第31話 敵が味方、逆もまた然り ②



 朝の登校時間は騒がしい。

 が、咲が高校に編入してからというもの、織斗は毎朝ちゃんと学校に来ていた。


「遅刻常習犯だったもんな、織斗」


 始業前の時間。

 広の言葉に、織斗は手に持っていた紙パックのジュースを握り潰す。


「おい広、誰のせいで遅刻してたと思ってんだ」

「お前の堕落した生活のせいだろ?」

「いやいや、あの頃は広が朝、登校前に狙ってきたからだろ! 戦うのは夜だけって決めてから落ち着いたけど」

「そうだっけ? 記憶にないな」

「んなわけないだろ、学年一位」


 広が眺めているプリントを睨みつける織斗。紙面には古典の活用表が印字されていた。


「……なぁ、もしかして今日、テストか何かあるの?」

「やっと気づいたか。はい、これ」


 広がプリントを翻し、織斗に差し出す。


「二時間目だから、あと一時間ちょっとか」

「えっ、二時間目? やっぱりテストなの?」

「昨日言われただろ?」

「聞いてない!」

「ああ、聞いてなかったな、お前」

「いやいや、教えてくれよ! つーか、学校来たときにすぐ言ってくれよ! くそー、呑気にいちごジュース飲んでる場合じゃなかった!」

「朝から甘ったるいの飲んでんなぁ、テストあるのにバカなのかなーとは思ってたけど」

「なら言えよ! つーかお前、俺のことバカにし過ぎだろ!」

「違うのか?」

「バカだけど、実際!」

「じゃあさっさとそれ覚えろ」


 首を垂れ、織斗はプリントを眺めた。

 しかしふと、違和感に気がついて顔を上げる。


「広、もしかして体調悪い?」

「……なに言ってる?」

「いや、なんか、いつもと顔色違うから」

「織斗って意外と鋭いよな。寝不足と、あと、腹痛」

「腹痛? 悪い物でも食ったの?」

「……悪い物じゃない」

「?」

「寝不足は屋敷の改革のことで、俺が好きでやってるというか、責任があるというか」

「なに言ってんの?」

「窓を、開けてくれたんだと思う」

「窓?」

「咲が来てから、屋敷の風通しがよくなった……気がする」

「屋敷って、緋真の?」

「東京分家の。今までは空気が澱んでて何も見えない状態……いや、父様の言いなりになってたまるか緋真なんて嫌いだって反抗して逃げてた俺が悪いんだけど。咲が、窓を開けてくれて……あぁ、こんなに空気悪かったんだ。頑張らなきゃ、俺がこの家を変えるんだって、気がついた」


 窓の外を見つめる広の顔は明るく澄んでいた。

 以前の広なら家のこと、緋真の話をするときは俯いて誤魔化していたのに。


「いい風が吹いてるな」


 ふわっと、窓から風が入り込んだ。

 机に置いていたプリントが床に落ち、たまたまそこにいた人物がそれを拾い上げる。


「神木、古典のテストの勉強してるの?」


 プリントを拾ったのは、同じクラスの小原絵莉だった。

 じっと紙面を見つめながら、織斗に差し出す。


「ありがと。小原は大丈夫なのか? ていうか、二時間目に古典のテストあるって知ってた?」

「知ってたわよ、当然。勉強はしてないけど」

「してないのかよ」

「私、古典は嫌いなの。遥か昔の時代とはいえ、同じ日本人が使っていた言葉とは思えない。つまるところ、そんな古い時代の言葉覚える必要はないってことね」

「覚えれないだけだろ」

「とにかく、私は神木とは違ってテストのことは知ってたわよ。咲だって知ってたわよね?」


 険しい顔の絵莉の表情が一変、甘い笑顔で背後に視線を送る。

 絵莉の後ろにいた咲は、戸惑いの表情を浮かべていた。


「テストがあるのは知ってたよ。私も勉強してないけど」

「そうだよな、咲も勉強してないよな。あのあとテストの復習して、風呂入ったあとは俺とババ抜きして遊んだもんな」

「織斗おまえ、ババ抜きって……その遊びに使ったトランプって、まさか」

「でも、テストって授業の復習だよね? なら家で改めて勉強する必要ないと思って何も言わなかったけど……織斗くんもしかして、やばい状況なの?」

「…………悪いけど俺、勉強するから」

「今日からちゃんと勉強しようね? 神木のトランプでババ抜きしようなって誘って来ないでね?」

「咲! それ言うなって……」

「織斗……」


 呆れ顔の咲と広に挟まれ、織斗はプリントで顔を隠した。

 意味がわからない絵莉が、咲の肩を抱いて頬を近づける。


「じゃあ、勉強する必要のない私と咲は向こうで遊んで来るから」

「いや、小原も勉強しとけよ」

「咲の髪ってサラサラで綺麗だから撫でてると妙な気分になるのよね。どんな髪型にしようか? 三つ編み好き?」

「糸の扱いには慣れてるけど、自分の髪は……凝った結び方したことない、けど」

「任せて! 私が可愛くしてあげる! あ、咲がいくら可愛くても神木はダメだからね、兄なんだから」

「なんの話だよ?」

「緋真くんも……百歩譲って緋真くんならお似合いかなぁー、でも咲の純情が……」

「小原、織斗の勉強の邪魔になるから遊ぶなら向こうでやってくれ」

「そうだね、ごめーん! 咲、行こう!」


 てへへーっと笑った絵莉が、咲の肩を抱いて自分の席へ向かう。

 嵐が去った、と織斗と広は一息ついた。


「よかったな、小原が仲良くしてくれて。織斗とも仲良いし」

「中学が同じなだけだろ。つーか広も一緒だろ」

「そういう意味でも、小原は他の女子より気軽に話してくれるから、咲の友だちになってくれてよかった」

「彼氏いるしな、あいつ」

「……似たもの同士、すごい巡り合わせだよな」


 ちらっと目を向けると、小原の席で髪を結えられている咲の姿があった。きゃっきゃと騒ぐ小原に、照れたような笑顔を向ける。

 少し視線をずらすと、教室の出入り口で友だちと話し込んでいる川谷の姿。


「平和だな、なんか」


 広の言葉に織斗が視線を上げたが、すぐにプリントに目を戻した。


「俺の世界は平和じゃない、やばい」

「……がんばれ」


 ふわっと、暖かい風が教室に流れ込んできた。





 放課後、住宅街を一人で歩いていた織斗の肩に、ちょこんと姫未が乗った。

 音もなく、どこから現れたのかもわからず。


「お疲れさまー、織斗」

「神出鬼没だな、姫未。いつも突然現れるし」

「一人? 咲ちゃんは一緒に帰らなかったの?」

「咲ならデート」 

「デート? 彼氏できたの? まさか緋真の当主?」

「冗談でもやめてくれ。咲の件に関しては、俺は広を許してない」

「家出したときお世話になったのに? そのおかげで咲ちゃんと仲直りできたのに?」

「……咲なら、あやめとデートって」

「あやめ? あぁ、緋真の子ね。可愛いもんねぇー、咲ちゃん」

「だよな! 可愛いよな、俺の妹! 学校でも人気なんだ、今日も友だちに髪綺麗にしてもらってた!」

「幸せそうね、織斗」

「そうだな、今までの人生で一番最高かも。俺、小さい頃に妹に会わせろって喚いてる時期があってさ」

「結奈ちゃんは?」

「あいつは従妹だろ? そうじゃなくて本当の妹がいる、って確信があったんだ」

「痛々しい妄想で終わらなくてよかったわね」

「マジ、それな」


 自嘲気味に笑い、織斗は空を見上げる。


「叶うもんなんだな、願いって」

「そうかしら? 叶わない、どうにもならない事の方が多いけど」

「そりゃそうだろうけど。今は叶った願いが大き過ぎて、この勢いで全ての願い事が叶うんじゃないかと思ってる」

「傲慢ねー、神社に行って神様にお願いする?」

「いや、むしろ俺が神かな」

「なに言ってるの?」

「今なら何でもできる、全世界を一人で支配できそうな気がする」

「……スケールが大きくなってますけど?」

「俺いま人生が最高に楽しいからな!」

「そうでしょうね。それで、絶好調な神様の次の願い事は?」


 姫未の問いに、織斗は満面の笑みを浮かべた。


「みんなで仲よく!」

「……なにその小学生の標語みたいなの」

「俺、一人じゃ何も出来ないからさー。今日のテストも、広がいなかったら0点だったな」

「自慢することじゃないでしょ?」

「だからこのまま、友だちとか色んなやつと仲良く! 楽しく暮らしていきたい。てことで、お前もあんま居なくなるなよ?」

「私?」

「みんなの中には姫未も入ってるから」


 織斗の突き出した拳に、姫未がとんっと自分の手のひらをぶつける。


「じゃあ帰るか! 姫未、今日一緒にゲームやる?」

「……ババ抜きならやらないわよ?」

「あっ、昨日見てた? それとも学校?」


 ケラケラ笑いながら歩く織斗の肩に乗り、姫未は嬉しそうに微笑んだ。

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