第79話 里親
レーキにとっては久々の、カァラにとっては初めての『学究祭』はつつがなく終わった。
大人たちと目一杯祭りを楽しんだカァラは、『夜の鐘』が始まる前までは疲れて眠い眼をこすっていた。
『夜の鐘』の馬鹿騒ぎが始まると、カァラは驚いて眼を見開いた。
空を彩る火球や光球の乱舞に、すっかり心を奪われたようで、ネリネの家に帰るまで何度もそのことをレーキに伝える。
「すごいねー! ぴゅーってなって、ぴかーってして、キラキラーってして、すごくうるさいかった!」
「そうか。そんなに凄かったか」
「うん!」
ネリネの家に着いても興奮気味のカァラは、その日は夜遅くまで寝付かなかった。
翌日、昼近くなって起き出してきたカァラは開口一番、レーキに訊ねた。
「ねえ! 今日もぴかーキラキラする?」
「キラキラ? 祭りの騒ぎのことか? 残念だが祭りは昨日で終わりだ」
「そう……」
星でも光球でも映し出せそうに輝いていたカァラの
「……来年になればまた祭りの季節がくる」
「来年……寒いのが一回来たらまたキラキラする?」
「そうだな。寒いのと暑いのが一回ずつ来たらな」
レーキにそう告げられて、カァラの黒い眸が途端に明るくなる。
「ネリネ! ネリネ! 祭りまたやるって!」
祭りの間はウィルと一緒だったらしいネリネは遅い朝食を食べていた。ウィルはと言えば、二日酔いが祟ってまだ寝ている。
カァラはキラキラがいかにすごかったか、祭りがどんなに楽しかったかと言うことを、ネリネに語って聞かせた。ネリネは頷きながら耳を傾けてくれる。
「うんうん。ああ、やっぱり天法院の打ち上げ見に行ってたのね! 今年はかなり見ものだった。あたしたちはちょっと離れたトコから見てたのよ」
「祭りうるさい! でもすき!」
「そうね! あたしも祭り大好き! だからこの季節はいつも『学究の館』にいるのよ」
「来年また祭りやる?」
「やるわよ! きっとまた楽しいわ!」
ネリネはぱちんと指を鳴らして笑った。それにつられるように、カァラもにっと歯をむき出す。
カァラは少しずつ、自分の表情と言うものを獲得しているようだった。
「さ、今日はお出かけする時、レーキが買ってくれた寒い時用のお洋服着ようか。今日は随分寒いしね!」
「今日はどこいく?」
「んーないしょ! でも良い所よ!」
今日はとうとう、里親にカァラを託しに行く。
オウロが探してきてくれた夫婦は子供が一人いて、その子の弟か妹を欲しがっていると聞いた。
数日前、レーキは一人でその家族に会いに行っていた。
ブラン夫妻は優しげな人間の夫婦で、『学究の館』で代々文房具店を営んでいた。カァラの姉になる予定の子供も妹が出来ることを喜んでいた。
家も人物にも荒れた様子はない。子供も健康そのもので、カァラより少し大きい六歳だと言うことだった。
レーキが黒い羽の鳥人でも構わないかと問うと、夫妻はきょとんとした様子で「ええ、もちろん。うちの子になりたいと思ってくれるならどんな色の羽でも大歓迎よ」と言ってくれた。
ヴァローナの人々は、黒い羽の鳥人がグラナートでどんな扱いを受けるのか、知らない者が多い。この夫婦もきっとそうなのだろう。レーキは安堵する。
カァラは自分と同じ黒い羽だが、血のつながりはないこと、グラナートで母親が死んで浮浪児であったことを伝える。それでも構わないか、と。
夫婦はそれも承知してくれた。
「もちろん養育費も払います。俺は独身で、良い父親も良い家庭も知らない。だからあなた方にカァラを託します。どうぞ、よろしくお願いします」
深々と頭を下げるレーキに恐縮しながら、夫が言う。
「お金なんて……もし私たちにお金を払うつもりが有るなら、その分を貯金してください。そして、そのお金をカァラちゃんが成人した時に贈って上げてください」
「でも、それではあなた方の負担が……」
「新しい家族が増えるのです。それを負担とは思いませんよ」
「……ありがとう、ございます」
レーキが会って話した印象は、とても善良な家族のようだった。彼らならカァラを託しても良いだろうか?
今はこの一家が、彼女をしあわせにしてくれることを願うしかない。
レーキは再び深く頭を下げて、里親候補の家を後にした。祭りが終わったらカァラと引き合わせると約束して。
祭りは終わった。
カァラは何も知らず、買って貰ったばかりのコートを着てくるくる回っている。レーキはカァラを抱き上げて「さあ、行こうか」と声をかけた。
「お出かけ!」
カァラはヴァローナに来て、少し重くなった。短くざんばらだった髪も、少しずつ伸びてきている。
出かけることが楽しいのか、カァラは嬉しそうにぎゅとレーキの首元にしがみつく。
その温もりをもう感じられなくなると思うと、レーキはひどく胸が痛んだ。
ネリネの家から里親候補の家までは、そう遠くない。ゆっくりと歩いても半刻(約三十分)、とうとうたどり着いてしまう。
「さあ、着いた。ここだ」
「? あ、お店やさんだ!」
下におろされたカァラは楽しそうに、文房具店に入っていく。
「よくきたね、いらっしゃい、カァラちゃん」
店主であり父親であるブラン家の夫が、カァラを出迎えてくれる。
「? おじさんはカァラのこと、しってる?」
「うん。レーキさんから話は聞いてるよ。カァラちゃんはお店やさん好きかい?」
「うん! いろんなモノいっぱいあって、すごい!」
カァラは初めて見る文房具に興奮して、キョロキョロと辺りを見回している。
「ははは。それじゃあ後でお店の中も案内してあげようね。まずカァラちゃんに紹介したい人たちがいるんだ」
「だれ?」
「おじさんの奥さんと娘だよ」
店舗の奥の住宅に、カァラと父親候補は入っていく。どうやら、カァラはうまくやって行けそうだ。レーキは胸をなで下ろす。
一言挨拶をしてからネリネの家に帰ろうと、レーキも文房具店の奥に足を踏み入れた。
もう、母親候補と娘との挨拶はずんだらしい。カァラは教わった通りに右手を差し出していた。その手を前にして、妻と娘はきょとんとした顔をしている。
「カァラ、それはグラナートの挨拶なんだ。ヴァローナの挨拶は、こう」
カァラにヴァローナ流の、空の両手を差し出してみせる挨拶を教えていなかったことを思い出す。レーキがやってみせると、カァラもすぐに真似した。
「すみません。この子はまだこの国の事柄に
「いえいえ。こんなに小さな子供なんですから、当然です。ヴァローナ生まれの子供でもこの年頃ならちゃんと挨拶なんか出来ませんよ。カァラちゃんはちゃんと挨拶できてえらいね!」
「カァラ、えらい?」
「うん。とっても!」
ブラン家の夫に褒められて、カァラは嬉しそうに胸を張った。
新しく出会った優しい人々と、彼女は仲良くやっていけそうだ。
ここでの俺の役目は終わった。
レーキはほっと息をついて、カァラの頭を撫でた。さよならの代わりに。
「それでは、カァラをよろしくお願いします。ブランさん」
「はい。レーキさん」
男二人は一礼する。ブラン家の子供はカァラに「お姉ちゃんと一緒にあそぼ!」と声をかけていた。
「うん!」
カァラが遊びに夢中になっている内に、レーキはブラン家を後にすることにした。
そっと静かに。ブラン文房具店の前まで出てくると、レーキは振り返った。
そこに、店の奥からカァラが駆けてくる。レーキの姿が見えなくなって不安に駆られたのか。
「……レーキ! どこ行くの!」
カァラは叫ぶ。その声は不安げに震えている。レーキはカァラと視線を合わせて屈み込んだ。
「カァラ……お姉ちゃんと遊ぶんじゃなかったのか?」
「今日はいつ帰ってくるの! またてんほーいんにいくの?!」
「……」
レーキは言葉に詰まった。表に飛び出して行ったカァラの後を追って、ブラン家の人々が店まで出てきた。レーキは腹をくくって慎重に、カァラに言い聞かせることを決めた。
「……帰らない。よく聞いてくれ、カァラ。お前は今日からこの家の子になるんだ」
「なんで?!」
カァラは絶叫する。本当に訳が分からないと言いたげに。
「お前にはお父さんもお母さんもいない。だから良い家で大きくなって欲しい」
「じゃあ、レーキは?!」
「俺と一緒じゃ、お前はしあわせになれない。ここの子になれば、お前は優しいお父さんお母さんに育ててもら……」
「ちがう! レーキといっしょで、カァラはすごいしあわせ!! カァラにお父さんお母さんはいらない!!」
レーキの言葉を遮って、カァラは断言する。
「カァラとレーキはなかまでしょ?! どうしてカァラをおいていく?! カァラはレーキだけでいいのに!!」
いつの間にか、カァラは黒い両の眸からボロボロと涙をこぼしていた。いつでも無表情だった顔がくしゃくしゃに歪められて、はっきりと悲しみの形を作っている。
「……カァラ……」
「おいていかないで!! カァラはレーキといっしょでなきゃ、いや!!」
カァラはレーキに飛びついて、けっして手を離すまいとすがりついてくる。
「……レーキ、さん」
おずおずと、ブラン家の妻が進み出た。カァラはびくりと身を震わせて、ぎゅっとレーキにしがみついた。
「あのね、レーキさんは両親が揃った家でなければカァラちゃんはしあわせになれないと言うけど……その子はあなたと一緒にいて、もう十分しあわせなんだわ」
「ブランさん……」
ブラン家の妻は困ったように微笑んで、そっとカァラを安心させるように頭を撫でた。
「この子にはそれが解っているのよ。だから、とても残念だけど……この子のしあわせを願うなら、一緒にいて上げて下さい。その道はあなたにとって、とても大変な道になると思うけど……」
最後まで責任をもって。いまさら、グラナートの食堂で聞いた台詞が脳内で何度も繰り返される。
「……ブランさん……すみません。本当に、ごめんなさい」
決意と共に、レーキはブラン夫妻を見つめた。レーキの心はもう決まっていた。
この子を育てる。彼女が自分を必要としなくなるまで。
夫妻は寂しげに微笑んで、顔を見合わせる。そして、さっぱりとした表情でレーキに向き直った。
「いいえ。子供たちがしあわせに生きることは、私たちにとってもしあわせです。その子は縁があって私たちの子供になる所だった。だから、きっと立派に育ててください。私たちの代わりに」
「ありがとうございます……ブランさん」
「……レーキ、もうカァラをおいていかない?」
レーキの
「ああ。お前が俺をいらないと言うまで、一緒にいよう」
「そんなこと、カァラはいわない!」
カァラは唇を尖らせて、ぎゅっとレーキに抱きついた。
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