Case 2-14.The truth

 段ボールから取り出された大きなサメの抱き枕を、俺はまじまじと見つめる。

 一メートルはあろうかという大きさに水色と白でカラーリングされたボディ。黒い眼帯とギザギザの歯が印象的だ。


 あれってたしか……。


「先生がつけてるストラップを同じキャラ――」

「限定発売品の『抱腹絶倒しゃーく君』の抱き枕じゃない!? ど、どうして東雲しののめさんがそれを……」


 俺の声をかき消さんばかりに、トーンを一段階上げる七海ななみ先生。彼女の言う『しゃーく君』は、俺がこの間見た先生のストラップを同じ、ちょっとばかりブサイクに見える表情のサメのキャラクターだった。


「これ、そんなにレアものなんですか?」

宵山よいやま君知らないのっ? これは数ある『しゃーく君』グッズの中でも超レアの逸品で、もう手に入れるのは不可能と言われてているほどのお宝なのよ」

「は、はあ……」


 七海先生の目はキラキラと輝いていて、ほしいおもちゃを目の前にした子どもみたいだ。先生相手にこの感想は失礼だけど、そう見えてしまったものは仕方ない。


「これ、知り合いからいただいたものなんですけど……私が持っているよりも、もっと価値のわかる方にお譲りした方がいいかと思いまして」

「えっ、それって」

「ええ。先生がよければぜひ」

「ほっ、ほんとう? じゃあ――」


 七海先生の顔が一層喜びに満ちる。と、それに待ったをかけるように、


「けれど、仮にも先生が生徒からこんなものを受け取ったとなると……他の先生や生徒はあまりいい印象を抱かないかもしれませんね」

「うっ……」


 言葉に詰まり、七海先生はその場に立ったまま固まる。

 まさか部長……。


「七海先生がちょっとだけ、私たちの知りたいことを教えてくださるなら、そんな心配もないと思うんですけど」

「うう、……」


 これを狙ってたのか。

 この超レア抱き枕がほしければ、自分たちに情報を提供しろ。部長はそんな交渉を教師相手に持ちかけているわけだ。この人、本当に手段を選ばないな。


「わっ、私は生徒の模範たる先生です。こんな生徒と取引するようなことは……」

「そうですか、残念です。ではこれはネットオークションにでも出して大事にしてくれる人にもらっていただきましょうか」

「ちょっ、それは!」


 がたっ! 条件反射のように、七海先生は机に手をついて前のめりになる。


「……それは?」


 オウム返しに、部長が訊く。困った表情の七海先生の顔を、吸い込むように黒い瞳で覗き込む。


「ええと……その」


 たじろぐ七海先生。部長と、隣の抱き枕を交互に眺めてはうんうん唸り始める。まるで究極の選択を迫られているみたいに。見ていてなんだか不憫に思えてきた。


「私は先生で、でも……~~~~っ」


 人生最大の葛藤かっとうと直面したかのように、苦悩が顔に浮かぶ。

 そして数十秒、頭を抱えた後、


「……わかりました」


 消え入りそうな七海先生の声。

 まさか高校入学後の数か月で、教師が生徒に屈する場面を目の当たりにするとは思いもしなかった。


「ありがとうございます、七海先生。ではどうぞ。これはお譲りします」

「……やったー! しゃーく君!」


 もふっ! と抱き枕に向かってダイブした。「えへへ~」普段教壇に立つ人とは思えないくらいニヤけ顔で、満足そうに顔をうずめている。なんだか、こういう表情の方が似合う気がする。


「……それで、七海先生」

「えっ? あっ、そ、そうね」


 抱き枕から一旦身体を離し、ごほん、と咳払いをする。


「ええと、天川あまかわさんがどうして美術部を退部するのか、だったわよね? ……言っておきますけど、他の生徒には言っちゃだめですよ?」

「もちろん、しゃーく君に誓って、秘密にします」


 笑みを向ける部長。七海先生はやってしまったとばかりに自省の色を漂わせながら、息を大きく吐いて、言った。


「天川さん、来月からフランスへ留学に行くのよ」

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