体温

「ふえぇ……まだぜんぜんくしゃい……」


 魔物の血でベトベトになってしまったミアは、その後魔力が回復したノエリアが水魔術を使って洗ってやったのだが、完全に臭みが消えたわけではないようで、焚き火の前で涙目になっていた。


 といっても、不快なのは嗅覚が鋭敏なミアだけらしく、他の面々は特に気にした様子はなかったが。


 あの山のような巨躯を持つ魔物は、当然トマスたちだけでは持ち運ぶことなど不可能なので、少し離れた場所に安置してある。


「本当は服もきちんと洗濯して、お風呂に入れてあげたほうが良いのでしょうけれど――ここでは無理ですわね。水辺もありませんし」


「ミアおふろキライ」


「そのままだと臭いも取れませんわよ」


「うぬー! クサイのもっとキライ!」


 獣人は人間と動物が半々になったものだと思っていたが、ミアは95%くらい猫と同じなんだろうな、とトマスは勝手に決めつけた。



「やあ。あのでっかいの、近くの村の人たちが運ぶの協力してくれるってさ」


 村人と話をつけてきたらしいロキがふらっと戻ってくる。


「あれをか。よく了承してくれたな……。どんな手段を使ったんだ?」


「そんな疑わなくてもいいじゃない。普通に交渉しただけですよー。てことで、しばらくここで待機だね。はー、あったかい」


 のん気にも焚き火で手を温めているロキに、ミアが視線を送る。


「じーっ」


「……なんだい、おちびちゃん」


「ミアはそろそろおねむです」


「……寝れば?」


「できれば、あったかいおヒザの上で寝たいのです」


「こっちの細長いお兄さんにしなよ。10時間くらい動かないから」


「あとひとりで、みんなのおヒザコンプリートなのです」


「はあ、そんな記録狙ってたんだ……」


 そういえば、ここにいる中でミアを膝に乗せたことがないのはロキだけだ。


「別にいいだろ、猫くらい」


「なんと、もう皇子様の中では人間扱いされてないんですね。いやあ、今日はちょっと腰が痛くて――」


「構わんミア、座っちまえ」


「わーい!」


「ちょっ……!」


 ついでにシグルドまでロキを羽交い絞めにして逃げられないようにし、ミアは嬉しそうにその脚の隙間に納まって――数分も経たぬうちに、すやすや眠り始めた。


 ロキは落ち着かない様子でそわそわしている。


 いつも策士面しているこいつが、こんなに狼狽しているのは珍しい。トマスはちょっと愉快になる。そういう意味でも、ミアはこのパーティで一番強いんだろうと思う。



「よっぽど疲れてたんだろうな」


 深い眠りに落ちたミアを眺めて、トマスはなにげなく呟いた。


「……わ……私のせい、ですよね……?」


 別段誰かを責め立てるつもりはなかったのだが、ヘルミーナは責任を感じていたのか、思いつめたような表情でうつむいている。


「何言ってるんだ? ミアを助けてくれたのはヘルミーナだろう。陽動作戦だってお前がいなければできなかったし、そもそもお前がいなかったら俺たち全員死んでたぞ」


 それはまごうことなき事実で、<防護>の術がなければ様子見もできなかったし、倒れたミアを復活させ、助けに来させてくれたのはヘルミーナだ。もはや陰の立役者と言って差し支えないほどではないか。


「いえ……でも……」


「ぬいぐるみのことは、もうそういう性分なんだから仕方ないだろ。それを差し引いても、お前がいるメリットのほうがでかい」


 世辞でなく本心で言ったつもりだったが、ヘルミーナの表情は暗いままだ。



「その子がよほど大切なのね。誰かからのプレゼントだったりするんですの?」


 普段とは全然違う穏やかなトーンでノエリアが尋ねると、ヘルミーナは顔を上げて小さく頷いた。


「……お姉ちゃんが。もう、死んじゃったんですけど」


「そう……。その名前は、どうして?」


「好きな人ができたら、その人の名前をつけなさいって言われて……」


 ――へぇ、ヘルミーナもなんというか、年相応に純情なんだな。


「なるほど。それを失くしたら不安になってしまうのも、無理もないことですわ。気に病む必要はなくってよ」


 自分勝手な女だと思っていたが、ノエリアにはこんな優しい一面もあったのか。トマスは仲間たちの素顔を知ることに、なんだか面白さを感じるようになっていた。



「体温が――」


 ヘルミーナは独り言のようにぽつりと呟いた。


「この子を抱いてると、自分の体温がわかるから……いなくなると、それがなくなっちゃって……自分が、わからなくなるんです」


 たどたどしく覚束ない説明ではあるが、彼女の言わんとしていることはなんとなくトマスもわかる気がした。


「きゃっ!」


 急にノエリアに抱きつかれたヘルミーナは飛び上がりそうになっている。


「体温でしたら、これではいけませんの?」


「あ、いや、あのっ」


「うふふ。可愛い人」


 見ているトマスまで気恥ずかしくなって、目のやりどころに困る。



 ――体温か。


 ミアが人の膝に乗りたがるのも、それを求めているからかもしれない。


 さっきは嫌がっていたロキも、無意識なのかそうでないのか、寝ているミアの頭を撫でてやっている。心なしか、どこか寂しげに。


 視線に気づいたロキはぱっと手を離して、「意外と毛並みがよくて」といつものふざけた笑顔で言い訳をしていた。


「ミアは可愛らしいですものね。みんなの妹みたいですわ。そう思いませんこと?」


 ノエリアが少し意地悪そうに微笑んで、ロキをからかっている。


「いや、君らはそうかもしんないけどね。700コ下の女の子なんて、ボクには妹どころか――」


「お前、700歳なのか」


「……あっ」


 しまった、とでもいうようにロキは手で口を塞ぐ。あれほど個人情報を明かすのを嫌がっていた秘密主義者が、うっかり口を滑らせている。


「うわ、マジで最悪……。よりによって自分で言うとか……」


「いいだろ別に、年齢くらい」


「よくない! こういう些細なことから敵に付け入られて、対立煽られて、やり合ってる隙に全部魔族にめちゃくちゃにされて、そうして国が滅ぶんだよ」


「大げさだな……」


「そのくらい警戒しておいてちょうどいいんだよ。滅んでからじゃ遅いんだから」


 どこか知ったような口ぶりにトマスは引っ掛かったが、いつの間に起きていたミアの驚くべき発言に、全員が固まった。



「『ルーカス』って、ロキのこと?」

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