第64話 確かに心に残るモノ

『緑の月』を迎えて、イリスの屋敷はにわかに忙しくなった。

 毎年『緑の月』には、主に中立派の幻魔たちを招いて、イリスの誕生日を祝う晩餐会を行う。

 それが、この屋敷で一番大きな社交行事で、使用人たちはみな準備に追われていた。

 普段は使われていない客室まで丁寧に掃き清められ、庭の木はすっきりと剪定せんていされ、花瓶という花瓶に美しい花が生けられた。

 イリスの意向で、食事はヒト用のモノがきようされる。

 晩餐に招いた幻魔とその従者たちは、全部で三十五人ほど。その全てに、身分に相応しい食事を提供する。

 普段は屋敷のモノたちが食べる分だけの食事を用意している厨房は、てんてこ舞いで。

 レーキは厨房で、晩餐会の用意を手伝った。

 料理長の指揮のもと、懸命に働いている間はなにも考えずにすむ。

『呪われた島』のこと、魔のモノのこと、友のこと、ラエティアのこと、どうやってここから逃れたらいいのか──

どんなに歓待されても、たとえ情を感じても。

 ここは自分のいたい場所ではない。

 帰りたい場所ではない。

 それだけは、揺らがない。

 でも、ここから逃れることばかりを考え続けていることに、疲れている自分もいた。

 だから、この機会はレーキとってさいわいだった。


「お料理とっても美味しかったよ! みんなも喜んでた」

 晩餐会を終えた翌日。イリスは子供の姿でレーキの前に現れた。

 会の間中、レーキは厨房にいた。おかげで招待客には、誰一人会うことはなかった。

「それなら、よかった。料理長にも伝えておこうか?」

「ううん。もう言ったよ! それでね、今日のお菓子も貰ってきたの」

 たしかに、イリスは焼き菓子の載った皿を手にしていた。

 レーキはイリスに椅子をすすめる。二人はテーブル越しに向き合った。

「ぬかりないな」

「えへへ。これは昨日のお菓子の残りなの。多めに作っておいたんだって」

 焼き菓子を摘まみながら、イリスの話に耳を傾ける。イリスはやってきた客についてあれこれ聞かせてくれた。

 晩餐会で特に好評だったのは、レーキの知識を元にシーモスが作った香辛料を使う料理だったと言う。

「……みんなそのお料理を食べて、これが『ソトビト』の新しい料理か、『ソトビト』に会わせて欲しいって言うんだ。そのためにお誕生会に来たんだと思う。もちろん断ったけど」

「断ってくれたのはありがたいが、昨日来たのは、君と同じ中立派の幻魔なんだろう? それでも駄目なのか?」

「うん。だめ。中立派のみんなのなかにはね、ナティエちゃんとラルカくんが嫌いなだけでホントは僕と仲良くしたい訳じゃない人もいるから。そう言う人はレーキに何をするか解らないし」

 言動こそ幼いが、イリスは思慮の浅い子供ではない。長い年月を過ごすうちに、ヒトの心の機微を良く見つめて来たようだった。

 そんなイリスがそう言うのだから、中立派の中にも確かに危険な者もいるのだろう。

「このヒトなら信用出来る、って中立派のヒトもいるよ。でもそのヒトだけにレーキを会わせたら、不公平でしょ? そんな風に言われたら全員にレーキを会わせなきゃいけなくなっちゃうから」

 それは、その通りだ。イリスは派閥の長でもあるのだから、より一層公平であることを求められるはずだ。

「……それにね、ホントの事を言うとね、レーキを紹介したい友達はいないの。この島で、ホントに友達だって言えるヒトは、シーモスだけなんだ」

 どこか寂しげにイリスは笑う。この、けして狭くはない島の上で、友と呼べるモノがたった一人であるとイリスは言う。

「もちろん僕のお家で働いてくれてるコたちは、大事だよ。でもね、みんなは弟とか妹みたいな感じでね、友達ではないの。それに、普通のヒトのみんなはね、僕より早くいなくなっちゃうから。友達になっちゃいけないってシーモスは言うの」

 長い時を生きれば、普通の人々とは生きる時間が違ってくる。

 親しくなった者をなす術なく見送る。それも、幾度となく。その度に心は深く傷ついて削られていく。

 自分の心を守るために、シーモスの言葉は正しいのかもしれない。

「ふふ。だから、普通のヒトとは友達にはなれないの。けど、でも……」

 イリスはレーキをじっと見つめて、哀しげに眼を伏せた。

「……そう、思ったら、何だか苦しくて……悲しくて、心臓がね、ぎゅーってなるの」

 レーキには、イリスにかける言葉が見つからない。幻魔として生きることの孤独を、レーキは知らない。想像を巡らすことすら難しい。

 だから。レーキは静かにイリスの手を取った。

「……本当に大切なヒトは、たとえ死んでも君の心の中にずっと、いる」

 自分に向かって呟くように、イリスを諭すように、レーキは続ける。

「大切な人を亡くしたとき、始めは心の中に穴があいたみたいに虚しくて苦しい。自分にはもっと何かが出来たんじゃないかって、後悔する。でもいつか、思い出は寒い夜の炎みたいに君を暖かく照らしてくれる。きっと俺の師匠や盗賊団のみんなみたいに。だから、恐れないでくれ。ヒトと過ごす時間を」

 真っ直ぐにレーキはイリスを見つめる。

 イリスは驚いたように眼を見開いて、レーキを見つめ返してくる。

「レーキ……っ」

「……偉そうなことを言って、すまん。ただ俺は、そう思っている」

 イリスは、右手に重ねられていたレーキの手をぎゅっと握り返した。

「ううん。ありがとう。……そっか。思い出、か。そうだね。そのヒトと過ごした思い出は無くなったりしないね。ずっと『ここ』にある」

 イリスは胸に手を当てて、呟いた。その表情が何かを吹っ切ったように、明るく晴れていく。

「……ねえ、レーキ。たとえ君がいなくなっても、僕はきっと君と一緒にいたことを覚えているよ。一緒に食べたお菓子の味も、一緒に歩いた市場の匂いも、君の手が温かいことも、君の声もその羽の色も、きっと、きっと忘れない」

 だから。今度はイリスがそう言って言葉を継いだ。

「……僕の友達になってくれる?」

 ああ。解った。自分より先に旅立ってしまうと解っていても。誰かとつながる事を止められない。

 呪いが降りかかると解っていても、手を伸ばすことを止められない。

 イリスと自分は似た者同士だった。

「俺が呪われていることを、君は知ってるだろう?」

「うん。……でも、君ならきっとその呪いに負けないって僕は信じてる」

「君は死ぬことが怖くないのか?」

「ううん。怖い。とても怖いよ。でもね、僕はもう、十分に生きたんだ。だから……死ぬことくらいで君を諦められない」

 イリスの指先と言葉に熱がこもる。

「それにね、いつか死んじゃうから、ヒトは生きてることが楽しくて、嬉しいんだよ!」

 果てしなく長い寿命を捨ててもいいと、イリスは言う。それだけの価値がレーキとの絆にあると。

「……すまない。もう、遅い。……俺は君のことを友達だと、思っている」

 レーキの告白に、イリスは嬉しそうに顔を輝かせた。

「ありがとう……!」

 万感の思いを込めて、イリスは言う。

 そのまま、イリスはレーキに飛びついて、ぎゅっと抱きしめてくる。

「ありがとう、レーキ! 僕の新しい友達!」


 晩餐会から間もなく、イリスの私的な誕生会が開かれた。参加しているのはイリスの屋敷にいる者たちばかり。

 レーキはイリスの願い通りに、大きなケーキを幾つか作った。使用人たち全員に行き渡る量だ。

 イリスの誕生会は、晩餐会の準備に追われた使用人たちの慰労を兼ねていた。

 使用人たちは大いに飲んで食べた。イリスは終始満足げな表情で笑い、この日ばかりはシーモスもうるさい事は言わなかった。

 これからも、こんな穏やかな日が続いていくのだろうか。

 その時のレーキは、そんな風に考えてしまった。

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