第31話 寮の部屋で
「……っ……」
重い
気がつけば、誰かの腕を掴んでいた。夢の中で掴んだと思ったのは、この腕だった。
そこに居たのは。目の前で
それは、アガートだった。
「……ああ、目が覚めて良かった。
ああ、夢か。あれは夢。高熱が呼び込んだとびきりの悪夢。レーキはほっと息をついて、掴んでいた腕を放した。
「君、帰ってくるなり倒れたって。この子が知らせてくれたんだよ」
アガートの後ろには、おずおずとこちらを覗き込んでくる、いつも通りマフラーをぐるぐる巻きにしたズィルバーの姿もあった。
「『レーキさんが倒れました!』って教師の寮に飛び込んで来るなり叫んでね。オレもビックリしたよー」
「……小生もとってもビックリしましたデス……レーキサン、具合悪いますデス、小生ではどうして良いのか解らないますデス……」
「……二人とも……ありがとう……」
人見知りの気があるズィルバーは、必死の思いで教師の寮まで行ってくれた。アガートもそれに気付いてここまで来てくれたばかりか、自分が目覚めるまで付き添ってくれた。
レーキは二人に礼を言った。何度礼を言っても足りないような気がするのに、高熱でひび割れた唇からこぼれたその声は
「『
「……ありがとう……」
枕元に置かれた『治癒水』の小壜は五、六本はある。背中を支えて貰いながら、差し出された瓶の中身を一本飲み干す。渇いた喉に『治癒水』は甘露のようで、心なしか気分も良くなってくる。
「出来れば着替えた方が良いね。……手伝おうか?」
「……着替え、取って貰えれば……自分で、出来ます……」
どちらかが脱がせてくれたのだろうか、ブーツはベッドの脇に揃えられていた。制服代わりの黒いマントも、クローゼットに片付けられている。もそもそとレーキが着替える間に、アガートはこれからの事を事細かにズィルバーに指示していた。
「良いかい? 熱が下がったらなるべく食事を食べさせて、水を沢山飲ませるんだ。それから乾いた服に着替えさせてね。食事は消化に良いモノを。あーこれはアニル姉さんに聞けば解る。熱が下がらないようなら『治癒水』を飲ませて、いつでもオレを呼んで。……あ、オレはアガート・アルマン。君は?」
「……し、小生はズィルバー・ヴァイスと申しますデス……」
二人そろって、自己紹介も後回しにして付き添ってくれたのか。それがとても嬉しくて、レーキは新旧のルームメイトをぼんやりとみつめてふっと微笑んだ。
「……良かった。笑えるならもう大丈夫。……あのね。何があったのか、聞いても良いかい?」
微笑み返してくれる、アガートの
「……そんな……!」
横で話を聞いていたズィルバーも、告げられた事実に動揺したようで大きく肩を震わす。
「……そうか。それはショックだよね……でもさ、レーキ、新入生君。君たちの周りにいる天法士のこと、よく考えてごらん。彼らは短命かい?」
子供たちを諭すように、アガートはレーキとズィルバーに言う。良く思いだしてごらん、と。
「……」
「まずは院長代理。あの方もう七十を過ぎてるけど、ピンピンしてる。レーキの師匠だった方も七十の坂を見たよね? 現役で授業を持ってる教授陣だってそんなに若くは無いだろう? 何よりオレも君たちより年上だけど、なかなか死にそうには無いよね?」
そんな風に言われると。確かに、レーキは短命な天法士を知らなかった。亡くなってしまった師匠も、一般的には長生きだったと言われる年齢だった。
「……それじゃあ……俺も……?」
「ああ、大丈夫さ。……それに、今の所オレは死の予兆も感じない。安心して」
いつものように、アガートが笑って片目をつぶる。ズィルバーには死の王から受けた呪いの話はしていない。それを
死の王の呪いがある限り、アガートは自分より早く死ぬ。その彼が大丈夫だというなら、今はまだ『その時』じゃない。この体調の不良も一時なモノ。アガートはそう言いたいのか。
「……さて。レーキが目覚めて安心したから、オレは一度、教師寮に戻ろうかな。朝になったらまた来るよ。後は任せて良いかい? 新入生君」
「ハイ! お任せくださいマス! 先生サマ!」
今更ながら、かちかちに緊張して応えるズィルバーに、アガートは苦笑を漏らした。
「様は要らないよ、アガートで良い……って言うのも気後れするだろうから、ただの『先生』で良いよー」
「解りましたデス、先生!」
敬礼でもしそうなズィルバーの勢いに、アガートは苦笑を深くして、新入生の両肩に軽く手を置いた。
「……君は元気な良い子だねー。あ、君も看病はほどほどにして寝るんだよ。君まで倒れたら大変だからねー」
「はい!」
「それじゃ、おやすみ。レーキ、ズビルバー君」
「……小生はズィルバー、デス……」
「ああ、ごめんごめん。オレ人の名前覚えるの苦手でさー」
教師になっても、アガートの悪癖は抜けないらしい。茫洋と笑いながら謝罪するアガートを見ていると、気分が落ち着く。大丈夫。日常はまだここにある。俺は生きている。きっと明日も、その明日も生きているだろう。そんな不確かな希望がある。
レーキは目をつぶった。
明日また目覚めて生きるために。さいわいな事にその夜、夢はもう見なかった。
「……おはようございマス。レーキサン」
目を覚ますと、そこにはフードの奥の暗がりからこちらを覗き込んでいるズィルバーの顔が見えた。
早朝の鮮やかな陽の光を受けて、ズィルバーの複眼は銀色金色と様々に色を変える。まるでキラキラと光る鉱石のようだとレーキは思った。蟲人の貴色は『白』。『金属』を象徴する色だ。
「……ああ、おはよう……ズィルバー」
どうにかベッド上に起き上がる。まだ体の節々がぎこちない。それでも、気分は昨晩と比べものにならないほど爽快だった。
「……具合はどうますデス?」
「……うん。熱はだいぶ下がったみたいだ。気分もいい」
「お水、飲みますデス?」
アガートの残していったアドバイスを忠実に実行するつもりか、ズィルバーは水差しから木製のコップに水を注いで手渡してくれる。
「ありがたく貰うよ。……それと、昨日は本当にありがとう」
「いえ、いえ……! 小生に出来たのは先生を呼んできたことだけマス……」
恐縮してしまっているズィルバーに、レーキは微笑んで、手にしたコップの中身を飲み干した。
「……うん。旨い。それに、だけ、じゃ無い。君のお陰で俺は今こうして水を飲めてる。ありがとう。君が同室になってくれて、本当に良かった」
「あ、あ、その、あの……小生も……レーキサンと同室で良かったますデス……」
褒められたことがこそばゆいのか、ズィルバーはあたふたと両手を振った。
「……レーキサンは小生の顔、見ても『怖い』も『醜い』も言わなかったマス。小生の
この小柄で内気な少年が、故郷をでてから何があったのか。珍しい容姿をしていると言うだけで、こんなに人目を恐れるようになるには、どんな出来事があったのだろう。それはきっと悪意に
「……俺には蟲人の美醜は解らない。……でも君はきっと醜くなんか無い」
「レーキサン……」
ズィルバーの銀色をした鉤爪状の手を握って、レーキはきっぱりと告げた。ああ、そう言えば今日は手袋をしていないし、マフラーも巻いては居ない。次第に夏の足音が聞こえる季節だ。それなのに、完璧に膚を隠し続けることは困難であったろう。せめてこの部屋に居る時くらいは、
レーキがその旨を告げると、ズィルバーは戸惑いながらそっとマントのフードを外した。露わになったその横顔はやはり白銀で。陽射しに映える
「……蟲人である君をどんな風に褒めて良いのか、俺はよく知らないけど……君のその白銀の色はとても綺麗だと思う」
「……ううっ……それは……蟲人でも体色を褒めるなんて、恋人同士しか、しませんデス……」
ズィルバーが人間の様な膚を持っていれば、きっと赤面していたのだろう。その代わりに新入生は鉤爪で顔を覆って俯いた。
「……え、あ、そ、それは……ごめん」
恥ずかしげに俯くズィルバーに、今度はレーキが慌てる番だった。
「ただそう思っただけ、なんだ……あの、その、た、他意は無い……!」
慌てて言いつのるレーキとズィルバーの間に、気まずい沈黙の時が流れる。その間を縫って、コンコンと戸を叩く音がした。レーキは咳払いをして、ズィルバーは慌ててフードを被り直した。
「……どうぞ」
「やっほー。二人とも。もう起きてる?」
ズィルバーが開けた扉の前に立っていたのは、朝になったらまた来ると言っていたアガートで。レーキとズィルバーは、顔を見合わせて笑い出した。
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