Case 1-11.The moment to give up

 部長は、一枚の写真を机の上でスライドさせ、桜庭さくらば先輩のもとへと近づける。


「見ても……いいですか?」

「もちろん」


 桜庭先輩は身を乗り出して、おそるおそる見る。俺も気になって、同じように写真を覗き込んだ。


「……これって」


 全くの同時。俺と桜庭先輩の目は見開かれた。


 そこに写っていたのは、猫の姿だった。


 どこかの家に入っていこうとするところを写したと思われる写真。ぼやけているせいできちんと判別はできないものの、色合いや毛のもさもさ感は、一週間前に桜庭先輩から見せられた写真の猫と似通っている。


「それを撮ったのは、隣の町のとある家よ」


 部長が、説明を始める。俺も桜庭先輩も、写真から目を離せないまま、黙って聞く。


「写真はぼやけたものしか撮れなかったけど、その家にいたのは間違いなく……桜庭さん、あなたの飼い猫だったわ」

「……ソフィー」


 ぽつり、桜庭先輩は猫の名前をつぶやく。


「たまにあるみたいね。飼い猫が違うところに住み着いたりとか。猫ってけっこう、気まぐれなところあるみたいだし」


 部長の言葉に耳を傾けながら、桜庭さんは写真を手に取る。


「これはあくまで私の印象なのだけど、その猫は家の人たちにとても大事にされているようだったわ」

「そう、ですか……」

「これが、私たちの出した結論。そして後は……あなたが決めることよ、桜庭さん」

「私、が……?」


 写真から顔を上げ、桜庭先輩が聞き返す。


「そう、最初にも言ったとおり、あくまで諦めるのはあなた自身よ。私たちはその手伝いをするだけ」

「諦めるのは……私」

「だから、その家に行ってその猫はウチの猫ですと主張しに行くもいいし……黙ってこの結論を受け入れるもよし」


 それが、彼女に課せられた、最後の決断。


「私は……」


 そこまで言って、再び手元に目を落とす。薄い写真の中に佇むその姿を見て、愛おしそうに目を細める。そして、一度ぐっと喉を鳴らし、


「私は、受け入れます……この結果を。諦めます……ソフィーのことを」

「そう」


 短く、部長はうなずいた。


「いいんですか、桜庭先輩」


 いてもたってもいられず、俺は訊くことにした。部長が眉をひそめた気がしたが、そんなの気にしていられない。


「……っ」


 と、桜庭先輩は写真を握りしめて、


「いいんです、これで」


 はっきりと答える。だけどその後に続く言葉は、ぽろぽろと崩れそうで、


「私、本当はずっと不安だったんです……ソフィーが死んじゃったんじゃないかって。でも、自分じゃ確かめることも……どうすることもできなくて」


 ……ああ、そうか。


 この人はずっと不安に駆られていたのだ。それを解消できる何かを、誰かを、ずっと探し求めていたのだ。そして今ようやく、その呪縛じゅばくから解放された。


「でも、別の場所で、大切にしてくれる誰かのもとで幸せに生きているなら、私はそれで十分です」


 顔を上げてこちらを向く桜庭先輩。その顔に、今まであった陰りはない。


「では、依頼はこれで完遂ということで、いいかしら?」

「はい……ありがとうございます」


 これが、諦めるということなのか。


 桜庭先輩が浮かべる安堵あんどの表情を見て、俺はそう思った。

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