第3話 異世界サバイバル
「大丈夫かな?死んでないかな?だいぶ手加減したんだけど……」
十数メートルの跳躍から華麗に着地し、ピクピクと痙攣しているドラゴンの心配をする嫁さん。
僕、今そいつに殺されそうになったんですけど。
「うん、息はある。生きてるみたい」
ドラゴンの顔まで近づいて喜ぶ嫁さん。
そして、彼女は誇らしげにこちらに戻ってくる。
まるでテストで100点満点取ったことを自慢したい子どものようだ。
「百合ちゃん……」
「蓮くん」
「君……本当に百合ちゃんだよね……?」
「ええぇぇ、ドラゴンやっつけてあげたのに、最初に言うセリフがそれぇ?」
「いや、だって……」
「もっとこう、すごい!とか、かっこいい!とか、超かわいい!とか、あるでしょう?」
いや、ここで”超かわいい”はないだろう。
どちらかと言うとその強さは化け物だよ?
「正直、ドン引きです」
「ひどぉい!……もう、そんなこと言うならいいよ!次は助けてあげないんだからっ」
「いや冗談だよ、冗談。助かったよ。ありがとう。百合ちゃんがいなかったら死んでた」
「えへへへ。私が蓮くんを助ける日が来るなんてね」
「本当に驚きだ。強いなんてもんじゃない。ドラゴンには勝てるって初めから思ってたの?」
「うん、実はね……最初からそんなに怖くもなかったんだ」
「マジか……僕の絶望感はいったい……」
「これからは、やばいヤツはみんな、私がやっつけるからね!」
「そう……だね……」
なぜだろうか。安心とともに妙な敗北感を味わう。しかし、体の心配をすることなく生き生きしている嫁さんを見ていて嬉しくもあり、複雑な心境である。嫁さんに笑顔で応えたつもりだが、今の僕はもしかしたら苦笑しているかもしれない。
「それより、蓮くんの言うとおり、水が欲しいね。喉渇いてきちゃった」
「うん、こうなったら、当面の問題は水と食料、そして寝る場所だ。まず水場を探そう」
のびきっているドラゴンを置き去りにして歩き出す僕たち。
しかし、水場を探すといっても当てがあるわけではない。こういう時にサバイバル知識があれば良かったかもしれないが、夫婦そろってインドア派なので、キャンプすらしたことがない。
そうこうしているうちに2、3時間ほど歩いたであろうか。
気がつけば山を下りきって平地になっていた。
前方には何も見えない。
「どうしよう……何もないよ……」
「甘かったな……闇雲に歩いては、水場に辿り着けないか……」
この世界で目覚めた頃、頭上高くにあった太陽も気づけば傾いてきている。
「この世界が地球と同じ周期で自転しているなら、もう4時間くらいは経ってることになるね」
「え……なんか難しいこと言うね」
「考えてみれば、ここは地球じゃないんだから、僕たちの常識は全て通用しない可能性もある」
「えぇぇーー」
「いくつか実験してみたいな」
「それより喉渇いたよぉ。水を探す方が先だよ」
「わかってるよ。僕だって限界だ。でも、山に引き返すか、平野の先を進むか……あの地平線の先を進んでいけば、人の集落を見つけられる可能性もある。だけど、何も見つからなかったら絶望的だ」
「よし、こうなったら私がひとっ走り行ってくるよっ」
「え」
「今の私の足、超速いからっ!蓮くんはここで待ってて!」
「ちょっ!ちょっと待った!待ったぁ!!」
走り出そうとする嫁さんの腕を僕は慌てて掴む。
危ない。なんとか間に合った。
このまま行かせたら、どうなっていたことか。
「なに?」
「なに、じゃないよ百合ちゃん!!迷子になる気か!?」
「え……」
「昔デートで待ち合わせた時、地下鉄乗り換えで迷って、泣いて電話してきたのは誰?」
「う……」
「ゲームやっても目的地に辿り着けなくて、泣いて僕に案内頼んだのは誰?」
「うぅ……」
「こんな見知らぬ世界で一人で行ったら、絶対帰って来れないでしょう!」
「ごめん……」
しょんぼりする嫁さん。
実を言うと、この嫁さんは僕が絶望するくらい方向音痴なのだ。
駅のホームで電車を待っていた時だって、僕と一緒にいたのに反対方向の電車に平気な顔して乗ろうとしたことがあった。一人で行かせるなんて、もってのほかなのだ。
「でも……じゃあどうするの?あっちの広い方はずっと続いてるみたいだし、山に戻る?」
「いや、ここから見える地平線が5キロくらいだとすれば、普通に歩いて1時間くらいだ」
「1時間?……あれ?そんなものなの?もっと地平線て、遠くにあるんだと思ってた」
「この世界が地球と同じサイズなら、って前提でね。地平線ていうのは球体の星に人間が立っているから見えるんだ。地球の半径がざっくりで6300km(本当はもっと細かいんだけど)。身長175cmの僕が見る地平線は、ざっくり計算で5kmくらいになる」
「どうやって計算したの……」
半ば呆れながら嫁さんが問う。
「『三平方の定理』で出せるよ。中学で習ったでしょ?僕の目の位置、星の中心点、そして地平線の位置が直角になる形で、三点が直角三角形になるんだ」
「へ、へぇぇぇ…………」
自分から質問してきたくせに、嫁さんは既に理解するのを諦めている。まぁ、図解も無くこれを説明しても難しいだろう。
「これだから理数系は……」
妙に憎しみのこもった声でボソッと毒づく嫁さん。
僕、何か悪いことしたか?
そんな嫁さんは、僕が簡単に結論を述べると少し機嫌が戻った。
「つまり、高いところから見れば、もっと先の地平線まで見えることになる」
「そうなの?」
「うん、高い位置から地平線を見れば直角三角形が大きくなるからね」
「じゃあ、私がジャンプしてみようか?」
「そうか、その手があったか」
先程もドラゴンを倒す時、嫁さんは十数メートルを軽々と跳躍していた。もう一度同じことをすれば、遠くを見渡すことも可能なはずだ。
「どれくらい跳べばいい?」
「だいたい20メートルもジャンプすれば……ざっくりで……16キロくらい見渡せると思う」
「わかった。たぶんもっと跳べると思うよっ」
嫁さんはいとも簡単に言うが、20メートルと言えば建物で言うと6階とか7階くらい行くのではないか?
我ながら嫁さんに何という注文をする夫なのだろう、と心配する。
――だが、その認識が甘かった。
早速グッとしゃがんで体勢を整え、嫁さんはそのまま大きく跳躍した。
ドンッッッ!!!!
とてつもない衝撃音とともに目の前から姿を消す嫁さん。
地面には、めり込んだ足跡だけが残り、風圧で吹っ飛んだ砂によって小さな円形の薄い窪みが出来上がっていた。
ここから小型ロケットでも飛び立ったのか、という状態である。
事態の深刻さに気づいた僕は、直ちに空を見上げる。
一瞬、人影が見えたような気がした。
が、米粒にも満たない大きさのそれは瞬く間に小さくなり、雲の中に消えてしまった。そこからは何も見えない。
――さて、この時の僕の心境を皆さんに理解していただけるだろうか。
想像していただきたい。
自分の愛する嫁さんが空高く飛んで行き、そのまま消えてしまった状況を。落ちてくるのか、こないのか、それすらも分からず空を見上げて待ち続ける夫の心情を。数十秒か、それとも数分か、まるで永遠とも思えるような焦燥の果てに、ようやく見えてきた嫁さんらしき人影が、今度は自由落下による猛スピードで急降下してくる光景を。
無論、そんなことが現実に起こりうるはずはない。
しかし、今ここで起こってしまった。
なぜだ。
なぜ、僕はまたもや嫁さんの力を過小評価してしまったのか。
今の嫁さんは、パラシュート無しでスカイダイビングしてきたのと同じだ。
後悔の念に苛まれながら、必死に嫁さんの落下する方向へ走り出す僕。
嫁さんは風に流されて林の向こうへ落ちそうである。
とても間に合わない。
間に合ったとしても僕にはどうしようもない。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ」
嫁さんの絶叫が小さく聞こえてきた気がした。
お互いにだいぶ近づいたようだが、僕からはまだまだ遠い。
そして、それは嫁さんが地面に近づいたことを意味する。
ついに嫁さんは林の中に落ちた。
と言うより、大地に激突した。
ドッッオオォォォンンッッ!!!
凄まじい轟音とともに、林の前方から衝撃波のような風圧が押し寄せた。
近くにいたら僕も危なかったであろう。
しかし、今はとにかく嫁さんの心配しかしていない。
いったい嫁さんはどうなったのか。
これほどの衝撃。
普通の人間なら、今頃、肉片になって飛び散っているはずだ。自分の嫁さんのそんなグロい最期を見届けなければならないのか。想像したくもないが、覚悟しなければ現場に赴く勇気も持てない。
だが、嫁さんは僕の想像を絶する強さを見につけているのだ。無事である可能性も十分に期待できる。とにかく無事であってくれ。理屈なんてどうでもいいから。
あらゆる思いが交錯しながら、落下現場に辿り着く。
そこには、周囲の木々をなぎ倒し、クレーターのように抉れた地面に横たわる嫁さんの姿があった。
「ゆ……ゆ……百合ちゃん……」
「あ、蓮くんっ」
ニッコリとこちらを振り向く嫁さん。
ちょっと尻餅ついちゃった、という程度のノリで立ち上がる。
「いやぁ……ちょっと着地に失敗しちゃったぁ」
立ち上がると同時に鎧がパキパキと音を立て、亀裂がいくつも入る。
いくつかのパーツを残して鎧は無残にも砕け落ちてしまった。
「あっ!あーーあぁ……やっちゃったぁ……」
名残惜しそうに砕けた鎧を見つめる嫁さん。
鎧の下は、夏の普段着であるTシャツとショートパンツだった。
露わになった首元や腕を見る限り、傷一つ付いていない。
「なんとも…ないの……?」
「うん、ちょっとビックリしたけど大丈夫だよ。いやぁ、すごかったなぁ。私、心臓弱くなってからは絶叫系に乗れなかったから、すごく興奮しちゃったぁ」
感慨深い表情で嫁さんは空を見上げる。
どうやら僕の心配は全て杞憂に終わったらしい。なんて子だ。
「こっちは、生きた心地がしなかったよ……」
安堵して、がっくりと崩れ落ちる僕。
一方、嫁さんは自分の体の小さな異変に気がついた。
「あれっ!よく見たら体が濡れてるっ!土も付いてグチョグチョだぁ……」
「雲の中に入ったからでしょ。水や氷の粒が集まっているのが雲だから」
雨が降りそうな低い雲なら高度2000メートルというところだが、今は晴れている。あの雲に届くといったら高度5000メートル以上はありそうだ。
「あっ!そうだ!それよりも蓮くん!見つけたよ!」
「え」
「水だよ。水っ!あっちの方に川があったよ!落ちてくるとき見たんだっ」
「ちょっ!ちょっと待って!一緒に行こう!」
走り出そうとする嫁さんを僕は落ち着かせる。
嬉しい報告だが、一人で行かせて迷子になられては堪らない。
嫁さんの言った方角に向かって真っ直ぐ歩いていくと、川原が見えてきた。確かに小川がある。
「おお」
「ねっ、あったでしょ?」
小川まで駆け寄り、水を飲む嫁さん。
「おいしい!」
僕もすぐに追いついた。
川の水は澄んでいる。とても綺麗でうまそうだ。
水を手にすくい、臭いを確かめてから飲んでみる。
「うまい。生き返る……」
思えば、川の水を直接飲むなんて、生まれて初めての経験ではないだろうか。
しかし、喉が渇ききっていたためか、こんなに水をおいしいと感じたことはない。
「あっ、それと、食べ物も見つけたんだよ」
一息ついた嫁さんがまたすぐに動こうとする。
「えっ、どこに?」
「すぐそこ。あの高い木のてっぺんに赤い実がなってるのが見えたんだ」
川のそばには、高さが20メートルはあろうかという細長い木が何本か生えていた。地球には存在しないような高い木である。こんな木に実がなるのか?
「ちょっと待っててねっ」
僕が文字通り「あっ」と言う間に再び跳躍して木の上まで行ってしまう嫁さん。
こちらが注意する暇も無い。
まったく。さっきのこと、ちゃんと反省してるんだろうな。
すぐに嫁さんは飛び降りてきた。
「ほらっ」
手にはリンゴのような赤い果実をたくさん抱えている。普通の生物には手が届かない位置に実をつける植物なのだろうか。嫁さんがいなければ、とても採ってくることはできなかったであろう。
「これで飢えは凌げるでしょ?」
「うーん……」
得意気な嫁さんを前にして、しかし、慎重な僕はここで考え込む。
そもそもこれは異世界に生えている未知の植物の実だ。僕たちが普通に食べても、果たして大丈夫なのか。
「見た目はリンゴだけど、これ、食べられるのかな……」
「鳥がつついてたよ。私が登って行ったら逃げちゃったけど」
「そうか。鳥が食べていたのなら毒は無いだろうね」
臭いを確かめた後、実をひとかじりしてみる。
感触がほとんどリンゴだ。
かじり取った実の欠片は食べずに手のひらに乗せる。
口に入った果汁からほんのり甘みを感じたが、念のため飲まずに外に吐き出した。
嫁さんの手を取り、実の欠片を彼女の肘の裏側に乗せ、腕を曲げさせて挟み込んでみた。
「念のためにアレルギー反応も見ておこうか。このまましばらく放置して皮膚が赤くなったりしたら、やばいヤツだ」
「蓮くん……細かいね……」
「誰のために細かくなったと思ってるんだよ。百合ちゃんの体調管理のために、僕はこういうことにとても細かい人間になったんだよ」
「そっか。ごめん」
嫁さんが微笑すると同時にそのお腹が、ぐうぅっと鳴った。僕は苦笑する。
「お腹は空いただろうけど、初めて食べるものなんだから、これくらい慎重に行こうよ」
「うん」
ふと気づくと太陽が林の陰に隠れて、少し薄暗くなった。
日が落ちてきたということだ。夕暮れが近い。
「これは野宿するしかないか……」
「どうしよ。私、野宿って初めてだよ」
「僕だってそうだよ。とりあえず日が沈む前に焚き火の準備をしよう。枝を拾ってくるよ」
「私はどうすればいい?」
「さっき岩を軽々と斬ってたよね。その辺の岩を上手に切断して、ベッド代わりにできないかな」
「ああ、なるほど。それいいね」
かなり適当な指示であったが、林の中に嫁さんを一人で行かせるのは怖い。僕一人で木材集めをするのが得策だ。時間が惜しいので、すぐに出掛けた。
燃えそうな枝などを拾い集め、戻ってくると、そこには予想外のものが出来上がっていた。
器用に切断された大岩がブロックのように上手に組み立てられ、簡易型のテーブルやイス、ベッドのようになっていた。焚き火用にブロックも積んでくれている。
これは嫁さんなりのDIYなのだろうか。人間を超越したパワーに、彼女のセンスと器用さが加わると、こんなことになってしまうのか。同じことを職人さんに頼んだら、かなりのお値段になるんじゃないか?
これは嬉しい誤算である。早速、褒めてあげたいと思い、嫁さんはどこに行ったのかと探すと、川の方から声がした。
「蓮くんっ!あのリンゴは大丈夫そうだったから食べちゃったよぉっ!おいしかったっ」
やれやれ、僕の確認も待たずに勝手に食べてしまったか。
呆れながらも、いい仕事をしてくれた嫁さんに対し、僕も機嫌が良かった。
しかし、川の方を向いた僕の目に飛び込んできたのは、さらに驚くべき光景だった。
「ねぇ、気持ちいいよっ!蓮くんも水浴びしようよ!」
なんと嫁さんは服を全部脱ぎ、一糸纏わぬ姿で水浴びをしていた。
見慣れたはずの嫁さんの裸なのだが、若返っているせいで全く印象が違う。
結婚以来、少しずつ肉付きが良くなり、ぽっちゃり感が出ていた体(それはそれで男としては好きだったりするのだが)は、すっかり細くなり、夕日に映えて美しいシルエットを描き出している。
白い肌。ほっそりした肢体にくびれた腰。
いや、もともとスタイル良かったけど、そんなにくびれていなかったろ!
大きめだったバストは変わっていないように見えるが、形が綺麗になっている。美しい黒髪がそよ風になびき、きめ細かくなった肌の白さをさらに強調していた。
まるでグラビアアイドルのようになった嫁さんの裸体に、僕は思わず見惚れてしまった。
ニヤけそうになる口元を慌てて手で押さえる。
何を今さら嫁さんの裸を見て、テンション上がってるんだ僕は。照れくさくて、そんな顔、嫁さんには見せられん。
と、そこまで考えて冷静になる。
冷静になったら、夫として言う言葉は一つだけだった。
「なっ!何やってんの百合ちゃん!!人に見られたらどうするんだよ!服着てよ!」
「大丈夫だよっ!この辺りは何も気配を感じないからっ」
「け……気配って……」
「人もモンスターもいないから大丈夫っ」
まさか嫁さんは気配を察知するスキルまで身につけているのだろうか。
だが、確証も無いのに夫としては安心できない。
「いや、だからって……」
「だって埃だらけだったし、泥もすごかったんだから」
それは君が雲の上までジャンプしたからだよね。
「わかったよ。じゃあ早く体洗って服着ようよ」
と言ってるところに何かが投げつけられた。
慌ててキャッチすると、それは魚だった。
「え」
「ほら、集中すれば魚の気配だってわかるんだよ。このアユみたいな魚、食べられるかなぁ」
確かにアユに見える。
アユは夏の頃に取れる川魚だったと思うから、この辺の暖かい気候から考えると条件は一致する。
「はいっ!はいっ!」
さらに魚を投げてくる嫁さん。
見れば、目にも見えない速さで川の中に手を入れ、魚を掴んではこちらに飛ばしている。手際が良すぎるだろ。
気づけば10匹ほどのアユもどきが集まった。
その間、夕日に赤く染まる素っ裸の嫁さんが、僕の制止も聞かず、楽しそうに魚を手づかみで捕まえ続ける、珍妙な光景を見せつけられたのだった。
「……はいはい。もういいから川から上がって」
「うん」
ようやく飽きたところで、嫁さんが陸に上がるのだが……
「あっ」
「どうした?」
「タオルが無い……」
「そりゃ、そうだよね!」
仕方なく、僕が着ていたローブを脱ぎ、バスタオル代わりに使ってもらった。
こちらもかなり埃まみれだが、何も無いよりはマシであろう。
自分でもここで気づいたのだが、ローブを脱ぐと、下に着用していたのはワイシャツとスラックスだった。
この世界に来る直前の格好ではないか。
「やっぱり蓮くんは、そっちの格好の方がいいな」
「そう?まぁ、ローブは動きづらいし、暑苦しかったし、僕も好きじゃないかな」
「うん。でも、ちょっと汗臭いかも」
ローブの臭いを嗅ぎながら嫁さんが言う。
「え、ごめん」
「ううん」
なおもローブから顔を離さない嫁さん。そんなに臭いが気になるのだろうか。
「臭いが気になるかもしれないけど、その格好じゃ、夜冷えるだろうから、そのままローブを羽織っててよ」
嫁さんの鎧は、中途半端に砕けてしまったので既に脱ぎ捨てられていた。腕と脚をはじめ、いくつかのパーツをアクセサリー代わりに残し、あとはTシャツとショートパンツという姿だった。ファンタジー風の衣装となり、ちょっと中二病くさいが、とても似合っている。しかし、暖かい日中にはいいと思うが、夜は寒いだろう。
「うん、ありがと」
嬉しそうにローブを羽織った嫁さんが続けて言う。
「ふふっ、蓮くんの匂い……」
「悪かったって……」
「ちょっと汗臭いけど、若くなった蓮くんの匂いが新鮮な感じ」
「そ、そう……」
ようやく野営の準備が整ったので、焚き火をするため、炎系の魔法を試してみた。
しかし、またもや成功しなかった。
最初の一発はマグレだったのだろうか。
すると、嫁さんが木の枝を持ち、板に高速でこすりつける。
瞬く間に火がついた。
すぐに木屑と小枝を火種にくべて火を起こす。
やがて日が暮れ、夜になった。
なんやかんやで、気がつけば全て嫁さんのお陰で、水も火も食料も、そして、簡易的ではあるが、寝床までそろってしまった。
”アユもどき”は丸焼きにしてみた。これも慎重に臭いや感触を確認して食べてみたのだが、普通においしい。見た目も味もアユそのものであった。塩焼きにできれば文句は無かったのだが、そこまで贅沢は言うまい。
”リンゴもどき”は甘くておいしかった。こちらはリンゴとは少し違う味だったが、中心の芯とタネを除いて全て食べられた。
特にこの”リンゴもどき”の驚くべきところは、1個食べただけで力が漲ってきたことである。今日一日、正確には半日程度だが、歩き疲れていた体が、みるみる元気になった。これ1個食べるだけで1日大丈夫なのではないかと感じる程である。
1個で満足している僕の横で、嫁さんは余程お腹が空いていたのか、おいしい、おいしい、と言ってリンゴもどきを3個も平らげてしまった。こんなに食欲旺盛な嫁さんは初めて見たかもしれない。
「百合ちゃん、あんまり食べすぎは良くないよ。明日も何があるか、わからないんだから、それくらいにしよう」
「そだね」
ゴクンと飲み込みながら頷く嫁さん。
こうして、この世界に来て初めての夜は、嫁さんと二人きりの野営となったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます