第44話 次元斬
僕と嫁さんはシソーラスを追った。
追い風の魔法を自分に掛けているとはいえ、嫁さんの超高速移動に比べたら、全く釣り合っていない。新幹線と三輪車が一緒に走るようなものだ。
「百合ちゃん、先に行ってよ」
「ううん。蓮くんも一緒に来て!」
そう言って、嫁さんは掴んでいる僕の左手にグッと力を入れた。すると、僕の体が持ち上げられたようになって浮いた。
「え」
そのまま嫁さんは移動速度を超スピードに切り替える。
ビューーンッ
という効果音が聞こえてくるようだった。僕は宙に浮いた状態で嫁さんの高速移動に引っ張られ、凄まじい風圧を浴びながら、ただブラブラと揺れているだけだ。
いや、待ってくれ。嫁さんよ。僕、死ぬ。マジで死ぬ。
そして、上空のシソーラスを捉えられる位置にまで追いついた。
「見つけた!」
嫁さんは、しなやかに減速するが、僕の勢いは慣性の法則に逆らわず、超スピードで飛んでいこうとする。
「ちょっ、百合ちゃ……」
「あっ、蓮くんが飛んでっちゃうっ」
もしも、この勢いのまま僕の腕を引っ張れば、僕の肩が外れてしまうだろう。
それを理解している嫁さんは、僕の勢いを殺すため、体全体で僕を受け止め、抱きかかえてくれた。そのまま自分を軸に僕を回転させ、前方への運動エネルギーを回転エネルギーに変換して相殺した。
そうして僕は、何も問題なかったかのように、嫁さんにピッタリくっついた状態で直立していた。最後の状態だけ見れば、僕に嫁さんが抱きついてきたような格好だ。
やはり手際がいい。こういうことを計算ではなく、本能的に理解して行えるのだから、さすが元スポーツ女子だ。
と、思うが、今は褒めるところではない。
「し、死ぬかと思ったよ!」
「ごめん」
「で、あいつは?」
「上!」
上空――といっても地下の巨大な空洞の中だが――では、シソーラスがヨロめきながら、天井部分へと辿り着こうとしていた。その天井からは、うっすらと光が漏れているのが見える。
「あの光!まさか地上か!?」
「え!地上!?」
「あいつ、地上に出る気だ!」
「やだよ!ここであいつを逃がしたら、また大勢の人たちがひどい目にあう!!」
嫁さんが地面に転がっている石を拾ったが、投げる前に止まった。
「ダメだ……この距離じゃ空気抵抗でブレちゃうよ。外したら洞窟を壊しちゃう。蓮くん、何か方法は無いかな?」
「…………」
嫁さんの焦る気持ちは僕も同じだ。僕もずっと思考を巡らしている。シャクヤとローズに”ヤマタノオロチ”を任せてから、ここまでわずか20秒程のことだ。
一方の彼女たちは、僕たちを送り出してから、すぐに二人で連携を開始していた。
「シャクヤ嬢、あなた、こんな特技を隠していたとはね。これでは、あたしもいいところを見せなければならないでしょう」
「恐れ入ります。ローズ様。このまま窒息死させるのも、手なのでございますが、それまでの間に大暴れされては、こちらが怪我を被ってしまいます。わたくし、4本を相手に致しますので、3本お願いできますでしょうか?」
「あたしが3本!?……いや、おっしゃるとおりにしよう。どうやら、この局面だけは、あなたの方が得意分野のようだ」
「はい。それでは、お願い致します!」
「行くぞ!」
並び立つ、美麗真紅の女剣士と青髪白衣の美少女魔導師。
ローズは、追い風魔法による高速移動で”ヤマタノオロチ”に接近する。その間、シャクヤは魔導書のページをめくり、魔法の発動を開始していた。
「昨今では、宝珠による魔法が盛んでございますが、宝珠による魔法発動では、誰が使用しても同じ威力になってしまいます。しかし、本来の魔法は、使用者によって威力が変わるもの。わたくし、上位魔法は得意中の得意ですので、普通の人が使うものよりも3倍は威力を出せるのでございますよ」
シャクヤが力強く解説しているうちに魔導書は輝きを増した。
ローズが”ヤマタノオロチ”の間合いに入ろうとしている。
その前にシャクヤが魔法を発動させた。
「参ります!水の上位魔法!!【
”ヤマタノオロチ”の周囲に4つの大きな魔法陣が出現する。
光り輝く魔法陣からは、それぞれ圧縮された巨大な水の刃が射出された。
ズバシュッ!!ズバンッ!!!
入り乱れるように発射された水の刃は、一つ一つが凄まじい勢いを持って巨大な鎌のようになり、”ヤマタノオロチ”の首を5本切り落とした。
「あっ!やってしまいました!」
「シャクヤ嬢!あたしの分が1本足りないぞ!」
そう言いながらも、ローズは剣の宝珠を発動させ、舞い踊る。
――紅蓮八連剣舞――
一太刀で”ヤマタノオロチ”の首を切り落とすことはできなかったため、2本の首にそれぞれ4連撃を浴びせた。見事、ローズはブラックサーペント2体分の首をしっかり落とした。
全ての首を失った”ヤマタノオロチ”は、その歪で太い胴体をビクビクと痙攣させた後、動かなくなった。
「ふぅ……本当に3本あったら、ギリギリだったかもしれんな……」
「お見事でございます!ローズさ……ま……」
「ん?おい!シャクヤ嬢!」
勝利の余韻に浸る間もなく、フラフラしはじめたシャクヤを見て、慌てて戻るローズ。追い風魔法の効力がまだ残っていたため、シャクヤが地面に倒れる寸前にキャッチすることができた。
「も……申し訳ございません。マナを使い切ってしまったようでございます……」
「まったく……あなたという人は……それにしても、さすがは『クシャトリヤ家』のご息女だ。”大賢者”のご血縁という噂は本当だったようだな」
「まぁ、そのようなことまでご存知でしたか」
「あたしの情報網は伊達じゃないのでね。なぜ、あなたがこのような危険なことに首を突っ込むのかは知らないが」
「できれば、今のお話はご内密に願います。両親からも、お爺様のことは外では話すなと言われておりまして」
「大賢者様のことか。やはり王家の命で、幽閉されているというのは本当なのだな」
「それ以上は、わたくしからは申し上げられません」
「ああ、すまない。悪かった。それぞれ事情はあるだろうからな」
「ええ。ところで、お姉様とレン様は、いかがでしょうか?」
「ここからでは見えない。追いかけよう」
「はい」
こうして、二人が戦いを決着させた頃、僕と嫁さんはシソーラスが地上に逃げ出す寸前に追いついたのだった。
「私はいつも一人であいつを追いかけて、逃げられてる!蓮くんと一緒なら、きっとあいつを捕まえられると思うんだ!」
「百合ちゃん……」
僕は嫁さんの目を見た。彼女の僕への信頼に勇気が湧くのを感じた。そして、今の状況を打開するためには、僕も彼女を最大限に信頼することが重要であると思った。すると、一瞬で考えがまとまった。
「百合ちゃん、斬ろう!」
「えっ?」
「斬るんだ!百合ちゃんなら、あいつだけを斬れる!!」
嫁さんは、その綺麗な瞳を大きく開いて僕の目を見つめた。
そして、僕の意図をすぐに理解してくれた。
「うん。わかった!」
腰から剣を抜き、頭上に振りかぶる嫁さん。
そうだ。ウチの嫁さんは斬りたい対象を空間ごと斬ることができる。前回は無我夢中で放ったため、目に見えるもの全てを斬ってしまったが、自信を持って攻撃すれば、きっと対象だけを斬ることができるはずだ。何の根拠も無いが、僕はそう信じた。
身構えた嫁さんは、視線をシソーラスに向けたまま、僕に静かに聞いてきた。
「これから私がやること、蓮くんは許してくれる?」
突然の質問ではあったが、僕は嫁さんが何を聞いてきたのかすぐにわかった。シソーラスと戦うまでの道中でこんな会話をしてきたからだ――
「ねえ、蓮くん、魔族って人間だと思う?」
「え?」
「前にね、蓮くんがこの世界の人たちのことを”異星人”っていってたでしょ?」
「そのことか。そうだね。ここは地球とは違う。だから、バーリーさんもシャクヤも、僕たちからしたら、みんな”異星人”になるね」
「じゃあ、魔族はどうなると思う?」
「百合ちゃんがそこに気づいてくれて嬉しいよ。僕もいろいろ考えていたんだ。結論から言えば、この世界に生きている人は、人間も魔族も、地球外の知的生命体であることに変わりないと僕は思っている」
「やっぱりそうか……」
「あの魔族を殺していいのか、迷ってるんだね?」
「……うん」
「もっと具体的に言うと、百合ちゃんが気にしているのは、あいつを殺すことが”殺人”になるのか?ってことでしょ?」
「そう、それ。蓮くんならどうする?」
「僕たちオタクは、普段から、いろいろな物語に触れてきた。だから、種族によって相手の命を差別することが、愚かな行為であることを知っている。その考えに基づけば、魔族を殺すことは明確に”殺人”になると思ってるよ」
「すごい。言い切ったね」
「本来なら、相手が知的生命体である以上、ひとつの人格とみなして、接するべきなんだと思う。ゆえに、殺すことは”殺人”に当たる。でも、それは相手が無害であることが前提だ。明らかな敵意を持って攻撃してくる者。人間の命をオモチャのように扱う者。そんなヤツを相手にする場合には、こちらも相手を殺す気で挑まなければ、犬死にするだけだ」
「結局、蓮くんはどうするのが正しいと思うの?」
「正直わからない……こんな重いことを百合ちゃんに背負わせようとしているのも心苦しいよ。でも、これだけは言える。僕は百合ちゃんのやることなら信頼する。ここでは君が勇者だ」
「わかった。ありがとね」
――あの時は、嫁さんを信頼するとだけ言った。
だが、それだけでは足りない。僕も一緒に戦う必要があったのだ。
僕は即答した。
「百合ちゃん、君が罪を背負うなら、僕も一緒だ!二人で乗り越えよう!!」
「うん!!!」
嫁さんの元気な声が返ってきた。
と、同時にシソーラスの不気味な声が洞窟内に響いた。
「つ、ついに到着しました!そ、それでは皆様、御機嫌よう!ここを出たら、ど、洞窟を崩壊させて、皆様を生き埋めに致します!!」
漏れ出す地上の光へ入ろうとするシソーラス。
しかし、その瞬間、嫁さんは頭上に身構えた剣をいっきに振り下ろした。
「いっけぇっ!!!!」
シュゥゥンッ!
素早く、鋭く、それでいて静かな一閃。
その斬撃は、シソーラスを含めた洞窟の背景全体に一本の直線を描き出した。
その直線に沿って、背景の左右が上下にズレる。
まるで、地震の際に生ずる断層の解説図を見るようだ。
その上下にズレる断層面の中にシソーラスもいた。
だが、それは一瞬のことであり、次の瞬間、上下にズレた背景が元に戻った。
斬られた空間が元に戻ったのだ。
ただ一つ。シソーラスの右の羽を除いて。
「えっ!!!」
当のシソーラスは何をされたのか理解できていない。ただ、気づいた時には自分の羽だけが綺麗に切断され、数メートル離れた位置に置き去りにされていたのだ。
「なっ、なんですかこれは!?は、羽だけが、あっちの方に!!!」
右の羽を完全に失ったシソーラスは、落下を始めた。
ボロボロの左羽だけでは、バランスを取ることもできない。
「できた!!できたよ、蓮くん!」
「…………」
嫁さんが喜びの声を上げて、こちらを振り向いたが、僕は、嫁さんが起こした怪奇現象の一部始終を眺めて、ただ茫然としていた。
さて、これまであらゆることを持ち前の理数系の性分から物理学的に考察してきた僕であったが、今の一連の現象を見て、どんなことを考えただろうか。
「ははは……どうなってんだこれ……意味わからん」
答えは、”考えるのをやめた”であった。
真面目な話をすると、物理学というものは、”人間が観測できる事象”を対象として行われる学問だ。
嫁さんの”空間ごと斬る”というスキルは、もはや”三次元空間”でも”四次元時空間”でも説明することができない現象だ。
おそらくもっと先にある”何か”を斬ったのだろう。
そんなものは、人間が考察できる範囲を超えているのである。
結局のところ、ウチの嫁さんこそ、僕にとって最も理解不能な存在だったのだ。
「百合ちゃん……」
「蓮くん……」
見つめ合う二人。
「君、本当に百合ちゃんだよね?」
「それ、前にも言ったぁ!」
「……とりあえず、次元の先にある”何か”を斬る剣技――『次元斬』でどう?」
「私の今の技?」
「うん」
「『次元斬』……いいねっ。シンプルでかっこいいっ」
ちょうどこの時、僕たちの向こう側へ、シソーラスが落下した。
「百合ちゃん、あいつのことは君に任せるよ」
「……うん。でも、蓮くんも一緒に考えて」
「もちろんだよ」
二人でシソーラスの落下地点へ向かった。
シソーラスは、地面にうつ伏せになって、もがいていた。
左腕と右足を失っており、落下のショックで骨折もしているように見受けられる。可哀想ではあるが、戦闘能力はほぼ無いと言って良さそうな状態だ。
「気分はどうかしら?シソーラス」
「ンフ、ンフフフフフ。ど、どうやら、ここまでのようですね。さっさと、こ、殺してください」
「イヤよ。私はあんたを殺さないわ」
「では、み、見逃していただけると?」
「違うわよ。あんたを捕まえて、二度と悪さができないようにするわ」
「な、なんですって!?わわわ、わかりましたよ!!ワタシを捕らえて、じ、じじじ、実験台にする気ですね!!!」
「はぁ!?何言ってるの。そんなことしないわよ」
「ふふふ、ふざけんじゃありませんよ!!それがいつも、に、ににに、人間がすることじゃありませんか!!!」
「いや、だからおとなしく捕まってくれるなら、何もしないわよ!」
「く、来るなぁ!!!こっちに来るなぁぁぁ!!!!!」
意外な反応だった。明らかにシソーラスは脅えていた。
「もしかして……こいつ自身が前に何かされたのか?」
「え?」
僕が言うと、嫁さんも反応してこちらを向いた。
「あ、あなた達、人間はいつもそうだ!!わ、我々をモンスターとしか思っていない!!!我々から、な、何を奪っても構わないと考えて!!何をしても許されると思っているんですよ!!!」
シソーラスは、体をずらしながら徐々に徐々に後ろに下がっていく。
「いいから、こっちに来なさいよ。大丈夫。私は何もしないから」
「だ、誰が、し、信じるもんですか!!!ようやく我々の”真の王”が誕生したのです!!!わ、我々一族に光が当たるのも時間の問題ですよ!!!」
「わかったわよ。そういう話を聞きたいんだから、こっちに来て」
「来るな!!ワ、ワタシに近づくんじゃありません!!!」
どんどん後ろに下がっていくシソーラスをゆっくり追う嫁さん。ところが、ここに来て何かに気づいたらしく、唐突に大きな声で呼び掛けた。
「待って!そっちに行っちゃダメ!何か来る!」
「えっ」
ズドンッ!!!
突如、シソーラスの胴体が左から右へ何かに射抜かれた。
長い針のようなものだ。
それが、彼の胴体、しかも心臓の位置を貫通するように刺さった状態で止まった。
「こ、この針は……まさか……あなたごときが……ワ、ワタシを……」
突き刺さった針を見て、驚愕するシソーラス。
「あぁ……デ、『デルフィニウム』様……」
そのまま彼は息を引き取った。
予想外の展開だった。
この空洞内に別の魔族がいるのだ。
「百合ちゃん!」
「もう、いなくなったみたい……すごいヤツだった。いきなり気配が現れて、いきなり消えた……」
「シソーラスのことは残念だけど、こうなるとシャクヤとローズが心配だ。すぐに合流しよう」
「うん。ちょっとだけ待って」
そう言って、シソーラスの遺体を確認する嫁さん。
「完全に死んでる」
「そうか……」
コウモリ型の魔族『シソーラス』。彼のやってきたことを思うと同情する気にはなれないが、あまりにもあっけない最期だった。
僕が複雑な心境でそう考えていると、ローズの声が聞こえた。
「おーーい」
向こうの方から合流に来ていることを嫁さんは気づいていたのだ。ローズは力の抜けたシャクヤを支えて、ここまで歩いてきた。
「お互いの健闘を称えたいところだが、その前に大仕事だ。遺跡が今にも崩れそうなんだ」
「えっ!」
ローズの言葉に僕が驚くとシャクヤが追加説明してくれた。
「先程の大穴が原因で壁がどんどん崩れておりまして、このままでは、お城全体が崩れてしまいそうでございます」
「うっそ!」
嫁さんがさらに驚く。
「ごめん……私、やりすぎた……」
そして、顔面蒼白で謝った。
「急いで地上に戻ろう」
と、ローズが言うので、僕は嫁さんに提案した。
「百合ちゃん、せっかくだから、あの光っているところから出られないかな?」
僕が空洞の天井を指差すと嫁さんが笑った。
「なるほどね。ちょっと見てくるよ」
何十メートルもありそうな天井に向かって嫁さんは跳躍した。そして、すぐに戻ってきた。もちろんローズとシャクヤは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で唖然としている。
「あの先は地上だったよ。ここから見ると小っちゃいけど、結構、大きな穴が開いてる」
「みんなを運べる?」
「余裕です」
嫁さんはシャクヤを背中におんぶし、僕とローズをそれぞれ両脇に抱えた。そして、いっきに天井に向かって跳躍する。
数十メートルをジャンプするということは、つまり逆バンジージャンプのようなものだ。ローズとシャクヤがそれぞれ悲鳴を上げた。僕は先程、超高速で連れまわされたので、少しだけ耐性がついたようだが、もともと絶叫系は苦手な方なので、やはり怖かった。
こうして、シソーラスが脱出しようとしていた出口から、僕たちは地上に生還した。
久しぶりに感じる屋外の新鮮な空気。
傾いた太陽が西の空を茜色に染め上げ、オレンジ色の荘厳な輝きを放っていた。それは、僕たちの1日の戦いを祝福してくれているかのようだった。
「お日様が綺麗でございます……わたくしたち……生きて出られたのですね」
「素晴らしい夕日だな……あたし達の凱旋だ」
「ほらね、蓮くん。夕日が赤いのは、夕日だからなんだよ」
「ああ…そうだな……」
ウチの嫁さんには敵わない。今、心からそう思った。
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