第90話 カァラの旅立ち

 食堂の端、設えられた壇上の天幕から出てきたカァラは、黒く輝く五つの王珠をたずさえていた。

 呆然とした様子で辺りを見回し、家族の姿を見つけるとようやく顔をほころばせる。

 今年の五ツ組いつくみは、カァラだけ。カァラが最後の生徒だ。彼女はそのまま卒業生総代として、生徒とその保護者たちの前で挨拶をした。

「まずは父と母に感謝を捧げます。孤児だった私を温かく受け入れ、ここまで育ててくれた父と母にはどんなに感謝してもし足りません。ありがとう、父さん、母さん! それから、私のために色々な我慢をしてくれた小さな弟にも感謝を!」

 カァラはレドの姿を見つけて、小さく手を振った。レドは、姉の晴れ姿を驚いたようにじっと見つめている。

「もちろん、院長代理と先生方にも感謝を。『黒の教室』を受け持って下さった、アガート先生には感謝と共に大きなよろこびを捧げます」

「ありがとー!」

 カァラの言葉に応えて、アガートはおどけて声を上げた。その様子をカァラは苦笑気味に見やって先を続ける。

「一緒に切磋琢磨せつさたくましたクラスメイトのみんなにも感謝とおめでとうを。私たちの学生生活を支えて下さった職員の皆さんにも感謝を。中でもいつも美味しいご飯を作って下さった食堂の皆さんには、特別な感謝を捧げます」

 壇上で、カァラが深々と一礼する。食堂に拍手と笑いが起こった。食堂の職員たちはみな、カァラのために手を叩いてくれていた。

 カァラの食いしん坊は、天法院でも変わらなかったのだろう。彼女はよく食堂に入り浸っていたようだ。

「先ほど申し上げた通り、私は孤児でした。グラナートの港町で実母を亡くして、その日、その日をどうにか生きていました。グラナートでは忌み色である黒い羽の鳥人の私は、町の人たちからうとまれていました。食うや食わずの生活を続けて、そのままではいつか野垂れ死ぬか、犯罪やいかがわしい商売に手を染めても生き延びるか、私に選べる道はとても少なかった。そんな時、父が私を拾ってくれました。私に選択肢をくれました。私と同じ黒い羽の鳥人である父は優しい人で、お料理が得意で、とても働き者でした。そんな父と結婚した母はやっぱり優しい人で、パン作りが得意で、お裁縫も上手でした。私は父や母と暮らすうちに、沢山のことを教えて貰いました。暮らしに必要な知識、学問、生きていくための技術……そのどれもが私には宝物です。でも、私はそれだけでは物足りないと、いつしか父と同じ職業に就きたいと思うようになりました。父は、父の本職は、天法士です。この学院で学び、五ツ組の王珠を授かった天法士です」

 誇らしげに、まっすぐ前を見てカァラは告げる。レーキの胸に温かいモノがこみ上げてくる。目頭が熱くなって、泣き出しそうになるのを彼は必死でこらえた。

「私が父と同じくらい優しくて偉大な天法士になれるかどうか、まだ解りませんが……今日、私はこうやってこの場に立つことが出来ました。今日は卒業式でありますが、同時に天法士としての始まりの日でもあります。研鑽けんさんを重ね、少しでも父に近づけるよう、私はこれからも日々努力していきたいと思います。皆さま、これからも、まだまだ未熟な私たちを見守り導いてください。よろしくお願いいたします。これを持って、卒業生総代挨拶とさせていただきます。皆さま、ご静聴有り難うございました!」

 カァラが壇上で深々と礼をする。それを合図に、会場は参加者たちの拍手でいっぱいに包まれた。鳴り止まぬ拍手のなか、壇上から降りたカァラは小走りに家族の元に駆け寄ってくる。

「父さん! 母さん! 五ツ組、五ツ組だよ!」

「ああ! よくやったな、カァラ!」

「カァラちゃん、よく頑張ったね! すごい、すごいよ!!」

「ねえちゃん! おめでと、おめでと!」

 家族が抱き合ってカァラを祝福する。カァラは眼の縁に涙を溜めて、五ツ組の王珠をレーキに見せた。

 それは確かに五つ。カァラの手のひらで黒く美しく輝いていた。


「ねえ、父さん。後で話したいことがあるの」

 食堂の前で下級生たちから伝統になっている『光球』の祝いを受けて、カァラは一度寮へ戻った。

 夕刻に家族水入らずの食事をしようと『うみ燕亭つばめてい』へ向かう途中、カァラは声を潜めてレーキに聞いた。

「ん? なんだ?」

「後で母さんにも相談するけど、まずは父さんに相談したいの」

「解った。食事の後で話そう」

「うん。ありがと」

 久々に訪れた『海の燕亭』には看板娘が増えていた。すでに老年の域にさしかかりつつある亭主と年下の妻の娘が、店で働くようになったのだ。娘の年の頃はレドより少し大きいだろうか。母親に良く似た元気の良い娘が、注文をとりにやってきた。

「いらっしゃいませー! ご注文は?」

「魚介のバター焼きと……今日のおすすめは?」

「えーと、マレバススズキとカブのスープ! 今日は良いマレバスを仕入れたんだって」

「ではそれも貰おう。ティアは食べたいモノは?」

「わたしはヴァローナの白パンが食べたいな」

「カァラとレドは?」

「私は何か辛いモノが食べたい」

「おれはお肉食べたい」

「えーと、えーと……」

「それなら、甘辛いタレで炒めた鶏肉があるよ! フィルフィルトウガラシの粉をかけたら辛くもなるし」

 ジョッキを下げて厨房に戻る途中だった、母親の方の看板娘が一言声をかけてくる。困り顔で頭を抱えていた看板娘は、ぱっと表情を明るくした。

「うん。そんなのもあるよ!」

「じゃあ、それも一つね! やったね、レドくん。お姉ちゃんと一緒に食べよ?」

「うん!」

 カァラとレドは笑い合い、看板娘たちは厨房に戻って行った。厨房から、すぐに美味そうな匂いが漂ってくる。

 レーキ一家はその夜、大いに食べて、飲んだ。カァラは初めて酒をたしなみ、「お酒って結構美味しいね」と、顔色を明るくした。


 滞在先のネリネの家に戻って、酔いのめたカァラはレーキと二人きりになると姿勢を正した。ラエティアはレドと一緒にネリネと話をしている。

 カァラの相談とはいったい何なのだろう? レーキは身構えた。

「……あのね、父さん。私、寮を引き払ったら、アスールの村に帰らないでそのまま旅に出ようと思うの」

「カァラ……」

 突然の娘の申し出に、レーキは戸惑う。カァラは慌てて言葉を続けた。

「あ、あの、誤解しないでね! 父さんや母さんやレドくんと暮らすのがイヤになったとかじゃないの。逆なの。みんなと暮らすってコトが快適すぎるの! 三年間、寮で暮らしてみてね、私ずっと父さんたちに甘えてたんだなって、解った。だから、もっと広い世界を見なきゃ、自分一人で何が出来るのか知らなくちゃって思ったの」

 カァラは真っすぐに未来を見つめている。天法院では見つからなかった、自分の行くべき道を探し始めている。

「手始めにズィルバーさんのいる、ニクスにいってみるつもり。ニクスは雪の国だけど、これからの季節なら雪も溶けていくでしょ? そのための旅費も、もう貯めてある」

 まだまだ幼いと思っていた娘は、巣立つための準備を進めていた。カァラの黒いひとみに迷いはない。レーキはただ黙って彼女の決断を見守るしかない。

「……カァラ、お前がそう決めたのなら、俺に出来ることはお前の無事を祈ることと、お前が助けを必要としたときに手をさしのべられるように準備することだけだ」

「うん。父さんなら反対しないって私、解ってた」

 カァラは父に飛びついて、礼を言う代わりに抱きしめた。レーキはそっと、すっかり大人になってしまった娘の背を叩いて言った。

「それでも、俺も寂しくない訳じゃないんだ。ニクスに行くならアスールを通るだろう? せめて途中まで俺たちと一緒に行かないか?」

「……うん。ありがと。そうさせて貰うね。三年ぶりに家族が揃うんだもん……私もホントは寂しい。ずっと四人で一緒にいたいって思うこともある。でも、旅に出たいって気持ちも止められない。ごめんね、父さん」

「カァラが謝ることはなにもない。子供はいつか親の手を離れて行ってしまうものだ」

 いつかこんな日が来るのではないかと予感していた。カァラやレドが独り立ちする日。それが、こんなに早くやって来てしまうとは。

「……ありがとう。父さん。私を拾ってくれて。ずっと育ててくれて。私に家族をくれて。私、父さんの娘になって、ずっとしあわせだった」

「これからもずっと、お前は俺の娘だ。お前が旅に出ても、誰かと新しい家族になったとしても」

「うん! うん……ありがとう。私たちは『なかま』で家族。ずっとずっと……!」

 顔を上げたカァラは、泣きながら笑っていた。レーキは、そんな娘の頬を伝う涙をそっとぬぐった。

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