Case ■-2.They don't do it anymore.
「そういえば、天体観測はいつやるの?」
部室へと戻り窓際で涼んでいると、
「そうだなあ」
言うまでもなく、ここ最近は『諦め屋』の方ばかりに注力してしまっていたので、天体観測の計画は全然練り上がっていない。
「とりあえず、日付だけでも先に決めておくか。夕月はいつならいいんだ?」
「んー、いつでもいいよ?」
「いやいや、部活とか友だちとの約束とかあるだろ」
「だいじょうぶだもん。それより優先するような用事、ないから」
「まあお前がそう言うなら……」
後で陸上部の先輩とか友だちに怒られても俺は知らないぞ?
「だってさ」
俺の呆れ声をかわすかのように、夕月は窓に身体を預け、外を向く。
「せっかくハルと同じ部活に入ったんだもん。ハルが好きなもののこと、知りたいって思うじゃん? 好きな人が見てるものを自分も見たいって……思うんだよ」
「お、おう」
外を向いたまま言うものから、表情はわからない。だけど、耳が真っ赤になってるのは俺の位置からでも見えた。つられて、俺も顔が上気するのがわかる。
「なあ夕月」
「なあに?」
「前から聞きたかったんだけど……なんで俺、なんだ?」
どうして夕月が俺なんかを好きになってくれたのか。一見すると思い上がりも甚だしい質問かもしれないが、その理由が俺にはわからなかった。
「俺って別に運動も勉強もできる方じゃないだろ? それにその……イケメンってわけでもないし」
たしかに幼なじみで付き合いが長いということはあるが、それだけだ。
「ぷっ」
「な、なんだよ」
一応、まじめな話をしてるつもりなのに。
「イ、イケメンなんて言うから。くふふ……ハルがイケメンなわけないじゃん」
「お前な」
言い出したのはたしかに俺だが、笑われるとなんか腹立つな。
「イケメンとか、頭いいとか……そんなんじゃないよ」
そして聞こえるか聞こえないかくらいのボリュームで、ぽつりと言った。
「陸上の……大会」
「え?」
「ハル、いつも来てくれてたじゃん、陸上の大会に。それで、いつも応援、してくれてたじゃん」
「あ、ああ」
小学生のときに陸上を始めた夕月。ちゃんと見にこい、だなんて言うもんだから最初の方は仕方なく行っていたが、いつの間にか当たり前になっていた。高校に入ってからはまだ一度も行ってないけど。
「……それで?」
「うん」
「……それだけ、か?」
「な、なによ……悪い?」
「い、いや悪いってことはないけど」
「わ、わかってるもん。ちっぽけなことだってくらい……でも」
ぐいっ!
「好きになっちゃったものはしょーがないじゃん!」
夕月が勢いよくこちらを向いた。
瞬間、お互いの顔が至近距離で向かい合う。
「あ……」
「え……っと」
呼吸を、鼓動すらも感じ取れそうなほどの距離。俺の視界には夕月しか映っていない。つまりは、彼女にも俺しか見えていない。
言葉がなくなる。喉がつっかえて、何も出てこない。お互い汗をかいているはずなのに、感じるのは夕月の、女の子の甘い香り。
「ハル」
宝石みたいに潤んでいる瞳。紅潮した頬。……柔らかな唇。
目が離せない。吸い寄せられそうになる、その先に、
「あ、あのー」
「!」
扉の外から、申し訳なさそうな声。覗き込むように立っていたのは、背の低い女子生徒だった。赤い縁の眼鏡に、三つ編みのおさげ。首元のリボンが青いから、俺たちと同じ一年生。だけど、知らない顔だった。
女子生徒はやや硬直した状態のまま、言葉を濁している。
「えっと、その……」
「あっ! すみません! なんでもないですよ!」
「そ、そうそう! 私たちなにもしてないから!」
何に対する弁明かもよくわからないまま、慌てふためく俺と夕月。
「いっ、いえこちらこそごめんなさい。突然やって来て」
伝染したみたいに相手もあたふたし始めたので、俺は少し冷静さを取り戻すことができた。
「ええと、それで……何か用ですか?」
「あの……ここって『諦め屋』で合ってますか?」
「あ……」
瞬間、俺の心は冷静さを通り越して、冷える。額に氷を直接当てられたみたいに。
何と答えるべきか、瞬時にいろんなことが頭の中を駆け巡る。でもそのどれもが、しっくりこなかった。
だから、純粋な事実だけをただ、告げた。
「すみません。『諦め屋』はもう、やってないんです」
「そうなんですか?」
「はい。だからせっかく来てもらって申し訳ないけど……」
そこまで言うと、女子生徒は残念そうに眉を下げて、
「わ、わかりました。突然来て、すみません」
お辞儀をして、去っていく。遠のいていく足音。
「ハル」
隣に立つ幼なじみが俺を呼ぶ。
「私、今日はもう行くね」
「そう、だな。陸上部、がんばれよ」
「うん……ありがと」
夕月が部室から出ていく。残されたのは、俺ただひとり。
視界に映るのは、空きスペースの目立つ本棚。つい数日前までは、文庫本で埋め尽くされていたその場所には、今は何もない。
『諦め屋』は、もうない。これこそ、俺の望んだ天文部のあるべき姿。
「……これで、いいんだよな」
問いかける。けれど俺の問いは熱のこもった空気に溶けて、周囲にべったりとまとわりついたままだった。
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