第80話 契約 side レオナード

 スゥスゥと小さな寝息を立てながら眠るツェリ。泣き過ぎで腫れぼったくなった目が痛々しい。

 僕は赤黒く変色した彼女の頬に触れようとして、止めた。そして彼女に触れられなかった手を、グッとキツく握り締める。

 ツェリに暴力をふるい、恐怖を与えたのは、僕の弟であるアルバート。このツェリの頬は、僕の甘さが招いた事態。


 だけど、もう終わりだ、アルバート。僕はお前にとって、良き兄では無かったかもしれない。だけどまた、お前も僕にとって良き弟では無かったよ。


 僕達を密室空間にいさせてくれたフィリップスと、同じ部屋にいたヴィダに、ツェリを危険な目に合わせてしまった事の謝罪と、そして2人きりにさせてくれた事の感謝を伝え、シュタイン公爵家を去る。

 本当は、ツェリが目覚めるまで傍にいたかったが、僕には早く片付けねばいけない問題が山積みだったから。


 去ったその足で向かうのは、貧民街のギンの元。今日も必要最低限の護衛のみで。前回の事で感じたからだ、貧民街には護衛を倒せる程の実力の者はいないし、ギンにかかれば、ヴィダですら倒されてしまう危険性がある事を。

 ヴィダは言っていた『もし、ギンという男と敵対する事になれば、迷わずお逃げ下さい。私では恐らく足止めくらいしかできない』と。

 だが僕は、不思議とあの男に奇妙な親近感を感じていた。それは、ひょっとしたらギンの策略によるものなのかも知れない。だが、疑り深い僕にしては珍しい事に、その直感を信じてみようと思っているのだ。



「ようこそ、レオナード第一王子殿下。思ったより早いお越しでしたねぇ」


 ギンの家の前に着くと、家の前でギンが立っていた。


「私が来ることが分かっていたような口ぶりだな。恐ろしい男だよ、お前は」


「ハハッ、お褒めに預かり光栄ですってか?まぁいい、入んな」


 家に入ると、ギンはドカッと椅子に腰を下ろすと『それで?』と僕の用件を促してきた。


「まずは、この別荘の見取り図は確かな物だった。このお陰で、ツェリの救出がスムーズに進んだ、感謝する」


「おや?返してくれんのかい。そりゃわざわざどーも」


「お前の事だ。写しくらい用意しているのだろう?これを返さない事で、お前への信頼を失う事の方が僕にとっての損失が大きいからな」


「なるほどねぇ」


「今回、ここを訪れた用件は当然ながらこれだけではない」


「それはそうでしょう」


「前回来た時、お前に頼みたい事があると言ったな?」


「覚えてますとも」


「お前には、僕個人から仕事を依頼したい」


「へぇ!王族ともあろう者がそんな事していいんですかい?」


「王族だから、だ。僕はこの通りの見た目だ。王になる上で敵は多い」


「そうでしょうね」


「お前がもし、金だけで動くような奴なら僕もこんな事を依頼したりはしなかった。少し調べさせてもらったが、ギン、お前は依頼主を自ら裏切る事はなかった。契約書にある事柄を依頼主が破るのがいつも先だった。つまり、僕がギンを裏切らない限り、お前も僕を裏切らない」


「そんなに上手く事が運ぶとお思いで?人は変わる。俺だっていつ、貴方を先に裏切ることになるか分かりませんよ?」


「お前は僕を裏切らないよ」


「何故そう言い切れる?」


「それが、お前に残された最後の誇りだからだ」


「フッ、フフ……アッハハハ!!!」


 ギンは僕の言葉を聞くと、おかしくてたまらないといった様子で笑い始めた。目にはうっすらと涙すら浮かべて。


「いいでしょう、その仕事承ります。ですがレオナード殿下、貴方がもし俺を裏切った時、貴方は破滅する。その事を、ゆめゆめお忘れなきよう」


「望むところだ」


 迷いなく言い切る僕を見て、ギンは眩しそうに目を細め、少し疲れたような顔を見せた。その時、僕は初めてギンの容姿を認識できた。漆黒の髪と銀の瞳を持った、その醜い容姿に、僕は少しの驚きと確信を得る。

 僕が幼い頃に滅びたという、帝国の皇帝。絵姿でしか見た事は無いが、その姿はギンによく似ていた。



「なぁ、レオナード殿下様よ」


「なんだ」


「人生の年長者から1つ忠告しておいてやる。お前は完璧すぎる」


「そんな事はないと思うが……」


「いいや、お前は弱みを見せることを良くない事だと思っている節があるな。一部には違うようだが、ずっとそのままでいてみろ、いずれ破綻するぞ」


「完璧なのは良くない事なのか?」


「んなこたァ言ってねぇよ。民の前で王は完璧な存在でなくちゃいけねぇしな。だが臣下の前では、少しくらい弱み見せたっていいんだよ。為政者としては迷っちゃいけねぇ。だが、アレもコレも全部1人でやってみろ、臣下は自分の存在意義が分からなくなる。殿下はただでさえ味方少なそうだしな、頼り甲斐がある王でなきゃいけねぇが、反面同じ人間でなくてはいけない」


 僕はその事聞いて、思い出した事があった。それはツェリの『【僕】という一人称をさらけ出す事が、信頼されている証のようで嬉しい』という言葉。

 そうか。信頼関係を築くには、自分の弱さも見せ、まず自分が相手を信頼している事を伝えなければならなかったのか。


「忠告、感謝する」


 ギンに一礼する。ギンはそれにヒラヒラと手を振って応えた。



 ギンと交わした契約は【王族とその臣下を害そうとする者がいた場合、僕に連絡すること】その1つ。契約は1年更新で契約金は大金貨3枚。平民なら一生遊んで暮らせる程の金額だ。

 僕の個人的な私財から支払ったもので、国庫のお金ではないが、毎年支払い続けるには王族である僕ですら少し努力しなければいけない金額。

 その絶妙な金額設定に、僕は思わず舌を巻いた。だが、ツェリの身の安全が少しでも確保できるのなら安いものだ。


 そして、ギンと契約を交わしたこの判断は確かに間違っていなかったと、すぐに実感する事となる。

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