世界を知ること

 「ルーカス」という名を耳にしたロキの顔は強張り、鬼気迫った眼差しで700歳も年下の少女を見下ろしている。


「……誰から聞いたの、それ」


 平静を装ってはいるが、声のトーンは一段と低い。


「ゆったらその人におこる?」


「それが誰かによる」


 言いにくそうにしているミアが口を開く前に、当人が手を挙げた。

 それがシグルドだったものだから、周り全員目を丸くした。


 彼は目が合ったミアに、説明を頼むように頷いてみせる。


「そんときはね、シグはリーダーのお姉ちゃんとお話してたんだよ。むかしセンソーがあったよって。ミア寝てたけどきこえたの。だからおこんないでね」


 待て待て。あのシグルドが喋ったのか。ミアは寝ていても会話が聞こえるのか。戦争って何の話だ。トマスは混乱するが、ロキは納得したのか警戒を解いたようだ。


「ああ、なるほど……。シグに喋らせたんだ。あの子すっげぇ」


 臨時リーダーをやっていたエステルは、その短い期間でシグルドに喋ってもいいと思わせたということだ。そう考えると、トマスも感心せざるを得ない。


「あとね、ロキはうぜーからしゃべりたくないって」


「……」


「『うぜー』ってなぁに?」


 ロキに横目で見つめられたシグルドは、「文句あんのか」と言わんばかりにふんぞり返っている。


「ミア。『うぜぇ』っていうのは『心の底から尊敬していて口を利くのもおこがましいです』っていう意味だよ。シグに言ってあげな」


「ほえー……?」


 シグルドは今度は睨みながら中指を立てている。ほとんど言葉を発しない男は存外表情が雄弁だ。



「戦争、ねぇ……。そっか、その話したんだ」


 はぁ、とロキはため息をついた。


「この際だからいいや。昔、ダークエルフの国とハイエルフの国で戦争になってさ、やり合ってる隙に魔族に両方ぶち壊されたってわけ。似てるでしょ? 今回と」


「なるほど……」


 魔族が関わっているとはいえ、この奔放ながら油断ならぬ謀略家がなぜこうも協力的なのか、トマスはずっと疑問だったが――その理由が呑み込めた気がする。


「……でさ、当時のダークエルフの王様がすっげー馬鹿で。自国民とハイエルフの両方焚きつけて喧嘩させて。最初一対一だったのが、三つ巴になって、最終的に四つ巴になったんだよ」


「どういう意味だ?」


「同じダークエルフに裏切られたのさ。誰だと思う? ――王様の、妹だよ」


 警告するような、いっそ嘲っているような、しかしどこか悔やんでいるような冷笑に、トマスは何も言えなかった。


「ハイエルフの軍が攻めてきた隙に、実の兄を後ろからドスッ! ……笑えるよ。刺されてんのにまだ信じようとしてたから、馬鹿な王様は。妹が純粋で優しかった昔のままだと思っていたのさ。人は変わるものなのにねぇ」


「……」


「結局その後魔族の軍勢が来て――生き延びたのはボクとシグだけさ。ねえ、シグ。お互いあれは人生最低の経験だったよね?」


 シグルドは腕を組んで苦い顔をしている。同意しているのか、それとは別に言いたいことがあるのか――



 トマスはカタリナの顔を思い浮かべる。純粋で優しい、自慢の妹。そう思ってるのは俺だけだったら? 陰でよからぬ企みをして、俺を後ろから刺す気でいたら――


 信じられない。信じたくない。


 だが、それで国が滅んだら、どれだけの犠牲が出るだろうか。

 いや、カタリナが本当に無実だとしたら……。


「――ダメだ。俺はカタリナを疑えない」


 情けない宣言に、ロキは眉をひそめる。


「だから……お前たちがカタリナを疑わしいと思ったら、俺をぶん殴ってあいつを止めてくれ」


 ぷっ、と噴き出したのはノエリアだった。


「その役はヘルミーナがおやりになりなさい。わたくしやミアでは、殺してしまいかねませんもの」


「えっ。む、無理ですよ……人を殴る、なんて。そう、ならないと、いいですけど……」


「そうだな」


 仲間ってのはいいものだ、とトマスは実感する。自分にできないことはやってもらえばいいし、同じ考えを持っていると嬉しくなる。



「『ルーカス』って、どうゆう字かくの?」


 唐突にミアが質問する。先ほどは異様に警戒していたロキが、抵抗もなく地面に指で自分の名前を書いてみせる。


「こうだよ。あんまり言いふらさないでよ」


「ロキはじぶんの名前、きらいなの?」


「嫌いっていうか……ほら、本名で呼ばれたらオークに――」


「オークなんてミアがぶっとばしてあげるよ」


 ものすごく説得力のある言葉に、ロキは閉口する。


「……。ろくなことがなかったんだよ。その名前で呼ばれるようになってから、ずっと」


 物憂げに流した視線が、本心であることを物語っていた。



 国が滅ぶ、というのはトマスには想像もつかないが――慣れ親しんだ土地は荒廃し、そこに住んでいた人々はことごとく虐殺され、瓦礫と死体の山が築かれる――そんなイメージだろうか。


 ロキにもシグルドにも、家族や親しい人間はいたはずで、それらすべてを失ってここに来たのだ。その意志を無碍にはできない、してはならない。



「まあ、たくさん勉強しなさいよ、おちびちゃん。頭の悪い奴からやられるからね、こういう世界では」


 いつものおちゃらけた顔に戻ったロキは、ミアの頭をぽんぽんと軽く叩いた。


「うん。えっとね、コトバはジブンとセカイをきりはなして、ニンシキするんだって」


「……それも、1600歳のお爺さんが言ってたことかな?」


「わかんないけどね、コトバにたよると遠くなっちゃうんだって」


 えらく哲学めいた話で、ミアにはシグルドの言葉を再現しきれていないようだったが、トマスは感覚的にその内容を理解した。



「でもねでもね、ミアはセカイのこと知るのがすっごく楽しいんだよ! おーじさまのおかげなの! ありがとーね!!」



 トマスは自分の体温がじわりと上がっていくのを感じる。

 同時に、初めのうちに睡眠時間を削らせてまで教え込もうとした自分の失態を恥じた。


「いや……。こちらこそ、ありがとう」


 お前から教わったことのほうが多いよ、という意味での感謝だったが、ミアは小首をかしげている。



 ふと、ロキがわずかに驚いたように目を見開いていて、その視線の先を追ってトマスも同様の表情になった。


 シグルドの笑っている顔を見るのが、初めてだったからだ。

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