第32話 敵が味方、逆もまた然り ③


 同じとき、繁華街を歩いていた咲がぴたっと動きを止めた。

 隣にいたあやめが、不思議そうに振り返る。

 お互い制服、咲は高校の薄い水色カッターシャツ、あやめは中学校の白シャツ。


「あやめちゃん、相談があるんだけど」

「……はい」


 制服の裾をぎゅっと握り、目を閉じる咲。

 あやめは何事かと、咲に向き直って話を聞く。


「なにかありました?」

「学校の友達が、優しいの」

「…………はぁ」


 なにか問題が起きているのかと思ったあやめから、気の抜けた声が漏れた。

 咲は制服の裾を掴んだまま、話を続ける。


「私、不登校だったから学校っていったらドラマの知識しかなくて……今の私の学校生活、日常とかけ離れてると思うの」

「……何ゆえに?」

「ドラマではね、転校生っていったらかっこうの餌食で、知識も技術もないからすぐに狩られるの。登校初日に文付きの矢が飛んでくると思って、警戒してたんだけど」

「……何のドラマですか?」

「えっと、殺人学校……みたいなタイトルだったと思う」

「ホラージャンルのドラマを学園生活の参考にしないでください。大丈夫です、咲さんは普通に普通の日常生活を送っています」

「でも……」


 呆れながらも、あやめは咲の後ろに回り込んで髪型を見た。

 肩より少し長い髪をサイドで編み込み、真ん中で一つにまとめるアップスタイル。

 蝶をあしらった銀色の髪飾りが突き刺さっている。

  

「これ、お友達にやってもらったんですか?」

「あ、そうだこれ。絵莉ちゃんに返さないと」

「絵莉ちゃん?」

「同じクラスの友達」

「へぇ、友達ですか……」


 意味を含んだ言い方をし、スタスタと歩くあやめ。

 咲は不審に思いながら、あやめの後を追う。


「あやめちゃん、怒ってる?」

「いえ全然……」

「織斗くんがホラードラマ見ようなんていうから……」

「神木の当主が見せたんですか? ……先週、体育の授業でバドミントンをするとの予告を受けました」

「? うん」

「初めてなので練習をしておこうと当主様にお手伝い頂いてフォーメーションから何からダブルスの極意を完璧にマスターしていたにも関わらず、体育の授業がシングル戦で行われた時の感情と今、同じものを感じています」

「えぇーっと……勝てた?」

「コートの幅が違うので、サーブもスマッシュも全く入らず惨敗しました」

「ざ、んねんだね……じゃあさ、今度みんなでやろっか」

「みんなで?」

「せっかく練習したんだから、バドミントン勝負しよう、神木対緋真で。公園……は風が強いかな?」

「場所なら緋真の……バドミントン勝負……ぜひ……ぜひっ!」


 ぱぁぁあっと、あやめの表情が明るくなる。

 普段の無表情とのギャップが激しくて、咲はくすくすと笑みを零した。


「許します、私。咲さんのお友達が咲さんのサラサラの髪にさわって咲さんに妙な感情を抱いていたとしても、許します」

「……あ、それで怒ってたんだ?」

「やきもちです。でも気にしません、私の咲さんへの気持ちは変わらないし、今デートしているという事実も揺るがないです」

「今日はパンケーキ屋さん行くんだよね、向こうの通りだっけ?」

「はいっ! 信号渡ったところの……」


 横断歩道の向こうを指差すあやめ。その動きがピタッととまった。

 咲が顔を上げると、横断歩道を渡って近寄ってくる相手もこちらに気づいたようで、首を傾げた。


「咲? と、あやめ?」


 それは広だった。

 向こうも学校帰りのようで、制服を着たまま。


「こんなところで何してんの?」

「広こそ」

「俺は、ちょっと……買いたいものがあって」


 広はあやめを一瞥したあと、すぐに視線をそらした。

 視線の意図がわからず、あやめは首を傾げる。


「何をお買い求めですか?」

「それは、秘密」

「秘密にするようなこととは?」

「……えーっと」


 誤魔化すように顔を背ける広。

 これは追求しちゃダメなやつだ、と察した咲が、二人の間に割って入る。


「都会って便利だよね! 欲しいものあったらすぐに買いに行けるもんね!」

「すみませんが咲さん、今は当主様の買い物事情を探っています。それで、何をお買い求めに? 日用品なら家臣に任せておけばよいです」

「いや……」

「あ、あやめちゃん! 広だって自分で買いたいものとかあると思うよ!」

「自分で買いたいものとは……」


 そこではっと、あやめが目を見開いた。

 広と咲を交互に見つめ、やがてすっと一歩後ずさる。


「すみません、当主様。差し出がましい真似を」

「いや、別に……ていうか、何か勘違いして……」

「しかしプレゼントというものは、事前調査が必要かと」

「プレゼント?」

「というわけで咲さん、今日は当主様とウィンドウショッピングというものを楽しんできてください」

「…………ん?」

「パンケーキのお店は後日にしましょう」

「えっ、あやめちゃんは……」

「私は急用ができたということにして、お二人で可愛らしい小物でも見てきてください」

「急用が出来たの?」

「はい、そういうことにします」

「いや、明らかに嘘だろ。そういうことにって……」

「では、当主様、咲さん。私はこれで失礼します」


 唖然とする広と咲に背を向け、颯爽と去っていくあやめ。

 その姿が人の波に消えたところで、広が咲に目を落とした。


「ごめん、あやめと出かける約束してた?」

「あ、うん……パンケーキ食べに行こうって……」

「今から行く?」

「え? でも広、買い物があるんだよね? 何買うの……ってこれ、聞いてもいいこと?」


 広は宙を睨んで考えたあと、長いため息を吐いた。


「これ、あやめには言わないで欲しいんだけど」

「うん」

「昨日、あの後、あやめが夜食作ってくれて……オムライス」

「あやめちゃん料理するようになったんだね、すごいね! 美味しかった?」

「全部が半生だった」

「……ん?」

「人参がそのままだったり、玉ねぎの皮が入ってるのは別にいいんだけど……鮭が、さ」

「鮭? オムライスに?」

「なんかこう、水っぽいなぁとは思ったけど……」

「えっ? 鮭を生で食べたの?」

「ちょっとは火が通ってたと思う」

「いやいや……いやいやいや!」

「米もすげー固かったし」

「……オムライスって、具材を炒めてその後に炊いたお米を入れるんだけど……手順あってる?」

「いや、俺は見てないけど……作り始めてから十分しないうちに俺のとこ持ってきたから、炊いてはないだろうな」

「……もしかして、それで……」

「胃薬かなんか、買いに行こうと思って。屋敷で薬もらって、それがあやめの耳に入ったら責任感じるだろうから」

「……広って本当、優しいね」


 難しい顔をしながら腹を触る広を見て、咲はくすくすと笑った。

 広は困ったように、苦笑いを浮かべる。


「昨日の夜にやることがあって、だから夜食作ってくれたんだ。食べなきゃって思って」

「あ、寝不足なんだっけ? 大丈夫?」

「正直、今かなり怠い。無理に学校行ったから」

「あ、そうだよね! じゃあ早く帰って……待ってて、薬買ってくるから!」

「え? いや……」

「広はそこでゆっくりしてて!」


 駆け出す咲の背中を、広はため息をついて見送った。

 任せよう。そう思って気を抜いた瞬間、背中に強い衝撃を感じた。

 人の多い繁華街、その喧騒の中でも響く大きな音。

 通行人の叫び声に、咲が振り返る。


「……広?」


 振り返った咲の目に映ったのは、地面に膝をつく広の姿だった。

 広の背後に、グレーのパーカー、フードを目深にかぶった子どもがいた。身長は百四十センチもなさそうな小柄な男の子。

 カランっと、短刀が地面に落ちる。血が滴る切先に小さく、緋真の術印が描かれていた。

 咲が駆け寄ると、びくっと肩を震わせた少年が顔を上げた。

 緋真特有の整った顔立ち、漆黒の瞳の……


「遼馬……」


 俯いたまま、広がその名前を呟く。

 遼馬は震える手で短刀を拾い上げ、口元を手で隠した。


「血……血が欲しくて……」


 くるっと踵を返し、遼馬が走り去る。

 周囲の人々が捕まえようとするが、遼馬は小柄な身体で器用に人々の合間を縫って走る。

 しかし服の襟を掴まれたことで、短刀を握りしめて声を発した。


「か、解いん、解印!」


 瞬間、小さな竜巻が起こって人々が軽く吹き飛ばされた。

 その隙をついて、遼馬が逃げ出す。


「追いかけ……」


 遼馬を追おうとした咲だが、広に手を掴まれて視線を落とした。

 苦しそうに息を吐く広が、遼馬の去った方向を見つめる。


「悪い、咲……気付くのが遅くて……急所は、避けれたんだけど」

「それは、それより止血……えっと、えっと……」


 傷口に触れようとする咲の手は、酷く震えていた。

 医療を生業としている家で育った。

 それを見て来たし、手当をしたことだってある咲だが、動揺故に頭が回らなくなっていた。

 医療従事者だという人が咲を押しのけようとするが、広が手を離さなかった。


「家臣だ」


 手を握ることしか出来なかった咲の耳元で、広が言った。


「屋敷で暮らしてる家族……緋真の家臣だ」


 そう呟いたあと、広は意識を失った。

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