その死が救済だとしても
別れを惜しむ暇もなく「最果ての街」を発ったエステルとマリオは、馬車の長旅を経て帝都に帰還し、ソルヴェイの助言通り診療所でマリオの怪我の検査をすることにした。
……が、担当のアンナは簡単な視診をするとすぐに席を外し、なぜかヘルミーナを連れてきて「アンナより適任だからぁ」と含みのある言い方で丸投げしたのだった。何かを察したエステルも、クエストの報告に行くと言って出て行ってしまった。
こうして診療所の診察室にはマリオとヘルミーナだけが残された。初めは10歳くらいの少女がこっそりと様子をうかがっていたが、まもなくアンナに連行されていった。あの少女はヤーラの言っていたマトリョーナという子だろう、とマリオは見当をつけた。
ひとまず彼はヘルミーナに「最果ての街」であった戦いの顛末を端的に説明した。それが終わると、ヘルミーナはその傷痕をまじまじと観察し始める。
「……見たところ、処置は完璧だと思う。さっきの説明を聞いた限り、記憶力にも問題はなさそうだけど――」
ヘルミーナは言葉を切って、今度は顔全体を覗き込むように上目でなぞった。
「雰囲気はちょっと変わったかな」
「雰囲気」
「笑わなくなったよね」
彼は無表情のまま、ピタリと動きを止める。適切な言葉を見つけるのに難儀しているのが、ヘルミーナにもそれとなく伝わった。
「……どうやって笑ってたのか……わからなくなっちゃって」
ぽつりとこぼれる声の調子は平板だが、感情がないのではなく、感情を乗せ損ねたような平板さだった。
「後遺症、かな」
「違うと思う」
ヘルミーナはほとんど間を置かずに否定する。
「怪我の影響もなくはない、と思うけど……。そう、たとえば……私が魔族の手先で、あなたの命を狙っているとしたら、どうする?」
唐突な質問の意図を測りかねつつも、マリオは顎に指を添えて真面目に考える。
「……捕まえて、情報を聞き出すかな」
「じゃあ、何も有益な情報を持ってなかったら、私のこと殺す?」
殺す、という言葉が妙に頭に引っ掛かって、彼は先ほどよりも長考した。リスクであれば排除するべきだという考えは、正しいようでどこか欺瞞的な気がした。思い出したようにぶり返した頭痛が、思考を散漫にしていく。
「……――いやだな」
子供のように単純で素朴な拒否感の表明。それでもヘルミーナは、その言葉を待っていたかのように満悦そうな微笑を浮かべる。
「私が本当に裏切ったときも、殺さないでいてくれたよね」
「それは――」
「命令だったとしても、あなたはそれを守った。あなたはずっとそういう人だった。だからね、後遺症なんかじゃないよ。元に戻ってる。回復してるの。私は、そう思う」
その言葉をゆっくり咀嚼するように、彼は俯いて意識を内側に潜らせる。彼女のか細い首の感触。その気になれば簡単に折ることができたものを、あの時どうして、あっさりと手を離したのだろう。
答えは、すでに出ている。
「ぼくは……君のことも、殺したくなかった」
「……ごめんね」
「どうして? 忘れられたくないって言うなら、ぼくはずっと覚えてるよ」
締めつけるような痛みが、頭の中を圧迫していく。自分の言葉を誰に向けているのかも曖昧になってしまう。
「消えてしまいたかったの」
色の失せた瞳を静かに下ろして、遠い記憶を丁寧に掬い上げるように、彼女は告げた。
「どうせ全部消えてしまうんだって思い込んで……結局、自分が消えてしまいたかっただけ。でも、あなたには覚えておいてほしかった。変だよね。全部なくなっても、あなたにだけ覚えていてもらえば、なんだか救われる気がしたの」
「……なんで、ぼくが」
悲痛さの滲み出るような無表情を、慈しむような眼差しがそっと撫でる。
「たぶんね……もう死んでしまうしかないって思っている人にとって、あなたは最後の救いなのよ」
ふと、風が通り抜けるように脳裏を掠めた2つの記憶。今際の際に見せた、喜びに満ち溢れたような少女の笑顔。それから、血に染まりながらも無邪気に笑ってみせた親友の顔。
肉親にすら疎まれていた彼女は、あの小さな世界から永遠に出られないことを知っていた。人を殺さずにはいられなかった彼は、自分がこの世界で生きていけないことを悟っていた。彼らに唯一許されていたのは、終わり方を選ぶことだけだった。
彼らが望む通りの最期を、自分は叶えてあげられただろうか。マリオは目の前の少女を見た。彼女は生きている。言葉はなくとも、その瞳は優しく語りかける。大丈夫だよ。でもね。
「……私、あなたの気持ちを全然考えてなかったね。ごめんね。嫌なことさせちゃって、ごめんね」
「君は悪くないよ」
「それでも、ごめんなさい」
マリオはそれ以上何も言わないことにした。そのかわり、ほとんど無意識に自分の手袋を外して、ヘルミーナのか細く小さな手を握った。なぜそうしたのかはよくわからなかった。
彼女は驚いたように目を丸めていたが、やや紅潮した頬を緩めて照れたように笑った。小さな手のかすかな温もりが伝わってくる。いつの間にか傷の痛みは薄らいでいた。
◇
治療はほとんど済んだとはいえ、マリオさんをあの怪我で牢屋に戻すのはさすがに差し障りがあるだろうということで、しばらく診療所に入院してもらうことになった――という話が、私が戻ったときにはもうまとまっていた。ヘルミーナさんも会いに行けるだろうし、そのほうがずっといい。
ただ、その前にやっておくことがあるらしく、私はマリオさんと一緒に彼の家に来ていた。何をするのかはもうわかっていた。家に着くやいなや、マリオさんはすぐに作業を始めていた。
「作り直すんですね」
「だいぶ背が伸びてたしね」
ギターの少年の人形は、これから大人の姿に成長するのだろう。少年らしいあどけなさを残したまま。
この部屋に入るのは、マリオさんと最初のクエストを終えた後に招かれたとき以来で、中の様子はあの頃とあまり変わらない。閑散とした部屋を取り囲む人形たち。少し人数が増えた程度だろうか。
当時の記憶がふっと蘇ってきて、私はずらりと並ぶ人形たちの中から1人を手に取った。
「覚えてます? 私たちが最初にやったクエストのこと」
「エバだね。覚えてるよ。村の人たちをたくさん殺した」
弟さんを自殺に追い込まれて、すべてを恨んだ憐れな夫人。あの恐ろしい夜の光景を、私は昨日のことのように思い出せる。
「……もっと早く手を打てれば、あんなことにはならなかったかもしれない」
木を削る音に混じる無機質な声音。私にはそれが懺悔に聞こえた。
私はまた別の人形に目を留める。一見すると、平凡な親子に見える2人。でも本当は、「最果ての街」で恐れられる殺し屋。この幼い少女が血塗られた道を歩まなければならなかった運命を、私はどれだけ嘆いただろう。
「……ハティには悪いことをしたな。ジョーにも」
あの娘の友達だったジョー君は、彼女の復讐のためにマリオさんをナイフで刺した。何の抵抗もせず刺されたのは、今思えば彼なりの贖罪だったのかもしれない。
マリオさんは一切のためらいもなく、作業みたいに人を殺していた。幾度となく繰り返してきたであろう鮮やかな手つきで。それでも、初めから何の感情もなくそんなことができたはずはないのだ。何も感じなくなるまで、どれほどの苦しみを経てきたのだろう。
私の意識は、自然とある人形に引き寄せられていた。おそらく彼が一番大切に思っていた少女の人形に。
そっと手に取って、その顔をじっくり眺めてみる。微笑んでいるようでいて、内に寂しさを隠しているような笑顔。
彼とこの少女は、どんな日々を過ごしていたのだろう。たとえ短かったとしても、悲しい結末に終わってしまったとしても、忘れられないほど幸せな時間を過ごしていたと、私は信じている。
「クラリス」
作業の音が止む。切れ長の目から、見たこともないような弱々しい瞳が覗いていた。私の手の中の少女に注がれていたそれは、時間をかけて彼の手許へと戻っていく。
「――……かった……」
消え入りそうな声が、私の胸に突き刺さった。
「君が……望んでいなかったとしても……ぼくは君に、生きていてほしかった……。生きていて、ほしかったのに……」
もう叶うことのない痛切な願いを、次第に滲んでいく悲愴な声を、私と――彼の大勢の友達が、じっと聞き澄ましていた。
私は世界を救えない~追放者だらけの最凶勇者パーティを率いる新人少女~ 五味九曜 @gmkz5392
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