第4話  二人きりの夜

晴れてはいるが、月明かりの無い暗い夜だった。


季節は夏なのか、または普段から暖かい気候なのか、幸いにもそこまで寒くならない。風も穏やかで、それが逆に気持ちいいくらいの夜だった。これなら屋外で寝ても風邪を引かずに済むだろう。


辺りが真っ暗になっても、嫁さんの顔には全く不安の色は見えない。

こんなに肝っ玉の太い女性だったのか、と感心する。


だが、本人がいくら大丈夫と言っても、やはり僕は心配性だ。


「百合ちゃん、脈を測ろう」


「あ、うん」


普段の生活でやっているとおり、今日も嫁さんの手を取り、脈を測ってみる。

ドクンドクンと血液の流れる感触が指を伝う。


「すごく安定してる。不整脈がないね。時間は計れないけど、いつもどおりのペースだよ」


少しホッとした僕に嫁さんが笑顔で応える。


「私、この世界に来てから、体の不安を感じないんだ。今までの私なら、野宿なんて考えられなかったもんね」


「そっか」


「蓮くんだって、メガネ無いけど視えてるんでしょう?」


「え……?あっ」


言われて気づいたのだが、確かにメガネを掛けていない。僕は普段からメガネを愛用していたのだが、この世界に来てからは、ずっと裸眼でスッキリ視えていたのだ。


「本当だ。なんで今まで気づかなかったんだろう。メガネが無いのにこんなに視えるなんて子どもの頃以来だ」


「体が若くなったことと関係あるかな?」


「どうだろうか。僕は高校時代で既にメガネを掛けていたから関係ないと思う。百合ちゃんだって、病気をしたのはもっと前でしょ?」


「私は中学時代に心臓が弱いことがわかったから、大好きな女子野球もできなくなって、17歳の時はどん底だったな」


「そうか……」


「不謹慎かもしれないけど、体が健康になっているのが私はすごく嬉しいかも」


「そうだね。それは僕も嬉しい。この世界に来て、そこだけは本当に得した気がする」


「でも蓮くんのメガネはちょっと残念かな……」


「百合ちゃん、メガネ好きだったの?」


「うん。実は」


「知らなかった。メガネ無しだとイヤ?」


「私的にはちょっと物足りない」


「え、じゃあ僕がコンタクトにしてたら、どうしてたの?」


「離婚してた」


「うそでしょ!」


「ごめん、うそ」


「まぁ、メガネを褒められたのは僕も嬉しいけど、無いものはしょうがないよ」


「うん、でも若くなった蓮くんも新鮮でいいと思うよ。なんていうかフレッシュな感じ」


「いや、百合ちゃんは、かわいくなったからいいけど僕はなぁ……むしろ大人になって身につけた貫禄というか品格というか、そういうものが無くなってちょっとイヤだな。高校生の頃なんて、まだまだガキンチョだったから」


「そんなことないよ。それに私だけ若くなったら、蓮くん犯罪だよ?」


「え」


「蓮くんだけ35歳で、お嫁さんが17歳とか犯罪じゃない?」


「まぁ確かに……」


言いながら顔を近づけてくる若返った嫁さんに僕はちょっと照れてしまう。


照れ隠しに上を見上げれば、夜空には無数の星が浮かんでいた。

それを見ながら僕は一人納得し、話題を変える。


「やっぱり、ここは地球じゃないね」


「何か分かったの?」


「星の配置が違う」


「ぅえっ」


またそういうこと考えてたの?と言わんばかりの反応をする嫁さん。


「蓮くん、星座とか覚えてるの?」


「常識の範囲でね。日中は太陽があっちの方角にあったでしょ?」


「うん」


「で、向こう側に太陽が沈んでいったから西。そして、こっちが北になる」


順に右へ右へと指差しながら説明する。

嫁さんはそれを聞いて、ちょっと不満そうに口を挟む。


「蓮くん、私だってそれくらいわかるよ。普通に」


「いや、当たり前のように思うだろうけど、これは北半球の常識であって、もしもここが南半球だったら、北と南が逆になるんだ」


「え……」


「まぁ、結論としては、ここは北半球になるからいいんだけどね」


「う、うん……」


「そうすると北の方角。あの星がさっきから全く動いていないんだ。つまり、北極星にあたる星になる。その北極星から辿れる位置に北斗七星が無いんだ」


「北斗……」


一瞬、考え込んだ嫁さんが、突然、僕の肩を連打で小突く。


「あーーったたたたたたたたっっっっ」


「こらっ!やめなさいっ!北斗七星でそれを思い浮かべるのは正解だけど、やめなさいっ」


「……で?」


手を止めて開き直る嫁さん。


「で、他にもカシオペア座が見当たらない。日本なら北斗七星とカシオペア座は一年中、見れるはずだし、少なくとも北半球にいるのであれば、どちらかの星座は見れるはずなんだ。どちらも見えないなんてことはありえないんだよ」


「あぁ……そういえば小学生の時、習ったかも……」


「他にも見知った星座が見当たらない。

南の空を見ても、夏の星座も冬の星座も無い」


「そういえばお月様は?」


「月も見当たらないね。月が存在しないのか、または今日が新月なのか」


「そっかぁ」


「もしかすると月の模様も、僕たちの知ってる形とは違うかもしれない。確認できないのが残念だ」


「お月様の模様が違うなんて、すごく神秘的。ちょっと見てみたいかも」


浮かれている嫁さんに僕はさらに付け加える。


「百合ちゃん、ここが地球じゃないってことは、心配しなければならないことが山積みってことなんだよ」


「そう?」


「そう。例えば、空気の成分はどうなってるのか。重力はどれくらいなのか。そして、知的生命体が存在するのか」


「あっ」


ここで嫁さんも僕が何を言いたいのか気づいたらしい。


「じゃ、じゃあ、私たちって違う星にいるってことなんだ」


「うん。さっきからずっと言ってるけどね」


「すごいね、宇宙旅行みたいだねっ」


「旅行なら良かったけどね」


「あれ?でもここって異世界なんじゃ……」


「異世界だね」


「でも地球じゃないの?」


「地球じゃない」


「え、あれ、てことは異世界って地球じゃないんだ……」


「そう、地球じゃない」


「ええええぇぇぇええぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっ」


この世界に来て、初めて聞く嫁さんの絶叫。


「え、え、どうしよう?今まで全然気づかなかったよ。地球じゃない星で私たち、どうやって生きていくの?」


「逆に聞きたいんだけど、どうして今まで大丈夫だと思ってた?」


「いや、だってほらっ!異世界なんだから普通は何とかなるでしょ?」


「物語の世界ならね。でも、現実に他の世界に来た場合はそうじゃない。本来なら全ての条件が地球とは異なるんだ。考えるべきことは山ほどあるよ」


「ひどいっ!夢も希望も無いよっ」


「うん。現実だからね」


「そんなぁぁぁぁ。どうしよ、私、急に恐くなってきたぁ……」


今さらながら現実的な問題に気づき、落胆する嫁さん。

ちょっと驚かせすぎたかもしれない。少しだけ可哀想になってきた。


「とはいえ、実はそこまで落ち込むことはないよ。今までのことで、わかってきたことも結構あるから」


「そうなの?」


「うん。結論としては、この惑星は、ほとんど地球と変わらない」


「どうして?」


「例えばね、ほら」


小石を拾い上げて投げてみる。

綺麗に放物線を描いて落ちる小石。


「物を投げて、落ちてくるまでの動きに違和感が無い」


「うん、それで?」


「さらに昼間の太陽が沈むまでの時間にも違和感が無かった。一日の時間は24時間に近いと思われる。以上のことから、この惑星は地球とほとんど変わらない質量と構成要素で成り立っている可能性が高くなる」


「……へぇーー…………」


難しい話をしたので嫁さんの目が虚ろになる。

どうやらもう考えることに疲れたらしい。

返事が適当になってきた。


「……他には?」


「空の色が青だったし、夕焼けが赤かった」


「うん」


「よって、大気の密度も地球と似ていることがわかる」


「……ごめん。全くわからない」


既に嫁さんの目から生気が抜けている。

これ以上、説明するのはやめた方がよさそうだ。


「まぁ、ともかくも、僕たちは既に呼吸ができているし、水も飲めて、食料も確保できた。地球人の僕たちが生きられない星ではない、ということだ」


「そっか……そうだよね。私たち、生きてるもんね」


本当は未知の病原菌とか生態系とか考えた方がいいのだが、不安にさせてしまうので今は置いておこう。


「あとはヒトがいるかどうか。いたとしたら、どんなヒトなのか。って問題だけだよ」


「そうだね……いい人がいればいいなぁーー」


僕は”だけ”と言ったが、実は一番の問題はこれだ。嫁さんは現地人の人柄を心配しているようだが、僕たちからすると、ここにヒトがいたとしても、それは異星人だ。


果たしてコミュニケーションが成り立つのか。

どんな文化や文明を持っているのか。

言葉の問題はどうするのか。


そもそもこの世界のヒトが、僕たちとは全く別の進化系を辿った種族だった場合、彼らに同じヒトとして受け入れてもらえるのだろうか。逆に僕たちを敵視してきたら、たまったものではない。


考え出したらキリがない問題だ。


よくある異世界転移もののように、さっさと誰かに出会って、受け入れてもらえれば、何も悩まずに済んだであろうが、誰一人会えずに一日が終了してしまうと、あれこれ想像してしまい、恐ろしくなる。


とにかく僕が今思うことは、最初にヒトに出会った時が勝負ということだ。


決して油断してはいけないし、気軽に声を掛けるなんて言語道断だ。まずはこの世界のヒトを探し出し、ヒトを観察したい。なるべく遠目で。


この点、明日になったら嫁さんともよく相談しよう。


「さ、疲れただろうから、もう休もう」


「ほんとだよ。なんだか疲れちゃった。蓮くんのせいで不安になってきちゃったよ」


そう言って嫁さんは岩のイスに腰掛けていた僕の隣に寄り添って座る。ちょうど後ろに岩のベッドが置かれているので背もたれになり、意外と座り心地は良かった。嫁さんは羽織っていたローブを僕の肩にも掛かるようにしてくれた。


「雨、降らなくて良かったねぇ」


「うん……」


と返事をしたところで、ふと、デジャブを感じた。

つい最近もこんなことが無かっただろうか。


そう思った瞬間、僕はどうしても確認しなければならない重要事項があることに気づいた。


「百合ちゃん、この世界に来る前のこと覚えてる?」


「え、うん」


「僕たちが最後に地球にいたのは?」


「結婚記念日の夜だよ」


「結婚何周年?」


「5周年」


「じゃあ、その日のこと、どこまで覚えてる?」


「えーーと、蓮くんと乾杯して、一緒に食事して、それから一緒に『ワイルド・ヘヴン』をやろうってなったよ」


「うん、そうだね」


「それから、こんなふうに二人で一緒に座って……」


「うん」


「それから……どうしたんだっけ……なんかとても大切なことがあった気がするんだけど……」


言いながら難しい顔で僕を見つめてくる嫁さん。


「僕も同じだ。そのあたりから記憶が無い」


僕もそこから思い出せない。

何かとても大事な、嬉しいことがあった気がするのだが。


「あとは、気がついたらこの世界でした、って感じ」


「そうか。安心したよ」


「何が?」


「いや、僕と百合ちゃんは同じ時間軸から来たんだなってね」


「あぁ……また、そういう話か……」


「いや、これも大事なんだよ。異世界転移なんて、時空を超越した現象なんだから、空間だけでなく時間の概念だって、常識で考えていては……」


と解説しつつ嫁さんを見ると既に寝入っていた。

難しい話をすると、すぐに飽きる子だ。

僕の話が眠り薬になったのだろう。


岩のベッドが後ろにあるが、動かすと起きてしまいそうだ。

このまま寝かせてあげよう。


寝入った嫁さんの顔を見るとモチモチの白い肌にツヤまである。

若返ったその体からは、どことなくいつもと違う感じの匂いがしてくる。


女の子の匂いだ。


ちょっと新鮮な嫁さんの匂いに今さらながらドギマギする。

そんな自分が妙に恥ずかしい。


彼女のあどけない寝顔を見ていると、なんだか吸い込まれそうな気持ちになる。しかし、こんな安心感の無い土地で、ムラムラするような気分には到底なれない。夜中に何が起こるかもわからないので、このまま周囲を警戒しつつ仮眠を取ることにした。


明日はヒトを探そう。

ヒトを探して旅をするなら、このまま川沿いを下っていくのが一番効率がいい。ヒトが集落を作るなら水のあるところだ。そういえば、かなり距離を離したが、あのドラゴンが目覚めて、ここまで追ってきたりしないだろうか。


そんなことを考えているうちに、結局、疲労が溜まっていた僕も、いつの間にか寝入ってしまった――




「……

……………

…………………はっ!」


気づけば明け方だった。

朝日が登る直前で、空が少しずつ白みはじめている。


すぐ横には、僕にピッタリ寄り添った嫁さんが寝ていた。


もしも寝ている間に何者かに襲われていたら、と思うとゾッとするが、どうやら何事も無く朝を迎えられたようだ。せっかくの岩ベッドは背もたれに使っただけで終わってしまったが。


嫁さんを起こさないように、そっと立ち上がり、川で顔を洗う。


一晩寝てみれば、実は夢でした。

という安易なオチにもならなかった。

非常に残念である。


改めて現状を受け入れ、この世界で生き抜く術を探さねばならない。

日が昇りきったら嫁さんを起こし、朝食を済ませて出発しよう。


と、考えて嫁さんの寝顔を見る。


すると、いきなりパッと目を開いた嫁さんが、すっくと立ち上がった。


「蓮くん!何か来るっ!強そうなヤツが、こっちに近づいて来るよ!!」


異世界生活二日目。

ついにウチの嫁さんが、どこぞの戦闘民族みたいなことを言い出した。


こうして、新しい展開の二日目が始まるのだった。

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