第61話 名のあるハンター

応接室で待っていると、白髪交じりの老紳士が入ってきた。

もしかすると、この人がハンターギルドの本部長だろうか。


「紹介状を拝見しました。レン殿とユリカ殿ですね。私は当ギルドの副本部長『カンファー』と申します」


僕は、『カンファー』と名乗る老紳士が部屋に入ってきた瞬間に、当然の礼儀として立ち上がっていた。嫁さんも僕の動作を見習い、自然と同じことをした。


「お忙しいところ、すみません。僕は、蓮・白金と申します。こちらは妻の百合華です」


僕は、ファミリーネームを後ろにつける、この世界の風習に則ってフルネームで自己紹介した。隣で嫁さんも会釈する。老紳士カンファーさんは微笑を浮かべた。


「お若いのに、しっかりされておられますね。荒くれ者の多いハンターの中では珍しい御仁だ。バーリー支部長が推薦していたとおりのようだ」


「いえ……」


「あいにく本部長のウォールナットが床に臥せておりまして、私の方で対応させていただきます。まもなく本部長代理も来ると思いますが」


「そうでしたか。実は僕もつい最近、体調を崩したので、お気持ちはわかります。本部長さんの具合はいかがですか?」


「ご心配、痛み入ります。季節外れの風邪を引いたようでして、さほどのことではありません。ただ、歳も歳ですので、無理はしないように言い付けております」


実に話しやすい人物だ。このカンファーさんもハンター出身なのか、とても風格があるのだが、物腰が柔らかく、礼節をわきまえていて好感を持てる。もうこの人が本部長でいいのではないだろうか。


「それでは、手続きをしたいと思いますので、こちらに必要事項をご記入いただけますか」


「はい」


カンファーさんは、用紙を出した。

先程、カウンターでもらったものとは、少し様式が違う。


「お二人のことは、”名のあるハンター”として扱うようにと紹介状にありました。通常であれば、最初は一人前のハンターとして、登録されるのですが、お二人は、これで名前を売ることができるハンターとなります」


「え……つまり、僕たちの名前が世間に売り出されるということですか?」


「はい。登録名簿にも記載されます。”名のあるハンター”には、依頼者の方から指名される場合もありますので、特別報酬も期待できますよ」


「それって……有名になっちゃう……ってことになります?」


「ええ。”名のあるハンター”は、人々には憧れの存在でもありますからね」


思いがけない状況に、僕は嫁さんと顔を見合わせた。


正直言って目立つ行動はしたくなかった。ハンターとして登録するのも情報収集のためであり、生活の糧としては、商売など他のことも視野に入れていたからだ。戦う能力があるからといって、別にハンター業でしか飯を食ってはいけない、という道理はないだろう。


「どうしよう……百合ちゃん?」


「え、私に聞かれても困るよ。蓮くんが決めて」


僕はしばらく黙考し、カンファーさんに質問した。


「実は僕たちは、ハンター業の他に商売もできたら、と考えているんですが、”名のあるハンター”になれば、それが有利になったりしますか?」


「もちろんです。当ギルドのお墨付きということになりますので、信頼を得るのも容易いことでしょう」


これは嬉しい誤算だ。僕たち夫婦のことを買ってくれたバーリーさんとアッシュさんのご厚意にも応えるべきだと思うし、ここは受けるべきかもしれない。


「なるほど。僕たちはレベル16と15なんですが、そこは問題ありませんか?」


「レベルのことは、アッシュも書いておりました。なんでも、レベルからは計り知れない強さで戦うことができると。不思議なことですが、あの生真面目なアッシュがそこまで言うほどですから、余程の秘密がおありなのでしょう?」


「あ、ええ……そうですね……」


「本来、全く無名の人物をいきなり”名のあるハンター”に指名するなど、普通はありえないことなのですが、バーリー支部長とアッシュが同時に推薦したとなれば、さすがに無視できません。それに先程、本部長代理に確認を取ったところ、あっさり承諾されました。これもめったにあることではありません」


「そうでしたか。ありがとうございます」


何やら、とんとん拍子で話が進んだ。

まだ見ぬ本部長代理にも感謝したいところだ。


「ところで、”名のあるハンター”になるのですから、”二つ名”は、どうされますか?」


「”二つ名”……ですか?」


「ええ。例えば、アッシュなどは、”突撃剣”のアッシュと呼ばれています」


僕はそれを聞いてドン引きした。

すると、その横で嫁さんが目を輝かせる。


「やだっ。ちょっとカッコいい」


ちょっと黙りなさい。この中二病主婦。


「いやぁ……どう考えても恥ずかしいでしょ……」


「えぇ、いいと思うよ」


僕がたしなめると口を尖らせる嫁さん。

ついでに僕はカンファーさんに質問した。


「じゃあ、”女剣侠”なんかもそうなんですか?」


「ローズ殿ですね。彼女の場合、”そんなものは要らない”と拒んでいたのですが、その結果、周りから自然と”女剣侠”と呼ばれることになりましたね」


「そういえば、あいつ……”その呼ばれ方は好きじゃない”って言ってたな……。つまり、”二つ名”を自分で付けないと、周りから勝手に決められてしまう、ということですか?」


「そうなる場合が多いですね」


「しかし……急に言われても何も思いつかないし……」


そもそも恥ずかしくて”二つ名”なんて付けたくない。


「私もこれはじっくり考えたいな」


横では嫁さんが真剣な面持ちで言ってくる。


「あまり悩まれる必要もないと思いますよ。ほとんどの場合、依頼をこなすうちに自然と名前が浮かんだり、周囲の人たちからピッタリの呼ばれ方をするようになるものですから」


「そうですか。では、”二つ名”は保留ということで」


「わかりました。それでは、そちらの用紙の方にご記入ください」


「はい」


僕は”名のあるハンター”として、登録するため、用紙に名前などを書き込んだ。ところが、嫁さんの方は、何やらもぞもぞしている。僕が書き終わっても、彼女の手にしている用紙は白紙のままだった。


「……ねぇ、蓮くん、どうやって書いたの?」


「は?」


「蓮くん、すごいよね。どうしてこの世界の文字をそんなにすらすら書けるの?」


小声で話してくる嫁さんの言葉に、僕はハッとした。そして、冷や汗がドッと出てくるのが自分でもわかった。


そういえば、完全に忘れていた。

僕たちは、この世界に転移してきた時から、何らかの魔法によって自動翻訳の機能を持っている。この世界の人の言葉を聞けば理解できるし、こちらが話しても意味が通じる。また、文字を読むこともできた。しかし、文字を書く場合に限り、それは適用されないのだ。


当たり前の話だが、この世界で漢字やひらがなを書いた場合、それは意味不明の記号として認識されてしまう。


僕はそのことに、いち早く気づいたため、魔法の研究を目的として古代文字の辞書を買ったり、本を読みながら自分で文字を書く練習をしていたのだ。


だが、それを嫁さんに教えることをすっかり忘れていた。今まで彼女が字を書くシチュエーションが全く無かったからだ。


なんということだろうか。

ここに今、自分の名前すら書けない残念すぎる嫁さんが降臨してしまった。


想像していただきたい。

あらゆる人々の力を借り、様々な条件が重なって、この上ない好待遇で仕事が決まるという、その瞬間、すぐ横で正式書類にサインしようとしている自分の嫁さんが、突如、字が書けないと言い出したのだ。


彼女が悪いわけではないのだが、いったいどうやって、この場を取り繕えばいいのだ。

軽く叱りながら字を教えてやればいいのか。

あるいは、笑いながら自分が代筆すればいいのか。

いずれにしても不自然なこと極まりない。


だいたい、この世界に来てから二週間以上経つというのに、どうして字が書けないことに気づかなかったのだ、この能天気娘は。なぜだ。なぜ僕はこんな子と結婚してしまったのだ。


僕は次第に脂汗をかきはじめた。テーブルの向かいに座っている老紳士の副本部長、カンファーさんが怪訝そうな目でこちらを見つめている。なんと言い訳をしたら良いのか、何も思いつかない。


「……蓮くん?」


事態の深刻さに全く気付かない嫁さんが不思議そうに僕の顔を覗き込んだ。


コラ。いったい誰のせいで僕がこんなに悩んでいると思っているんだ。


「ゆ……百合ちゃ……」


何も思いつかないまま、とにかく嫁さんに声を掛けようとする僕。だが、僕が困惑していることに気づいたカンファーさんが、ここで気さくに笑った。


「なるほど。奥方のユリカ殿は、字をお書きになれないのですね。これは配慮が足りませんでした。それでは、ご主人の方で代筆してください」


「あ……僕が書いていいんですか?」


「ええ。むしろご主人に書いていただくのが筋でした。こちらこそすみません」


「い、いえ。とんでもない」


いっきに心が軽くなった。

この世界では、字を書けない女性が珍しくないということか。

大事な書類であるにも関わらず、夫の代筆でも全く問題ないようだ。


今、この瞬間――そう、この瞬間だけは、男尊女卑のこの世界の文化に感謝したいと思う。僕は嫁さんから用紙を取り上げ、すぐに彼女のプロフィールを代筆した。


「あれ……もしかして、私、今、おバカ扱いされてる?」


「……実際、おバカなんだから黙ってなさい」


「ひどーーいっ」


用紙への記入を終え、カンファーさんに渡した。


「受領致しました。それでは、これにて、レン殿とユリカ殿は、正式に当ギルドの登録ハンターとなり、また、”名のあるハンター”として人々に知られる存在となります。その後の名声については、ご自身の活躍によって決まりますので、当ギルドの関知するところではございません。そこはご承知おきください」


「はい」


「なかには、名前が売れてしまったがために、かえって悪名を轟かせることになったハンターも過去にはおります。お二人は大丈夫なことと思いますが」


「あはは。肝に銘じます」


正式な手続きが完了したところで、嫁さんが明るい声を出した。


「これで私たちもハンターか。なんかワクワクしてきたね」


「うん。なんやかんやで、僕もちょっと楽しくなってきた。ところでカンファーさん、この街で商売をするのに必要なことはありますか?」


「そうですね。まずは商業組合への登録です。あとは、組合と相談するのがよろしいと思いますが」


「なるほど。ありがとうございます」


一通りの話が終わったので、席を立とうと思った。だが、そこで扉がノックされた。

入ってきたのは、20代後半くらいの青年だった。

カンファーさんが立ち上がったので、僕たちも立ち上がった。


「こちらは、本部長代理の『チェスナット』です」


紹介された青年『チェスナット』が話しかけてきた。


「本部長である父が急病で倒れてしまったので、私が代理を務めています。チェスナットです」


どうやら、この『チェスナット』という青年は、本部長である『ウォールナット』さんの息子らしい。息子が代理を務めるというのは、世襲制で運営されているということになる。


「蓮と百合華です。よろしくお願いします」


僕と嫁さんは、それぞれ本部長代理と握手を交わした。


「遅れてしまって申し訳ない。別の来客がありましたもので。さ、どうぞお座りください。レン殿とユリカ殿でしたね。お二人とは、ぜひともお話をしたいと思っていたのです」


なぜか、この本部長代理は、僕たちと話があるという。

初対面のはずなのに、どういうことであろうか。


そして、彼は話をしながらソファにドカッと座った。

口調は丁寧であるが、行動の端々に”素”が表れている。

甘い。そして、荒いぞ。若者よ。

35歳サラリーマンの僕からしたら、年下の調子こいた後輩にしか思えない。


僕たち夫婦は彼にあわせて座りなおした。


「話……ですか?」


「ええ。紹介状にもあったとおり、ガヤ村で大変ご活躍をなされたそうで、そのお話を詳しくお聞かせいただけますか?」


どうもおかしい。

バーリーさんもアッシュさんも魔族のことは紹介状に書かなかったはずだ。僕たちの活躍と言っても、それなりのことしか紹介していないであろう。それなのに、何かを知っているような口ぶりだ。


「詳しくも何も……大したことはしていませんので、紹介状に記されているとおりだと思います。僕は読んでいませんが」


「ええ。お二人に命を助けられたことだけが紹介状に書かれていました。ところが、その時期と、アッシュが魔族事件の報告をしてきた時期が一致しておりまして、これは、ただの偶然ではない気がするのです。何かご存じありませんか?」


「いや、特には……魔族が絡んだ事件があったなんて、知りませんでしたし、アッシュさんも大変でしたね」


「そうですか」


「はい」


一瞬、静かな沈黙の時間が訪れた。

そして、再びチェスナットが口を開くと、全く違う話題を振ってきた。


「ところで、レン殿は、これからのハンター業界というものを、どのようにお考えですか?」


「え、ハンター業界?いえ、僕は新参者なので、何もわかりません」


「魔王が復活したという噂が広がり、現に魔族が絡んでいると思われる事件が多発している現在、我々は、これまでのやり方を踏襲しているだけで、よいのでしょうか?」


「は……はぁ……」


「このままでは、やがてハンター業は行き詰まるとは思いませんか?」


「……そうかもしれませんね」


僕が適当に相槌を打っていると、チェスナットは熱を帯びて語りはじめた。


「ですよね。ゆえに私は思うのです!今まで現本部長が行ってきた、独立志向は改め、他の団体と手を取り合っていくべきではないかと!」


「はぁ……」


「どの大国の力も借りない。庶民が集って庶民のために戦う組織。それがハンターギルドです。そのスローガンは素晴らしい。しかし、世界に危機が迫っている現在、その考え方だけを押し通しては、やがて魔王に世界を乗っ取られてしまうのではないでしょうか!」


よくわからないが、要するにこのチェスナットという青年は、自分の父親のやり方が気にくわず、別の路線を歩みたいと言いたいのだろう。


正直言うと、僕はこの手のタイプが好きではない。親の七光りに支えられて、地位を得ながら、先代の批判ばかりするような人間に、ろくなヤツはいないからだ。大抵の場合、こういう人間は、現場の苦労も知らずに、あれこれと余計な口を出し、組織を引っ掻き回すのだ。


僕がそんなことを考えていると、横からカンファーさんが口を挟んだ。


「本部長代理。まさか、魔族との戦争にハンターを参加させる、おつもりですか?」


「そうだよ。カンファーさん。私は王国騎士団からの要請に応えようと思う」


「しかし、ハンターギルドは、大国と関わらない独立組織であることが信条です。まして、魔族との戦争になれば、命を落とす者も多数出ましょう。本部長がそれを許されるとは思えません」


「もうあの人も歳なんだ。そろそろ引退していただいて構わないだろう。それに、なにも軍に加われ、ということではない。ギルドとして魔族討伐隊を結成し、騎士団と共同戦線を張ろうということだ。その分の報酬は、王国からキッチリいただける。かなりの相場でな」


「それだけ、当ギルドの仲介料も多いということですか?」


「そのとおりだ」


なんだか、若干、黒い話を聞かされているような気がする。カンファーさんの話は、ハンター目線に立った意見であり、サラリーマンの僕としては、この人の肩を持ちたいところだ。やはり、この人が本部長でいいのではないだろうか。


だが、それにしても、なぜこんな話をわざわざ僕らの前でするのだろうか。内輪ですればいい話だし、初対面の僕らに聞かせる内容でもない。いまいち、このチェスナットという男の意図がわからない。


「そこでだ。実はレン殿。あなた方に来客があるのですよ。お連れしてもよろしいでしょうか?」


「僕たちに?どなたです?」


「会ってみればわかります。よろしいですね?」


「え、ええ……」


「おい、入ってもらえ」


不安な気持ちを抱えながら僕が承諾すると、チェスナットは扉の前に立っていた秘書らしき人物に声を掛けた。そして、秘書が扉を開けると、鎧を着たおじさんが一人、部屋に入ってきた。


「お待たせして申し訳ない。こちらが、例のレン殿とユリカ殿です」


チェスナットは立ち上がり、その鎧のおじさんを出迎えた。

鎧のおじさんは、笑顔でこちらに話しかけてきた。


「はじめまして。レン様、ユリカ様。急な訪問となりましたこと、ご無礼の段、どうかご容赦ください。私は『ラージャグリハ』王国騎士団の部隊長、『コリウス』と申します」


そのおじさんは、騎士だった。

僕は生まれて初めて、”騎士”という存在にリアルで出会った。

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