第36話 卒業式

 その時がやって来た。

『黒の月』、中旬に卒業試験が行われた。


「いつぞやの小テストの答えは……『天分』です。『天法は天分を以て全てと成す』と『法術』の序文に有る通り、『天法』とは何かの問いに答えるなら、それは『天分』。すなわち自分の生命の力です」

 セクールスは、レーキの答えを聞いて小さく頷いた。試験の後、レーキはセクールスの個室を訪れて、最後まで残していた課題に返答を出したのだった。

「……その通り、正解だ。答えは『法術』の序文に有るというのに、それを導き出すのに卒業試験までかかるとはな」

「……不甲斐ない生徒で、すみませんでした」

「ふん。お前はまだマシな方だ。小テストに合格しないまま卒業する生徒も居る。私としては不本意だがな」

 相も変わらず不機嫌そうな表情のセクールスは、パイプを片手にゆっくりと紫煙を吐き出した。この二年で、レーキはセクールスの顔は、実際の感情よりも不機嫌に見えると言うことを学んでいた。

「あの小テストは俺たちに卒業までの主題を与えるためのモノだったんですか?」

 レーキの問いに、セクールスは首を振って応えた。

「……違う。卒業してからも、だ。その生徒に足りないもの、その生徒が強化すべきものを選んで課題を与えている。生徒一人ひとりに違う課題を与えるのは、その生徒が生涯にわたって向き合う壁とするためだ」

 生徒を導くことが嫌だ、研究をしていたいと口癖のように言っていた教授は、誰よりも生徒たちの事を考えていた。やるからにはとことんまで。それがセクールスの信条なのだろう。

「では俺の課題も?」

「そうだ。お前は堅すぎる。多くを学ぶためには柔軟な思考もまた必要なのだ」

「……ありがとう、ございます。先生は……生徒を見るのが億劫だとおっしゃいますが……とても優しい先生だと思います」

 素直な感謝を口にする生徒に、セクールスはいつも通りの表情を崩さず鼻を鳴らした。

「ふん。くだらん。お前たちが無事卒業すれば私は二年間は学生どもに関わらずにすむ。研究に使える時間が増える。それだけのことだ」

 そんな風に言い捨てた、セクールスの口許は心なしか満足げで。レーキにはそれが誇らしかった。


 卒業試験の結果は『混沌の月』の休暇前に生徒たちに伝えられた。『赤の教室・』に残った五人の生徒たちは、全員が卒業を許可された。

 卒業許可を告げられて、生徒たちは手を取り合って喜び合った。

「……浮かれて居られるのも今の内だ。学年首席になるのは、私だからな!」

 学年首席の生徒は、卒業式で総代として挨拶をする決まりになっている。シアンはそれを狙っているらしい。喜び合っていた生徒たちに向かって宣言したシアンは高笑いを残して教室を出て行った。この、『赤の教室・Ⅴ』でみなが顔を合わせるのも、今日が最後だと言うのに。

「……彼はずっと変わらないね」

「ああ。そうだな」

 苦笑を浮かべたグーミエに、レーキも溜め息混じりに応える。

「……そんな事より、今日でこの教室が最後なんてとても信じられない。寂しくなるね」

 エカルラートがしょんぼりと俯くと、ロシュが「まだ卒業式があるさ」と慰める。

「所でエカルラートは卒業したらどうするのかもう決めた?」

 グーミエの質問に、エカルラートはこくりと頷いて微笑む。

「ヴァローナ天法士団の治癒隊を目指そうと思ってるの。あのね、実は『学究祭』で研究展示を見た治癒隊の方からお誘いいただいてるの。そう言うグーミエは?」

「それは凄いね! 僕はまだ幾つ王珠を授かるか解らないから確定では無いけど……やっぱり天法士団に入りたいと思ってる。卒業式が終わったら入団試験を受けるよ。レーキは?」

「俺は試したい儀式が成功してから考えるつもりだ。……でも儀式が終わったらまずはアスールに帰ることになると思う」

「そうか。でもレーキならどこにいても素晴らしい天法士であれると思うよ」

「ありがとう。グーミエもきっと天法士団に入れると俺は思ってる」

 互いに健闘を讃え合う。レーキから見ても、グーミエは優れた生徒だと思う。彼こそどこにいても素晴らしい天法士になれる。

「……王珠を貰って天法士に成れるのは嬉しいけど……あーあ。やっぱりみんなと離れ離れになるのは寂しいね」

 エカルラートの呟きに一同が同意する。二年の間共に苦労してきたクラスメイトは、いつしかかけがえのない仲間になっていた。


『黒の月』の終わり、年越しの日。レーキはアガートとズィルバーの二人と過ごした。

 ズィルバーの実家は、休暇の間に帰るには遠方で、アガートの勘当は彼が天法士になっても解けていなかったのだ。

 二人は年越しに、レーキの卒業決定を祝ってささやかな祝宴を開いてくれた。祝いの料理をあらかじめ用意してくれたのは、年越しは家族と過ごす予定のアニル姉さんだった。

『混沌の月』を経て『青の月』の始め、天法院にも卒業式の日が訪れる。


 卒業式の朝。レーキは早朝に目覚めた。この部屋に居られる日数も後わずか。三年の間にすっかり見慣れた天井を見上げて、静かに長く息を吐く。

 レーキはベッドに起き上がり、手早く眼帯を付ける。それは卒業の記念として、ズィルバーがウバ摘みの賃金で仕立ててくれた、新しく肌触りも良いモノだった。ズィルバーが買いたいモノとは、レーキへの贈り物だったのだ。それが、とても嬉しかった。

 遠い昔、盗賊の剣士、カイがくれた古い眼帯はすでにあちこちが擦り切れて、バラバラになる寸前だった。それを見かねて、ズィルバーは感謝の言葉と共に眼帯を贈ってくれたのだ。感謝を述べたいのはこちらの方だ。ズィルバーはこの一年アガートの助言を守って、食事や休息をさぼりがちなレーキをよく助けてくれた。

 隣のベッドを振り向けば、ズィルバーは静かに寝息をたてている。彼を起こさぬように密やかにベッドを抜け出たレーキは、着替えを済ませて机に向かった。

 とうとう明後日、『天王への謁見の法』を実行する。そのために、口訣こうけつを予習しておく。当日は事情をよく知っているセクールスとアガートが、助祭となって儀式を手伝ってくれる事になっている。二人には本当にいくら感謝してもしたり無い。

 この三年間、レーキは様々な人々に出会い、助けられ、苦楽を分かち合った。それはアスールの村にいて暮らしているだけでは味わえなかった望外の喜びで。今では思い出の一つ一つが、レーキの生きていくための糧となっていた。


「いよいよデスね……」

 朝食の時間が終わった食堂は、講堂として卒業式の会場になる。

 式に参加出来るのは本人と家族だけ。家族のいないレーキは一人きりで式に出席する。

「……それじゃあ、行ってくる」

 レーキは、すでに舞台の設えられた食堂に足を踏み入れる。そこは良く知っている場所のはずなのに、不思議な緊張感がみなぎっていた。

「レーキ!」

 一足先に会場に入っていた、クランが駆け寄ってくる。彼もどうにか無事に卒業を決めていた。背後には、宿屋を営んでいるクランの両親が揃って立っている。

 儀式の資金を貯める際に、クランの両親にもお世話になった。挨拶と礼を言う内に、次第に卒業生とその家族たちが食堂に集まってきた。多くはヴァローナ風の装束の人々だが、中にはグラナートやアスール風、黄成こうせい風の衣装の人々も混じっている。名高いヴァローナの国立天法院には、五大国中の優秀な人材が集まっていたのだ。

 生徒たちがみな集まって、昼の鐘と共に卒業式が始まる。


 卒業生が一人ずつ名前を呼ばれた。名前を呼ばれた生徒は舞台に張られた天幕に入って、そこで王珠おうじゅを受け取る。

 始めに名前を呼ばれたのは、学院内で見かけたことはあっても、名前も知らぬ生徒だった。

 どうやら、王珠の数が少ない生徒から名前が呼ばれているようで。最初に天幕から出てきた生徒は、一つだけの王珠を大切そうに手にしていた。

 今年の卒業生は七十余名。二百人近くの新入生を迎えて残ったのがそれだけの人数だった。

 レーキの友人知人で、最初に名前を呼ばれたのはクランで。彼は舞台に上がって天幕に入ると、しばらく後に王珠を二つ手にして出てきた。天幕は厚くて中で何が行われて居るのかうかがいしれない。天幕を出たクランは王珠を誇らしげに掲げて家族とレーキの元に戻って来た。

「……やったぜ! これでおれも天法士だ!」

 潜めた声に気色を滲ませて、クランは二つの王珠を両手に握りしめている。王珠はクランが得意とする系統、『白』色で淡く光っていた。

「おめでとう! クラン!」

「クランちゃん、おめでとう!」

 喜び合うクランの家族をよそに、卒業式は続く。見知らぬ生徒が、天幕に消える。出てくるときには、みな喜びの表情を浮かべ、その手には王珠が握られている。

 次に名前を呼ばれたのはレーキのクラスメイトだったロシュだった。彼は天幕から出て来るときに、三つの王珠を手にしていた。

 三ツ組みつくみの王珠授与が終わると、次は四ツ組よつくみだ。レーキはまだ名前を呼ばれていない。四ツ組以上であるならそれは喜ばしいことだ。期待と、自分の名前が、式が終わっても呼ばれないのではないかと言う不思議な不安。胸が高鳴る。

 エカルラートの名前が呼ばれた。彼女の王珠の数は四つ。優秀とされる四ツ組の天法士となった。

 その次、他の教室の生徒たちに続いて名前を呼ばれたのはシアンだった。彼もまた四ツ組の天法士となって天幕から出てくると、満足げな表情で王珠を見せつけている。

 すぐ後に、グーミエの名が呼ばれる。グーミエもまた四ツ組の王珠を手にした。

 レーキの名はまだ呼ばれない。確かに自分は卒業を許可されたはずだ。それなのに、なぜ名前を呼ばれないのだろう。今や心臓は不安によって、早鐘のように打ち鳴らされていた。

「……続いて、レーキ・ヴァーミリオン君。前へ」

「……は、はい!」

 ようやく呼ばれた! 応える声が思わずうわずってしまう。緊張に身を固くしながら、レーキは舞台上の天幕の中へ進んだ。


 天幕をかき分けて中に入る。そこには院長代理であるコッパー師と、見知らぬ人影が佇んでいた。

「……!!」

 院長代理の隣に立っているのは、ただの人ではなかった。

 天幕の天井に届きそうなほどの長身、頭に複雑な形状の角を戴き、全身を美しい黒色の鱗が覆っている。見たことのない光沢を放つ衣を纏い、その顔は山の村の祠で、街の教会で、伝説を綴った物語の中で幾度も見たことのある、この世界を造ったとされる竜王に酷似していた。

 ──竜人りゅうじん、だ……!!

 竜人は、竜王に近しい姿をした亜人だと伝承にはある。常は五竜王が居ると言う『兄の月』にいて、竜王を補佐しているとも言われ、地上の国では滅多に姿を見られない。竜人は人や他の亜人たちにとっては畏怖と崇敬の対象であった。

『……いかにも。我は竜人である』

「……!?」

 声に出したつもりはなかったのに。レーキは愕然と竜人を見つめる。

『我は君たちと近い発声器官を持たぬ。それ故に君の思考に直接割り込んで発話することを許可して欲しい』

「……は、い……」

 頭の中に直接声が聞こえてくる。それは男性のようでも女性のようでもある、不思議な声だった。

『ありがとう。……さて、我はD367-58。個体名をディヴィナツォーネと言う。呼びづらければ『ディヴィ』と呼称する事を許可する。本日君に『オーブ』を授与する者である。君たちが『王珠』と呼称する端末の事である』

「……王珠を授けて下さるのが竜人様でいらっしゃるとは存じあげませんでした」

 ディヴィナツォーネは、奇妙なモノの言い方をする。レーキにはその意味する所はよく解らなかった。

『さもありなん。この儀は他言無用である。天幕を出たら我の話した言葉は忘れよ。我の存在を秘するは無用の混乱を避けるためである』

「解りました。他言はいたしません」

 そう言って一礼したレーキを、院長代理が手招いた。

「……君も驚いたじゃろう? わしも驚いたんじゃよ。遥か昔の事じゃがな」

 悪戯っぽく笑う院長代理に、レーキはわずかに緊張が緩んで苦笑した。

「……驚きました。王珠は竜人様のお作りになったモノなんですね」

『その通りである。ここでその仕組みを君に開示する事も出来るが……全てを話すには時間が足りぬな。それでは君にもオーブを授与する。此方こちらへ』

 招かれるままに、レーキはディヴィナツォーネの前に進み出る。レーキよりもはるかに背の高い竜人が、身を屈めるようにして手のひらを差し出す。彼/彼女の鉤爪がついた手のひらには、王珠がのせられていた。その数、五つ。

五ツ組いつくみ……?!」

『今期のオーブ五つは君だけだな。おめでとう』

「あ、ありがとうございます……!!」

 竜人を前にした緊張は、五ツ組の王珠の喜びにどこかへ吹き飛んだ。

 レーキは王珠を受け取って、勢い良く頭をさげる。じわりと、その重さが手のひらに伝わってくる。

「……さ、此方へおいで。王珠の登録をせねばならんからのう」

 院長代理に促されて、レーキは小さな台の上に王珠を置いた。言われてみれば、五つの王珠はまだ何色にも光っていない。

「このナイフで指先に少し傷をつけての。王珠に一滴血を垂らすんじゃ。それで登録は完了じゃよ」

「はい」

 レーキは差し出された意匠の凝ったナイフで指先に小さな傷口を作り、にじみ出てきた血液を一つの王珠に一滴垂らした。その瞬間、五つの王珠がいつか選別試験でみた紅色に光り出す。

 それはレーキの色。確かに鼓動する命の色だ。

『これで君は『天法士』となった。これより先は良く精進し、良く見極め、良く生きよ。……我は君を祝福しよう』

「おめでとう、レーキ君。君は良く学んだの。五ツ組とは儂も鼻が高い」

 竜人と院長代理は、優しく祝いの言葉をかけてくれた。レーキは感激して礼を返す。

「ありがとうございます! ディヴィナツォーネ様! コッパー様!」

 この瞬間、レーキ・ヴァーミリオンは晴れて天法士となった。

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