向いた。

そして、余裕の表情でこちらを見ていた聖騎士に、ニコッとして一言告げた。


「じゃあ、ベイくん、バイバイまたねっ。顔だけはカッコよかったよっ」


「え……?」


ベイローレルがそう口に出した時、既に彼の意識はブラックアウトしていた。


彼にすら認識できない超絶スピードで背後に回った嫁さんから手刀を食らい、気絶したのだ。これまで出会ってきた中で最強だったはずの宿敵は、結局のところ、あっけなく一瞬で倒されてしまった。


「やっぱ、百合ちゃんの敵ではなかったか……」


地面に頭から倒れないよう、ベイローレルを優しく寝かせる嫁さん。なんだかんだで、彼の顔をじっと見つめたまま微笑を浮かべている。


「うーーん。黙っていれば、ほんとイケメンだねぇ。眼福、眼福ぅ」


「コラコラ……」


「若くなった蓮くんと、この子だったら、私、イケるかも」


「いや、何がだよ!」


「え、だから妄想で――」


「いや、言わなくていいよ!!」


おそらく腐った感想を言おうとしたのだろう。男としては、それはあまり聞きたくない。


さて、そんな無駄話をしている間にも他の騎士たちが追いついてきた。多勢に無勢だが、それでも嫁さんがいれば問題ないだろう。しかし、嫁さんの行動は違うものだった。笑顔で僕を抱きかかえたのだ。


「え、またこれか!」


「文句言わないの!これ以上、戦うより逃げた方がいいでしょ!」


嫁さんの高速移動と跳躍で、あっという間に宮殿の敷地を離れ、どこかの建物の屋上に降り立っていた。ようやく二人だけの状態になり、少しホッとするが、状況は悪化の一途を辿るばかりだ。


「さて……これからどうするか……」


城下町の様子を見下ろしながら僕が呟くと、嫁さんが後ろから抱きついてきた。


「……蓮くん、さっきはありがと」


「え?」


「蓮くんが、あのおじさん達に啖呵を切ったの、すごくカッコよかったよ」


「……そう?」


「手を繋いで、あの部屋から連れ出してくれた時なんてね、私、頭の中で、”カッコいい”と”超カッコいい”と、あと”ヤバい”しか言ってなかったよ」


その語彙力はどうなんだろう。と思うが、嬉しいからツッコまないでおこう。

とはいえ、悠長にはしていられない。すぐに今後の方針を決めたいと思った。


「とりあえず、この国を出よう。あれだけのことをしたんだ。絶対に追ってくるはずだ」


「うん」


「でも、その前に僕は、ラクティにもう一度会って、謝りたい」


「私も同じこと思ってた」


「今まで、あんなに女の子から憎まれたことはない。それほどまでに僕が彼女を傷つけてしまったのか、と思うと、情けなくなるよ」


「それは、私も一緒だよ。二人で誠心誠意、謝ろう。私がいれば、簡単に侵入できると思うから」


「そうだね。また百合ちゃんの力を借りるしかないか……じゃあ、行こう」


「それは、どうかニャン?」


最後に聞こえた猫言葉のようなセリフは、もちろん嫁さんではない。

全く別の方角から、聞こえたものだった。


「「えっ!」」


僕も驚いたが、それ以上に嫁さんが驚愕していた。

彼女に気づかれることなく、何者かが接近していたのだから当然だ。


「い、今の声は……どこから……?」


僕が警戒していると、嫁さんはある方向を指差した。


「蓮くん……あれ……」


その方向には、建物の屋根に乗った一匹の黒猫がいた。

見た目には、全く普通の猫だ。

だが、その猫が口を開くと、驚いたことに人の言葉が聞こえてきた。


「こんばんニャン。レンとユリカと言ったかニャン?」


「「…………!」」


それは、リアルで遭遇すると、かなり不気味なものだった。

ファンタジー世界では、むしろ日常的に存在する光景のはずだが、実際に生きた猫が人間の言葉をしゃべるとか、マジで本当にホラー以外のなにものでもない。


ちなみに僕はともかくとして、嫁さんの方は猫好きだ。その彼女ですら、僕と同じ感想を抱いたようだ。僕たち夫婦は、あまりにもショッキングだったため、恐怖に震えて絶句した。


「ちょっとちょっと。聞いてるかニャン?ウチの名前は『フェーリス』。魔王様に仕える『八部衆』の一人だニャン♪」

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