沈黙のカード

 その住宅は運よく<ゼータ>の――つまり自分たちの破壊の手から逃れたようで、居住地としてはかなり快適そうな外観だった。もっとも、その主はもうこの世にいないのだが。


 家の正面にはギャングらしき男が数人見張りをしており、マリオとともに調査に来たヤーラは気が気でない。

 見張りたちに不法侵入しているのが見つからないかというのと、糸だけでぶら下がり、2階の窓の鍵を開けようとしているマリオがこの雨で滑ってしまわないかどうか。


 もちろんそんな心配は杞憂に終わり、マリオは円滑に窓を開けることに成功し、下で待っているヤーラにOKサインを作った。



 静かに屋内に侵入した2人は、ざっと辺りを見回す。


 そこはちょうど殺害現場で、ベッドの上にはまだ生々しい血の跡が残っており、ヤーラは思わず口元を手で覆った。

 一方、マリオは手慣れた様子で血痕や床、ドアなどをじっと観察している。


「犯人である弟君っていうのが部屋を訪れて、出会い頭に刃物をどんっ。被害者はよろよろと後退して、ベッドに仰向けになって倒れる。そこに追撃で何度も滅多刺し……狐君が言ってた通り、少なくともこういうのに慣れた人間じゃないね」


 ほら、とマリオは赤く染まったシーツの一部を指差す。狙いが外れたらしい刃物の刺し跡が点々と残っていた。


「倒れた相手なんて簡単な標的にこれだけのミス。そもそも慣れた人間なら、最初の一撃で決めるはずだしねー」


 マリオなら相手が気づかないうちに仕留めるだろうな、とヤーラは少し寒気を覚える。


「犯行はその弟っていう人が単独でやったんですかね。魔術が使われた形跡はありませんし……。この靴跡はギャングの人たちのものでしょうか」


 床には泥で湿った靴底のシルエットが無数に浮かび上がっている。マリオはしゃがんでそれらをっじっくり観察する。


「……子供と、女性の跡がまじってる。1人ずつ」


「え?」


「ゼクの話では、末の弟君が関わってるかもしれないってことだったよね」


「やっぱり魔族がこの殺人を起こして、現場にも来たってことですか?」


「そうだね。ただ殺すだけなら人間にやらせておけばいい。つまり、彼らはこの家に用があった」



 おそらくヨアシュとその部下のものであろう痕跡は、リビング、キッチン、書斎など家中の至る所に続いていて、2人はそこそこ広い二階屋を隅々まで歩き回るはめになった。


 ヤーラの目には特に変わったところは見られなかったが、鋭いマリオは家具や調度品の微妙な変化を見て取り、敵がここで何かを探していたらしいと判断した。



 最後に辿り着いたのは、ポーカーテーブルやダーツの的なんかが並ぶ娯楽用の部屋だった。


 マリオはまず、ビリヤード台を足元までじっくり眺めて、おもむろに道具を一式用意する。


 ボールを綺麗に整列させ、先端を研磨したキューを滑らかな所作で構えて、一気に突き出す。

 突進していった白い手玉が甲高い音を立ててぶつかると、色とりどりの玉が緑の面を縦横無尽に転がりまわり、すべてポケットに吸い込まれていった。


「……お見事です」


「台自体に変わったところはないみたい」


 まさかそれを調べるためだけにあんな神業を披露したのか、とヤーラは勘繰りたくなる。


 そもそもこんな場所に敵が持ち出したくなるようなものはあるのだろうか、となんとなく部屋を見回すと、ダーツの的に矢で突き立てられたトランプが2枚あるのに気づいた。


「キングとジャックに何の恨みが」


 鋭利な針で綺麗に顔面を射抜かれた絵札に、同情の苦笑を向ける。

 その後ろでマリオがトランプのデッキを手に取り、数字の見える隅だけを一気に流すようにめくった。


「ハートのクイーンと、スペードのエースもない」


「……この部屋にはないみたいですが――」



 壁越しに外から伝ってきた声が、2人の動きを止めた。



「見ろ、やっぱり足跡が。まだ新しいぞ」


「泥棒か? ぶち殺してやる」


 おそらくギャングのものであろう声に、ヤーラはすくみ上がって爪を噛む。しまったと思ってももう遅い。

 すぐそばの玄関のドアが乱暴に開けられる音がした。どかどかと数人の靴が床を鳴らす。窓のないこの部屋で、唯一の出口から出れば見つかることは必至だ。


 助けを求めるような視線を投げられたマリオは、怯える少年の細い腕をがしっと掴んだ。



 ダークスーツに身を包んだ男たちが、家主のいなくなったその家を踏み荒らす。足跡しか知らない侵入者を見つけるべく、隅々までつぶさに調べて回るが、その気配はない。


 残るはここだけだ、と男たちは娯楽部屋の木製の戸を蹴破った。


 果たして、そこに人の気配はなかった。

 ビリヤード台やポーカーテーブルの下を覗いても、向こう側が見えるだけだ。他に隠れられそうなところはない。


「……逃げられたか」


 1人の舌打ちを皮切りに、男たちはぞろぞろと、時折恨み言を漏らしながら雨の降りしきる屋外へ出て行った。



 その足音を、2人は下から聞いていた。


「……うん。もう大丈夫」


「はぁ……。よく気づきましたね、地下があるなんて」


「床の音が変だったし、ビリヤード台がずらされてた跡があったから」


 地下室へと続く階段を、マッチの明かりを頼りに進んでいく。

 重そうな扉には鍵もかかっておらず、長らく使われていなさそうな照明用の魔道具に明かりを灯すと、厳重に隠匿されていた部屋の全貌が明らかになる。


 そこは、ヤーラにとっては馴染み深い空間だった。


「実験室……?」


 大小さまざまなガラス容器に、鍋や乳鉢、加熱器具などが作業台に敷き詰められている。その道の専門である人間のための設備に間違いなかったが――


「ここの家主が使っていた場所じゃない」


 マリオがそうきっぱりと言い切るなら、今まで調べた過程でそう言える根拠があったのだろう。だとすれば、誰が。


 よく見れば、器具はどれも年季が入っていて、長い間放置されているようだった。

 容器も空のものばかりで、作業台は散らかっているのに戸棚のほうはがらんとしている。マリオは埃を被った木の棚をじっと観察し、素手でさっとなぞった。


「何かが置かれてたみたいだね。そっくり持ち去られてる」


「まさか、魔族が?」


「だろうね。これ、何かわかる?」


 マリオは指についた毒々しい色の水滴をヤーラに見せる。それは棚にあった薬品から漏れたものらしく、錬金術師の目が、その小さな手がかりを解析する。


「これは――詳しくはわかりませんが、麻薬の類いですよ。摂取すれば精神に異常を来すような……よく素手で触ろうと思いましたね」


「ぼく、毒はあんまり効かないから」


「そうなんですか?」


「うん。それに、君の身長だとあそこまで届かないだろうし」


「……僕だって、怒るときは怒りますよ」


「え? ごめん」


 それにしても、とヤーラは考える。人を狂わすような危険な薬品を盗んで、敵はいったいどうするつもりなのか。


 捜査に余念のないマリオは、続いてデスクの周辺をチェックしている。


「筆記具はあるのに、紙は白紙のものばかり。記録までごっそり持っていかれたと考えたほうがよさそうだねー」


「ここを使っていた人は危ない実験をしていて、それを魔族が盗んで利用しようとしている――ということですか」


「たぶんね。ここの家主はその研究者をこっそり匿っていて、邪魔者ってことで今回消されちゃったのかな」


「肝心の研究者さんは?」


「わからない。でも、たぶん女の人だと思う。文具の趣味が女性っぽいし、実験用の手袋もサイズが小さい」


 ふと、ヤーラは作業台の下に小さなカードが落ちているのに気づき、それを拾い上げる。


「……あなたじゃないですよね?」


 さっきは見なかったハートのクイーンは、当然その問いかけに答えることはない。

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